冬芝
冬芝の青い草原に初冬の風が駆けていく、丘を駆け上がってくるのはルイスだ。
肩の上でティアが手を振っている、あいつ変身しちまってるな、王宮で能力を使ったんだな、犯人を見つけたに違いない、ルイスの鼻は特別だ。
あいつがいなければ彼の地から戻れなかったろう、マヒメも死んでいたかもしれない、あいつは凄い奴だ。
振り返ると闘技場が燃えているのか白い煙が登っている。
「エミー・・・・・・」出来の良すぎる弟があそこにいた、ティアを攫った連中と敵対していた、あれは死闘、あいつはまた誰かのために戦っているに違いない。
「無事でいてくれ」どんなに不利な状況でもあいつなら打開策を見出すだろう、見出せてしまう、その力が争いを呼び寄せる、逃げることを知らない。
いつか躓く時が来る、転んだその時に支えになってやりたい、立ち上がるための手を差し伸べてやりたい、誰かが見ていないと奴はきっと簡単に運命を受け入れてしまうだろう、ああ、そうかと矢の前に身体を投げ出してしまう、自分の命の優先順位は最下層にある。
しかし、今はまだ駄目だ、居てやれない、ティアがいる、マヒメとの約束がある。
必ず、マヒメのいる漂流島へ帰る、ティアを連れて!三人で!
許してくれ!エミー、俺は駄目な兄貴だな。
ルイスに手を伸ばした、行こう、俺たちの船で。
パアァッンッ 聞きなれない銃撃音 マスケット銃じゃない、反射的にティアを肩から降ろして覆い被さった。
「ティア大丈夫か?」「なにが?」いつも通りの笑顔、白いワンピースの何処にも異常はない、無事だ、近くで戦いがある、まさかエミーが狙われた訳じゃないよな。
視線を前に戻すとルイスが転んでいる、慌て過ぎだ。
「おい、ルイス、安心しろ、ティアは無事だ、起きろ・・・・・・」
不意に力か抜けた、付いた腕を保てずに頬が地面を舐めた、冬芝のいい匂いがした。
ガシャ 灰色の壁がティアの前に立ち塞がった。
「お父さん!!お父さん!!どうしたの、ねえっ!お父さん!!」
ティアが泣いている・・・・・・目の前をルイスの手が彷徨っていた、その目は既に白く何も映していない、なんてことだ!撃たれたのか!
「ルイッ、お・・・い、ル・・・・・・がはっ」吐血した、俺も撃たれたのか。
ガッ、ルイスの手を掴んだ、立て、ルイス、立つんだ!三人で帰る、あの島へ帰るんだ!マヒメに・・・・・・ティア・・・・・・を。
「お父さん!お父さーん!!」
暗闇にティアの声がする、泣くな、かわいい声が台無しだぞ、いつものように笑っておくれ・・・・・・エミー・・・・・・ティアを・・・・・・頼む。
やはり涙は出なかった。
エルザと共に脱出した闘技場から丘に上がる、開けた丘に大きな影はホランドたちだ、デル兄もそこにいる、人質となっていた女の子は無事だろうか。
「デル兄の娘なのかな、ふふっ」七歳くらいだと計算があわない、どんな経緯なのだろう、デル兄は優しい、師父東郷が言っていた、デルは仁の人なのだと、人のために命を張って戦える男だ、尊敬できる兄だ、隅っこにいた自分にまで気を掛けてくれた優しい兄、大好きだった、斜めに悪ぶった顔が照れたように笑う、カヌレを分けてくれた節のあるゴツゴツした暖かい手。
その手が冷たい、知らない誰かの手首を掴んでいた。
ホランドの腕に抱かれた女の子が呆けたように呆然としている、痛い!痛みが共感能で伝わる、この子は理解している、父親二人の死を、死とは何かを知っている。
「エミー殿、すまん、我らが付いていながら・・・・・・」
「面目ない・・・・・・」
デル兄とルイスの銃創は身体側面にあった、射撃位置は・・・・・・丘の上にある雑木林脇に道がある、遠い、五百メートルはある、マスケット銃の遥か射程外だが弾丸の進入角度から見て狙撃者がいたのはあの場所だろう。
「フレディが使用していた彼の地の武器だわ、五百メートル先から撃たれた、避けられない事だった」
「五百だと、そんな銃があるのか!?」
「あの方向で何か見ていない?」
「いや、儂は気が付かんかった、まてよ、音がしたな、聞きなれん音だ」
「どんな音?」
「んー、どんな、なんか金属の缶を規則的に叩くような、ガラガラという音だ」
「きっと、この世界の物じゃない」
エミーの首に指が伸びる、この状況でも乱れない、もの言わなくなったデルを前にしても平常心を保っていた、幼いティアの激痛を共感しても変わらない、やはり自分は異常だと確信した。
「この人は闘技場にいた人かい、確かデルって呼んでいたね」
「ああ、孤児院時代の義兄だ、名前をデル・トウローという、いい人間だった」
「なぜ二人が狙われたんだ、ノスフェラトゥの連中と敵対していたのか」
「分からない、暫く会っていなかった」
「ねぇ、フローラおねえちゃん、なんでいるの?」
小さな手がエミーの裾を掴んだ、片手に乗せて抱き上げる。
「・・・・・・私はフローラじゃないの、エミーという」
「ふうん、そうなんだ、そっくりだね、姉妹なの」
「違う、私に家族はいない」
「そう、同じだね、ティアも一人になっちゃった、さっきまで・・・・・・」
ティアはデルとルイスを見ようとはしない。
「くっ」ホランドの目から大粒の涙が湧き出した、巨人は子供に弱い。
死は日常だ、生きることは死のキャンバスに一筆描きで線を引いていくようなものだ、絵の具が尽きれば生は終わる、途中で絵の具を足すことは出来ない。
デルとルイスの絵の具は尽きてはいなかったろう、外から無理やりに筆を折られた。
命の線は途切れ三本で描いてきた線は一本になった。
ドオッオオン ドオッオオンッ 大砲の発射音が響く、ザ・ノアの砲撃音。
バゴォッ ドゴオッ 闘技場と大洞窟に着弾した砲弾が爆発している、単なる鉄球ではなく爆薬が内蔵された炸薬弾だ。
「やつら内陸に向けて砲撃してやがる、ここも危険だ、移動しよう」
「ああ、兄さんたちの遺体もこのままには出来ない、荷馬車が必要だ」
街に入る前でまた一人懐かしい顔に出会った。
荷馬車に横たわったデルとルイスを見てマンさんは絶句して崩れ落ちた、「申し訳ない」と地面に擦りつけた額から血の涙が流れた。
ティアを連れたまま何処へ向かうべきか迷っていたが王宮へ戻ることに決めた、エミーは王宮に入ることを最後まで拒んだがティアはエミーの裾を放そうとはしなかった。
デルたちの遺体を埋葬してあげなければならない、放って置けば時間とともに生前の姿からは遠く朽ちていく、そんな姿を二人もティアには見られたくないだろう。
「二人は王妃の命を救ってくれた国の恩人、礼を持ってその魂を天に送り、その意思を継がなければならない」
王宮への道でマンさんから経緯を聞いた、デル兄たちの旅路、神獣の子ティアの事、これから行こうとしていた島の事、幻の島の母親の事。
「そうか、帰りたかっただろうな」
「その船は無事なのか?連中ニースの街にも砲撃を加えているようだが」
「分からん、儂が街を脱出した時には火の海じゃった、やつらの大砲の弾は当たると弾けて燃えるようになっている、単に突き抜けるだけの鉄球じゃない」
「エミー殿はどうして闘技場にいたんだ」
「成り行きでね、始まりはエリクサーだった」
「貴方はまた成り行きで人助けに命を懸けておられる、デル殿と似ている、やはり義兄弟なのだな」
「いつ死んでもいい人間が生き残り、死んではいけない人が死ぬ、神様に心はない」
「儂はどう償えば・・・・・・腹を切って済むと思っておった儂は愚か者じゃ」
「マンさんの責任じゃない、二人を撃ったやつ、必ず見つけ出して聞き出す、そして・・・・・・」繋がる言葉を抱かれたままエミーの小さな肩で寝てしまったティアに聞かせたくはない。
王宮は騒然としていた、マンさんの連絡を受け千名の禁軍が緊急出動しようとしていた、率いているのはエドワード・ラインハウゼン皇太子、その横にはガイゼルもいる。
フルプレートの甲冑に身を包み背中に盾とハルバートを装備した姿は次期王様として誰もが認めるところだ、しかし、今から出撃してもニースに着くころには街は灰塵になっているだろう、港を封鎖している沈船についてもあの大砲を使えば航行できる幅を作るのも雑作はない事に思えた。
戦闘の可能性はない、エドの心配はいらないだろう、その背中を街道の端で見送りながら長い兵士の列が途切れるのを待ってエミー達は王宮の門を潜った。




