29.正四位下④
【人物】
藤原夏良 主人公 19歳。 10歳の時、高熱から前世の記憶がよびおこされる。 父親は桓武天皇。養父が藤原冬嗣。藤原北家
藤原緒嗣 生没年 774-843 藤原式家、参議・藤原百川の長男。官位は正二位・左大臣、贈従一位。山本大臣と号す。(エピソード3参照)
西暦805年 延暦24年10月
平城天皇と言えば、藤原式家である。来年平城天皇が即位するまで、それまでに式家の人員と懇意にしないといけないが、こちら側に近くして欲しい人物を考えていた。
そんな中、桓武天皇が朝議で守備隊長の藤原緒嗣と左大弁の菅野真道と議論をしていた。
「民を疲弊させているものは何か?」いわゆる徳政相論である。
民の不満を気にしていた桓武天皇が答えが出ずに悩んでいたものだ。
気軽に問い合わせたのだが、64歳の保守派・菅原真道が31歳で若者の学者・藤原緒嗣に食ってかかった図である。
菅野真道の主張は、国家が民を守るためにも、民は多くの責任を払う義務がある。多少の疲弊はやむを得ない。そんな今の世の中の正当性を唱えた。
そんな中、右大弁官の藤原夏良も当然いて、藤原緒嗣の近くにいた。
「お久しぶりです。伊治城以来ですね」藤原緒嗣が藤原夏良に話しかけてきた。
議論の最中だが大丈夫だろうか。
「ご無沙汰しております。手洗いの時にお話したのが懐かしいですね」
今治城で青空の中で放尿していた時のことである。
「本当に蝦夷討伐は必要なんでしょうか。平和的解決もあると思うんですよね。後は、ここから平安宮の守備への負担は民の旅費や生活費負担の事を考えると、職業軍人で良いと思うんですよね」
「私も同じ事考えています」
そんな事を話し、意気投合していた。
藤原緒嗣は、前に行き説いた。
「平安宮の警備、増営と蝦夷討伐の負担を減らすべきと、思います。特に遠い地域の者にとっては旅費も生活費の負担もあるのでより負担が多くなります。防人にしても警護にしても職業軍人に対応すべきと思っております。又、蝦夷地域については、律令制の精神に則り平等になる制度を追加すれば平和的話し合いでの解決が可能と思われます。」
菅野真道は反論する。
「蝦夷の野蛮種族に何を言っても通じないから、阿弖流爲は処刑されたのではないですか。」
「菅野殿は蝦夷にいる蝦夷人と話した事はあるのですか?」
「ええ、京にいる蝦夷人と良く話しをする」
「捕虜として京にいる蝦夷の民と話しても正しい返答は返ってこないのは当たり前ではないですか。貴方は虐げられた者が虐げている者に対し意見を言えるとお思いか?」
菅野真道は返答に困った。
「私は蝦夷討伐にも参加し、蝦夷の人々と話す中で、討伐しないでも話し合いで解決するのではと、思うことが多かった事を今でも思いだす。反乱は当然抑える必要はありますが、反乱とは関係のない子供たちといまだに争っており、目的はなんなのですか?力を誇示する事だけが目的になってはいませんか?平安京の継続した造設についても、現状十分に整備されており、今後移転してくる者たちが自分たちの居住のために工事をすれば良い。」
藤原夏良は拍手をしそうになったが、自分を諌めた。
この会議の結果。桓武天皇は蝦夷征討と平安京造都の停止を英断されるのであった。




