26.正四位下①
【人物】
藤原夏良 主人公 16歳。 10歳の時、高熱から前世の記憶がよびおこされる。 父親は桓武天皇。養父が藤原冬嗣。藤原北家
藤原葛野麻呂 生没年 755-818 藤原北家、大納言・藤原小黒麻呂の長男。官位は正三位・中納言。
延暦20年(801年)遣唐大使に任命される。延暦22年(803年)正月に従四位上に叙せられ、4月に節刀を授けられて難波津より出航するが、まもなく暴風雨を受けて遣唐使船が破損して航海が不可能となる。延暦23年(804年)7月に再度唐に向け出航し、8月に福州に漂着する。遣唐使の証である印符がはぐれた第二船(最澄はその船に乗船していた)にあった事と、葛野麻呂が自らしたためて提出した事情説明文が悪文だった事により身分を疑われる事態となり、同船の空海に代筆させた文書を提出してようやく遣唐使であると了解させている。同年12月に長安城に入って徳宗への謁見を果たし、翌延暦24年(805年)正月の徳宗崩御と順宗即位にも遭遇した。同年5月に明州から帰国の途に就き、対馬国を経由して7月に帰国し節刀の返上を果たし、唐の情勢に関する報告を行っている。同月末には大使の功労により、従四位上から一挙に従三位にまで昇叙され公卿に列した。
西暦803年 延暦22年4月
藤原葛野麻呂邸に呼ばれた藤原夏良。
藤原葛野麻呂邸は少し大きめの邸宅である。四人の夫人がいるので、ある程度大きな家となる。
女中により広間に通された。
昼時でもあり、少しうとうとしていると、藤原葛野麻呂が入ってきた。
「お待たせしました」
「お休みの所、会見いただきまして、ありがとうございます。船の調査は藤原貞嗣殿が調査の任命を受けて確認しております。」
「藤原巨勢麻呂の息子か」
「はい。調査と言っても結果報告と物資の確認、生存者の確認が主です」
「船は1年後に出発出来そうだ。」
「はい。お願いします。実は、今日お邪魔しましたのは、唐の貨幣の輸入と、錫鋼の輸入の事です」
「銭貨の鋳造は任されているのですが、唐からの交易を良しとしない人々がいまして」
「あくまで公貢物には入れずに対応したいと言うことか」「はい」
「一般の輸入品として納入したいのです。そのため、金を一俵分持って行ってください。」
「そんなに持っていって大丈夫なのか?」
「ええ、渤海用に用意していたものが、先方は金漆の方が良いようでなので、今回利用できるのです」
「貴族からの献上品も使いようじゃの」
「良くご存じで。金銀財宝は献上品のトップになるのです。皆さん賜下されるものは絹などの織物や穀物が良いようなのと、金は唐人が好きなのでもってこいなのです」
「貴殿の言うとおりのようだね、唐からも金銀を回りくどく欲しがっている文が届いているしな」
「唐はこれから政変もあるでしょうから良く見てきてください。約束事はせずに文化の交流を主にしてくるのが良いと思われます」
「徳宗が変わるのかね?」
「そうなってもおかしくない状況と聞いています」
「ありがとう。長安の情勢をよく見てくるようにしますね。」
「それと、通訳として、信頼出来る友人をご紹介しておきます。」
「ほうほう、どんな人物で?」
「金大明といいます。唐の返礼使として20年いるのですが、そろそろ帰りたいようです」
「何処にいるのかね?」
「蝦夷でどぶろくを造っていますが、こちらに来るように伝言をしておきます」
「色々とありがとう。信頼出来る人々が行けなくなったので助かる」
「少しでもお役に立てるなら良かったです」
翌年延暦23年正月に藤原葛野麻呂氏は従四位上、藤原夏良は正四位下となった。
そして藤原葛野麻呂、金大明氏とも無事に唐へ到着することになる。
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