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テーブルマナー

 「今、何をした・・・見えなかった」

 「居合術のひとつ、早打ち、肘を身体から離さずに抜刀する、でも速さより間合いの方が大事ね」

 何事もなかったようにエミーは答えた、争い事のあとの興奮や上ずりが一切ない。

 その脈は乱れない。

 「そういうものか・・・それも東郷宿の技なのか」

 「そう、でも私の技は師父には遠く及ばない」

 「凄いな」

 「呼びに行くところだった、食事だ、一緒に食べよう」

 そう言って踵を返したエミーの顔は殺気が抜けて夏の日差しの下、明るい少女のように微笑んでいた。

 

 「あんた、大丈夫だったかい、怪我は無い?」

 ベス婆が駆け寄ってくる、心配している顔は演技ではない。

 「安心してカーニャ、やつらはもう此処にはこない」

 「エミーさん・・・」不安そうなカーニャの声はまだ震えている、トラウマは簡単には消えない、いや一生消えないかもしれない。

 「あんたみたいな細っこい娘がいったいどうやって?」

 ベス婆はエミーの怪我をまだ探している、当然掠り傷ひとつない。

 「商会長のアルノーにくっついていたドンゴて大男は力だけは人一倍の馬鹿だから暴れ始まったら止まらない危険なやつだよ、あんた本当に魔女なのかい」

 「あれは何の技も持たない人間だ、熊じゃない」

 ギルが遅れて入ってくる。

 「何の話をしているのさ、それよりギル、カーニャを放って置いて何処へ行っていたのさ、駄目じゃないか」

 「俺か・・・俺は山でミノムシごっこだ」

 「何の話さ、まったく訳の分からない事ばっかだね」

 「もう済んだことだ、婆が作ってくれた料理だ、冷めないうち食べよう」


 カーニャのベッドを囲んで食べた粥と山鳥は上手かったがカーニャが食べることが出来たのは粥を一口と山鳥をひと切れ、牛乳を半分だけだった、消化機能のほとんどが動いていない状態では無理もない、無理に食べても体内で腐敗することになれば致命的だ、やはりエリクサーが必要だった。

 それでもカーニャの周りに敵ではない人間が三人いることはカーニャの心を休ませた。

 「婆さん料理上手いな、どこで覚えたんだ」ギルは豪快に鳥を毟り食べる。

 「まったく下品だね、ちゃんとナイフとフォークを使いなよ、エミーさんもなんなのさ、その粗末な棒は?」

 「うん?これか、これは箸だ、便利だぞ」

 「どいつもテーブルマナーさえも知らない、あたしはね、こう見えて昔はさるお屋敷でハウスメイドをしていたのさ、食通の主人に鍛えられて色々覚えたもんさ」

 「へぇ、ばあさんメイドやっていたのか、意外だな」

 「昔の話さ」

 「ところでエミー、さつき言っていたトマス領主との契約というのはなんだ?」

 「ああ、街で役人にスカウトされたんだ、断り切れなかった、ただ期間は三日と限定的な仕事だ」

 「なんの仕事だ」

 「押収品の警備業務だそうだ」

 「そうか、旧官職の兵たちは大部分が失職しているからな、領主の運営はどこも人員不足らしい」

 「街角で役人が兵士をスカウトするなんざこの領も長くはないね」

 ベス婆はその風貌に似合わず言うだけあって食事の所作が美しい。

 「ああ、どうも思うようには集まっていないようだ、何人も断られる姿をみたよ」

 「少し嫌な噂がある」ギルが少し硬い表情になる。

 「ノスフェラトゥ教団という犯罪集団が領内を荒らしている、爵位を失った貴族の残党共だ、それを纏め上げて統率している教祖がいる、通称アポサル、神の使徒と呼ばれているらしい」

 「神の使徒?たいそうな呼び名だねぇ、自分の事を持ち上げる奴にろくな奴はいない、詐欺師だね」

 「俺も詳しくは知らない、昔馴染みの奴に聞いた話だ、なんでも組織化されているのに教祖は情報とノウハウを提供してくれるだけで上納金が無いっていうんだ」

 「ますます詐欺だね、そんな上手い話があるもんか」

 「教祖には別な狙いがあるのね、そして新領主はその存在を知っている」

 エミーの指が首元に伸びる、少し煽った表情はエロチックでさえある。

 「臨時の私兵を公然と集めているのには意図がありそうだな」

 「罠を仕掛けるつもりなら新領主は馬鹿ではないらしい」

 「教祖の狙いも知っているのか」

 「そこまでは分からない、でも臨時に集められた警備兵は捨て駒にされる可能性がたかいわね」

 「捨て駒・・・トマス様は兵士を見殺しにするような人ではなかったと思います」

 「カーニャ、優秀な管理者はどんな奴だかわかるかい」

 味の薄い粥に大量の塩と香辛料を足したギルの皿は色が変わっている。

 「いえ、私には語る資格はありません、強いて言うなら困窮した人たちを見捨てない事でしょうか」

 「うん、それも一つだと思う、でも逆な場合もある、全体を助けるために一部を捨てなきゃいけない、多くの人を助けるために一人に死んでくれと命令しなきゃいけない、自分の心を殺して命令出来る奴、それがリーダーの資質だ、俺は御免だね」

 「私も同じ、全員を薄く手助けするより関わった一人の手を取りたい、でも誰かがやらなきゃいけない、国を統治して数十万の命を背負うなんて勇気を私は持てない、覚悟を決めたフローラや皇太子はすごいよ」

 窓の外を走った風も王都で奮闘しているだろう二人にも届くだろうかとエミーは目を細めた。

 「いつからか惰性に埋もれて貴族としての覚悟をフラッツ家は忘却してしまったのですね」

 「食事中に小難しい話は良しとくれ、せっかくの料理の味が落ちちまうよ、なにかもっと楽しい話はないのかね」

 「楽しい話ね、それじゃ俺が発酵学について語ろうか」

 ギルが前のめりになる。

 「却下、なんの興味もない、はい次、エミーさん」

 「私?それじゃ武術総論と身体操作についてはどうだ?一週間は持つぞ」

 「却下、却下だわさ!!この唐変木どもが、もっとこう若い娘のテンションが上がるような話はないのかね、エミーさんも同じような歳なんだ、こうファッションとか恋バナとかあるじゃろ」

 「すまん」「分からん」

 「アハハッ そのやり取りで十分楽しいです、ありがとうございます」

 ありがとうと口にしてカーニャはハッとした顔になった。

 「笑ったのなんて何時ぶりかしら」

 「身体は忘れないさ」

 「笑うと免疫が活性化する、嘘でもいいから太陽の下で声を出して笑うべきだ」

 そう言うとエミーが笑顔を作って見せたがロボットのようにぎこちない。

 「ぷっ へんな顔!」また笑う、元気であればよく笑う娘だったのだろう。

 「あんたも笑う練習した方がいいね」ベス婆も笑う、キラリと光った歯が以外にもきれいだ。

 「演技なら得意なのだが」エミーが恥ずかし気に頭をかいた。

 

 商工会アルノー襲来の剣呑とした雰囲気は薄れていた、ギルとエミーでは作れない空気、ベス婆の遠慮のない訛り言葉は優しさなのだ。

 きついことを言っているようで最後は笑いに変えてしまう。

 「明日またくるよ」ベス婆が帰るときにカーニャは笑顔で手を振ることができた。


 傾きかけた陽に向かい帰っていく曲がった背中にエミーはまた一つ尊敬出来るものを見つけた。


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