適性
旧フラッツ領バーモントのマナーハウスは静寂の血臭に包まれていた。
男でまともに動ける者はいない、メイドたちは一部屋に押し込められて震えている。
立ったまま壁に背を預けた赤いスーツの男はJBだ、その胸から伸びた短槍にJBは縫い留められていた、既に死んでいる。
短槍の柄はリクナムバイタ・ヘキサグラフ、エルザの短槍だ。
そしてJBの隣に足を放り出して座り込んでいるのがエルザだった、垂れた頭、力なく開いた口から血が糸となって伸びていた。
朦朧とした意識の中で声が聞こえる。
・・・・・・エル・・・・・・!!エルザ・・・・・・しっかり・・・・・・
「あ・・・・・・ううっ」呻声と共に苦し気に顔が歪んだ。
「生きている!!」エミーはエルザの傷を確認する、どんな武器にやられたのか、四肢に削がれたような裂傷が幾筋もある、この状態でJBと遣り合った、凄まじい闘志。
裂傷の数が多すぎる、出血が酷い、止血しなければもたない。
エミーはバックの中に手を伸ばす、ギルが精製したエリクサーがある、もちろんエミー用だが果たして飲み込むことが出来るか、賭けるしかない。
口で栓を抜くと無理やりに口を開かせて液体を流し込む、吐き出さないように鼻と口を手で押さえる、エリクサーは一本しかない。
「ゴッモッ、オ゛ッエッ・・・・・・」無意識に首を振って液体を拒む。
「飲め!飲み込め!!短槍のエルザ!!」
「ゴォッ・・・」ゴクリッ エリクサーが喉を降りた!手を放して呼吸を解放すると咳き込みながら呼吸を貪る。
「なに・・・・・・すんのさ」
「エルザッ」
エミーはエルザをお姫様だっこに抱えて走り出した。
お腹が暖かい、なんだろう、いい匂いがする、花だ、どこだったろう、覚えがある。
瞼に風景が浮かぶ、山だ、途轍もない威容を誇る山が見える、頂は雲に隠れて見えない、見たことはないのに記憶にある、懐かしい景色。
前世の記憶ってやつか、それとも頂の上が天国?あそこまで登るのが神様の試練なのかもしれない、山の半分は雪だ、頂上はマイナス何度になるのだろう、死んでも凍死するのか?でも行ってみたいとぼんやり思った。
雲の流れが速い、頂が晴れていく、蒼穹まで突き抜ける頂を臨んだ瞬間に意識が鮮明に天井の染みを見せた。
バッ 見開かれた目がキョロキョロと左右を見渡して情報を集めている、思考速度がいつもよりも早い、視力が良くなったように鮮明だ。
自分の置かれた状況、横にいるブロンズの少女、いや違った少年だ、途切れた記憶の先を推測して出た答え。
「エミー、貴方が助けてくれたんだね、でもどうやってさ」
「!?」エミーの予想と違いエルザの声は強かった。
エミーが怪我人や病人の前にいるのは何回目だろう、フローラもカーニャも瀕死だったがエルザの回復は異常に早い、エミーの血で精製したエリクサーとの相性が良かったようだ、首筋が赤くなっている。
「もう話せるほどに回復したの?やっぱり鍛え方かしら」
「ああ、すごくすっきりした気分だ、傷は痛むけどね」
痛そうにしながらも自分で身体を起こした、支えようとするエミーの手を遮る。
ベッドの上に膝を立てて座り包帯の巻かれた手足を確認する、血が滲んでいない、腕の包帯を外すと傷口は瘡蓋となって塞がり閉じている。
「ヒューッ、凄いな、ひょっとしてエリクサーを使ってくれたのかい?」
「エルザ、貴方は適性が高いようだ」
「適性!?奴らには逆のことを言われたな、”こいつには適性がない”ってさ」
「誰にやられた?」
「黒幕はビージャのクロワ侯爵家だね、ほとんどが黒スーツの男、フレディとかいっていたな、そいつにやられた、私も含めてね、チッ」
心底悔しそうだ、殺されかけた恐怖よりも負けた悔しさが先立つ、執念と共に負けん気が強い。
「どんな武器を?」エミーはエルザの傷を見ている。
「初見のものだった、鞭を鋼の刃にして集めたみたいなやつだ、対処しきれなかった」
エミーの指が首筋に伸びる。
「それは多分・・・・・・ウルミンと呼ばれるインドの武器のことね」
「知っているのかい!?」
「師父東郷から聞いたことがある程度だけどね、ここで聞くとは思わなかった」
「赤スーツの方は?」JBから引き抜いてきたエルザの短槍、リグナバイタ・ヘキサグラフをベッドに立て掛ける。
「おおっ、相棒!無事だったかい、そういうことさ、赤スーツの野郎、最後に柄を掴んで離さなかったところへ鋼の鞭を食らっちまった」
「ホランドたちは?」
エルザの顔が厳しくなる。
「攫われちまったようだ、生きていたとは思うけど半殺しだよ、エミー、奴らあんたが本命だと言っていたよ、そっちにもお客さんがあったのじゃないかい」
「四人来たわ、ハウンドって名乗ったわね」
「で、あんたがここに居るってことは・・・・・・」
「三人殺して、一人は降伏させた、いろいろ聞けたわ」
「まったくこの人は呆れたね、きっとこの間あたしらを襲った連中だろ、こっちはギリギリの相討ちだったっていのに一人で殺っちまったって!?」
「私に有利な環境で意標を付いた、彼らは特別な技術を持っていない、ただ身体能力が並み以上というだけ、冷静にやれば負けない」
「言ってくれるねぇ、で、どうするのさ」
エルザが短槍の柄を取ってベッドから足を降ろした、その目は猛禽の目だ。
「やれやれ、ギルの小屋にエリクサー残っていないかな」
差し出した片手をエルザは強く握って立ち上がった。
ニースの港はラングドトンの乱で王家禁軍艦隊の沈船攻撃により封鎖状態にあった、大型船の出入りは不可能な状態にあり嵐が沈船を黄泉の深みへ引きずり込むのをまっている、救いの嵐がいつ来るかは分からない。
ブラックコーラル号程度の中型船なら沈船を避けながら進むことも可能だろうが巨大な戦列艦などは航路を見出すことは出来ない。
港の端、山の谷間に大きな洞窟がある、そこはクロワ侯爵により買い取られて許可なく誰も近づくことは出来ない一本道しかない。
高い塀に囲まれた斜面には団地のように家屋と倉庫が並び立っている。
時折荷物を満載した馬車が行き交う、秘密工場、何かを建造し準備している。
エミーがエルザを助けた頃にハウンドの一人、エロースは瀕死の白髪鬼ホランドとバウンドインプを荷台に縛り付けたまま洞窟の入口、重く大きな鉄製扉を潜っていた、洞窟の中は巨大な造船所だ、そのドッグには既に相応しい大きさの蒸気動力の弩級戦艦が浮かんでいた。
鉄板装甲の外板は白く塗られている、全長は百メートルを超えているだろう、船主に見える丸い台座に乗った巨大な筒は大砲だ、三本マストを備えてはいるが補助的なものだろう柱は低い、そしてブラックコーラル号のような水車は見えない、最新以上の推進方法、二軸スクリューを備えている。
船尾には何もないフラットな甲板に鳥居のような木が組まれていた、そして鳥居を囲むように小型のバリスタが設置されている。
船主に描かれた船名は ザ・ノア だ。
低い甲板から降ろされている搭乗デッキにエロースはホランド達を積んだ荷馬車ごと乗り込んでいく。
今はまだその白い船体からは息吹は聞こえない、その実の内にクロワ侯爵の理想と欲望を飲み込み、ダーク・エリクサーの熟成を待っている。
始祖たるイブの搭乗を待っている。




