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サラシ屋  作者: 雨宮 瑞樹


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18/25

 海老のように蹲って倒れた櫻井は、ピクリとも動かない。

 嫌な予感がした大久保が私の腕を離し、櫻井の方へ回り込んだ。しゃがんで首筋に手を当てて、脈をとっている。

 息はあることを確認し終えた大久保は、私の横へ立つ。再び、私を逃さないとしているのか。思い切り階段で打ち付けた部分腕を無神経に鷲掴みしていた。途端、忘れていた痛みが舞い戻ってきた。今まで忘れていた痛みの反動だとでもいうように、何倍にも膨れ上がった痛みと、霧が全身を包み込んでいく。

 耐えきれずぐらりと体が揺れた。急に落ちてきた重みは、大久保の細腕一本では支えきれず、そのまま目のめりで崩れそうになる。そんな私をサングラス男の右腕が、支えていた。腕一本できっちりと支えられ、地面との衝突は免れる。そのまま、支えをかりながら、ながらずるずると地面へと体が沈んでいく。

 一緒に膝をついたサングラス男が、耳打ちした。

「頼むから、大人しくしていろよ」

 その声。ドキッと心臓が飛び出しそうになるのを、抑え込みながら私は頷く。

 サングラス男は、ゆっくり立ち上がる。大久保の意識は、未だに倒れている櫻井の方へと向いているようだった。


「お前、櫻井さんに一体何したんだ?」

「超速攻性のある麻酔薬ですよ」

 そういいながら、サングラス男が指さした先は、櫻井の太ももへ。そこに、注射器のような何かが刺さっていた。

「大久保さん、よく知っているでしょう? 腐るほど仕入れてきたんだから」

 サングラスの男は、両手を広げる。さんざん、やってきたことだろうといわんばかりだ。大久保が息をのむ気配がした。

 

「……サツか」

「あぁ、サイレン聞こえましたもんね? 勘違いされるのは、仕方のないことかもしれませんが、先ほどの音は偽物ですよ。こういう後ろめたいことをしている方々には、効果てきめんなんですよ。警察らしきサイレンの音を聞いただけで、焦って冷静さを失う。そういう姿を見ていると、いつも滑稽だなと思いますよ」

 サングラス男は、口の端を上げる。

「もう証拠も十分すぎるほど取れたので、この辺で僕は退散させていただきます。ペラペラと、ありがとうございました」

 そして、恭しく頭を下げた。瞬間、大久保が殴り掛かっていた。長身のせいで、大久保の方が断然有利に見えたが、それをすぐに打ち消される。それをさらりと、横へよける。灰本の眼前に、隙だらけの大久保の大きな背中。

 灰本は、大きすぎるくらい大きい的に向かって、思い切り右肘を振り下ろした。

 大久保は顔から、見事にコンクリートに叩きつけられていた。そのまま、気を失ったのか動かなくなっていた。

 鮮やかとしか言いようのない身のこなしだった。

 

 しばらく大久保の背中を見下ろしていたサングラス男のつま先は、間違いなく私の方へ向いていた。

 目の前でピタリと止まる。座り込んでいる私の視線に合わせるように、しゃがみこんだ。男の背中が一度だけ、大きく上下する。大きなため息をついたのだろう。そして、サングラスとマスクを乱暴に剥ぎ取り、ポケットに突っ込んだ。

 現れた灰本の目は、憤怒の色に染められていた。さすがの私でも、目が泳いでしまうほどに。本当なら、すぐさまここから逃げているところだろうが、何しろ体中痛くて無理だった。それをいいことに、灰本は詰め寄る。


「俺は、店へ入る前になんていった?」

 打てば響くように、勝手に記憶が蘇っていた。皮肉なほど鮮明に思い出す。

『絶対に、誰も信じるな。出てきたものを口にするな。中に潜入したら、それですべては解決すると思えばいい。それ以上の深追いは厳禁。異変が起きたら、すぐにその場から逃げろ。自分のことだけを考えろ』

 すっと冷や汗がおちる。ことごとく忠告を破ってきたことを突き付けられる。

 再度に、灰本の方へ意識を戻す。本気で怒っていることが見て取れた。初めて会ったとき、それ以上に瞳が鋭く冷え切っている。さすがの私でも、これ以上の言い訳はできそうになかった。黙り込むと、いたたまれない程の重い沈黙が落ちていく。

「お前、さっき犯人をどうにかできるのならば、死んでもいいって思ったろ?」

 射抜くような眼差しで、誰にも知られないように懸命に隠し続けた秘密を、言い当てられてしまったような衝撃だった。何も言えない私へと、灰本はさらなる苛立ちが募っている。

 

「お前が死ねば、万事うまくいくなんて思い上がるなよ。もしも、お前が死んだら、亜由美という子は、どうなる? 自分のせいで、お前まで追い込んでしまったと、さらに負い目を感じるだろう。大学の友人の春香もそう。情報をお前にやってしまったせいで、こんなことになってしまったと、お前が味わった絶望と同じ後悔を一生背負うことになる。バイト先の店長だってそうだ。あの後、お前の事情をよく聴いてやれば、こんなことにならなかったかもしれないと、後悔し続けるだろう。お前が無駄に流した血は、周りの人間へ返り血となって飛び散り、呪いにかかる。その呪いは、一生消えることはない。お前が受けた同じような痛みを、味わうことになる。お前は、それでいいのか?」

 灰本は、淡々という。 

 目の奥が細い針で、深く刺されたように鋭い痛みが走った。途端、ずっと暗い一本道しかみえていなかった視野が一気にあけていく。同時にみんなの悲痛に満ちた顔が浮かんで、水が湧き上がっていた。

 あの日の痛みも共に甦る。

 妹がなくなった日。暗い部屋で膝を抱えて、涙が枯れるほど泣いた。一生分の涙を使い果たしたと思えるほどだったのに。また涙がとまらなくなる。水がどんどん、眼の淵にたまって、零れ落ちていく。


「自分が味わった苦しみは、どんなに苦しくても他人へ、受け継がせるな。広げるな。生きることを絶対に諦めるな。それが、唯一お前ができる妹への贖罪だ」

 自分の嗚咽が他人の物のように聞こえた。周囲に響く情けない声が、胸を掻きむしるほど頭にきた。あまりに未熟な自分自身へ。どうしようもなく。

 

「灰本。仮にもその子は、被害者なんだぜ? そのくらいにしておいてやれよ」

 涙をかき分けて聞こえてきた。乱暴に目をこすって、顔を上げる。

 灰本の後ろに立っていたのは、太い眉毛に、無精ひげが生えている。暗がりでもわかるほど、日に焼けた面長の男性だった。何者かと、緊張しそうになるが、灰本はいちいちその人物を確認するにすることはなかった。ずっと真顔を崩さなかった灰本のが、苦虫をかみつぶしたような顔をしていく。

「呼んでない」

「呼ばれなくても、俺の嗅覚は鋭いんだよ」

 灰本の肩に手を置くが、すぐに振り払う。男は、やれやれと頭をかいて、灰本の横へ並ぶ。そして、その横に膝をついた。まともに目が合って、少し驚く。そんな私を安心させるように微笑むと、ごそごそとスーツの内ポケットを探っていた。

「私は、こういうものですので、ご安心を」

 警察手帳を掲げていた。証明写真も、所属しているであろう場所『警視庁』もしっかりと刻印されている。

 警視庁捜査一課刑事『天海慎吾』

 以前みたような偽物ではなさそうだ。ということは、灰本も警察ということなのだろうか。

「あぁ、俺と灰本は元同僚。今は……まぁ、あなたの知っての通りの危なっかしいことをしているってわけ。こっちは、灰本の尻拭いやらで、大変なんですよ」 

「……喋りすぎだ」

 灰本は天海の頭を軽く小突いて、立ち上がった。

 天海は、舌を出す。面倒くさいやつでしょと、苦笑して、天海もあとに続いていく。

「お前にしては珍しく、頭に血が上ってる?」

「当然だ」

 灰本の返事に、天海はこちらへ様子をうかがうような視線を送ってくる。そして、何やら意味あり気な笑みを零したのが見えたのを最後に、視界は暗転した。


 

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