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イヴ

 「赤いエリクサーだと!?」

 トマスの仕事を予定より早く片付けてカーニャの小屋に戻っていた。

 「綺麗な赤色ですね、まるでブルゴーニュのワインのような色、聞いていたエリクサーのイメージとは随分違います」

 少し気味悪そうにカーニャが透明な小瓶を覗き込んでいる。

 エミーが倉庫の襲撃事件現場から持ち帰っていたのは二本、一本はトマスに渡して今頃は短槍のエルザとバウンドインプが王都に運んでいる、あと一本はギルの研究用に隠していた。

 「こいつを飲んだ後に盗賊たちの膂力が明らかに変わった、まるでイエローアンバーでも摂取したように猛りだした、違うのは狂人化はせずに常人を保っていたという事だ」

 「そいつらがこれをエリクサーと言ったのか?」

 ギルは不信そうに小さな小瓶を手にしている。

 「ダーク・エリクサーと呼んでいた、ノスフェラトゥ教団と何らかの関係があるようだ」

 「ノスフェラトゥ教団?新興の異教徒集団だな、なんでそんな奴らがエリクサーを持っているのだ」

 「それは分からない、しかし第三者として見る限りこの液体の効果は確かにあった、服用した者に肉体的、精神的な改善が見られたことは確かだ」

 「人間用のエリクサーなのか・・・・・・」

 「服用した盗賊たちはもちろん人間だった、しかし、気になることを口にしたんだ、(俺達はエリクサーに選ばれた人間だ)とな」

 「エリクサーに選ばれた?人の型みたいのが存在するということなのか、人間用だけではなく更に枝があるということか・・・・・・まさか、冗談ではなかったのか」

 小瓶を睨んだギルの目は透明な瓶の中にデル・トウローの言葉を蘇らせる。


 (人間の始祖を辿ると幾つかの種類に分かれる、有色、白色人種に関わらず細胞の中の核の種類が違うのだ、エリクサーはその核に対して作用するものだからな、その核に対して合わせたものでなければ本当の効果は得られない)

 

 (その核とは生物が生きるために心臓や内臓、呼吸、筋肉、そういった動くことのエネルギーとなる物質を作り出しているものだ、それは人間の身体の細胞一つ一つに存在し分裂と再生を繰り返している、その核をミトコンドリアと呼び、その物質をATP(アデノシン三リン酸)という)


(その核、ミトコンドリアには起源により様々な種類が存在している、人が太古の昔より進化してきた過程で多くの種と混じり合ってきた証なのだ)


「多くの種?少なくとも人は他の動物との間に子孫を残せない、混じり合ったといっても人である事に違いは無いのじゃないか?」

 その時ギルは当然の事としてデル・トウローに指摘してみた、返ってきた答えは夢物語にしか聞こえないものだった。

 

 (ギルよ、今こうして俺達が存在する現世は世界の一面でしかない、この世界は常世も隠世も実際に存在している、その世界にも人は生きているのだぜ)


ファンタジーだ、悪魔や神の話がデルのような男の口から出るのは以外だった、現実主義者だった猛者も命の臨界に達して気弱になったものだとその時は深く考えなかった。

 しかし、目の前にあるマッド・エリクサーは自分が精製しようとしていた物とは明らかに原料が違うように思われた、マッド・ハニーから精製した疑似エリクサーは黄色の液体、透明には出来ない、赤い色素を足しても濁ったオレンジ色になるだけだ、ブルゴーニュ産のピノ・ノワールのような色合いは出ない。

 人の型とはつまり生物のエネルギーを体内で作り出すミトコンドリアの型、そしてその違いは・・・・・・現世の人間は常世や隠世の人間がルーツにあるということなのか。

 

 「もし、これが本物だとしたら、これを精製した奴らは俺の一歩先を行っている、そしてデルには及んでいない」

 ギルは厳しくもすこし悔しそうだ。

 「どういう事?」

 「エリクサー、万能薬の基本の材料はもちろんだが一番の肝は発酵を得るための菌にあると俺は思っている、酒と同じだ、発酵する過程で菌が糖分を分解してアルコールを創り出す、ミトコンドリアを爆発的に活性化させるのがエリクサーの効能、その未知の物質を創り出す菌がこのダーク・エリクサーの中にもいるかもしれない」

 「デル兄のエリクサーも同じか」

 「そうだ、あのエリクサーも生薬だ、中には今も生きた菌がいる、今まで俺は多種多様な原材料を菌に食わせて発酵を見てきた、ほとんどが発行途中で雑菌によってカビてしまう、エリクサー菌が雑菌に負けてしまうんだ、そんな中で唯一カビなかったのがギョウリュウバイという花の蜜だ、デルもこれに似た花の蜜、しかもプロポリスだけで発酵させたものだと言っていた」

 「兄さんはどこでそんな知識を得たのだ?」

 「分からない、(聞いても信じられないさ)と言って教えてはくれなかった、ただその時このエリクサーは神獣用だって言っていたのを今思い出した」

 「神獣?ドラゴンとかレヴィアタンとか想像上の生き物だろ、現世で神獣と呼べるのは・・・・・・人間だけだ、デル兄の揶揄じゃないか?」

 「デルはこうも言った、背中や腕、身体のどこかに一部鱗のような痣がある人間はそのルーツに神獣をもっているのだと、案外エミーは持っているのじゃないか、それならその非常識な剣の腕にも納得がいく」

 デルの言葉が本当ならエミーほど条件に合う人間はいないように思われた。

 「いや、私にはないな・・・・・・」言いながらエミーの指が首筋に伸びる、出生に関しては自分でも分らない、おおよそ二歳の頃に東郷塾の門の下に一人でいたところを師父東郷によって保護された、それ以前の記憶は全くない、二歳の足でそんなに遠くまで移動できるはずはない、しかし東郷の調べでは近くで該当するような幼子はいなかった。

 自分が別の世界から現世に迷い込んだ人間なら、それは神獣ではなく魔人だ、人の心を持たずに隠世で生まれた魔人の方が似つかわしい。

 「話を戻そう、そのマッド・エリクサー、どう使う?」

 「そうだな、デルのエリクサー同様に発酵の元種にさせてもらう、発酵環境やタイミングを変えて様子をみたい、それとエミーに頼みがある」

 「なんだ?」

 「血をくれないか、エリクサーの発酵過程で使いたいのだ」

 「個人の型に合わせるためか」

 「その通り、血液中にもミトコンドリアは存在するらしい、発酵過程で型が合わせることが出来るかもしれない」

 「まだカーニャから血を採ることは出来ん、それに上手くいくかどうかは使ってみるまでは解らんからな」

 「つまり実験台というわけか」

 「まあ、実験台だなんて危険はないのですか」カーニャが申し訳なさそうな顔になる。

 「俺は何度も試しているが腹を壊したことはないな、それにな、この万能薬が完成すればカーニャだけのためではなく病や怪我で苦しむ人たちの助けになる、大義あることだと思わないか」

 胸を張ったギルの表情は明るい、楽観的で前向きな男だ、薬学を専攻するのは宗教的には異端、禁忌をものともしない探求心は神経質では務まらない。

 (考えるより試してみろ)昨日の今日で同じ言葉を聞いた気がした。


 「カーニャ、ひとつ謝らなければならない」少し神妙な口ぶりでエミーは向き直る。

 「!」エミーのその言葉でカーニャはトマスの件だと察しがついたようだ、不安げな顔で俯いてしまう。

 「肖像画がトマスの執務室にあったのだ・・・・・・」

 静かに語ったエミーの言葉はトマスの想いをカーニャに伝えるに十分だった。


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