残党
相沢が灰本へ殴り掛かっていく。
しかも、相沢の手には不気味に鈍く光るものがある。突っ立ったままの灰本の心臓へ向かっていた。
危ないと、叫ぶ時間もなかった。
切っ先が灰本の中心へ一直線に向かっていく。しかし、灰本は流れるように、切っ先を避けていた。狙いを失った相沢の体は、灰本の真横を通り過ぎる。灰本は、がら空きになった腹部へと膝蹴りを入れ、首元に肘を落としていた。相沢はコンクリートに叩きつけられ、ピクリとも動かなくなっていた。
あっという間の出来事。まるで、映画でも観ているような気分だった。ただただ、唖然としてしまう。
灰本は、気絶している大男二人を見下ろして、自分のポケットからさっとスマホを出し、誰かに連絡を入れていた。
数秒で電話を切ると、灰本がこちらへ歩いてくる。
まだ遠くて、表情まで読み取れない。しかし、先ほどの立ち回りの余韻を残して、怖い顔になっているのかもしれない。
灰本が目の前で立ち止まった。恐る恐る視線を上げる。予想通りだった。視線は冷えていて、眉間に皺が寄っている。ゴクリと、固唾を飲む。が、その視線が一向に合わない。首をかしげて灰本の視線の先を追う。どうやら、私の両腕に向かっているようだ。私も続いて、自分の腕を見やる。
暗がりでも分かるほど、悲惨な状態にみえた。袖がボロボロに破れているし、皮膚がざらっと剥けている。出血もまだ続いているようだ。じっくり見てしまうと、今感じている痛みがさらに増してくる気がする。その上、視線が傷口を刺激してきて、痛い。
「事務所で、手当しましょう」
灰本は、くるりと踵を返していく。私は黙ってついていくしかなかった。
事務所に到着して、真っ暗だった部屋に蛍光灯が灯る。灰本は応接セットのソファへ座るように言って、パーテーションの奥に消えていく。私は大人しく腰を下ろした。ビリビリに破けたワイシャツの裾をめくっていく。前腕がむき出しになって、蛍光灯に照らされる。より一層傷口が鮮明に見えて、じふのことながらぎょっとした。アスファルトで削られた擦過傷の範囲は予想以上に広い。しかも両腕だ。今感じている痛みより何倍も痛ましくみえる。普段傷など見慣れていないせいで、お尻がムズムズしてしまう。
灰本はピクリとも表情を変えることなく救急箱を持って、横に座った。
「右腕を出して」
言われるがままに、突き出す。灰本は、顔色一つ変えず、じっと傷口の様子を確かめる。
「傷口は広範囲だが、深くはなさそうだ。傷は、残らないでしょう」
確かめるようにいうと、沁みますよという忠告とほぼ同時に、アルコール消毒液をかけられた。うーっと呻いている間にさっと軟膏を塗って、ガーゼをのせて包帯を巻いていく。手際がいい。本当は医者なのではないだろうかと思ってしまうほどだ。
もう片方もさっさと、処置していく。その手先を見つめていると、灰本がいった。
「どうして、ここへ?」
事務所前でうろうろしていた事を言っているのだろう。
「私がバイトをしているとき、さっきの相沢って男が、サラシ屋のことを聞きに来たんです。情報を教えろって。それで」
「心配になって、ここに来たというわけですか?」
「そうです」
でも、何もなくて良かったと言おうとしたのに、灰本は遮断していた。
「僕は、プロ。あなたは、素人。余計なお世話だ」
突き放すような言い方に、カチンときた。こちらは、心配してきたっていうのに。
火打石で、火花が散ったように言い返す。
「そんなことわかってます。でも、万が一のことだってあるでしょう? 灰本さんだって、人間なんだから。私はこの目で、大丈夫だと確かめなければ、納得できない質なんです」
きっぱり言うと、灰本は大きくため息をつく。左腕の包帯を巻き終えた。そして、救急箱の蓋をパタリと閉めると、ぼそっと吐き出した。
「まったく……難儀な性格だ」
いちいち癪に障る言い方だ。すぐさま反論が浮かんできて、口を開きかける。が、飲み込んだ。
「まぁ、そんな性格じゃなければ、わざわざ他人のために、俺へ依頼しになんて来ないか」
灰本は諦めたように、そういう。目の鋭さは、消えていた。
意外な言葉に、中途半端に開いた口がそのまま、止まってしまう。その間、じっと灰本を見つめていたらしい。
灰本の少しだけ柔らかくなった視線と、まともにぶつかって、どこからともなく熱がこもる。急激に心拍数が上がりそうだった。灰本は、救急箱を手に立ち上がる。未だに心臓は煩いが、釘付けになっていた視線が解かれた。元の場所へ戻しに行く灰本の背中が、パーテーションの奥へ消えていく。コーヒーのいい香りが漂ってきて、心臓も元の位置へ戻っていく。素朴な疑問が浮かんだ。
「そういえば、あの人たち何だったんですか?」
「相沢文明とその手下。有島亜由美さんの事件の残党といったところでしょう。少人数の犯行だと思っていましたが、グループ組織だったみたいですね。あいつらは、今までにこういう犯罪を繰り返し行っていたようです。その度に、それぞれの役目をローテーションしていた。亜由美さんの事件の時は、あいつらは一番つまらないホテル予約係と周囲の警戒が担当だったようだ。そして、次回の犯行に及ぶ時は、あの二人が一番のご褒美をもらえる番だった。しかし、お仲間がぞろぞろと警察に捕まったせいで、次の犯行の予定がき消えてしまった。取り残された二人は、仲間を警察へ突き出された原因となったサラシ屋へ恨んだ。そして、報復しようとした」
「どうして、サラシ屋の仕業だとわかったんです?」
「僕は、こっちの世界では、割と有名人なんですよ」
両手にコーヒーカップを持って、テーブルに置き、灰本は正面に座って苦笑する。
「しかし、サラシ屋の情報はほぼ出回っていない。報復したいのに、相手がみえない。しびれを切らした相沢たちは、この事務所前で、僕が現れるまでずっと張り込んでいたようです。だが、その間サラシ屋は、姿を現さなかった」
そういえば、犯人が逮捕されたと報道された後、灰本から結果報告を受けるまでに、時間が空いた。
あいつらを撒くための時間だったというわけか。あの時の疑問が解けて、納得しているとこちらに意識が向けて、続けてくる。
「しかし、その間、あなたの姿だけは、やたらと奴らの目に入ってきていた」
連絡がなくて、何度か事務所の前に行った時のことを言っているらしい。身に覚えがありすぎて、居心地が悪い。
「ならば、あなたからサラシ屋の情報を引き出せばいいと思ったのでしょう。しかし、あなたから情報は引き出せなかった。思っていた以上に根性が座っていて、口が堅かった。イライラしていたとこに、またあなたがここに現れた。ずっとたまっていたフラストレーションを憂さ晴らしするのに、ちょうどいいと思った」
「……最低」
「その通り。下衆な奴らだ」
尖った瞳、上がった口角。首元にナイフを突きつけられているような鋭利さ。最初に出会ったときと同じ目だ。
怯んでしまいそうなほど冷たい瞳を見ながら、私の目の奥の導火線に、点火したような音がした。
「絶対、許せない」
こぶしを握る。腕の痛みなんか感じなかった。
「この期に及んで、まだ深追いする気ですか?」
灰本は目をむく。それを全部視界の外へ追いやる。
「私は、絶対に追い詰めてやる」
抱えている灰本など、目に入らない。
「一人でどうする気だ?」
「浅川美咲という名前の人物が、友人へ接触を図ってきたんです。場所は」
「ベニート」
今度は私が目をむく番だった。




