30.正四位下⑤
【人物】
藤原夏良 主人公 19歳。 10歳の時、高熱から前世の記憶がよびおこされる。 父親は桓武天皇。養父が藤原冬嗣。藤原北家
西暦805年 延暦24年12月
桓武天皇が倒れ、安殿親王と藤原緒嗣を呼んだ。
藤原緒嗣は安殿親王の親衛隊長でもあり、側近でもある。また、藤原夏良の情報源でもある。
安殿親王は皇太子であるが、病弱である事が問題となっていた。今で言ううつ病である。
病気である事を良いことに、東宮宣旨(女官長)であった藤原薬子が娘よりも自分の事を虜にさせて、不倫が公になり、桓武天皇が宮中から追いやった事は有名である。
そして、ご主人の藤原縄主が春宮坊(東宮坊)の所属となり、また、桓武天皇は娘を二人、第一皇女の朝原内親王と第8皇女の大宅内親王を牽制役として妃として異母兄弟の安殿妃となり、安殿親王の牽制に力を入れていた。
藤原縄主も緒嗣も藤原式家で、この当時の大派閥である。
どの派閥も帝や親王のお気に入りになるべく取り組んでいたので家族関係が濃厚であるのは致し方ない。
平城天皇は父親が倒れたにもかかわらず謁見に来なかった所を藤原緒嗣が半ば無理やり謁見させたのであった。
翌年3月、回復と療養を繰り返してお亡くなりになった。享年70歳。
806年 大同元年5月
皇太子だった安殿殿が平城天皇となった。
うつ病はどんどん悪化しているように思えたが、周囲がうまく補ってわからないようにしていた
基本的に謁見は少ない。
そもそも帝の顔を見ることも少ないのが普通で、桓武天皇が気楽に出歩いていたと思われる。
少し状況を整理すると
坂上田村麻呂は従三位のまま 中納言となる。
藤原葛野麻呂も従三位のまま 参議兼式部卿
藤原緒嗣は従四位上 で平城天皇の親衛隊長
父藤原冬嗣は従五位下 で神野親王の親衛隊員
私藤原夏良は正四位下 で右大弁官
良い感じの神野親王援護隊だ
今熊野に建築した情報機関に3重塔を建てた。
外観はお寺の塔だが、鳩小屋である。
鳩小屋から平安京を一望していた夏良に彦兵衛が近寄る。
「情報機関として、形が成してきました」
「ありがとう、何か情報はある?」
「藤原雄友氏が不穏な動きをしています。藤原薬子氏が平城天皇に接触を試みています」
「大納言になって、影響拡大を試みているのか?藤原内麻呂右大臣は牽制している?」
「いえ、藤原北家は静観するとのことです」
「藤原南家は急ぎすぎではないか?」
「少し焦りがあります。」
「式家も南家も自爆するから、巻き込まれないように静観するのが一番だな」
「自爆ですか?」
「このまま政変争いの工作に失敗するだろうと言うことだ」
「中心人物は?」
「心の病の治っている平城天皇の動きだな。皇太弟に影響のないようにしてくれ」
「かしこまりました」
桓武天皇の遺言で神野親王は平城天皇の皇太弟となっていた。
「平穏な年はまだまだ先のようだな」
嵯峨天皇→平城天皇に誤字修正しました




