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菓子の自由

 「トマス、今のカーニャを見ても哀れまないでくれ、それは返って彼女を傷つける」

 「そんなに酷いのですか!?」

 「生命の危機は脱している、その心配はないが肖像画のカーニャはいない、時に哀れみは鞭になる」

 トマスとエミーはナインスターが手綱を握る馬車でカーニャの小屋を目指していた、馬車だけ借りようとしたが自分が行くと言って無理やり休暇の遣り繰りをつけた、その為に徹夜をしたのだろう、目の下に隈が出来ている、ますますビジユアルが狸に似てきた。

 「あの娘は・・・・・・カーニャたんは幼い時から貴族の政略の駒となることを義務付けられて育ったのです、彼女に選択できる道はなかった、昔の話です、彼女が私にクッキーを焼いてくれたことがあります、仲の良かったカヴァネス・メイド(家庭教師)に無理を言って一緒に焼いてくれたのです、不格好で歪なクッキーでした」

 トマスの苦い顔には後悔が映る。

 「私が軽い気持ちで彼女の前でクッキーが好きだと話してしまったからだ」

 「なにか不味い事があるのか」

 「彼女は子爵令嬢、料理をするなどあってはならないのだ、即日親である子爵にバレて手伝ったカヴァネス・メイドは彼女の前で鞭打ちされてクビになった、貴族令嬢にとってカヴァネスは親よりも親同然、その日から彼女の笑顔は演技になり、周りを傷つけないために自分を諦めた、彼女にはクッキーを焼く自由さえなかった」

 「普通の令嬢ならメイドに買わせたものを用意させる、でも彼女は違った、私はそんな彼女の純粋さを理解せずに安易な言葉を使って彼女から笑顔を消してしまったんだ」

 「クッキーを焼く自由か・・・・・・」

 「十代前半の女の子に抗えるか、確かにフラッツ家は民を苦しめ没落した、でもクッキーを焼く自由さえない令嬢に何が変えられる?令嬢という鎖に縛られた彼女はある意味奴隷と同じだ、そんな彼女に責任を押し付けている街の商人連中!旧領ではフラッツ家に尻尾を振り、今度は掌を返して王家にすり寄る、屑だ」

 今のトマスは吃音っていない、これが本来のトマス、はっきりとした発音、強い意志を感じる、貴族の次男としてトマスにも様々な葛藤があったのだろう。

 「今更フラッツ家の罪を彼女一人に背負わせて自分たちのストレス解消の道具にしていたなど・・・・・・どこまでこの世界は彼女を食い物にするつもりなのだ!」

 悔しさが拳を固くする。

 「人間は感情に流され支配されている、喜怒哀楽が判断を迷わせ間違いを誘う、でも見えすぎる世界で荒野を見れば希望を失くす、迷いや後悔の中にこそ希望は見えるものだろう」

 「私にその資格があると思いますか?エミーさん」

 「資格?それはある、ではなくあった、だと思う、行動した結果に伴うものじゃないか」

 「やってみた結果ですか・・・・・・確かにそうですね、私はまた間違うところでした、エミーさん、ありがとう」

 「ふふっ、私は少し貴方が羨ましい、出来れば私もそんな気持ちを持ってみたい」

 「羨ましいですって、コンプレックスの塊の私がですか!?」

 「貴方の感情は純粋で綺麗だ、欲がない、きっと貴方ならカーニャを救える」

 「エミーさん、貴方は不思議な人だ、まるで随分年上の人と話しているようです」

 「偉そうな事を言いました、ごめんなさい」

 「貴方の様に美しい容姿をお持ちなら男女問わずに惹かれる人は多いでしょう、恋人はいらっしゃるのですか?」

 「私は・・・・・・恋や愛が分からない、近くにいれば他人の感情を感じることは出来るし理解することも出来るけど自分の中には生まれない、私が冷静でいられるのは愛や恋だけではなく恐怖や歓喜もないから、平坦な心しかない味気ない人間と一緒にいられる人はいない」

 「平坦な心、それじゃ貴方は希望も持っていないのですか」

 「そんなことはないの、こうして誰かと関り近くにいればその人の感情を共有できるもの、そうね、これは寄生ね、私は人に寄生する魔蜂シュエンホンのようなもの、でもそんなに害はないと思う」

 「魔獣?それは違う、悪魔は自分の利益のためにしか動かない、無償で人に尽くせるのは守護天使・・・・・・武力に秀でた貴方はさしずめセラフィムでしようか」

 「買い被りが過ぎるわ、でもありがとう、うれしいわ」

 「油断はしないでね、隙を見せたら貴方の幸せも吸い取るわよ」

 唇に指を乗せて流し目を送る、男だと分かっていてもドキッとする仕草。

 「どぉうぞ、吸ぅい取ってもぉらぁえたら少ぉしは痩せぇるかな、ハッハッハッ」

 頭を掻いたトマスは吃音に戻った、男はその内側に熱い思いを隠して狸男爵を演じている、近くにいて話をすれば彼の感情の色は深いコバルトブルー、誠実と信頼の色、やはりトマスは好ましい人間だと思う。

 カーニャの小屋が見えてくる、その前に三人の影が立っていた。


 「!」エミーの五感が後方からの敵意を感じ取った。

 「しまった!付けられたようだ」「なにっ!?」トマスも振り向くが敵の姿はない。

 「ナインスター!馬車を止めて!」

 「ええっ、何事ですかエミーさん、目的の小屋はあそこでしょ!?」

 停車する前にエミーは馬車を飛び降りている。

 「五人で行って、ムートンには話を通してある、マナーハウスに寄ればそこから先は執事のハリーが案内してくれる」

 「しかし!相手は何人いるのですか、あなた一人では危ない!」

 「狙いは私!心配はいらない、魔蜂の針と毒は強力よ、触ればただでは済まないと教えてあげる!行って!!」馬の首を叩いて走らせる。

 「エミーさん!!」

 走り去る馬車を後ろ手に見送りエミーは標的を探る、気配は・・・・・・人。

 手強い、恐らくエルザ達を襲った黒スーツの連中。

 相手を出迎える余裕はない、道を外れて森へと走る、相手を分散させるには森の中の方が有利だ、相手の武器が分からない今は弓や投げナイフの優位性を消したい、最もチーム・エドワードのジュン・アポロウーサのような曲射弓術の使い手なら藪蛇になるが、そんな達人が何人もいるわけもない、それにあの技は随分と見た。

 四人の気配が分散しない、以外と慎重だ。

 森を少し走ると樹木が乱立し枝が低い、固い樫の木は剣の太刀筋を妨げる、ここでいい、エミーは立ち止まるとサージャントジャンプで一気に枝を上がる、上にそして横へと移動していく、魔猿の動きだ。

 「おねえさーん、逃げないでくださいよー、何もしませんからぁー」

 場違いな明るい声はホランドが一番の脅威だと言った幼顔のニュクスだろう。

 次席タロスを先頭に菱形陣形を保って森を進んでくる、既に抜刀している。

 ガサンッ 右前の藪だ「!」四人の意識が向いた!ザアアアアッ 梟の飛翔、垂直に樹の幹を走り降りると斜め上方から菱形陣形後方の一人に音もなく襲い掛かる。

 ピュンッ ジグロの銀光となって罫線を引いた、カサッ 僅かな着地音、ビュンッ、何かを投げた、バヒュッ そして移動。

 「!!」三人が視線を藪から後方に向けた時、そこにいたのは首を失くした黒スーツだけだ、既にエミーの影はない。

 「嘘だろ!!」「どこから!?」「げっ、がっ!!」呻き声をあげたのは小柄なエレボス、その喉には深々と投擲されたナイフが突き立てられている。

 「エレボス!?お前、それ!!」

 エレボスはナイフを抜こうと藻掻いていたが抜けない、突き刺さったナイフには刺さると返しが開くブロード刃がついている、無理やり引き抜けば傷口は倍以上になる残酷極まりない武器。

 死への恐怖がエレボスの手に力を入れさせる「があああっ」引っ張られた部分の肉が小山のように盛り上がる。

 「止めろエレボス!それを抜くなぁ!!」タロスが叫んだがその手は止まらなかった、バシューッ 血飛沫と共に引き抜かれた傷口は四十五口径の射出口、その穴は十センチを超える。

 驚愕に目を見開いたままエレボスは膝から折れると後ろ向きに倒れて動かなくなる。

 「いくらダーク・エリクサーでもこれは・・・・・・」軽口を叩いていたニュクスから笑みが消える。

 「ちっ」次席タロスは舌打ちする、短槍のエルザや白髪鬼ホランドを上回るとも四人でかかれば楽勝だと侮っていた、黒服フレディが何故自分たちに幽霊女を預けたのか分かった、当て馬にされたのは自分たちだ。

 どこから攻撃されたか見当がつかなかった、気配もない、これは桁が違う。

 不味い、ここはニュクス様だけでも逃がさなければ!

 タロスはニュクスの壁になるようにサーベルを構える、低い枝が邪魔だ、腰を屈めると視界が下向きになる、ガッガッ タロスは周囲の枝を払おうと切りつけるが固い樫の木は思うようには切断出来ない。


 ブウウウンッ 魔蜂の羽音が聞こえた。


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