モノクローム
今日も白い弾丸が緑の絨毯を跳ねていく、その目は前を走る小さな四つ足に焦点を合わせていた。
白く長毛の大型犬、鼻が長く薄い身体に長い脚を持っている、アフガンハウンド、犬族の中でも最速を誇る。
その日の早朝、飼われていた犬舎から何故か一頭が解き放されていた。
ティアは早起きだ、神獣は動物に好かれる、自室のベランダで小鳥たちとお喋りに興じていたが、その目に庭をうろうろしている友達が映った。
「あれっ、あれってアフガンちゃん、なんで?」
散歩の途中で背に乗せてもらったアフガンちゃんは既に友達だ、リードを付けず抑える係もいないアフガンちゃんはティアの目に怯えているように映った。
「大変!お家が分からなくなっちゃったんだわ」
部屋を飛び出し庭へと駆け出していた。
ダータッタッタッ ビューン 風を切り、躍動する筋肉が絨毯を蹴り加速する、アフガンハウンドはティアが庭に出てきたタイミングで何かに呼ばれたように端にある森を目指してダッシュする。
「待って!一人でいったら危ないよ、お家はそっちじゃないってばぁ!」
二つの弾丸はそれでも距離を縮めながら森の中でようやく追いついた。
アフガンちゃんは腰を落として何かを見上げていた、ティアからは見えない位置の何かだ。
「良かった、追いついた!」
アフガンちゃんの元へ駆け寄るとその前に居たのは笛を加えた見知らぬ男だった。
「おじちゃん誰?」
「ティアがいない!?」
「今朝から姿が見えないんだ、おかしい、いつもはベランダで小鳥とお喋りしている時間なのに」
もうすぐ朝食だという時間になってデルとルイスは姿を見せないティアを探し回っていた。
「どうですか、見つかりませんか!?」
ハーディ医師たちも探すのを手伝ってくれていたが手掛かりを見つけられない。
「デル殿!ルイス殿!こんなものが!!」
階段の下から手紙らしき紙を握った若者が駆け上がってくる、犬舎の管理を任されている青年だ。
「!」きっとティアに関するものだと二人は直感して青ざめる。
受け取った一枚の紙には筆記を隠した行書体でこう書いてあった。
“姫は預かった、エリクサーと交換だ、エリクサーを持ってニースの港まで来い、余計な真似をすれば姫の安全は保障できない 神の使徒”
「これは誘拐だ!ティアが拉致された」
「!!」
「そっ、そんなことは出来ない、どの門も厳重にチェックを重ねている、子供とはいえ隠して連れ出すことは不可能だ!」
鼻息を荒くした警備部の兵士は王妃の毒桶の件もあり不安を隠せない、不祥事が続けば自分の身が危うい。
「しかし、現実にティア姫はいない、異常事態に違いはないぞ」
ハーディ医師は警備部に対して怒り心頭にだ、帯剣して立っているのが仕事ではないと常日頃から意見しているが戦争を経験していない兵士には真意がなかなか届いていない。
「君、この手紙はどこに?」デルが勤めて冷静に問いただすがその声に不安は隠せない。
「わっ、私は犬舎の管理を任されている者です、今朝、犬舎の一頭が逃げ出し探していたのですが先ほど森の中で見つけました、その犬の首輪に括りつけられていたのです」
「!!」拉致が現実味を濃くする、ティアは犬によって誘い出されたに違いない。
「そんなバカな!」警備部の兵士は絶句して言葉が続かない。
「これは悪戯とは考えにくい、王宮内に間者がいる!」
デルが断定する、後悔よりも現実への対処だ、絶句して口をパクパクしているだけの警備部はあてにはならない、事は緊急を有する。
「ど、どうしようデル、ティアにもしもの事があったら・・・・・・ああっ、ティア!!」ルイスが顔を覆う、パニックに陥る寸前だ。
「待て!考えろ、考えろ!何から始めるべきだ、最善はなんだ!」
全員の脈が乱れ視野が狭窄する、思考が柔軟性をうしない判断力を低下させる、こんなときエミーなら・・・・・・「はっ」三点脈拍法、首に指を当てる姿が浮かんだ。
デルはエミーの真似で自分の脈を診る、乱打する鼓動を聞く、冷静さを失っていることを自覚すると、首の二点と手首の脈が徐々に落ち着きを取り戻していく。
「・・・・・・」目を閉じて頭の中に何をすべきか、何が優先か文字を書き起こす。
「よし、皆聞いてくれ、異論は後だ、取敢えず俺が仕切る、それでいいな!」
「看護チームは依存ない、なんでも協力する」
「もちろん僕もです」犬舎の青年はカールと名乗った。
「う、むう、仕方ない、話を聞こう」警備部も不承不承認めた。
その場にいた全員を見渡すとデルは澱むことなく指示を始める。
「まず一つ、王宮内から連れ出されたとすれば門以外の侵入経路があるはずです、水路や地下道、下水道、また木塀の隠し扉などがないか探してください、警備部の方で出来ますか?」
「ああ、通常業務もあるのであんまり人数は割けないがやってみよう」
あまり積極的ではない声にハーディ医師がキレた。
「この馬鹿者が!この事態がどういうことなのか理解していないのか、このままティア姫の拉致誘拐が王の耳に入れば貴様の命はないものと思え!誘拐されたのは王妃様を救った恩人の娘、それを王宮内で攫われたなどどうやって報告するつもりなのか!腑抜けるのも大概にしろ!」
白髪の老人医師のどこから湧き上がるのか大迫力の叱責が警備部の兵士に叩きつけられる、元はジョージ王と共に死線を潜り抜けてきた衛生兵、その声には大剣の威力がある。
「はっ、はいっ、直ちに捜索いたします!」
「城内にいる者は非番だろうと全員叩き起こして捜させろ、命がかかっていると指示しろ!」
ハーディ医師の劇が再び飛ぶ。
「あの、捜索には僕もいきます、犬たちはティア姫の匂いを追えます、犬舎の全犬を導入して探せば一時間もかからずに虱潰しに出来ますよ!」
なるほど名案だ、警備部のポンコツよりも余程役に立つ。
「分かった、頼む」ギルが頷いたのと同時にカールは飛び出していった、警備部の兵士はまだその場で立ち竦んでカールを見送っているだけだった。
「馬鹿者!貴様もさっさと動かんか!」「はっ、ははっ!」再び怒鳴られてようやく飛び出していった。
「ハーディ先生、事のあらましが判明するまでは王妃様やフローラ様にはご内密にお願いします、お身体に障ってはいけません」
「分かった、でも王と皇太子には伏せておくわけにはいくまい、事は王宮全体の安全に関わる問題じゃ」
「はい、承知しています、それとマンさんの協力を得たいのですが連絡はとれますか?」
「やってみよう、エドたちなら何を置いても協力してくれるだろうて!」
「ありかとうございます、もう一つお願いが・・・・・・」
「分かっている、エリクサーじゃろう、試作したものもある、幾らでも持っていくがよい、儂が許可する」
「助かります」
「ルイス、この紙から容疑者の匂いを辿れるか?」
渡された紙に鼻を近づけると口を開いて匂いを嗅いでみる。
「これは・・・・・・匂いが残っている、何の匂いだろう・・・・・・これは油だ」
「いいぞ、ルイス、お前の鼻が頼りだ、きっと犯人は王宮内に潜伏しているに違いない、探し出してくれ!お前の嗅覚が頼りだ」
「わかった!やるよ、デルはニースに向かうのかい?」
「ああ、あそこには土地勘もある、マンさんたちとも向こうで合流しよう、ルイスもこっちの件が済んだら合流してくれ」
「分かったよ、じゃあ早速はじめるよ」ルイスの目が厳しくなる、後ろを向いたルイスからメリメリと何かが音を立てる、髪の毛が逆立ち体毛が濃くなっていくと鼻腔が膨らみ、その口から覗いた乱杭歯が長い、魔狼が半覚醒していた。
「!!」半分変身した魔狼の姿にハーディ医師が驚き目を見開く。
「ご安心ください、彼は、ルイスは自分を見失ったりはしません、頼りになります」
「なんと、エリクサーの奇跡にはやはり奇跡が寄り添うという事か」
ハーディ医師の顔は驚きと共にどこかワクワクしたものを感じさせる。
グゥルルルルッ 低い唸り声と共にフードを被ると前屈みに足音もなく廊下を進んでいく。
「おい、君、ルイス殿に付き添い給え、一緒に行くのだ、捜索をポンコツ共に邪魔させるな」
「はっ!」看護チームの医師が一人、ルイスの後を追いかけていく。
「まさかティア姫も!?」ハーディ医師がはっとしたようにデルを見返した。
「今は話せません、でも詳細は必ず・・・・・・」
「いや、止めておこう、貴方たちはこの国の恩人、それに変わりはない、今は全力でティア姫を探す、それが全てじゃ」
ハーディ医師はそこまで言うと、白衣を脱ぎ捨て老人とは思えない力強い足取りで人員工作と王妃たちの対策に出ていった。
部屋に運ばれていたティア用の朝食はとうに忘れ去られ、すっかり冷めてしまっていた、いつもなら賑やかな笑い声に包まれる部屋がより一層寂しく世界が色を失っていた。




