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血管投与

 「トマス様が私の画を・・・」カーニャの鼻が直ぐに赤くなる。

 「他の肖像画は全て廃棄されていたが君の肖像画だけはトマスの執務室に残してあった、捨てることは出来なかったそうだ」

 「トマス兄様」

 カーニャは時折トマスの事を兄と呼ぶ時がある、幼い時に慕った思いが甦るのだろう。

 「君を保護したいとも・・・今の君が置かれた状況を伝えたら酷く憤慨していた」

 「それじゃあ、この小屋から引っ越せるのか?」

 「この場所をトマスには教えていない、トマスの近くに引っ越すのは時期尚早だと思う、トマスは良くともその周囲に害意を持つ者はいるかもしれない」

 「なるほど、ここの方が安全といえるのか」

 「それにもう一つ、カーニャが如何したいかだ、トマスの庇護下に入ることは恥じゃない、なにも結婚しろというわけじゃないからな」

 「いいえ、トマス様にご面倒をかけることは出来ません、お二人に頼るしかない私がたいそうな事は言えないのは承知の上で、やはりそれは出来ません、私が近くにいることでトマス様の将来を駄目にしてしまうかもしれない・・・それは死ぬよりも辛い」

 奥歯を噛んで強く目を閉じたカーニャの指は白くなるほど固く握られた。

 「あいつは良い奴だ、見た目はパッとしないが誠実で頭もいい、何より嫌みを言わず我々日雇いの冒険者にまで頭を下げる、貴族らしからぬ男だ」

 「あまり深く考えなくてもいいんじゃないか、やあ、暫くって感じで軽く会ってみろよ、引っ越さなくても衣食住色々改善してもらえるだろ」

 ギルは軽快な口調で大した問題じゃないと手を広げてみせた。

 「そんなっ・・・こと言えません」

 「まあいいさ、それにトマスは仮の領主であることを忘れてはいけない、準備期間が終われば新たな子爵として着任するのはトマスの兄だ」

 「それはどんな奴だ、知っているかカーニャ?」

 「シリル様ですね、歳が離れているのであまりお話したことはありませんが、良くも悪くも貴族然とした方です、トマス様とは正反対と言っていいかもしれません」

 シリルは容姿を異常な程に気にする男で外見にスボラなトマスとは正反対だ。

 事実シリルは二十代前半にしか見えない、外見は兄弟が逆転していた。

 「慎重にいった方がよさそうだ」楽天的だったギルが舌を出した。

 「そうしよう、まずはカーニャの体調を取り戻すのが優先だ、ギルのエリクサーも当てにしているがカーニャ自身が治ろうとする気持ちだ、少しでいい、歩き、食べて、そして寝る、徐々にでいい距離と時間を伸ばしていけ、取り戻せ、自分を」

 「はい、期待に沿えるよう頑張ります!」カーニャの手が胸で拳を作る。

 「もう二人とも固いなー、もっと肩の力抜いていこうぜ、大丈夫だ、きっと上手くいくさ、何事もやってみるまで結果は分からん、当たって砕けろだ」

 「砕けた結果がミノムシだった訳か」

 「うっ、それを言われると面目ない」悪びれた風もなく頭を掻いて笑う。

 「砕けない程度に頑張ります!」カーニャも笑った。

 二人の柔らかな感情が伝わる、その感情は雪深い山から流れる融雪のように冷たい感覚が残る、でも、その流れはやがて氷を溶かし緑となる。

 スンッ エミーは二人の笑顔に春の息吹を嗅いだ気がした。


 クロワ侯爵の血から精製した疑似エリクサーは経口摂取した場合でも半数以下の人間に対して効果が見られ、更にその中の半分には絶大な効果をもたらす。

 傷や疾病の回復はもちろん、なにより若返る、四十代の者が二十代の見た目と身体能力を取り戻す、その効果の持続は一月をかけて変化し一月をかけて元へ戻る。

 若さを維持するためには二か月に一度疑似エリクサーを摂取する必要があった。

 ノスフェラトゥ教団の信者が増えるにつれて疑似エリクサーの需要は高まる、また効果を発揮する型も様々必要だ。

 現状万人に効果のある疑似エリクサーは存在しない、最高品質ともいえるクロワ公爵型でも確率五十パーセント、竜化が見られた人間の血を使った疑似エリクサーに至っては本人以外に効果を発揮する確率は十パーセント以下にしかならない、しかも効果は限定的でしかない、神の奇跡と呼ぶには遠い。

 クロワ領マナーハウスの地下実験室、ノスフェラトゥ教団の若禿研究員トガミは捕らえた王家側潜入調査員に竜化人間の血から精製した疑似エリクサー一〇一号の血管投与実験を行っていた。

 異教であるノスフェラトゥの教義に輸血禁止は当てはまらない、しかし、長年培った常識ともいえる禁忌を大人たちは踏み越えられない。

 常識を覆し新たな常識を創るのはいつの時代も異端の若者だ、多くの試みは失敗して消える、その中の百に一つ、いや万に一つが成功して生き残る。

 それは生物の進化同様に自然な摂理、神が定めた道なのだ。

 その実験が成功することにトガミは確信めいた予感があった。

 王家側の密偵、名をビット、年齢三十五歳男性、栗毛の白人、青い目をしている。

 捕らえられた後に酷い拷問を受けて身体中傷だらけだった、放っておげば死んだかもしれない、疑似エリクサー一〇一号の輸血を始めたのが昨晩遅く、日の出前までに二本の小瓶を被験者ビットの血管に流し込んだ、主任が心配した血液凝固は起こっていない、出血は止まり外傷が癒えていくのが確認できる。

 「効果ありだ!」

 若禿研究員トガミの考えでは細胞の核に作用するエリクサーは正に核そのものではないのかという疑問、エリクサーのミトコンドリアが細胞を乗っ取ることにより生命を若返らせているのではないか。

 血液中にも(ミトコンドリア)は存在している、ならば直接エリクサーを投与してしまえば型となるミトコンドリアを書き換えることが出来るはずだ。

 つまり万人に効果を発揮するエリクサーになる。

 人の型に合わせるのではなく、強制的に人をエリクサーの型に合わせるアプローチがトガミの実験の意図だった。

 「投与から五時間、リセット開始」教団が言うリセットとはエリクサーの効果により外見の変化が起こることを指している、簡単には若返りだ。

 それは外傷が塞がる前に発現した。

 まず白毛が消えて栗毛本来の艶と柔らかさを取り戻し、肌が張り皴が埋まり、体毛が濃くなっていく、ホルモンバランスが正常化しているのが分かる。

 「いいぞ!もう一本追加だ」三本目のエリクサーを投与する。

 酒の飲み過ぎで出た下腹が凹み、少年のように無駄な肉のない体形に変わっていく。

 適合する者でも一か月を要する変化を一晩で遂げようとしている。

 フッフッフッフーゥゥウウウウウウッ 意識のない被験者ビットの呼吸が早く深い、大量の酸素を貪り吸うように取り込んでいるのが分かる。

 湯気のようにビットの身体から立ち昇る汗が部屋の中に特有の匂いと共に立ち込める、適合者特有の匂い、それはマグロや鮭、またはカモなどの赤身の肉を連想させる。

 トガミがビットの脈を診るとその心拍数は二百を超えて早鐘の様に打ちまくっている、男性では二十代中頃をピークに最大心拍数は百後半以上打つことは出来なくなる。

 三十五歳のビットであれば百七十前後が最大だろう、それが運動せずに猛烈な勢いで体内に血流を生み出していた、疑う余地なく疑似エリクサー一〇一号の効果だ。

 「やった!成功だ!!」諸手を上げてのガッツポーズ。

 ボタッボタッ バビュッ バビュッ ゲッ ゲッ ゲェェェェェッ

 「!?」突然ビットが鼻血を流し初めた、気管に進入した血がゴボコボと音を立てる。

 「なにぃ!?なんだ、どうしたんだ」

 ガァッ ゴァッ ガタッガタッガタタタタタッ

 四肢が痙攣するように大きく震え始め、皮膚が赤黒くうっ血してくる、意識を失ったまま大きく見開かれた目は焦点を定めない、毛細血管が切れた白目が赤く染まる。

 「あっ、あっ、ああ!そんな・・・」

 「うがあああああああっ」ガボッ 断末魔と共に血反吐をまき散らしてビットは絶命した。

 常識を遥かに超える心拍は極端な血圧上昇をもたらし、血管が耐え切れずに破裂したのだった。

 急速な細胞核の変化に体組織が追い付かなかったのだ、効果の大きいものにはそれだけ大きな代償が伴う。

 「くそおっ!!」

天窓から朝日がさす部屋でトガミは記録用紙を握りつぶして投げ捨てる、ブルブルと悔しさで震える拳、血走った目がビットに繋がれたゴム管を凝視していた。


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