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藤原夏良  作者: m@ho
桓武天皇
1/76

1.従八位下

鳴くようぐいす平安京

平安時代から 

日本の成長の原点に生きる人間模様を感じていただきたい

【人物】

藤原夏良 主人公 10歳の時、高熱から前世の記憶がよびおこされる。 父親は藤原冬嗣


藤原冬嗣 生没年 : 775~826 藤原北家

平安初期の公卿。藤原内麻呂の子。 嵯峨天皇の信任が厚く、弘仁元(810)年の薬子の変の際に設置された蔵人所の頭に任ぜられた。また、天長2(825)年、桓武朝以来空席となっていた左大臣に就任、藤原北家隆盛の基礎を築いた。興福寺南円堂を創建する。


坂上田村麻呂 生没年:758〜811

平安時代の公卿、武官。4代の天皇に仕えて忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支えた一人であり、二度にわたり征夷大将軍を勤めて征夷に功績を残した。薬子の変では大納言へと昇進して政変を鎮圧するなど活躍。死後は嵯峨天皇の勅命により平安京の東に向かい、立ったまま柩に納めて埋葬され、「王城鎮護」「平安京の守護神」「将軍家の祖神」と称えられて神将や武神、軍神として信仰の対象となる。

太陽が煌めき、歩くと汗がジワっと滲み出てくる秋。

真っ直ぐ伸びる整備された道路の横には田んぼがあり、水路工事への指示をしている男性。烏帽子をしている事から遠くから見ても位の高い人とわかる。


「こんにちは」と声をかけるのは藤原夏良、12歳。

「ああ、藤原の夏良殿ではないですか。」


驚いた様子で振り向いたのは賀茂伊勢麻呂氏。

「何かあったのですか?」水を覗き込みながら聞く藤原夏良は落ちそうになる烏帽子に手を添えて不慣れな様子。


「いえ、水の流れが悪いところがあるので指示してたのです。ああ、家が近くでしたね。おめでとうございます。」初々しい姿に微笑みながら貫禄のある賀茂伊勢麻呂氏の言葉は元服により成人として家を分けられた事への賛辞である。


「ありがとうございます。賀茂の伊勢麻呂殿はこの後御用がありますか?」

「何かございますか?」恐縮した顔をした賀茂氏。


「いえ、近くなので一息つかれてはどうかと思いまして。」

「ありがとうございます。そうしましたら、後ほど参ります。」


お辞儀する藤原夏良は踵を返して田んぼの間を抜けていく。

「ご苦労様です」水車を足で回す男の横で声をかけて歩いていく。

田んぼには黄金の稲が実り、今年は害虫の被害が少ないと聞いているので収穫が楽しみである。


延暦17年9月と言っても今ではいつの事か分からないであろう。今から1200年前の平安時代と言えばイメージがつくであろう時代。12歳の藤原夏良は父親である藤原冬嗣の平安京にいある広大な家から少し離れた家を分けて与えられた。


世話頭である彦兵衛が玄関で出迎える。

「客人が来られるので席をお願い」

「かしこまりました」スッと奥へ行き、女中頭へ話す彦兵衛の姿を一目見て玄関から入っていく。

土で固められた上にわら)で補強された床、簀の(すのこ)壁が一般的な家庭。

土間の中央には囲炉裏があり囲炉裏の周りに盛土の上に(むしろ)を敷いている。

筵の上に座る藤原夏良。その前にお盆に乗った徳利と小魚が置かれる。もう一つの筵にも置かれた。


「ありがとう」そういう藤原夏良に対して女中はお辞儀をして下がっていく。

しばらくすると、賀茂伊勢麻呂がやってきた。


「お誘いありがとうございます。元服されたばかりなのにしっかりされててびっくりです。うちの息子は元服後6年ほどしてから家を持たせましたよ。それまでは誰かが付いていないと無理でしたね。」

「私も毎日教えをいただいてばかりです。父と世話係のおかげです。」


藤原夏良は筵から降りて賀茂伊勢麻呂に近づいた。

「どうぞ」と徳利からお酒を注ぐ。

「ありがとう」注がれたお酒を飲みきる賀茂伊勢麻呂。

「治水工事は順調でしょうか。」

川と、川から引き入れる水路の治水責任者であり、無事に治めれば昇格確実な役目なのであるため、人気が高い。

「大雨がなかったので平和に秋を終えられそうです。」

「良いですね。京に入る場所に貯水池を造ると、安定して水を供給できて良いかもですね。」

「なるほど、しかし、元服したての人と思えませんね。専門家のようです。」

「いえいえ、京の高低差を利用した水路を見て、上流に溜池があったら安心だろうなと思ったのです。」


「お父上に報告して検討しましょう。」

父親である藤原冬嗣は正6位上という職位で賀茂伊勢麻呂氏が正6位下の上司となる。

桓武天皇にも神野親王にも好かれている父は大きな実績がないのに官職が上がっていっている事で、貴族間の妬みを感じる時がある。しかし、昇級については殆どが実績より上位官の好みによるところが大きいのは現代までと変わらないところである。


「お父上が参られました。」彦兵衛が急いで報告に来た。「ちょうど、父が来ました」

小魚に箸を付けていた賀茂伊勢麻呂氏は止めて立ち上がった。


「おお、加茂の伊勢麻呂殿が客人とは、愚息が迷惑かけていませんかな。」

世話人を引き連れた藤原冬嗣が入って来た。

「いえいえ、元服したばかりの方とは思えないお話で、恐縮していたところです。」

「この子は10歳の頃に発熱で死地から戻って来た時から、言うことが突飛すぎていつも驚かされているんですよ」


10歳の頃に今でいう風疹であろう発熱により、数日寝込んでいた時に、現代の記憶が呼び起されて以降、色々な知識を思い出すようになっている。

はっきりと思い出すわけではないが、知識的な事は出てくる。例えば「794うぐいす平安京」

4年前だが思い出したのは2年後。この時に西暦と和暦の結びつきをはっきり確認できた。


「晴れて始める東北遠征」去年征夷大将軍になった坂上田村麻呂が3年後西暦801年延暦20年に蝦夷を平定する。懐かしい語呂合わせと思う事は30-40頃の記憶だろうか。徐々に思い出すのだろうか

歴史を少し整理すると、蝦夷の平定までに30年近くかかったと聞いているはずなので、現在の桓武天皇の2代前の頃から戦が続いていたはず。

話によると、平安京遷都の年に坂上田村麻呂が副長になって10万人の兵で蝦夷を大破したと聞いている。平安京の人口の2割ほどと聞いた。

1年かけて移動しながら徴兵しながら鍛錬しながら攻め入ったらしいが、圧倒的な人員だけが目的だったようで、10万人の移動だけで圧倒されて逃げていった事も多かったとのことであった。又聞きなので真意は不明である。


「父上、藤原家と坂上家との争いも重要と思いますが、京の平和と活力が重要と思います。現状維持しながら坂上田村麻呂氏への支援も行った方がよろしいかと思います」

「蝦夷征伐は失敗すると思い、誰しも様子をみていたが、征夷大将軍に任命されてから1年、どの勢力もすり寄っているからねえ。」

「父上、私に任せてもらえませんか?必ず悪いようにはしませんので。」

「その前に、大事な事を言わないと。夏良よ。従八位下に任命になったので、一役人として大将軍に会ってきなさい。普通は門前払いと思うが、お前なら会えそうな気がする。」


「おめでとうございます。将来が楽しみですね」賀茂伊勢麻呂氏が祝ってくれている。


「お先に失礼する。」そう言うと藤原冬嗣は去っていったが、世話人の一人が残り、何やら反物を渡されるらしい。

深縹こきはなだで官服を作るように指示がありました」流石に手回しが早い父親である。深縹は八位の濃い紺色、七位、六位で浅緑、深緑と緑系になる。父親たちの官服は深緑で、その上が五位、四位で浅緋色、深緋色。いわゆる赤色で、その上が紫色となる。サラリーマン的には中間管理職が赤系であろうか。

深緋色に濃紺色の者が尋ねるというイメージである。


賀茂伊勢麻呂氏は一息ついてお帰りになる様子。

「今度は夕飯時にでも是非来ていただけませんでしょうか」藤原夏良はまだ聞きたいことがあった。

「是非ご一緒しましょう。」


入れ替わりに彦兵衛が近づいてきて報告があるようだ。

「坂上田村麻呂様は現在清水寺にいらっしゃるようです。」坂上田村麻呂氏についての情報は、特に現在いる場所等は軍の情報なので普通は不明であるが、藤原の情報網によれば、清水寺という新しい寺にいるらしいということだ。

「京から東に行った山奥で創建されているとのことです。」元々坂上氏の地として下賜された場所である。

清水寺へ向かう。

東への道を彦兵衛が先導して歩いて行く。田んぼがなくなり、坂を上がっていく。

何故こんなに離れたところに寺院を創建したのだろうか。

お寺はまだ未完成で建築途上で、人夫へ指示をしている大柄な人がいる。周りには世話人が10人ほど控えているので、この人が坂上田村麻呂であろうか。

「失礼しますが、坂上の田村麻呂殿でしょうか。」振り返った大男。威圧感がある。

「我こそは大田丸兄五郎と申す。頭は本堂にて休憩中です。」

会釈をして本堂へ向かう。


本堂に入ると、屋根を工事しており、中で横になって工事を見守る男がいた。周囲に世話人が控えているので、今度は間違いないであろう。遠くに平安京がよく見える。舞台はない。

清水寺と言えば舞台だが、まだこの時代には無いようだ。

「藤原の夏良と申します」お辞儀をした。


「あれ、神野親王ではないですか?」飛び起きるように立ち上がり、跪いた。

「どうしたのですか?人違いではないですか?藤原の冬嗣が長男の藤原の夏良と申します。初めまして。藤原なので親戚の天皇家とも似ているかもしれません。」跪いた坂上田村麻呂肩に持ち上げるように手をかけた。

「それにしても似ていらっしゃいます。」驚いた顔のままである。


「お願いがあって参りました。蝦夷討伐に私を配下として雇っていただけないでしょうか。」

隣にいた彦兵衛が驚いた顔をし、全員が驚いた表情で聞き入っている。


「坂上の配下に藤原が入ると言うことを理解しているか?」当然の疑問であろう。坂上田村麻呂驚きもまま確認した。

「この国の行く末を按じてお願いにあがりました。

過去の家同士の争いは考えている時ではないと思っております。」


「藤原殿は軍に入り、何ができるのかね?」

「戦には情報が必要です。正確な情報、必要な情報を集め、軍略に活かしていく事を考えています。」

未来の情報が分かりますとも言えず、3年後に征伐ができる事を未だ誰も知らない。


「まだお若いが、部下を付けないといけないだろうから位を考えないといけないな。鈴鹿疾風いるかい。」世話人の一人が奥の方で声をかけたようだ。

駆け足であるが、音を立てずに近づいた男。

「将軍御用向きは」


「うん、ここにいる藤原夏良氏が部下になる。足の速い若いのを10人ほど部下に入れて欲しいのと位を与えるので手続きして欲しい。七位くらいか?」

「ありがたいお言葉ですが、従八位下を拝命したばかりなんです。」念のため提言した。

「軍部内の任命は私に任されているので大丈夫。」坂上田村麻呂が答えた横で鈴鹿疾風が答える。

「それでは従7位下で様子みてはどうでしょうか。部隊長としては十分です。」


「それでいこう。軍の鍛錬をしているので、合流してくれ。鈴鹿疾風から連絡させる。」

「かしこまりました。」礼をした姿を見て微笑みながら、横になった坂上田村麻呂将軍。

後にするとため息をつく藤原夏良。


1日のうちに昇進してしまう。父親に報告と官服を変えないといけなかったり、悩みが増えた。

「彦兵衛がいて良かった。父への報告に行くが、どう報告したものか。」

「昇格については後日報告で良いかと。配下として蝦夷討伐に参加する事だけ報告しましょう」

西へ向かい、藤原冬嗣邸へ向かう二人。

農家の人々は休憩の頃である。


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>父親である藤原冬嗣は正6位上という職位で賀茂伊勢麻呂氏が正6位下の上司となる。 タイトルでは漢数字を使ってるのにココはアラビア数字は違和感です。
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