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サラシ屋  作者: 雨宮 瑞樹


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15/25

浅川美咲

 これだけ気合を入れてきたというのに、まさかの空振りになるなんて、誰が予想できたのだろう。 

「浅川様なのですが、本日急用ができたので、来られなくなったと、連絡が入りました」

 私を案内してきたウエイターから告げられたのは、それだった。

 拍子抜けとは、まさにこのことだ。緊張から解放されるのを飛び越えて、脱力感しかなかった。

「どうされますか?」

 ウエイターから、早く出ていくなり、注文するなりしてくれという空気が漂っている。

 確かに、浅川が来ないとなれば、どちらかの選択しかなくなるのは当たり前だ。金を落とさず、ぼーっとしているわけにはいかない。

「とりあえず、友人がいるので移動します」

 私は、ショルダーバッグに手をかけ、大久保の方へ振り返ると、大久保が誰かと談笑していた。私に気付いて、こちらへ手を降ってくるのが見える。その状況に驚いてしまう。

 知り合いか? とも思ったが、こんなところで、偶然あるだろうか。ヒールの爪先を大久保の方へ向ける。大久保は、壁際のソファ席、見知らぬ男は向かいの椅子に座っていた。どちらも革張りで、座り心地が良さそうだ。


「どちらさま?」

 大久保の脇に立って、尋ねる。大久保は、顔をこちらへ向けて見上げる。その正面に座っている男も私へと注目した。

「こちら、櫻井さん。ちょっと話したら意気投合しちゃってさ」

「どうも」

 櫻井と紹介された男が白い歯を見せて、軽く会釈しする。ずいぶんと仕立てのよさそうな黒スーツを着た男。私も、一応頭を下げ名乗る。釣り目の面長で、少し前が薄い短髪。四十代といったところだろうか。年齢がかなり離れているように見える。それなのに、すぐに仲良くなれるなんて、大久保の会話力とか、人付き合いのうまさには舌を巻くしかない。私は、人見知りの部類。絶対できない芸当だ。

「例の人、来なかったの?」

 大久保は、自分の隣のソファをポンポンと叩く。

「ともかく座りなよ」

 促されるがままに、腰を下ろす。私の重みで、革が擦れてギシッと鳴った。

 経緯をそのまま話すと、大久保は目を大きくする。

「え? 相手の方がドタキャンってこと?」

 当然の反応だ。

 それからどうやら少人数の会だったことなどを、引っかかる点を軽く説明していった。本当になぜ、来なかったのだろう。警戒されたということなのだろうか。話せば話すほど、益々腑に落ちない気分だった。ソファから、歯ぎしりのような音がギリギリする。

 大久保は、背もたれに軽く背中をつけて息を吐いた。

「今の正直な僕の感想は、心配が消えてほっとした、だよ」

 大久保は、くしゃっとした笑顔を見せていた。私は苦笑する。口惜しさが、和らいでいく。

 そんな話をしている最中、櫻井はウェイターへ注文をしていたようだ。すぐにウエイターは、ウイスキーボトル、氷、人数分のコップをトレイに乗せてやってきていた。

 大久保と私の前にもコップが置かれた。黙って聞いていた櫻井が、事情はよく分からないですがと、前置きする。

「用事は、終わったみたいですね」

「一旦は」

 大久保が頷くと、櫻井が手慣れた手つきでそれぞれのコップへ氷とウイスキーを注いでいた。

「みんなで一杯飲みましょう。僕からの奢りです」

 おおらかに勧められるが、私は到底そんな気分になれない。手を付ける気になれなかった。しかし、大久保は早々にコップを手にし、櫻井とコップを合わせていた。二人は、談笑し始める。


「この店は、いつも来てるんですか?」

「僕の会社、この近くにあって、この店の常連なんです」

「こんないい店に足繁く通えるなんて、懐が温かそうで羨ましいなぁ」

「君たちは学生さん?」

「そうです。大学四年で」

「就職は、もう決まったのかな?」

「はい、内定もらえてます」

 ずっと二人の会話だけでよかったのに、急に大久保が「な?」と、同意を求めてくる。一番スルーしてほしいところで。この事件のことで、頭の中はいっぱいで就職という難問を、忘れかけていたのに、落とされた時の悪夢が蘇る。固まるしかない。内定確実と言われていたのに、急遽落とされましたなんて言いたくない。曖昧に笑ってごまかそうとした。が、大久保がぎょっとした顔をして見抜いていた。

「あ……もしかして、落とされた?」

 グサッと心臓を一突きにされ、口を引き結ぶしかなかった。この事件で、現実逃避していたのに、一気に引き戻されてしまう。早々に働き先を決めなければ、アパートの家賃さえも払えない。頭を抱えそうになった時。

「そういうことなら、うちの会社の人事へ掛け合ってあげましょうか? 実は僕ここの重役してるんですよ」

 名刺を差し出される。有名広告代理店の名前だ。

 すぐそこに六本木に本社がある。警戒すべき人物と思っていた櫻井が、神様の姿に変化していく。

 が、ちょっと待て、待て。

「やっぱり、大丈夫です」

 涙をのんで、名刺を返す。

「どうして?」

「今は就職の話よりも優先すべきことがあるので」

「就職よりも、大事なこと?」

 櫻井は眉を寄せて、コップを傾ける。就職よりも大事なことなんて、この世にあるのかという顔だが、構わず私は頷く。

「何やら、事情がありっていう顔だね。もしかして、ここへ来たのもその大事なことで?」

 櫻井は、少し前のめりになる。神妙な面持ちだ。

 悪い人ではなさそうだが、やはりたった今会ったばかりの人に、話すのは気が引ける。こちらのことは、気にしないでくれと言おうとした。が、遮られた。

 

「僕らある人に会いたくてやってきたんです」

 大久保が、私より前に出ていた。

「ちょっと」

 大久保の脇腹をつつく。喋りすぎだ。

 しかし、大久保はくしゃっとした笑顔で反論してきていた。

「聞いたほうがいいよ。だって、ここの常連だったら知ってるかもしれないだろ?」

 それは、確かにそうかもしれない。浅川美咲が頻繁にこの店を出入りしていた可能性は大いにある。やっとつかめそうだったしっぽを、ここでみすみす見過ごすのは、もったいない。ずっと緊張続きで、喉がカラカラだった。

 何か飲みたい。水分を目で探していると、早々に察知した櫻井が、ウエイターに水を頼んでいた。すぐに、ウエイターがコップを持ってきた。それを、櫻井が受け取って、そのまま私の方へ差し出された。ありがとうございますと礼を述べて、口の中に取り込む。湿って滑りがよくなった舌で、下唇を舐める。そして、正面にいる櫻井へ、前かがみになった。

 

「浅川美咲という人、知りませんか?」

 櫻井の耳へ届くギリギリの音量をまで絞る。途端、櫻井は、耳元で大声を出されたかのように目を丸くして口元に手をやっていた。そのまま硬直したように動かない。しばらくじっとしていた櫻井は、グラスを口へ持っていく。その手が、微かに震えていた。突き出ている喉ぼとけが、ごくりと上下する。

 しばしの沈黙。そして、やっと僅かに口を開いた。

「……知っているよ。この店によく出入りしている」

「本当ですか!」

 大き声が出てしまう。櫻井はすぐに、人差し指を口へ持っていき、立てる。周囲を気にする素振りをしてから、まるで何かに怯えているようなおどおどした目をして、囁いた。

「……この店の従業員は常に聞き耳を立てていて、全部浅川の耳に入る。ここじゃ、まずい」

 目の奥が切れ長の目が薄暗い。大きな秘密がその中へ明白に隠されているのは、容易に想像がついた。

 櫻井が立ち上がった。それに私と大久保が続く。

 ウエイターに声をかけてから、店を出ていく櫻井の背中。そこからできた影を、見据えると、忘れかけていた火が再燃していくようだった。体の中心から、熱が上がる。亜由美だけではない、多くの人を苦しめてきた人物。つかみかけたしっぽを絶対に掴んでやる。

 

 黒い背中は、店の入り口を出て、階段へと向かう。ここじゃまずいと言っていた。つまり、外へ出るのだろう。疑問もなくそう思い、影を踏んだ時、突如方向が変わっていた。

 行先は、地上へ続く階段ではない。逆。下り階段だ。

 コツコツと革靴が階段を叩いている。やけに冷たく、不気味に響いている。急激に頭に上っていた熱が冷めていた。自然と、足が止まる。反射的に尋ねていた。

「どこへ行くんですか?」

「下に、VIPルームがあるんです。そこなら、従業員も来ない。安全なんです」

 振り返りもせず、黒い背中から声だけ聞こえてくる。更に地下へと続く薄暗い階段は、安全という言葉からほど遠い景色だ。急に立ち止まった私の背中へ、後ろからついてきていた大久保が軽く私の背中を押した。押されて、自然と足が一歩前へ出た。片足が一段下りる。私は、顔だけ後ろへ向ける。

「大丈夫だよ。僕もついているからさ」

 大久保は、相変わらずのくしゃっとした笑顔だ。この先へ不安を覚えないだろうか。私の心の内を読み取るように、大久保は指差した。

「大丈夫だよ。VIPルームって言ってたじゃないか。ほら、そこの地図にもそう書いてある」

 指し示す方向の壁に、フロアマップが貼られている。地下二階。全フロアがベニートとなっている。

 それを見てさらに頭の中で、ちかちか赤いランプが点滅していた。心臓が早打ちし始める。

 その時、ぐらっと視界が揺らいだ。急に襲う眩暈と頭痛。いったい何? 私は、何も怪しげなものは口にしていない。どうして。そこで、ハッとする。水だ。さっき、一口だけ飲んだ水。自分に起こり始めている変化にぞっとしながら、壁に手をつく。

「大久保、ここら出よう。あの人、きっと浅川美咲の仲間よ」

 どこからともなく霧がかかってくるような感覚を振り払うように、大久保へいう。大久保へ向けていた顔を一度、戻す。そして、軽く頭を振って、つま先を後ろへ。大久保のいる方向へ変えようとした瞬間。

 ドン! と、背中を押された。

 階段を降りかけていたヒール。中途半端に、引き返そうと捻り始めていた身体。ただでさえアンバランスだった。私は、いとも簡単に階段から突き落とされていた。

 

 呆気なく前のめりに落ちていく。足が、宙に浮く。体が投げ出される。そのまま、階段の角へ頭をぶつけて大惨事になりかねないと本能が訴えていた。目の前に近づく地面。とっさに両腕をクロスして、頭へのダメージは回避する。しかし、できたことはそこまでだった。

 そのまま全体重を乗せた腕は、階段の角に打ち付けられる。骨まで抉れるような痛みだった。それを味わいながら、体は落ちた勢いのまま一回転。

 スピードを保ったまま、丸まった背中から踊場の壁へ打ち付けられていた。ぎゅっと目を閉じるのどと同時に、ガツンという衝撃。そのまま、ドスンと体は尻から地面に沈んでいく。激しい痛みのせいで、座る体制も作ることはできず、そのまま横倒しになる。更なる気絶しそうなほどの激痛が襲った。あまりの痛みで、胎児のように、体を丸める。息をすることすらままならない。何とか、浅い呼吸で酸素を取り込む。生きるための動作さえも、いちいち痛みが走った。じっとりと額に冷や汗が浮かんでいくのが、わかる。

 その合間に、足音が近づいてきて、私の前で止まった。

「つべこべ言わずに、黙ってついていけば、こんな痛い思いはしなかったのに」

 その声を聴いた瞬間、激痛が消えた。混濁しそうだった意識さえも、動揺と驚きで、鮮明になる。目を見開いた瞬間、現実を疑った。目を見開いた私の顔を、覗き込んでくる顔。

「でも、仕方ないよね。そういう性格なんだから」

 蹲る私の顔を覗き込んできたのは、クシャっとした笑顔。大久保だった。


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