ベニート
大久保は、灰本を頭の外へ追いやって、今度は私にターゲットを絞って眉を寄せて、私の爪先から頭のてっぺんまで黒目を何度も上下させていた。非常に居心地の悪い視線だった。このまま、急いでいるからと言って、立ち去ってしまおうか。
爪先をベニートの方向へと向けようとたところで、大久保は行く手を阻んでくる。
「その恰好、どうしたの?」
眉間の皺がさらに深くなっていた。
「ベニートってところへ行くつもり?」
核心のど真ん中をいきなり突いてくる。
当然だろう。この場所と今の時刻。春香がくれた情報のすべてが一致してしまっているのだ。嘘なんかついたところで、無駄な労力になるだけなのだろう。開き直るしかない。
「どうしても、会いたい人物がいるの」
「浅川美咲って人?」
もうすべて知っているのならば、煩わしいことを考える必要はない。後ろめたい気持ちは、消えていた。
大久保をまっすぐに見返す。
「そうよ」
「絶対ダメだ。そんな危ないところへ、行かせるわけにはいかない」
「いくら止められても、決めたことなの」
睨み返すが、大久保は負けじと詰め寄ってくる。
「前に、友達がそいつに会って被害にあったんだろ? 忘れたのか?」
「忘れてないから、行くの。このまま、好き放題させておくわけにはいかない。このまま野放しにしていたら、新たな被害者がどんどん出てくる。誰かが食い止めなきゃいけないの。わかるでしょ?」
ずっと燻ぶっていた怒りが再燃して、大久保に噛みつく。大久保の目も鋭くなっていた。
「だからって、一人で乗り込んでいってどうにかなるとでも思ってるのか? どうするつもりだよ」
「浅川美咲に直接話を聞いて、証拠を取ってくる」
ショルダーバッグをポンポンと叩き、きっぱりと言い切る。これ以上、大久保と話す気にならなかった。時間も差し迫っている。障害物となっている大久保をよけて、そのまま歩き出そうとしたら、また前に立ちはだかる。
もういい加減にしてほしい。
「だったら、僕も一緒に行く」
耳を疑って、何度も瞬きをすると次第に脳みその温度が下がっていた。冷静になった頭の中で、ぐるりと思考を一周させる。
ありがたい申し出だと、思ってしまっている自分がいた。が、首をぶんぶん横へ振る。
「気持ちはうれしいよ。ありがとう。でも、遠慮しとく」
「なんで?」
「女一人の方が警戒心は、薄くなるし、浅川美咲は女。女同士の方が、ボロを出す可能性は高いもの」
「浅川美咲はいなかった。別の人間……男がいたっていう可能性も、あるんじゃない?」
それは、一番考えたくない可能性で、無理やり頭の中から排除していたことだった。
言い返す言葉が見つからず、黙り込んでしまう。その隙をついて、大久保はいう。
「決まりだね。僕も一緒に行く」
「連れが一緒だってわかったら、警戒されるかもしれない」
「大丈夫。店がまるごと貸し切りだったら、確かに心配だけど、今日はそうじゃなさそうだ。僕は、普通の客として紛れ込む。そしたら、問題ないだろ? 僕が先に行く。柴田は、後から入ってきて」
大久保は、くしゃっとした笑顔を見せて、歩き始めていた。
私は、本当は心細かったのかもしれない。前を行く彼が、どうしようもなく心強い存在に見えた。
会場がある『ベニート』は、地下にある。その入り口に一人ガードマンらしき男が立っていた。ガードマンは、サングラスに黒いマスクをしているようだ。大久保が声をかけられて、荷物チェックを受けている。しばらくすると、階段を下りて行って姿は消えていた。
ふうっと息を吐いて、続いて私がベニートへ。
ガードマンにつま先から頭のてっぺんまで、じろりと確認される。
「荷物の中身をチェックさせてください」
護身用にナイフでも持っていこうかと思ったが、やめておいて正解だった。
どうぞと素直に口を開けて、中身を開いて見せた。
ほっと胸をなでおろしつつ、新たな緊張が生まれてきそうなのを、ヒールで踏みつぶす。スマホの録音機能を作動させ、ゆっくりと、狭い階段を下りていった。
一段一段高い段のある階段をゆっくり下りた先は、すぐに店の入り口だった。その前に、中年ウエイターが立っていた。耳からイヤホンが見える。上で立っていたガードマンと繋がっているようだ。
「浅川様の会へご参加ですか?」
なぜ、分かったのだろう。若干の疑問と緊張が張り詰める。しかし、今更引き返せない。
「そうです」
はっきりと答えると、ウエイターが先導していく。その後ろをくっついていく。
ネットで見た通りの店内だった。バーカウンターがあり、奥には二人席のテーブルが二十ほどある。かなり、広々としている。グループ客も何組か見られ、それなりの賑わいがあった。大久保の姿を確認しようとしたが、薄暗い店内というのもあり、確認できなかったのは残念に思う。
その最中、奥に個室らしき扉を発見する。おそらく、今日の会はあの個室で開かれるのだろう。緊張感が、再び舞い戻ってくる。
しかし、どうぞと、椅子を引いて促された先は、バーカウンターの端だった。通された場所に私は目を見開いた。私が突っ立ったままでいると、ウエイターが眉を顰めた。
「どうかされましたか?」
「あの、数人で集まると聞いていたので、ここだと少々狭いのでは……」
バーカウンターは全部で七席ほどしかない。
「浅川様からは、今日は少人数の会だと伺っていますので」
にこやかに言い置いて、去っていく。
散々頭の中で組み立ててきたはずの作戦と心構えが、ガラガラ崩れていく。
ずっと、大人数の会だと思っていた。人がたくさんいれば、逃げ道はどうにかなると、たかをくくっていた部分は大いにあって、だからこそ強気でいられた。それが、根本から覆される。
肺の中にある酸素が凍っていく。
振り返ってテーブル席のエリアを見渡す。
先ほど見つけられなかった大久保。微笑んで手を、振ってくる。それを見たら、肺が少しずつ元の機能を取り戻していた。
私には力強い味方がいる。
浅くなっていた呼吸が正常に戻っていく。安堵がじわじわと広がっていった。
大久保が味方でいてくれる。
その存在で、気合を入れ直して、椅子に腰を掛けた。
動じるな。
想定外ではあるが、可能性として考えなかったわけではない。
むしろ、好都合じゃないか。自分がターゲットになる可能性が高まるということは、それだけ懐に入りやすくなるということ。情報を得られるチャンスが増えるということだ。
ウエイターから声がかかった。ドキッと心臓が跳ね上がった。
「お待ちいただいている間、何か飲まれますか?」
ただのオーダーの質問だった。
まだこんなに、ビクビクするなんて、らしくない。落ち着けと、胸に手を置く。指先にコツンと堅いものが触れた。灰本がくれたネックレスだった。それをぎゅっと握る。
私は、首を横に振る。
「いえ、このまま待ちます」
何も口にするな。
「かしこまりました」
灰本の忠告の一つだ。
ウエイターが一礼して、下がっていく。




