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女狐

 クロワ領のマナーハウス、一羽のカラスが宿木にとまった、その足に付けられた足環の中には暗号に変換された文書が入っている、王宮に入り込んでいる教団のスパイは一人ではない。

 「クロワ様、王の禁軍に動きがあるようです」

 「思ったよりも動きが早い、新たな知恵が加わったようですね」

 「そろそろここは潮時かもしれません、種も十分に撒きました、いずれ実りの秋は時と共に訪れるでしょう」

 「そうだねフレディ、残念ながらイブには出会えていないけれど時間は永遠だ、焦る必要はない」

 「出航の合図を送りますか?」

 「そうしてくれ、僕たちも次の開拓地を目指してザ・ノアに向かおうか」

 「クロワ様は一足先に向かってください、私はアダムの戦いを見届けてから向かいます」

 「幽霊女のことかな、放って置いてもいいよ、その血を試してはみたいけれど未確定な女一人に構っていても仕方ない、エロースさんが帰らないのもきっと返り討ちになっているとみていい、彼女たちのためにハウンド七人は代償としては釣り合わない」

 「カオスさんに投与したアダムの効果は数日、ただ放って置いても魔素のないこの世界では一年と持たず弱体化して死んでしまいます、幼体とはいえ魔獣の力を私も見てみたいのです」

 「興味を持つのはいい事だけれど深入りは禁物だよ、あれは敵味方を認識するような知能をもっていない、やはり我々ほどの適性はカオスさんには無かったようです、彼の地に触れているかどうかは決定的な要因なのかもしれませんね」

 「魔素、彼の地には存在して、この世界にはない物質、酸素同様に細胞内でエネルギーを生み出すに必要なもの、不老不死の根源、ダーク・エリクサーによる書き換えがいくら進もうとも魔素が無ければ宝の持ち腐れ、なら魔素を作れる細胞を作ればよいのだ、我々が酸素を取り込み二酸化炭素を吐き出す、それを植物が光合成によって酸素に変えるように書き換えが進み竜化した人間の細胞には僅かながら魔素を含む、これを凝縮させたのがアダム・エリクサー、魔獣の血とミトコンドリアの真なる力を発揮させるもの、数世代のうちに必ず隔世遺伝がおこり、より有益な魔素を持つ者が産まれる、その時が収穫の時」

 「魔獣の血統アダム、そして神獣の血統イブ、二つが揃えば彼の地をこの世界に際限できる」

 「希釈したダーク・エリクサーによる選別は五千人を超えました、その中でダーク・エリクサーによる書き換えに耐えて変化を見せたのが三割、更に僅かでも能力の向上をみたのが一割、この地の者たちは期待外れであったと言わざるをえません」

 「トガミ君の統計では白色人種よりも有色人種の方が適性が高いようです、次の種蒔きは東方に向かうとしましょう」

 クロワは立ち上がるとスーツを手に取り羽織ると、二度とは戻らないマナーハウスの廊下を歩きだす、しかしその靴音は靴底がないように無音だった。

 彼の地の魔人が旅立とうとしていた。


ニースの街に入って犯人からの接触を待っていた、持参したエリクサーはチーム・エドワードの一人が持っている、今も近くにいるはずだがデルにはどの人物なのかは分からない。

錆びれた街は戸を閉めてしまった商店が目立つ、人は歩いているが仕事で歩いている人間は少ないように見えた、座り込んで煙草や酒に興じている者の方が多く見える。

その一画に昼間から灯を点けている娼館があった、客のない娼婦が通りに出て客引きをしている、若いというより子供に近い女の子もいる、破綻した家族を養うために娼館に売られたのだろうか、デルは苦い気持ちで娼婦たちを見る、ティアの顔が重なって胸が苦しくなった。

その視線を察したように一人の女の子がデルに近寄ってくる、避けて立ち去るか迷っていると小走りに距離を詰めてデルの服の裾を掴む、客を引き留める媚びた表情は素人では無かった。

「ひょっとしてデル・トウローさん?」

「!」接触者だ「そうだ、ティアは何処にいる!?」正面に向き直って両肩を掴んだ。

「ちょっ、ちょっと、止めてよ!ティアなんて知らないわ、私はこれを頼まれただけよ」

胸の谷間から抜き取ったのはメモだ、広げると北の洞窟へ来いとだけ記されていた。

「誰に頼まれた、教えてくれ」

「ええーっ、知っているけどね、まあ、要相談だね」唇を窄めて流し目を作った仕草は女狐に相応しくしたたかだ、デルはポケットにあった紙幣を全て束にして女狐の胸に押し込む、あどけない顔が目を見開いた。

「わぁ、お客さん羽振りいいね、今度きたら私を指名してね、うんと頑張るからさ」

「・・・・・・」デルの悲しげな視線に気づいた女狐は同情を蔑みにと変換して馬鹿にするなとソッポを向く。

「教団の奴らだよ、気負付けな、あの薬に嵌ったら抜け出せなくなる、私の兄貴もいったきり帰ってこないんだ」

「北の洞窟には何があるんだ、知っているなら教えてくれ」

「昔はさ、青の洞窟なんて呼ばれて風光明媚でいい漁場だったんだ、でも今はクロワ公爵家が管理する工場みたいになってる、噂じゃ洞窟の中で船作っているとか言う人もいるわね、この領を納めているのはモントレー男爵のはずになのに上級貴族とはいえ自由に出入りさせるなんてまるで子分、いえ信者だわ」

 「クロワ公爵家・・・・・・船か」

 「どんな用かは知らないけど、ろくな連中じゃない、用件済んだならあんたもとっと逃げな、どうせこの街は終わりよ」

女狐は踵を返して客引きには戻らず娼館の中に消えた。

複雑な思いで女狐の背中を見送った、出会うか出会わないかで運命は大きく変わる、割り切れない理不尽に耐えて人は生きていかなければならない、それでも道を踏み外すなと神は説く、理由があれば耐えて生きていくこともできる、しかし理不尽が神の試練だというには疑念が世界には満ちている、意味のない試練に人は絶えられない。

約束の場所も道も示すことの無い神ならいっそ放って置いてくれ、愛して信じる者がいるなら、その鼓動が全てだ、そのために自分の生きる意味がある。

神様、その空高くから見ているなら応えてくれ、あんただってそうだろう。

この世界を愛しているなら、さっさと仕事しろ、それがあんたの役目だろう、なあ、神様よ。

デルは拳を天に突き上げた。


バシュッ ヒュルルルルルルルッ ドーンッ パーンッ 花火だ。

クロワ侯爵マナーハウスから打ち上げられた大型花火は青空に黒い花を咲かせた、それは伝搬するように放射状に広がっていく。

ヒュルルルルルッ パーンッ ヒュルルルルルッ ドーン パーン

その黒い花は王宮からでさえ確認することができた、その時は来たのだ。

各地から馬車が、馬がニースを目指して走る、ザ・ノアの旅立ちの時は来たのだ、選民たる神の使徒が集う時、黒い花火は不死の旅路へ出航の合図。

その花火をエミーとエルザが、デルが、ルイスが、フローラとエドが見上げた。

その音はザ・ノアの船倉に囚われたホランドとインプの腹を揺さぶり、ティアを眠りから揺り起こした。

その轟は遠く岩人の里、カーニャとトマスにまで届いていた。

それが凶報であることを全員が理解した。


急げ!神と悪魔のシナリオが加速する。


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