アマルガル
寝室に王妃様はいなかった、代わりにいたのはハーディ医師と知らない男、それに王妃付の警備部の兵士!抜刀している!!
「ひっ!」ただならぬ雰囲気に悲鳴が漏れた。
「二人を拘束せよ!」兵士の声と共に無理やり後ろ手に縛られた。
「痛い!止めて、何事ですか!」ロージーが身を捩って抗う。
「黙れ!膝を付け!静かにしろ」肩を掴まれて捻じ伏せられる、廃藩された時でさえ受けたことの無い扱いに屈辱の怒りが沸き上がる。
「離して!離しなさい!私達を誰だと思っているの、無礼は許さない!」
「ふん、いつまでも令嬢気取りか、今のお前たちは王家の温情で生かされているのを忘れたか、この罰当たりめ!」
「はっ!?何の話、私達は王家に怨みなんてないわ、どういうことよ!?」
ザアッ 鍋にあったお湯を男が捨てるとナイフで鍋底を削り始めた。
「! 止めて、そのボールは王妃様にランドルトン公爵様が送られた大切なもの、傷をつけないで」
「女、この桶は何のために使用しているのだ?」
「何のためって?乾燥した部屋に湯気を上げて加湿するためのものよ、王妃様が喉が痛いからと、メイド長様からの命令です、その鍋がどうかしたの?」
事態が飲み込めてきた、自分たちに何らかの嫌疑が掛けられているのだ、それも王妃様がらみのものだ、冷や汗が伝う。
「どうだ、デル殿?」
鍋にナイフを当てていた男が向き直った男の顔が厳しかった、最悪の予感。
「これだ、間違いない、毒だ」
「!!」「毒!?」「毒なんて入っていない、中のお湯だって毒見しているのよ、混入するわけないわ」
二人は必死で訴えた、本当に身に覚えがないからだ。
「デル殿、鍋のどこに毒が?説明してもらえるか」
「ああ、毒は水銀だ、鍋そのものが毒なんだ」
「嘘よ、その鍋は金で出来ているのよ、見て分からないの」
「いや、この鍋は金アマルガル法と呼ばれる技法でメッキされている、このメッキを直火で加熱すると銀が溶けてお湯に混じり水蒸気となって体内に運ばれる、低濃度で摂取が続けば嘔吐や下痢、神経障害、腎臓障害を引き起こしやがて死に至らしめることも可能だ、高濃度なら一瞬でルイスの鼻を焼くほどの猛毒になるのだ」
「そっ、そんな・・・・・・」二人は蒼白になった、暗殺の片棒を担がされていた。
「この企みは廃藩を恨んでの事か、それとも誰ぞやの指示で行った事か、この場で吐け!言わねば首を刎ねる!!」
兵士が厳しく追及して冷たい刃を二人の首筋に当てた。
「ひいいいい、しっ、知りません!本当です、知らないんです!」
「私達は今夜たまたま当番だっただけです!他の子たちもやっている仕事なんです、怨みなんてありません、本当です!信じてください!!」
先ほどまでの威厳は消え失せて二人は額を床に擦りつけて懇願した。
「絨毯に肌を擦るな、お前たちも水銀中毒になぞ」デルの声は哀しかった、自分もそうだった、廃藩されて放り出され異人の孤児院に拾われた、傲慢なプライドの殻を脱ぐまでの葛藤の日々が思い出された。
「女、ランドルトン公爵からの贈り物と言ったか?」
「はっ、はい、まだ疎遠になる前に頂いたものだと王妃様が、以前は仲が良かったのだと懐かしむように大事にしておられましたので・・・・・・」
震えながら答えたロージーが嘘を言っているようには思えない。
「何年前の事だか分かるか」
「いいえ、私達が王宮に努める以前の話ですので正確には分かりません」
「デル殿、その事と毒と何か関係があるのでしょうか、こいつらを拷問してやれば簡単に吐きますよ、その方が手っ取り早い」
「ひいい」兵士たちは慇懃で無礼だったころの令嬢たちを良く思っていない、機会があれば復讐ついでに嬲りたいと待ち構えている、カーニャを監禁していた商人たちと同じ構図だ、そこに正義と真実はない。
「彼女たちは事件の真相が分かるまで自室で軟禁とします、拷問はだめです、もし無罪だった場合、王家が認めたメイドをいい加減な情報で拷問したとなれば貴方の首が胴体を探すことになりますよ」
「ちっ・・・・・・仕方ない、こいつらを自室に軟禁して見張りを立たせろ」
兵士は仕方なく従った、デルの言葉が援護射撃に聞こえたのか二人は縋るような目で見ている。
「この鍋は高級品だろうが模倣品を途中ですり替えられた可能性もある、現職の関係者がやったとは考えにくい、既に退職した者を洗った方が良いと思う」
「なるほど、犯人は時限爆弾としてこの金メッキ鍋を置いていったという事か」
「その通りです、アマルガル法の毒利用などメッキ職人でなければ知らない事です、それに水銀が毒だと言うことを知っている者も少ないでしょう」
「むう、確かに儂も知らなかった、というより水銀は身体に良い物だと思っていた」
前時代では水銀は不老の薬とされていた、流石に昨今では薬の認識はなくなっているが死に至る毒物と知っているのは金メッキの職人くらいだ。
「デル殿はどこでこのような知識を得たのですか?」
「弟に教わったのさ」
「弟さんは薬剤師か医者なのですか」
「違うが優秀なんだ、自慢の弟さ」
犯人捜しよりも治療だ、毒の排除が出来ればエリクサーの効果は前進する。
翌日から王妃寝所の改修が早速始められた、内装を床、壁、天井全てを剥がし、家具やベッドも全て新調される措置が急ピッチで取られた。
その後の調べで王妃が使用していた水差しやカップ類の中からも金アマルガルメッキの品物が数点確認されて廃棄されたが、いずれもランドルトン公爵から送られたものだった。
今の仮寝所は日当たりがあまり良くない、何の疾病においても日当たりと風通しを良くすることは基本だ、それだけで免疫の活動が数段上がる。
「ティア、よく気が付いたね」
人間には分からない水銀の匂いに最初に気が付いたのはティアだ、神獣の鼻は魔狼であるルイス並みの嗅覚を持っているのかも知れない。
「えへへっ、ティア偉い?」
「ああ、偉いぞ、よくやった!」
ルイスの手がティアの頭を優しく撫でた、鼻の腫れはエリクサーで翌日には収まっていた、ルイスはエリクサーへの適合が高い。
「今朝はとっても調子が良いわ、頭痛も吐き気もなく目覚められたのはいつぶりかしら」
ご機嫌で目覚めた王妃だったがランドルトン公爵から送られた金アマルガルメッキの報告を聞くとガックリと肩を落とした。
「そんなに私が憎かったの・・・・・・セオドラ」
知的で温和だったセオドラ・センテナリオ・ランドルトン、王であるジョージの弟オーエンの妻、義理の妹にあたる、気が合う妹だと思っていた。
王妃となって以来、周りは傅く者だけになった、真に友人と呼べる者は自室に稀にしかこれなくなった夫ジョージだけだった、権力と責任には孤独がついてくる。
そんな中、境遇も近く気を遣わずに話せる友だったはずのセオドラ。
ドーマの悲劇で夫と息子を失った悲しみは彼女を変えてしまった。
優しかった妹は商売の鬼と化し攻撃的な女侯爵として成り上がった、そして異人の怪しげな側近を従え王家に牙を剥いた。
「セオドラは私達も同じ目に合わせたかったのね・・・・・・可哀そうなセオドラ」
今は囚われ何処かは知れない辺境の地に幽閉されている、その場所をジョージ王は語らなかった。
「王妃様、今朝分のエリクサーです、お召ください」
「ありがとう、デルさん、いろいろご面倒をおかけしました、貴方は命の恩人です、貴方がトウロー家の復興を望むなら私が王に直接お願いすることも出来ます、遠慮なく仰ってくださいね」
「王妃様、誠にありがたい事ですが私は家の復興は望みません、何より私達の願いはティアの母親を探して会わせてやることです、そのために船が必要なのです」
「海の向こうの島ですね、私達に出来る事があれば何でも協力しましょう」
「ありがとうございます、ですが今は体調を取り戻すことを第一に、それが私の仕事でもあります」
寝室の窓から外を眺めると、刈り込まれた芝生の中を白いワンピースの少女が走っていく、疲れを知らない白い弾丸は魔狼の足でも追いつけない。
「ほんとに元気ね、春を飛び越えて夏が来たみたい」
「ええ、ほんとに」
二人は春早い庭の景色の中、少女が巻き起こした風の後先に夏の面影を見ていた。




