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クロワ侯爵家

 ニースの港町から内陸に向けて運河が整備されている、上流域との交易都市として発展してきた街、ビージャがある。

 人口は一万人ほどの中規模の都市だ、整備された石畳の道路に石造りの街並みには三階建てのものもある。

 一階には綺麗なカフェやアパレルが軒を連ね、運河沿いには歩道まで整備されている。

 領主はフェス・ド・ラ・クロワ侯爵、四十半ばになるが外見は二十代後半にしか見えない、スマートで足が長く平均より少し背が高い。

 柔らかなブロンズの髪を肩まで伸ばして編んでいる、整った目鼻立ち、女性の様にきめの細かい肌、当然髭はない、切れ長の目に瞳は薄緑色だ。

 物静かだが人懐こい笑顔で微笑むと美男子という言葉以外みつからないが未だに独身でありゲイなのかと噂がたつほどだ、しかし、その周囲に女性の影がない日はない。

 正妻はいないが妾は国内外に十人以上囲っている。

 以前は、正確には三年前までは二人とも年相応の男だった、一年間の失踪事件から帰還したとき二人は豹変していた。

 その時人々は見た、海の上に横に渦巻く巨大な竜巻が遥か彼方まで伸びていくのを。

 商会の帆船で海を渡っていた二人は船ごと竜巻に吸い上げられて彼の地に運ばれた、そして帰ってきたとき二人は今の様に若さを取り戻していた。

 「クロワ様、マルエツ商会の代表が参りました」

 「今いくよ、フレディ」

 黒服に身を固めた執事も若くは見えるが公爵と同い年だ、長い黒髪を伸ばしフェス侯爵よりも長身であり妖しい雰囲気を持つ美形だ、二人が並んで歩けば周囲の女の視線を釘付けにして離さない。

 「今日は天気がいい、テラスで商談にしよう、マルエツの代表はご婦人だったね、メイドたちにアフタヌーン・ティーの準備を頼んでくれるかい」

 「畏まりました、茶葉はどうされますか」

 「そうだね、ニルギリを少し温めで淹れてもらってくれ」

 「はい、承知いたしました」

 優雅な礼とともに執事フレディは厨房に向けて長い足を滑らせて言った、カツカツと足音を立てるような下品はしない。

 ヒージャの街、クロワ公爵家のマナーハウスは敷地内に高級ホテルと運河の管理を行う事務所が並んで建っている、三つの建物が囲む中庭が整備され芝生が青く輝いていた。

 マナーハウスの前には木製デッキのテラスがあり日よけの大きな傘が日陰をつくっている、その下にアンティークなテーブルと椅子が置かれてお洒落な空間を演出している。

 運河事務所から黒服に案内されて庭を横切ってくる中年女がマルエツ商事の代表だろう、小柄でお世辞にも美人とは言えない女を黒服のフットマン(男性のメイド)がエスコートしている。

 まるで女王に接するように椅子を引いて着座させると膝をついておしぼりと水を置いていく。

 貴族でもない商家の女は頬を赤らめた。

 「お待たせいたしました、マルエツ商会のカレン様ですね、お会いできて光栄です、領主のフェス・ド・ラ・クロワです」

 カレンの手を取るとそっと唇をつける真似をする。

 「あっ、公爵様いけません、私のような下賤な女に!」

 「何を言うのですレィディ、貴方のような方を淑女と言わずして誰が淑女なのでしょう、その美しいお顔を拝顔出来て我が心も浮き立っております」

 歯が天上まで昇りそうなセリフもフェスが口にすると様になる。

 カレンの顔から湯気が立つのが見えるようだ。

 侯爵クロワは商談に入る前にたっぷりと雑談に時間を使う、その端々でさりげなくカレンを持ち上げる、決して慇懃にならぬよう今気付いたように、そしてカレンから言葉を引き出す、相槌と同意、そして敬意の連打。

 気が付けば話すことを止められなくなっているのはカレンだった。

 それから後はクロワの薄緑の瞳に魅入られたカレンは言いなりだ、条件など聞いていない、多少不利な条件にも契約書に軽々とペンを走らせる。

 カレンにとっては夢のような一時間、なぜこんなにも魅了されてしまうのかカレン自身にも分からなかった。

 「またお目にかかれることを楽しみにしております、レディ・カレン様」

 優雅な一礼と美麗な黒服フットマンに手を取られてテラスを後にしていった。

 「いい商談が出来ましたかクロワ様」

 「ああ、フレディ、商談はいつもの通りだが面白い話を聞けたよ」

 「面白い話、でございますか」

 「ああ、ニースの造船所で建造中だった蒸気機関付きのクルーザーが売れたそうだ」

 「それはミストレス・ブラックパールが発注した船ですか」

 「そうだろうね、ミストレスが転んだから買い叩けたとしても相当な金額だったはずだ」

 「今の貴族連中でそんなものに触手を伸ばせるのは・・・さて思いつきません」

 「海外の資本か、あるいはマフィアか、いずれにしても私が知らない情報です」

 「興味がおありですか、クロワ様」

 「んー、どうだろう、成金の散財に興味はないけれどなぜ成ったのかは知りたいね」

 「少し探ってみますか」

 「そうだね、ランドルトンの乱からニースやムートンの近辺は金も人も激しく動いている、僕たちの求める物のヒントがあるかもしれない」

 「承知いたしました」

 「それとハウンド(猟犬)たちからの情報はどうかな、有力な人材はでてきているかい」

 「今はこれといって・・・ですがネズミを一匹捕らえてあります」

 「おや、何処まで嗅ぎつけていたのかな」

 「恐らくは皇太子エドワード様配下の者ではないかと・・・尋問にも良く耐えて話しません」

 「まったくですか?」

 「はい、まったくです、名前さえも名乗りません」

 「小物ですね、騙し合いのための言葉を放棄しては敵を前に武器を捨てたも同じ、大した情報は持っていないでしょう」

 「では処分致しますか?」

 「そうですね、これ以上責めても無駄でしょう、今注目されるのは得策ではありませんがどこまで知ったか分からない以上消えてもらうしかありません」

 「ただ殺してしまうのももったいないので実験体として使ってはいかがですか」

 「それはいい案ですね、そうしましょう」

 強い陽射しの中で白いシャツと白いパンツ以上の白い肌が透きとおり、ブロンズの髪が金色を反射する、かざした手の隙間から零れた日の光さえその美貌を祝福している、しかしクロワ公爵は見間違えるはずもなく男性だった。

 対照的に上下黒服に包まれた執事フレディはクロワ公爵の影そのものだ、妖艶で艶めかしい男だ。

 「御意」

 「夏が来るねフレディ、暑い夏が」

 

クロワが見上げた空の向こう、険しく高い山に向かって入道雲が頂きに足を掛けている、積み重なった雲が厚みを増して灰色を濃くしていく。


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