追跡者
「フレディ、アダムを使いましょう」
「御意、準備いたします」
「アダム?」カオスには意味が分からなかった、帰還者である二人とは超えられない壁がある、その差を埋められない、主席補佐官になった今でもそう感じる事が度々ある、ステージの違いを感じるのは面白い事ではなかった、しかしここでまた一つ、二人の秘密に触れることが出来る、神に近づける。
「クロワ様、アダムとは何なのですか」
「知りたいかね、カオス君、君にも知る資格はある、でも聞いたらもう止めたではすまないよ、覚悟はあるかい?」
「覚悟!?クロワ様、それを私にお尋ねになるのですか!?」
カオスは自分の忠誠心を疑われたようでムッとする。
「失礼、失言でしたね」
ゆっくりと足を組み直してカオスに視線を合わる。
「フレディ」クロワ侯爵が合図する、壁に掛けてあった絵画の一枚をずらすと頑丈そうな隠し金庫が現れる、自分の鍵と侯爵の鍵を使って扉を開く。
中から取り出したのは注射器パレット、この時代の物ではなかった。
「これが、アダムです」
カオスは歓喜した、五本ある注射器の内二本は空になっている、使用したのは聞くまでもない。
「これは、こんな精工なガラス器具!?これも血管投与するためのものですか、そしてこの中にあるのは・・・・・・」
「私たちが彼の地から持ち帰ったダーク・エリクサー、二つの始祖の双璧、アダムです」
「なんと・・・・・・」
「完璧な不老不死はアダムとイブの邂逅により成就するのです、私とフレディはアダムの書き換えを終えています、カオス君、神は貴方を三番目のアダムと指名したようです」
「本当ですか、私にそれを・・・・・・おおっ」
カオスの頬を感涙が伝う。
「ですが、この書き換えには大変な苦痛を伴います、彼の地で服用した者たちの中には途中で発狂する者もいたほどです、しかしそれを乗り越えれば至高なる世界に片足を踏み入れることとなるでしょう」
注射器の中身は赤と青の螺旋模様、交じり合わない液体。
「発狂して死ぬかもしれません、それでも至高を望みますか、カオス君」
「ありがたきお言葉、試練を与えたもうた神に感謝いたします」
「その覚悟、確かに受け取りました」
「行きましょう、神の試練に!」
外ではアフガンちゃんが、屋内では魔狼が、王宮の内と外で二つの鼻が手掛かりを追っていた。
最初に探し当てたのはアフガンちゃんを連れたカールだった。
「こっちだ!水路のところだ」
「なにぃ、水路には鉄格子を組んであるはずだ!」警備部兵士は驚くばかりで無能だ。
アフガンちゃんはティアの匂いを見失うことなく辿ってきた、森を奥に進み王宮の高く積まれた石塀に開けられた小川の出口、鉄格子はあるが立てかけられているだけで留め金を壊されている、そこにロープが括ってあった。
「ロープがあるぞ、引っ張ってみろ」
ロープを引くと重い手応え、水の抵抗を感じる、やがて姿を現したのは。
「ボートが付いているぞ、これに乗せて連れ出したのか」
「外へ回れ、急げ!」
カールもアフガンちゃんを連れて一番近い門をくぐり外へ向かう、水草を生い茂る水路の出口は外からは見えにくい、外側の鉄格子はやはり外されていた。
「だめだ、ここで馬車に乗せられたんだ、くそっ、もう匂いを追えない!」
「じゃあ、誘拐は間違いない・・・・・・のか!大変だ!」
未だに警備部は事件ではなく事故だと疑っていたが、ようやく事の重大さを理解して蒼白となった。
馬車の轍は街道へと続いているが石畳の道で消えていた、周り人家はない、目撃者は期待できそうにない。
ウウーッ ワンッ ワンッ 地面の匂いを嗅いでいたアフガンちゃんが吠えだした、何かを訴えている。
「どうしたんだ、何か見つけたのか」
今度は鼻を持ち上げてフンッフンッと鳴らしている、その首が石畳の道を示した、まだ追えると訴えている。
「分かるのか、よし、行こう!!」カールはリードを緩めて馬車を追うことを決心する。
「兵隊さん、僕はこのままティア姫を乗せていった馬車を追います、デルさんに連絡を!!」
「よっ、よし、分かった、任せてくれ!」
アフガンちゃんが捉えた匂いはダーク・エリクサー、選民の匂いだ、カールは最速の犬に引かれて石畳の道をニースに向けて走り出した。
王宮内とはいってもその広さは尋常ではない、闇雲に探しても時間ばかりが経過しまう、ルイスは一階の使用人通用門から探索を始める、香水の匂い、食材の匂い、体臭、カビ、埃、花、様々な強烈な匂いの中から対象となる油の匂いを探す、匂いには重さがある、油の匂いは重く空気の底に沈殿している、高く浮遊している香水の匂いは空気の流動に伴い飛び去ってしまうがこの匂いは残りやすい。
ルイスが嗅いでいる世界を映像化すると幾筋もの布がはためく様に激流となって動いている、その布に隠れるようにその匂いは、まるで一本の糸、分厚く広い布が棚引く中で一本の細い糸を辿るのは至難の技だ。
廊下を行く人々がギョッとする、背を屈め四つ足に近い姿で鼻を鳴らすルイスは狼だった、しかし今は成り振りを気にしている時ではなかった。
その姿を偶然にもバロネス・フローラが目にした。
「あれっ?あれは確かルイスさんじゃ、何をしているのかしら?」
その日も領内の産業や振興、他国の情報と力関係、貴族や関係者の把握、国内の催事、皇太子妃としての振舞い方やマナー、覚えることは山ほどある、毎日講習と実習の予定がみっちりだ、エドワードと話をする時間もままならない。
多忙な日々の中で机を並べることもあるティア姫の笑顔は陽だまりのように和む存在だった、その父親ルイスのただならぬ雰囲気をフローラはティアと直ぐに結び付けた。
「なにかあったのだわ!」胸騒ぎがした、くるりと後ろを振り返るとお付きのメイドたちに言い放つ。
「今日の予定は全部キャンセルするわ!先生方によろしく!!」
「えっ、ええっ!?」「フローラ様、ちょっ、待ってください、そんなっ!」
そこまで言った頃には階段を下まで走って降りてしまっている。
長いドレスをたくし上げて脇で纏め膝上が露出するのも構わずに大股で走って行ってしまった。
茫然と見送っていたメイドたちは我に返ってフローラを追ったが階段を降りた時には姿は見えなくなっていた。
「ルイスさん!ルイスさん、何をしているのですか!」
近寄るとその雰囲気はますます緊迫したものを感じた。
「だめだ!近寄るな、捜査中・・・・・・」そこまで言いかけた警備部兵士がフローラの顔を認識して雷で撃たれたように飛び跳ねた「フッ、フフフフフ、フローラ様、失礼いたしました!!」
「いいの、緊張しないで、まだ男爵令嬢なだけよ、それより、まさかティアちゃんになにかあったんじゃないわよね!?」
後半はルイスに向けて問いかけた、大きく筋肉質な身体がビクリと跳ねる。
「!!」間違いない、良くない事が起きている。
「ルイスさん、私に出来る事はない?手伝わせて!」
フローラも回転が早い、説明しろとは言わない。
「フローラ様・・・・・・」知らせるなと言われていたがこれは隠してはおけない。
「実は・・・・・・」ルイスは覚悟を決めてフローラに全てを話した。
「そんな・・・・・・ティアちゃんが」最初は絶句していたフローラだったがその指が首筋の脈へ延びる、僅かに目を閉じると直ぐに顎を上げる、兵士に向きなおって冷静な声で指示を出す。
「このことは王妃様にも連絡してください、黙っていることの方が王妃様を傷つけます」
「しかし・・・・・・ハーディ医師の指示でもありますし」兵士は煮え切らない。
「責任は私がとります、ニースの街、王妃の知識がきっと役に立ちます、何も知らずに事が最悪に向かっては、それこそ王妃様がどれほど心を痛めるか」
「はあ、そういうものでしょうか」困惑は変わらない。
「まったく、男って女を舐めすぎ!剣は持たなくても戦っているのは同じなのに、こんな時に除け者にされるのが一番頭にくる!これは命令です、早く行って!」
「はい!畏まりました!」強い言葉に弾かれてようやく兵士は踵を返した。
「ルイスさん、私がいれば入れない部屋はないわ、急ぎましょう!」
「フローラ様、ありがとうございます」
「いまは私たちだけ、フローラでいいわ、さあ、いきましょう!」
今は細い糸を見失わないように集中する、魔狼の覚醒を解いて本当の姿を晒してでも犯人を追う、ティアさえ取り戻せれば自分は魔獣として処分されてもいい。
グゥウウルルルッ ルイスの覚悟がその姿に現れていく。




