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藤原夏良  作者: m@ho
嵯峨天皇
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二口(ふたくち)

今熊野観音寺いまくまのかんのんじは、京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派の寺院。総本山泉涌寺の塔頭。山号は新那智山。本尊は十一面観音。正式な寺号は観音寺かんのんじであるが、「今熊野」の通称で知られる。西国三十三所第15番札所。洛陽三十三所観音霊場第19番札所。

二口という名は、ふたくちと読んだ。

藤原夏良が諜報機関の礎としたのであるが、目口耳の機関として、隠れ蓑として仏教の教えの場として組成した。二口という名前は、目口耳という文字は全てニと口から文字を作る事が出来る事から二口と言う名前の機関を作った。

場所のモデルは今熊野観音寺。

空海が菩薩に出会った場所として有名で、空海が創建している。少し北側には坂上田村麻呂が創建した清水寺がある。

東山道を挟んだ南北にある、この位置関係もなんとも言えない夢想させる位置関係ではないですか。


さて、今熊野観音寺は、空海が観音菩薩に会い、十一面観世音菩薩像を賜った。とある。

観音菩薩が未来人だったら?知識豊富な仙人のような人に出会い、開眼したとしたら?と言う事を思い、思い描いたものがこの物語の発想の一つ。


時代検証を行う中で、日本後紀の原本をインターネット上のアーカイブで読ませてもらい、現代語訳を読み、時代考証を行っている。

その中で、分からない事は、征夷大将軍を置いてまで何故蝦夷討伐に嵯峨天皇の時代まで4世代の天皇がこだわったのか。阿弖流爲の処刑後10年間蝦夷討伐に人物金を使っている。飢餓と水害、感染症に悩まされた時代に、万単位の軍を北の果てまで送っている。

歴史書だと民の不満を抑えるため、日本後紀だと星の位置によるとあるが、蝦夷討伐に対する増税の方が不満が多く記述されており、最後の村まで討伐する、ここまでする正しい理由は分からなかった。

記録には残せない何かがあったと思わざるを得ない。


この時代に悩まされたものの一つに感染症の蔓延がある。

感染症の原因は、漂流してきた多民族、遣唐使、渤海使が持ち込んだとされているが、人の交流と病気の記述が比例しているので間違いないだろうと思う。命懸けで渡った人々が不要な種を持ち込んでしまった。皮肉な実情ではないだろうか。


良岑安世という歴史上情報の少ない人物。百済系である事から冷遇されたようであるが記録も少なく、主人公に使わせていただいた。実際の官暦のスピードと物語とでは大きく違う事には御容赦願いたい。


このような背景の説明を何処かでしたかったので、善い区切りでもあり、本エピソードを書かせていただいた。


引き続き物語をお楽しみください。

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