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 帰り道を失くした一匹の蜂が街に迷い込んだ、雑踏を避ける羽根は静かで大人しい、でも甘く見るな、触れればその毒針は鋭く容赦ない。


 狭い路地の露店街は道中央にベンチが並べられて食べ歩き出来るようになっている。

 エミーはそのうちの一軒でライ麦のパンに野菜や焼いた肉を挟んだサンドイッチと水をひと瓶買うと空いていたベンチに腰を降ろした。

 露店街は夕食前に一杯飲む連中や総菜を買い求める主婦たちで混雑しているが、まだ剣呑な雰囲気はない。

 日が沈み人と街にアルコールと麻薬が十分に回ってくると様子が一変する、そこには女が一人でいてはいけない危険が充満する。

 フードを頭から被り、長いマントで容姿を隠していても華奢であること、露出している長く細い指が隠されたフードの中に興味を引いている。

 目の早い男たちの下品な視線を無視しながら雑踏から聞こえる噂話に聞き耳を立てる、世間の情報を得るには一番手っ取り早く正確だ。

 裏のベンチで仕事上がりの兵隊が娼婦の女を連れて名産のカルヴァドス(リンゴのブランデー)をあおりながら鴨肉のつまみでひっそり飲んでいた。

 「あんた、あの聞いた?」若い兵隊より少し年上に見える女は娼婦にしては薄い化粧で擦れた感じがない、経験が浅いのか演出なのかは分からない。

 「あの話ってなんの話さ?」若い兵士は下級貴族の嫡男なのか羽振りは良さそうだ、透明なグラスに注がれたカルヴァドスの色が濃い、本物ならXO(六年以上熟成させたもの)だろう、露店で飲むには高級すぎる。

 「王宮にエリクサーが持ち込まれたって話さ」

 「ああ、知っているぞ、なんでも一度に五十本以上持ち込まれたそうだ、王宮の予算を圧迫するほどの金額だったらしいな」

 「本物なのかい?」

 「噂だけれど王妃様が肺の病で伏せっておられていたのが最近は謁見できるそうだ」

 「エリクサーを飲んだって事なの」

 「タイミング的にはそうとしか考えられないな、肺の病は重篤だったと聞いている」

 「私ね、本物見たことあるの・・・金色に輝く美しい琥珀色、宝石のようだったわ」

 「子爵様か・・・」

 「そう、お父様はそんな珍品や骨董品なんかにお金を注ぐ人だった・・・そんなだから没落しちゃったのだけれどね」

 少し視線を落として安物の服の裾を弄ぶ、女は没落貴族の令嬢、ランドルトン派だった貴族の大半はミストレス・ブラックパールの反逆罪での逮捕を受けて国王による粛清を受けた。

 「いつか俺が必ず身受けしてやる、待っていてくれ」若い兵士は女と幼馴染だった。

 「期待しないで待っているわ」答えた女の視線が遠い空に向けられていているのを兵士は不満そうに見た。

 「それとあれだ、エリクサーの出所が怪しいんだ」

 「エリクサーの出所、そういえば聞いた事ないわね」

 「数年前に貴族を狙った義賊が出没していたのを覚えているか?」

 「ええ、家は被害に会わなかったけれど派閥関係なく襲われたわね」

 兵士は頷くとカルヴァドスの残りを一気に飲み干した。

 「その賊の首領だった男が持ち込んだって噂なんだよ」

 「確か捕まって死罪になったって聞いたわよ」

 「死罪っていってもガレオン船の永久漕ぎ手送りだったらしい、死体は確認されていない」

 「そうなんだ、でもエリクサーも義賊もオカルト紛いの怪しい話ね」

 「まあな、王宮の内部の事なんて我々下級兵士には正確には伝わらない、金魚なみの尾鰭がついている」

 「あんたのコネでエリクサーが手に入ったらさ、私にも分けておくれよ、少しは待ってる時間も伸びるだろうさ」

 作り笑顔だ、娼婦はひと夜で幾人もの相手をする、いずれ必ず病気に感染してしまう、穏やかな未来は見えない。

 「そんなことにはならない、約束するよ」

 「優しい嘘」

 月に透かせて仰ぎ見たカルヴァドスのグラスは月の光を受けて淡い金色に輝いた。

 「少し似ているかも・・・」至高の回復薬エリクサーの味を想像しながら女はカルヴァドスを喉に流し込んだ。

 飲み終えた二人は連れ立って夜の街へと消えた。

 「・・・」フードを降ろして細い指で首を挟むように脈に当てる。

 乱れはない、冷静だった。

 薄い銅色の髪は月の灯を受けたハイライトが金色を反射する、薄い緑の瞳と小さな鼻、線の細い顎は可憐な少女の様だがエミーの性別は男性だ。

 義賊の首領、デル兄の事に違いない・・・「生きている!?」

 半年前に皇太子エドワードから聞いた話ではガレオン船は爆沈したはずだ。

 噂話と皇太子の情報、信憑性は疑うまでもない。

 デル兄は弟エミーに罪が及ばないように自分から罪を名乗り出て捕まった、孤児院の環の外にいた自分に唯一近づこうとしてくれた兄弟。

 少し斜めに構えた態度の裏にある人一倍の優しさをエミーは知っている。

 エドからデルの顛末を聞いても涙はでなかったし脈も乱れない、自分はなんと冷酷な人間なのか思い知らされた。

 悲しくはあれど仕方がないと割り切れてしまう、慟哭に心を病むことはない、

 「義賊のエリクサーか・・・」

 いずれ海を渡って他国に行こうと思っていた、皇太子の婚約者と同じ顔をもった人殺しは同じ国にいてはいけないからだ。

 そう思いながらこの国で半年が過ぎた、フローラに対する暗殺の疑念が晴れなかったからだ、あの渓谷の戦いの中で逃亡を許したのが三人、うち一人は一月ほどで片付けた、婚約パレードの前だった、あと二人は気紛れで見逃してしまった。

 片手を切り落とした男と爆弾女、それ以降は消息がしれない。

 やはりあの時殺しておくべきだった、以前のエミーなら考えることもなく殺していた、しかし女の為に見逃してくれと頭を擦りつけた男をフローラなら殺さない。

間違っていても後悔はない。

 バロネス・フローラは今、婚礼に向けて王宮に入ったそうだ、チーム・エドワードの警備が付いている、心配はいらない。

 「ふふっ」会いに行ったらどんな顔をするだろう、自分と同じ顔が自分の出来ない表情をする、フローラは大事な親友で分身だ。

 想像したら猛烈に怒っている顔が浮かんだ、別れをいっていないからだ、でもそんな時が来たら張り手の二、三発は避けないで打たれてもいい。

 半年たっても女言葉が抜けない時がある、師父東郷以外でここまで深く人と関わったのは初めてだった。

 自分がフローラの近くにいればそれがリスクになる、環の外から彼女の幸せを見たい。

 婚約パレードで見た二人の笑顔は忘れない、思い出していたら幸せな気持ちになった、雑踏の喧騒さえ小鳥の囀りに聞こえてくる。

 

 ガシャアアァンッ 唐突に何かがひっくり返った、そして怒声が響き小鳥の囀りを現実の波長に戻す。

 「ああ!何してくれてんだテメエ!!」

 怒声の方向には盛大にひっくり返った皿を前に顔を真っ赤にして怒る禿オヤジと倒れた女の子が見えた。

 「もう売りもんになんねぇじゃねえか!どうしてくれんだ・・・と、お前はフラッツ子爵のとこのお嬢様、いや元子爵か」

 禿オヤジが露骨に蔑んだ表情を浮かべる。

 「あ、あのギルを、ギル・ビオンディを見ませんでしたか?」

 「ああー!?ギルって、薬師のギルか、知らねえな、それより手前がひっくり返した商品の落とし前どうしてくれんだよ、金持ってんのか元子爵令嬢様よ」

 「今お金は持っていません、後で必ずお支払いしますから、ギル、ギルを探してください、一昨日出かけたきり戻らないのです」

 「だから知らねえって言ってんだろ!それより金だよ、この人で無しが!!」

 ドゴォッ 靴の底で蹴られて女は人形のように転がった。

 「やっ止めて!誰かっ・・・」

 周りを囲んだ地元民たちはその様を見ても止めるどころか薄笑いを浮かべている、完全に苛めだ。

 調子に乗ったオヤジが拳を振り上げた。

 「今まで俺たちを虐げた報いだな!ええ、お嬢様よぉ!」

 ブンッ バチィンッ 突き出した拳が細い指に阻まれた。

 「なっ!?」

 フードを被った華奢な女?が拳を掴んでいた、いつ現れたのか誰も気づかなかった。

 「止めておけ、人殺しになりたいか」

 静かに声は女のものだがゾッとさせる冷たさがある。

 「うっ、動かねぇ・・・」細い指のどこにこんな力があるのかロックされた拳にメリメリとめり込んでいく。

 「おっ、折れる!!」骨の湾曲が限界を迎えた時、パッと唐突に拳は解放される。

オヤジは慌てて手を戻し後退った。

「てめぇ、何しやがる!?」

 エミーはマントを翻して腰の愛刀ジグロを見せつける。

 「!!帯刀してやがるぞ」

 「くっ、くそ、そんな奴死んで当然なんだ!」

 野次馬が散りだすのを見て禿オヤジも負け惜しみを残して店の奥に消えた。

 通りは直ぐに何もなかったように雑踏を取り戻し流れ始める、凍った空気が溶かされる。

 「立てるかい?」

 「は・・・はい、ありがとうございます」

 「!?」

 彼女の視線が定まっていない。

 「目が見えないのか?」

 「まったく見えないわけではないのです、うすぼんやりとは・・・」

 手を取り抱え起こした少女は華奢なエミーより更に軽い、眼窩が窪み顔色も悪い、乾燥した肌が荒れている、老けて見えるが実年齢はエミーと変わらないかもしれない。

 「家は近いのか?」

 「・・・」どう答えるか躊躇っている、当然だ。

 「私は冒険者のエミー、フレジィ・エミーで通っている、もう暗くなる、良ければ送るよ」

 王宮発行の登録証を少女の手に握らせる、皇太子エドが用意してくれたものだ、発行者の記名は皇太子とフローラの名前が刻まれた御璽がある、両名が身元を保証した登録書を持つのは国内でもエミーひとりだろう。

 「本物!?」手探りの後、息がかかる程に顔を近づけて目を丸くする。

 「私はこの土地に縁はない旅人だ、訳は知らないが君をこのまま放ってはおけない」

 女は見えない目でエミーの輪郭を探して頷いた。

 「ご面倒をおかけします・・・」

 

 冷えて痩せた手を取るとエミーは厩へ向けて引き返した。


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