53.正三位⑦
【人物】
藤原夏良 主人公 27歳。 10歳の時、高熱から前世の記憶がよびおこされる。 父親は桓武天皇。養父が藤原冬嗣。藤原北家。良岑安世の名をもらう。
814年 弘仁5年6月
藤原緒嗣、藤原冬嗣、藤原夏良の名前で国倉へ米を奉納をした。
不作に対する国倉への補填のためである。
朝堂院の藤原夏良執務室に藤原緒嗣氏が来た。
「帝がお呼びなので、太極殿まで良いですか」
「かしこまりました。奉納の件ですか?」
「ええ、そのようです。近江、美佐、陸奥の三国からの奉納と言うことになっていますが、詳細を聞きたいと言うことで、お名前を出してしまいました」申し訳なさそうに言う藤原緒嗣。
右大弁、右衛士督、左近衛大将の三人が呼ばれた事になる。
太極殿に入り、帝の執務室前に行くと、藤原冬嗣が待機している。
藤原冬嗣が中に案内すると、帝が待っていた。
「よく来た。三人ともこのたびは国倉への奉納をありがとう。いくつか教えてほしいことがあり、来てもらった」
「なんなりと」藤原夏良が答えた。
「夏に入った時期にどうやって米を納められるのか教えてくれ」
全員が藤原夏良を見る。
「一昨年豊作だった時の玄米をそのまま雪で造った蔵に保存し、昨年の生活米と納税用に使用しました。そして、昨年不作だった米をそのまま今回の奉納に使用したのです」
「雪で造った蔵で保存出来るかね」驚く嵯峨天皇。
「初夏までは保存できることが今回分りましたので、豊作と積雪によりますが、夏場や不作への対応も可能と思われます。」
前のめりの嵯峨天皇が質問を続けた。「何処でも可能なのかね」
「積雪と米の作付場所にもよるかと。信濃、越中、越後、出羽、陸奥では可能と思われますが、他は期待できないと思われます」
「各国司は?」嵯峨天皇が聞くと、藤原冬嗣が答えた。
「信濃は宇智王、越中は藤原鷹養、越後は御室今嗣、出羽は大伴今人、陸奥は良岑安世です」
『まじか。すごいな』良く覚えているものだと感心する藤原夏良。
「今の四人に指示すれば、同じように確保出来るかね?」
「申し訳ありませんが、見てもらう方が良いと思いますので、責任者を蝦夷まで来させていただいて宜しいでしょうか。9月から約半年は来ていただかないと、覚えられないと思いますし、雪深くなるので戻るのも大変かと思います」
「分った。各国に指示する」
「公に指示されると混乱すると思いますので、越境視察などと言う名目で実働部隊を視察に来させてください」
弘仁5年は豊作年で、大雪の年となった事は記録に残っている。
『弘仁五年八月壬申、~中略~秋稼垂穎、可余栖畝之粮、』(日本後紀12巻より)
※訳「秋には稲穂が垂れて収穫しきれず、畝間に穀物を残しているほどである」
治水、耕作等の功績を認められ、藤原夏良は従二位内大臣、藤原冬嗣は翌年中納言となり、藤原緒嗣は翌年従三位となった。
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