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下山

 登ることよりも下ることの方が筋力に対する負荷は大きい。

 もとよりエミーは短距離型であり長時間の運動は不得手だ、六十五キロを背負っての下山に足のエネルギーは直ぐに枯渇する。

 「くそっ、これはきついぜ・・・」

 珍しく弱音が口をつく、陽が落ちる前に森を出なければならない、辛うじて生きてはいるが丸二日冷たい風に晒されたギルの体調は意識不明の心停止寸前だ、更に寒空の下の野宿となれば生還は困難になる。

 エミーは担いだギルをマントで包む、高い運動負荷で発熱した身体で冷えたギルを温める、反面足を止めれば汗をかいた身体が一気に熱を失う。

自身の命にも関わる、足を止めるわけにはいかなかった。

転ばないよう最大限の注意を足元に払いながら予想の六時間を少し過ぎてカーニャの小屋にたどり着いた時には陽はすっかり落ちて昨日と同じ星空が瞬いていた。


「エミーさん!!・・・ギル!!」

華奢な背中に背負われたギルを見てカーニャの声は驚きに安堵が入り混じる。

小屋は暖かさを保っている、弱った身体でカーニャが火を絶やさずにいてくれたようだ、さすがに疲労困憊のエミーはギルをベンチに寝かせると膝から崩れ落ちて尻を地面につけた。

「ギルは無事なのですか?」

「なんとか生きてるが低体温症で昏睡している、早く処置しないと危険だ」

「処置!?なにをすれば・・・」

意識のないギルと肩で息をするエミーの間でカーニャはオロオロしている。

「まずはギルを温めろ、毛布で包んで火を増やせ、あとお湯を沸かしてくれ」

「はっ、はい!」

カーニャの小屋に余分な寝具はない、隣にあるギルの小屋まで毛布を取りに走っていった、取り合えずギルの世話をカーニャに任せて汗で濡れてしまった服を脱ぎ捨てると下着から全て替える。

乾布で身体を拭いているところヘ毛布を抱えたカーニャが戻ってきた。

「あっ、ごめんなさい」

桃色に染まり湯気が立つ背中を見てカーニャは目を伏せた。

「ああ、気にしないでくれ」

汗が光る肌は瑞々しく引き締まり、自分が失ってしまった肌を複雑な視線で一瞬だけ見て直ぐに視線を逸らせた、それは嫉妬、羨望、愚かだった自分への後悔。

目の前のエミーは美しさと同時に強さと賢さを備えて一人で生きて、こうして他人を助ける余力まで持っている。

こんな女性もいる、今また自分の価値観が崩れ落ちて新たな理想を見た気がした。


部屋が十分に温まり、ギルの乾いた口に白湯を少しずつ流し込むと咽ることなく飲み込んでくれた、蝋人形の肌が人の色に戻り浅かった呼吸も深くなる。

「もう大丈夫だ、きっと明日には目を覚ますよ」

ギルの額から手を放してカーニャに微笑んだ、以前はこんな笑顔を作れなかった、フローラの影武者を演じる事で身に着けたスキル、エミーにとっては大事なものだ。

「本当ですか!ありがとうございます、本当に・・・なんと感謝したらよいか」

「君も休んでおけ、私もさすがに疲れたよ」

「もちろんです、どうか私のベッドをお使いください」

「いや、大丈夫だ、私はここでいい」

ベンチを指さすと荷物を枕に横になる。

「せめてこれだけでも・・・」

差し出された粥はカーニャが新たに創ったのだろう、一口啜ると塩気が効き過ぎていた。

「塩が多すぎましたか?」

「少しな、でも大汗をかいた後にはちょうどいいよ」

「申し訳ありません、調理なども経験が無くて」

「ありがとう、美味いよ」

自分のバックからナッツ類を砂糖で固めたバーを砕いて入れて、半分をカーニャにも差し出す。

「一緒に食おうぜ」

「マッドハニーって薬効高いのですよね、あれも入れてみますか?」

大事に包まれた蜂蜜をカーニャは指さした。

「いや、弱った君の身体に原液のマッドハニーは強すぎる、使い方によっては麻薬にもなるのだ、それにあれはギルが命を懸けて採ったもの、私は頂けない」

「そんなに高価なものだったのですね」

思い出すように見返したカーニャの子爵令嬢時代には珍しいものではなかったのかもしれない。

「ああ、詳しい市場価格は知らないが、あの大きさで牛十頭は買えるだろう」

「まあっ」

スプーンで粥を口に運んだカーニャの驚きには粥に足したナッツの味が含まれている。

「このナッツ、とても美味しいです、自分で創られたのですか?」

「山で拾ったものを砂糖で煮絡めただけさ、でも保存食として便利なんだ」

「私にも創れるでしょうか」

「もちろんだ、今度一緒に創ろうか」

「はい!よろしくお願いします」

始めて年相応の笑顔をカーニャは見せた、甘い食べ物は人を笑顔にする魔力がある。

「さあ、私達も休もう、明日の朝には三人で朝食を食べられるさ」

エミーはカーニャをベッドに寝かせると毛布をかける、少し疲れた様に見えるのは心労と身体的な疲労が重なったせいだ。

「ゆっくり休むんだ、身体を治そう」

「こんなに幸せな気持ちで眠れるのは爵位を失くしてから初めてです」

「そうか・・・」

ベッドの端に腰を降ろすと、昨日と同じようにおでこに手を当てる。

「気持ちいい・・・少しの間手を握っていてもいい?」

「ああ、ここにいてあげる」

骨ばった手を握るとカーニャの瞳から涙が零れた。

「うれしい・・・」そう言うと目を閉じて静かな寝息を立て始める。

人の業とは何なのだろう、この娘は貴族に生まれてその世界の中で生きた、自分の意志とは関係なく庶民を虐げる役を演じた、直接的には誰も殺してはいない。

これほどの報復を受ける罪を犯したのか、裁く側の人間が彼女の立場に産まれたなら善政を行ったのか。

罪なら既に両手では足りない人間を殺した自分の方が遥かに罪深い。

神などいない、やはりそう思う、神は人々に不平等を造り、命を競わせより強い命に愛を与える、強いものだけが愛と命を繋げていく、それは神と呼べるのか。

師父東郷が言う神は違った、神とは人や世界を統べる全能の者にあらず、この世界にある者のひとり、委ねるのではなく尊敬する存在であり、神は無数に存在する。

「他者を敬い山に川に空に感謝して歩め、視界を広く・・・か」

パチパチと薪が爆ぜる音だけが聞こえる、背中に火の温もりを感じながらカーニャの手を握ったままエミーは眠りの淵に吸い込まれた。


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