引越し先
トマスとカーニャを引き合わせる段取りをエミーとギルは考えていた。
場所の候補は三か所、一つはトマスにこの小屋まで出向いてもらう、二つ目は逆にカーニャがトマスのマナーハウスに出向く、三つ目は・・・・・・エミーの伝で他の領のマナーハウスを借りる案だ。
「ムートンのマナーハウスを借りられるのか」
「私がフローラに殴られれば可能だろう」
「エミーを殴るだなんて、何をやらかしたんだ」
「魔獣騒動の後に別れの挨拶をしないで出てきたからね、でも私はフローラに似すぎている上に人殺しだ、悪用する奴が必ずでてくる、近づくべきじゃないんだ」
「では今回も難しいのでは?」
「今フローラは王宮で皇太子妃になるための修行中だ、マナーハウスに残っている執事のハリーやメイドの皆とは面識がある、受け入れてくれると思う」
「フローラ様に許諾を得なくて良いのか」
「王宮に知り合いはいない、トマスから伝えてもらう方法はあるかもしれないが時間はかかるだろうし、事後報告でも張り手が一つ増えるくらいですむよ」
「カーニャも追い出されたマナーハウスに帰るのは嫌だろう、しかし、ムートンまでは遠いな」
「もう一つ気になることもある、ダーク・エリクサーを持ち込んだノスフェラトゥ教団の事だ、どうやら奴らは私とエルザたちを何らかの意図で狙っている節がある、私とトマスのマナーハウスからカーニャを遠ざけた方が良いかもしれない」
「奴らもダーク・エリクサーを精製しているとすれば血が必要なのか、だが個人に合わせた精製をするのに他人の血を採っても仕方がない、どういうことだ」
「トマス達とも話したが分からない、イブを探していると先日逃がした襲撃者は言っていた」
「イブ?人類最初の女性とされるイブのことか」
「何を指しているかは不明だ」
「分からん事だらけだな、だいたい教団そのものが謎だがダーク・エリクサーを奴らが精製しているなら真面な連中じゃない、麻薬と同じだ」
ギルにとっては仇も同然のダーク・エリクサーだ、その製造者となれば悪魔に映るだろう。
「実は教団のエリクサー精製についてはトマスもその危険性に危惧している、エリクサーに精通しているギルにも調査に参加してほしいそうだ」
「俺も個人的にダーク・エリクサーには恨みがある、調査はやぶさかでないが今はカーニャの健康を取り戻すのが優先だ」
「もちろんだ、トマスが最も気にかけているのはカーニャなのだから」
エミーの指が首元に伸びてスウッと目が細くなる。
「推測だが・・・・・・今ギルが言ったようにイブを旧約聖書に書かれた人類最初の女性と準えると基準となる様な型のようなものがあるんじゃないか」
「誰が飲んでも最大限の効果を発揮するダーク・エリクサーという事か、しかし受け側に個性がある限り効果が統一されることはあり得ないと思う」
「ダーク・エリクサーを使った連中を見た違和感、あれは修復や強化というより狂人薬、イエローアンバーに近い印象をうけた、そう、あれは変身だ」
「黄金のエリクサーとは見てくれだけじゃなく作用も違うのか」
「そう考えた方が良いのかもしれない、エルザたちが相対した敵はいずれも超人的な身体能力があったそうだ、奴らは超人薬を精製しているのじゃないだろうか」
「なるほど、そのために優れた人の血を探しているとすれば説明がつくな」
「だとすれば再び刃を交えなければならないかもしれない、カーニャが直接狙われることはないと思うが用心に越したことはない、移動には遠いが暫くはムートンのマナーハウスにいてもらうとしよう」
「俺が連れていくといいたいが、ムートンに面識もないしエリクサーの精製も続けなきゃならない、頼めるかエミー」
「言い出したのは私だ、さっそく今からムートンに走ろう、事前に話を通してくる、カーニャにも話そう」
無償ではお世話になれないとカーニャは納得しなかった、自分でも何か労働を提供できないかと話した、目が輝いている。
死地から二度も生還を果たした少女は大きく物の見方や考え方が変わっている、貴族令嬢の殻は削げ落ちた無垢な心は誠実で明るい。
「無償ではお世話になれません、下働きで良いので何かの末席で働かせては頂けないでしょうか」やる気まんまんだ。
「子爵令嬢が下働き!?」ギルは驚いて目を丸くするのと同時に困り顔になる。
「もう貴族ではありませんよ、私も働かなくてはなりません、良い機会です、ぜひ働いてみたいのです」
元とはいえ子爵令嬢だ、受け入れる側も気を遣う、まして痩せすぎた身体を見れば尚更だろう、洗濯や水汲みなど重労働ができるとは思えない。
先日から畑や山や川の恵みに興味を持ち始めていたのは知っていたが想像以上に前向きだ、未来に希望を持っている。
「しかしなぁ、気力は戻っても筋力はまだまだだ、体を使う仕事は心配だよ」
「平気です、今はとても調子がいいのです」
一回に摂取できるエリクサーの量が増えると同時にその効果は倍増していた、今は歩くことはもちろん軽く走るぐらいのことは出来るようになっている、急激な回復がカーニャに自信を持たせていた。
「虫は平気か?カーニャ」
「虫?ですか、特に嫌悪はないですが・・・・・・あまり見たことがないので」
「芋虫が平気ならムートンを更に奥に入ったところに岩人の里というところがある、そこはシルクの生産地でね、昨年の魔獣騒動で死者が出て働き手が減ってしまったんだ、あそこは階級主義からは隔絶された土地だ、今なら受け入れてくれるだろう、知り合いもいる、ただし周りは深い山と渓谷、何もないところだけどいいか」
「ぜひ!!やらせてください!ムートンのシルクといえばロイヤル・シルクですね、わが国でも最高品質のものです、なんて素敵なんでしょう」カーニャは掌を合わせて喜んだ、さすがに元貴族令嬢はロイヤル・シルクを知っていた。
「ムートンより更に奥地・・・・・・エリクサーを届けるには骨が折れそうだな、どうせなら俺もそっちに引っ越せるかな」
エミーが閃いたように手を叩いた。
「そうだわ、岩人の住居は洞窟だった、発酵のための温度管理にも適しているわね」
四季を通じて温度変化が少なく、一定の温度を保たなければならないエリクサー精製において今のあばら家は隙間風が差し込み乾燥も早く適しているとは言えない、洞窟は条件がいい。
「あそこならシルク紬ぎや編みをしながらギルの精製も手伝える、なにより安全だ」
「決まりだな、トマスから馬車を借りてこよう」
「ベス婆も誘そうか」「誘わないと怒るぞ」
小屋から見える丘と山を越え、更に街を越えたところがムートンだ、ここよりも王都には近い、春風が王妃を助けたエリクサーの噂を届けにやって来ていた、受け取るのはエミー達か、それともノスフェラトゥか。
其処に彼の地の引力があるように三つのエリクサーが引き寄せられていた。




