血管投与一〇一号
クロワ公爵運営のホテル、その地下には囚人や奴隷用の檻部屋があった、その一番奥に分厚い扉で仕切られたが尋問室という名の拷問部屋だ。
今一人の男が椅子に縛られて項垂れている、酷く殴られたのか切れた口から垂れている血は糸を引いて床まで伸びている。
片目は腫れて塞がり、手の爪の数枚を失っていた。
ランドルトンの乱以降、王家は国内の反乱分子の掌握のために各地に多くの密偵を放って逆賊の芽を探すことに躍起になっていた。
男はフレディの見立て通り皇太子エドワード配下の密偵、発展著しいクロワ領の内情と黒い噂の確認のために潜入していたのだった。
クロワ領の黒い噂、それは邪教ノスフェラトゥ教団の存在に他ならない。
教団が廃貴族たちに犯罪の種を植え付け扇動している疑いが濃厚だった、捕らえた犯罪者からの供述が示す場所は幾つかあったがその一つがクロワ領だった。
密偵の男は名をビットという、若いが優秀な密偵だったが酒場での聞き込みが仇になった、交易都市に旅行者は珍しくないが単独で行動する商人は少ない。
余所者が真正面から教団について口にするのは目立ち過ぎた、クロワ領にノスフェラトゥ教団は深く根を下ろしている、酒場、宿屋、領事館、いたるところに信者が目を光らせていたのだ。
王家側も現況でノスフェラトゥ教団を差し迫った脅威として捉えていたわけではない、今のところ王家に対する反逆や敵対行動は確認されていなかったため密偵ビッドの危機感も薄かった。
では何故教団は密偵を捉えて拷問するような敵対行動に出たのか、ビットを殺して闇に葬ってもクラワ領内で密偵が失踪した事実は残る、わざわざ注目してくれと旗を立てるようなものだ、当然秘匿するべき理由があるからだ。
「うううううぅぅぅ・・・・」
「いっいっいっ・・・ひっ・・・」
「ごほっごほっ・・・ひゅーひゅー」
房のあちこちから呻きも悲鳴とも取れない声が漏れてくる。
定期的に房の小窓から中の様子を確認したり、時折中に入って何かの作業をしている数人の男たちは白い実験服にマスク、手袋姿だ。
「房一号の男は変化ありません、効果はないようです」
「そうか、実験薬百二十一号は病気に対しては不発だな」
「外傷に対してはある程度の効果が見られたのに難しいものですな」
「同じ実験薬を使っても効果は実験体によって違う、しかしどれも劇的な効果とは言い難い、何かが足りないのだ」
口髭に眼鏡の男が上司だろう、少し若いが禿げた男がメモを取っている。
「よし、実験薬黄色一合を倍に増やしてみよう」
「倍ですか主任、今まで黄色一合を倍で耐えた者はいませんよ」
「構わん、どうせ放っておいても死ぬ、当たれば儲けものだ」
「分かりました、投与します」
若い実験官は縛られた男の口を無理やり開かせると黄色の丸薬を溶かした液体をほんの一筋その喉に流し込んだ、吐き出さないように布で口を覆い抑え込む。
「うごっうげっ!」僅かな抵抗も直ぐに終わりゴクリと男は実験薬黄色一号を嚥下した。
「手足の固定を確認しろ、上手くいけば暴れるぞ」
「はい、承知しました!」
緊張した面持ちで二人は男を見守るが男の様子は期待を裏切り穏やかになっていく、苦し気なうめき声が止まり、苦痛に満ちていた顔が緩み安らかな表情を取り戻す。
「主任、これは・・・」
「ああ、ダメだな、不適合者だ」
安らかな顔はやがて力を失くしてだらしなく伸びてゆく、生きている人間は絶命寸前でもそれと分かる張りがある、小さくなっていく呼吸より早くその顔の緊張が全て解放されて重力のままに垂れ下がった、死亡したのだ。
「死にました・・・」
「やはりダメだったか」
「何がいけなかったのでしょうか」
「わからん、この男に竜化の兆しは見えなかった、ここ二年で竜化に成功したのは三人、三百人試して三人、僅か一パーセントに過ぎん、さらにその血から精製した疑似エリクサーは公爵様の血から精製した物には遠く及ばない」
「いつまでも始祖様の血を頂くわけにはいかない、早く結果を出さなければ・・・」
「そういえば捉えていた密偵の男ですが実験体として使用していいそうです、フレディ様から許可が来ていました」
「そうか、丁度良い、新たな処方を試してみよう」
「それなら主任、ぜひ私の推奨する方法で一〇一号を使ってはいただけませんか」
「一〇一か、お前の推奨する方法とはどう使うというのだ?」
「はい、経口させるのではなく血管に戻します」
「なに!?血管注射をするつもりなのか、罰当たりな!!」
この時代輸血は禁制だ、宗教的、技術的理由において禁忌の行為とされていた。
「罰当たりって主任、我々は新生の宗教集団の一員ですよ、既成の倫理観念なんて捨て去るべきです、考えてもみてください、経口したものは必ず胃で消化されて腸で吸収されるんです、その間に成分は分解されて変化してしまっている可能性があります、なら体の中に直接流した方が変化が少ないはずです」
「簡単に言うな、血の型が合わなければ血管の中で詰まってしまうのだぞ、成功する確率は低い」
「今まで二百九十七人失敗したんです、この後の十や二十は数ではないでしょう」
「うーむ、道具はあるのか?」
「実は個人的に準備してあります」
「どうせ殺してしまう実験体だ、今日のうちにやってしまうか、ダメなら明日朝にこの実験体と共に処分させるか」
「決まりですね」
「その代わりまだ内緒だぞ、だれにも言うなよ」
上司は血管注射の効果について否定的だ、どうせ失敗するだろうと適当に考えていた、許可された若禿は喜んで自室まで輸血道具を取りに走る。
「やったぜ、ようやく試すチャンスがきた、絶対成功する!」
その夜、禁断の魔術儀式のように密偵の男の腕に輸血針が打たれ、太いゴムホースの中から疑似エリクサーの一〇一号がポタポタッと流れ込んでいった。
「じゃあ、儂は先に帰っておるぞ」主任はあくびをしながら自室へと早々に引き上げていった。
「大丈夫です、お任せください主任!」
若禿は期待に胸を躍らせて禿頭を光らせた。




