ふたつの月
ふっと景色が一変した。
住宅街の神社にいたはずなのに、いつの間にか砂漠のど真ん中に変わっていたのだ。カナリアの得意なエリアというわけか。
衝突が起こるより先に、俺は二人の間に割って入った。
「待て! まずは話し合おう! なんなら筆談でも……」
だがそう告げた俺のすぐそばを、なにかがヒュンとかすめていった。
慌てて振り向くと、十二番は仰向けにぶっ飛ばされていた。魔法のステッキも手放してしまっている。急すぎて対応できなかったか。
「おい! なにやって……」
向き直ったときには、カナリアの顔が目の前に迫っていた。
唇を動かしているが、声がしない。
俺はホールドアップしながら、ゆっくり後退した。
「話そう」
ふと、地面の砂が、サラサラと浮遊し始めた。
それはかたまりになって、文字の形をとった。まるで漫画のセリフのように。
カナリア曰く、
「そいつを殺さない理由を教えて」
とのこと。
俺は堂々とこう返した。
「そもそも、なぜ殺す必要がある?」
質問に質問で返してやる。
ちっとも失礼じゃない。
もし礼儀を云々したいなら、説明もナシに人を殺そうとしないことだ。
「言ったでしょ? そいつは姉妹をハメたの」
「研究所に送った件か……」
「自分が助かるためにね」
「彼女の言い分を聞いてもいいんじゃないか?」
この問いに、返答はなかった。
その代わり、十二番が肩口をおさえながら、なんとか立ち上がった。カナリアが「釈明してみなさい」とうながすと、十二番もうなずいた。
「カナリア、この際だから本当のことを言います。姉妹の中で、私以外、誰も作戦を立てられませんでした。誰も……」
十二番は、そしてうつむいた。
あまりハッキリと言いたくなかったのかもしれない。
自分は作戦を立てる頭脳を持っているが、他の姉妹はそうではないと言っているのだ。
カナリアはさめた目で見ていた。
「私たちがバカだって言いたいの?」
「違う」
「違う? それじゃ意味が通らないでしょ?」
「ごめんなさい。違いません……」
いまにも泣き出しそうだ。
というより、これで前回は泣かされたわけだ。
だが、俺の見間違いでなければ、カナリアは怒ってなどいなかった。
あきれたような顔はしているが。
「ちゃんと説明しなさい。作戦を立てて、成功させて、私たちを救うつもりだったんでしょ?」
「そう……」
「なら、最初からそう言いなさい。あんたのことはムカツクから許さないけど、でも殺さないであげる」
「ホントに?」
「これ以上、私の神経を逆なでしなければね」
「はい……」
感動的な和解の瞬間、というわけだ。
カナリアが歩み寄って手を差し出すと、十二番も握り返そうとした。が、カナリアはよけて、パーンと十二番の頬を叩いた。
背後には「いいでしょこのくらい?」という文字が浮いている。
十二番は釈然としない様子だが、なにも言い返さなかった。
いやそこは握手しろよ……と思わなくもないが。
俺はこじれる前に強引に話をまとめることにした。
「よかった。これで仲直りだな。いや、その言葉を好まないとしても、いちおうの停戦はできたわけだ。少なくとも、なにか新しい軋轢が生じるまでは」
カナリアはぐっと顔を寄せてきた。眉に力をこめて睨んでいる。
「あんたはなんなの? 保護者気取り?」
「保護者じゃない。彼女とは、同じ仕事を請け負ったんだ。ま、業務上のパートナーというところだな」
これにカナリアは、あきれたような顔を見せた。
「自分がなにと戦ってるのか、分かってるといいけど」
「オルガンだよ。けど、もしこっちの持ってない情報を提供してくれるなら嬉しいね」
「いいよ。でも、そっちのチビが許可したらね」
すると十二番はぶんぶんと首を横に振った。
どうしても教えたくないらしい。
ま、そこまで必死にされると、こちらもだんだん状況を絞れてくるのだが……。
だが確証はない。
どれも決定打に欠ける予想ばかり。
俺の認識が足りていないのか、誰かがウソを吹き込んだか……。誰か、というのも白々しいな。ウソをついているとすれば木下さんだ。彼女がなんらかのウソをついたせいで、俺は真相にたどり着けずにいる。
出るのは溜め息ばかりだ。
「止めないよな?」
俺がそう尋ねると、カナリアは肩をすくめた。
「止めない。一緒に行くつもりもないけどね。ヒントだけあげる」
「ヒント?」
「波の音を頼りに進んで。きっとオルガンにたどりつくよ」
「波の音……」
*
カナリアと別れた俺たちは、とりあえず歩を進めた。
どこへ行くにせよ、まずは歩くしかない。
「十二番、大丈夫か?」
「ヒナゲシです」
「えっ?」
「ヒナゲシって呼んでください。それが私の名前ですから」
いまさら呼び名を変えるのか。
だが彼女のご要望だ。
「ヒナゲシ、か……」
「はい」
肩になにかをぶつけられたようだ。
だが、いったいなにを?
「ムリしないようにな」
「大丈夫です。砂をぶつけられただけですから」
「それにしては凄い音がしたが」
「かなり痛かったです……」
もちろん痛いだろう。
仰向けに倒されるほどの衝撃だったのだ。
「念動力ってやつか?」
「きっと砂を操る能力……でしょうね。いくら模倣子の世界とはいえ、なんでもできるわけではありません。自分にしっくりくる能力が備わるものです」
「いいな。俺もなんか欲しいところだ」
自力で壁を超えるような人間なら、おそらくなんらかの能力が付与されるのだろう。
だが俺は魔法のステッキでムリに入り込んだだけ。素質もない。よって能力も付与されない。
ヒナゲシは浮かない顔だった。
「私は……そんなよく分からない能力、ないほうがいいです……」
「そう言うなよ。どんな能力だって使い方次第だぜ」
「だって……」
また自分を責めているのか?
現実世界での威勢のよさがウソみたいだ。
「そういえばカナリア、波の音がどうとか言ってたな。なんなんだ?」
「正確には、波ではありません。おそらく水槽の溶液の揺れる音。彼女はその世界しか知りませんから……」
「そうか……。そうだったな……」
オルガンに接続された少女は、脳と背骨と内臓だけの姿で培養ポッドに封じられている。その世界しか知らないということは、生まれたときからそうだったということなんだろう。
その世界の音を、声として発し続けている。
「彼女、名前はなんて言うんだ?」
「名前……?」
なぜか不審そうな目で見られてしまった。
知らないから聞いたのに。
「聞いちゃマズかったか?」
「いえ。マキナといいます。ラテン語で『機械』という意味です」
ちゃんとあるんじゃないか。
だがまあ……言いたいことは、なんとなく分かった。
「父親は誰なんだ?」
「知りません」
「そんなわけないだろ。あんたはたぶん、全部知ってる」
「知りません。知らないということにしておいてください」
あんまり追い詰めても、泣かせてしまうかもしれない。
子供の逃げ道をすべて潰すのは大人のやることじゃない。
「何歳なんだ?」
「なにが知りたいんです?」
「もしかして、俺の知ってるヤツじゃないかと思ってな」
「知りません。聞かれてもなにも言いません」
「そのほうが作戦の成功率があがる、か? つまり、俺に知られたくない人物ってことだな。ただ、そこまで情報があったら、こっちだってなんとなく察しがつくぜ。言わなくていいけどな」
「……」
気づかうような顔になっている。
おそらく正解だろう。
いや、俺自身、それが正解だとは思えないが……。
木下さんはウソをついている。
だが、彼女のウソだけで成立する話じゃない。
俺の記憶も曖昧なのだ。
彼女の背を押した瞬間だけは、克明に思い出せる。ただ、それ以前のことは、ぼんやりしていて、いまいち思い出せないのだ。記憶のピースが欠けている。それも、ごく重要なピースが……。
あたりは夜になっていた。
星空には、輪郭のハッキリしない満月がふたつ。
なにかがフラッシュバックしそうになって、しかし不発のまま消えた。
たまにこうなる。
本能が自分を守ろうとして、なかったことにしてしまうのだ。
だが、それがどんな記憶なのかは、残念ながら知ることができない。
ヒナゲシがぎゅっと胸元を抑えた。
「あの月、なんだか怖い……」
「同感だ」
俺はこの空を見たことがある。
実際のところ、月はひとつだった。
なのだが、焦点の定まらぬ目には、ふたつに見えた。
そしてあのとき、俺と同じように月を見ていた人間がもう一人。
どこかで水の音が聞こえた。
水路を流れる水のドボドボという音だ。
東北の、秋の、夜。
つめたくて重たい水が流れていた。
マキナ――。
あのとき死んだはずじゃなかったのか?
目的はなんだ?
復讐か?
誰に対して?
おそらく木下さんはすべて分かっている。
だから俺をここへ向かわせたのだ。
ドラゴンを殺すとか、世界を救うとか、金がどうだとか、そんなのは二の次だったのだ。いや、金は二の次ではないかもしれないが。とにかく真意はほかにあった。
父親の分からない子供。
死んだはずの子供。
彼女は水槽の中で、周囲に翻弄される無力な女を演じていた。
だが、無力などではなかった。
世界に戦いを仕掛けていた。
己のすべてを使って。
敵になるのか、その逆になるのかはまだ分からない。
ただ、いずれにせよ対話をしてから判断したい。
まずは会うところから。
その上で、もしたいした理由がないと判断すれば、そのときは、予定通りの仕事をさせてもらう。
だがもし彼女が正しいのであれば、他のすべてを裏切ってもいい。それだけの理由があるのならば。
どうせ気分でやっていることだ。
結論を出すときも気分でいい。
これはハナから正しさの話じゃない。
(続く)




