カレッジ・ハイ
翌日血の海となった実験房の中で息絶えていた密偵ビットと、自分の腕にエリクサーを点滴したまま意識を失っていた若禿研究員トガミが発見された。
死亡した密偵ビットの腕には竜化の証である鱗状の模様が発現しており、初投与での著しい効果が見て取れた、残薬から疑似エリクサー一〇一号を二本以上投与していると思われた、経口摂取なら余程の適合者でもなければ発現しない事象だ。
トガミは自身を実験体としてビットの死亡後にエリクサーの血管投与を始めたと推測された、その量は一本以内、しかし既にリセットは始まり禿げていたはずの頭には五厘程度の毛髪が生えている、トガミの髪色は茶に近い黒だったことが分かった。
「たった一日で・・・これが輸血投与の効果なのか!?」
その効果をほとんど信じていなかった研究主任はその成果に目を丸くした、被験者が死亡した事は残念だが、それよりも大幅な時間短縮は脅威的だった。
「これは使えるぞ!」
主任は手柄の匂いを鋭敏に嗅ぎつける、今までの旧宗教の常識等忘れた様にさっそく点滴用具の整備と被験者の確保、実験計画の立案に着手する。
「クロワ様に報告しなければ!」
トガミが投げ捨てた記録を主任は自分の字で書き直し、最後に蝋印を垂らして封をすると初老とは思えない軽やかな足取りで実験房を後にした。
マッド・エリクサーの力を借りてアマルたちは脱出に成功した。
結果としてはまんまと罠に嵌められて襲撃に参加した半数以上が殺され戻れなかった、強奪できたランドルトン金貨は本物だったが僅かだ、溶かして金塊にすれば売れるがとても割には合わない。
しかしアマルたちに暗さはない、生き残ったのはアポサルから与えられた疑似エリクサーにより少なからず竜化の発現がある選ばれた十人だ。
逃亡に際して服用したマッド・エリクサーの効果を逃げ足と持久力に全振りした、マッド・エリクサーはイエロー・アンバーのような狂人薬ではない、体力だけではなく頭の回転も速くなり冷静で正確な判断が出来るようになる。
待ち伏せていた傭兵共は凄腕だった、あのまま戦っていたら全員殺されていただろう。
「やはり俺達は死ななかった、神に選ばれているからだ」
仲間の一人、過去に瀕死の重傷を負いアポサルのエリクサーにより復活した男、エランがアジトの神殿にある魔人像に膝を折って手を合わせる。
アマルも横に並んだ、他の者も自然と列を作った。
選民の確認、自分達だけが特別であるという優越感、貴族であった過去が容易に選民である事実を肯定する。
アマルたちの竜化は薄い、発現している鱗も爪の先程度の面積でしかない、点滴投与で死亡したビットの竜化に比べると数パーセントでしかない。
「諦めずにまたやろうぜ!」
「もちろんさ、こんなことで挫けはしないぞ」
「そうだそうだ、俺達は神の使徒、神の意志に報いるため戦う義務がある」
「この不浄なる世界に神により選民された国を打ち立てるのだ、我々は聖なる戦いの戦士だ」
全員がキラキラした目で頬を紅潮させて十代の若者のように拳を突き上げる。
「アマル、アポサル様への金塊の献上、頼んだぞ!」
「本当なら全員でお目通りしたいが目立つわけにもいかない、任せてくれるか」
「アポサル様は許してくれるだろうか?見捨てられはしないよな!?」
怯えた様に一人が言う、今回の襲撃にアポサルは罠だと予言していた、しかし反対はされていない、その判断は使徒それぞれが担うものであり、その結果も運命なのだと。
「心配はいらないさ、既に我々は神の血を分けた家族なのだからな、それよりしっかり食べて身体を休めておけ、いつでも献血の要請に応えられるようにな」
「ああ、わかった」
惨敗と仲間を失った惨劇の割にアジトは奇妙な明るさを保っている、切り替えが早いのは将来に希望しか見えていないからだ、マッド・エリクサーが後悔や不安までも駆逐してしまっていた。
ほぼ全員が四十近い中年男のはずだが、その輪の顔ぶれと雰囲気は大学生のサークルのようだ、人生の半ばで職と地位を奪われたリストラ貴族の哀愁はない。
アマルは背筋を伸ばし溌溂とした足取りでアポサルが待つクロワ領へ歩いて行った。
クロワ領の市内に大きな教会がある、表向きは普通の教会で司祭も常駐しているが、その実態は地下にある。
大規模な地下のノスフェラトウ教団の祭場は表協会の趣とは大きく違っている、祭壇に鎮座しているのはイエスやマリアではない、竜の魔人だ。
祈りのための椅子はない、像を取り巻くのは儀式のための装置、それはマッド・エリクサーを精製するための工場といっていい。
原料は始祖のエリクサーを基に培養した疑似エリクサー、原本となったエリクサーがどこから持ち込まれたのかは教祖アポサルしか知らない。
原材料は竜化した人間の血液だ、始祖エリクサーはその血液を餌にして増殖する。
ワインボトルほどのガラス瓶が整然と並び、その中は赤い液体で満たされている。
栓をされた瓶は僅かに微発砲であることが分かる、番号の降られた瓶は一番から七番まであった、さらにその後ろには枝番の降られた瓶が積み重なっている。
「パブログループの完成は遠いな」
クロワ侯爵は一〇一と降られた小瓶を蝋燭の炎で透かして見る。
「イブさえ見つかれば全てをカバーすることが出来るのですが・・・果たしてこの世界に存在するのでしょうか?」
問いを返したのは黒服執事フレディ、長髪の黒髪が妖しい。
「私のMタイプ、フレディがNタイプ、これでこの世界の半数だ、これまで試験した三百を超える被験者の中に始祖イブに繋がる者は皆無、手掛かりはない」
「我々の血統を完成させるためにはイブの血が必要だ」
「不老不死の神の世界、その景色を見てみたいものだねぇ、そう思うだろフレディ」
「今こうして我々がこの世界に存在していることも奇跡です、それだけで良しと言えるのでは?侯爵様」
「僕は欲張りなのさ、エリクサーの真実を知ってしまってから僕達はその支配から逃れることは出来ないのさ」
「確かに命の真実を探求するには通常の寿命は短すぎますね」
「神や悪魔でさえその身体はイブが作り出している、起源をたどれば人も神も悪魔も兄弟といえる、素晴らしいじゃないか」
「私はこの世界に神の国を、神のみが住まう国を建国しよう、このマッド・エリクサーが完成すれば叶う、人が神へと進化すること導こう」
「その御業は神の技ですか、それとも悪魔でしょうか」
「ははっ、もちろん人間の技さ」
瓶の中では始祖に繋がる細胞核ミトコンドリアたちが被験者たちのミントコンドリアを駆逐して細胞を乗っ取っていく、細胞を乗っ取られた人間はオリジナルを保てるのか、今ここにいるクロワ侯爵と黒服フレディはオリジナルなのだろうか。
チリリリンッ ノスフェラトゥの鐘がなった、信者献金の時間だ。
「時間のようだ」
「行きましょう」
二人は鳥の仮面とマントを身に着けると司祭の台に立つ、蝋燭の炎が映す影は鋭い爪と嘴を持つ猛禽だった。




