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ストリングス  作者: 不覚たん


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6/23

故人

 俺は十二番とともに歩き始めた。

 鬱蒼とした雑木林を抜けて、見知った住宅街へ。住宅街といっても大部分は家さえなく、正方形の空き地が広がっているだけだ。おそらくそこには家が建つはずだったのだろう。だが、人が来なかった。


 俺は溜め息をついた。

「この世界は……俺たちの世界を完全にトレースしてるのかな?」

 このなつかしい道を歩くのはつらい。

 悪いことばかり思い出す。


 彼女はかぶりを振った。

「いいえ。再現されているのは、誰かの記憶にある印象的なシーンだけです。印象の薄いエリアに入っていくと、景色も次第に曖昧になってきて、そのうち別の誰かのエリアに入っていきます」

「別の誰かって?」

「それは分かりません。知っている相手の場合もあれば、そうでない場合もあります」


 いわば思念の世界だ。

 夢の中の景色に近いのかもしれない。

 だとすれば、物理的な位置は、あまり意味をなさないのかもしれない。

 どこへ向かえばいい?


「なにもかもが、誰かの模倣子ミームで構築されてるってわけだ。なら、俺が強く念じれば、奇跡が起きたりするのかな?」

「難しいと思います。この世界を構成しているのは、あらゆる生命の体験の記録です。人間は空を飛べませんし、水に入れば窒息します。そういう、誰もが味わった現実の厳しさが、リアルな情報として蓄積しています。だから、物理法則は現実世界と同じだと思ったほうがいいです」

 世知辛いな。

 魔法でも使えればいいのだが……。


 道を歩いていると、そこらに謎のもやがかかっていた。

 いや、かかっているというより、かたまってもぞもぞ蠢いている。まるでなにか生き物みたいに。

「あれは?」

「見えませんか? イヌですよ」

「イヌ? 白いもやもやにしか見えない」

「もっと積極的に有機周波数を受け止めるようにしてみてください。きっと形がハッキリしてきますよ」

「そう?」

 まあ有機周波数とか言われても、俺にはほとんど分からないのだが。

 目をこらしても分からない。

「目ではなく、心を使ってください」

「簡単に言わないでくれ。どうすればいいのか分からない」

 イヌには見えない。


 ただ、ひとつ理解した。

 ここは人間だけの世界ではない。

 あらゆる生命の活動が、有機周波数として蓄積している。


 俺は思わず笑った。

「ダメだな。どう頑張ってもイヌには見えない」

「ポテンシャルはあると思うのですが……」

「俺の? それとも彼女の?」

 俺は指先で自分の胸を叩いた。

 いや胸ではなく、もっと腹に近い位置か。自分では正確な位置が分からないが。

 十二番はすました顔でうなずいた。

「その子です」

 まあそうだ。俺には素養などない。だからこそ、外部から移植されたのだ。


「この子が誰か分かるか?」

「個体の識別はできません。ただ、拒絶反応が出ていないところを見ると、母とあなたの子供なのかも」

「そうか……」

 聞かないほうがよかったかもしれない。

 俺が気絶している間に遺伝子をとられて、機械と薬で培養されたんだろう。夢に出てきた娘も、きっと彼女なんだろう。


 十二番は、しかし力なく溜め息をついた。

「でも、ごめんなさい。その子、もう亡くなってます……」

「えっ?」

「最低限の生命活動はありますが、あくまで内臓が機能してるだけ。脳は機能していないと思います」

「じゃあ、俺の娘は……」

「……」

 十二番は、その話はしたくないとばかりに、さっと目を反らしてしまった。

 なにかに気づいたのか?

 そもそも、俺はまだ夢の話を教えていない。ただ俺の体内に娘がいるという事実が判明しただけ。なのに、十二番は回答を拒否するかのように話題を打ち切ってしまった。

 じつは深刻な話なのか?


 俺は話題を変えた。

「けど、そうか。イヌもいるんだな。じゃあ、恐竜なんかもいたりしてな」

「昔はいたと思います。ただ、古い記録は、ほとんど成立しなくなってくるので……」

 そうだった。

 古い情報は、新しい情報に押しつぶされて劣化していくとかいう話だった。

「じゃあ、歴史上の人物なんかも、もう会えないわけか」

「はい。一部の例外を除いて」

「えっ?」

 一部はいるのか?

 彼女はまっすぐ前を向いている。冗談を言っているようには見えない。

「いちおう、いることはいるんです。たとえば、死を迎える前に、自力でここへ到達した人物。もちろんオルガンなんてありませんから、本当に自分の力だけで……」

「可能なのか?」

「声の素養が高ければ」


 おそらく女なのだろう。

 いまのところ、この能力を備えた男を見ていない。


「ちなみに、誰なんだ?」

「彼女は、自分をヒミコだと言っていました。本物という証拠はありませんが。素養があるのは間違いありません。長く生きていることも」

「……」

 まあ、ありえるのかもしれない。

 しかしヒミコとは……。

 急にそんなのに出てこられても、困る。

「会ったのか?」

「はい。彼女も、オルガンをどうにかしたいと考えているようでした。オルガンは、既存の秩序なんてお構いなしに機能しますから」

 そうか。

 遺伝子と模倣子を自在に変換するオルガンにとって、両者の壁は障害にもならない。俺たちの世界だけでなく、模倣子の世界にとっても有害だ。


 二つの世界は混ざり合うべきじゃない。

 どちらにとっても望ましくない結果をもたらす。

 少なくとも既存の権力基盤はゆらぐことになるから、権力者たちはその未来を歓迎しないだろう。

 俺は権力者の敵でも味方でもないが、ある日いきなりすべての枠組みがなくなるのは困る。変えたいと思ったら選挙に行く。オルガンは必要ない。


 *


 本当に、まったく気づかないうちに、いつの間にか景色が変わっている。

 見慣れた景色だ。


 俺たちは、埼玉有機周波数研究所のビルの前にいた。

 周囲には、白いもやがばーっと広がっていた。これは現実世界における信者たちの活動の余波なんだろう。

 それはいいが、もやじゃない人影まで現れた。


 えーと。


 俺は……これをどう受け止めればいい……の、だろうか……。


「おや、奇遇だね。こんなところで会うなんて。元気だったかな?」

「ええ」

 青白い顔の男に声をかけられて、俺は警戒しつつも返事をした。

 隣にいる小柄な女は、殺意にも似た感情を隠そうともしない。


 課長と、二番だ。


 課長が偽物なのは、理屈で分かる。だが、二番は? 秘書の話では、俺より先にここへ乗り込んだはず。そしてこの世界では死んでも生き返るそうだから、まあ、本物の二番なのだろう。


 二番がこちらへ銃口を向けてきたが、俺たちはそうしなかった。

 もし発砲してきたら銃弾を消す。

 それで済む。


 課長が顔をしかめた。

「二番ちゃん、なにやってんの?」

「課長、こいつら敵ですよ」

「敵じゃないよ。三番くんと、ヒナゲシちゃんでしょ?」

 ヒナゲシ?

 それが十二番の名前か?

 そういえば課長は、フィールドからエアダクトを使って、保育課とコンタクトをとっていたんだったか。


 二番は言った。

「課長、こいつら偽物ですよ」

「ダメだよ」

「近づいたら撃ちます」

「だから、ダメだよ。仲良くしなきゃ」


 ああ、課長だ。

 声も、雰囲気も、俺の記憶の中のそのまんま……。

 もやになっていて欲しかったのに。きっと二番の記憶と、俺の記憶が、課長の存在を確固たるものにしてしまっているのだろう。いますぐ記憶を失いたい。


 二番の呼吸は震えていた。

「三番くん、なにしに来たの?」

「オルガンの修理だよ」

「なにそれ? 1ミリもあたしに関係ないじゃん」

「ないのか?」

「どうでもいい」

「……」

 なぜこんなに攻撃的な態度なんだ?

 課長の死体を連れ歩ていることに後ろめたさでもあるのか?


「ほら、二番ちゃん。銃をおろして」

「はい……」

 課長に言われて、二番は渋々といった様子で銃をおろした。


 どこからどう見ても課長だ。

 ただ、やはり、どこかぼんやりとしている。有機周波数にも希薄さを感じる。


 二番はこちらへ背を向けた。

「ほら、もう行ってよ。二度と私たちの前に出てこないで」

「知るかよ」

「課長、行きましょう。あいつら、偽物ですから」

 だが課長は「そうなの?」となんとも言えない顔。


 俺は課長に頭を下げて、向きを変えた。

 きっと会わないほうがよかったんだろう。

 そもそも会うつもりもなかった。ただ、偶然会ってしまったのだ。いや、偶然ではなく、誰かの意図かもしれないが。

 この世界は、分からないことが多すぎる。


 *


 駅へ向かって歩き出した。

 通行人の姿はない。

 いや、あるのかもしれない。もやもやしている。人の姿はないのに、電車の走る音がする。店の前を通ると、いろんな曲がグチャグチャに混ざったような音がする。なにもかもが気持ち悪い。


「私、分かりますよ、二番さんの気持ち」

 十二番が、急にそんなことを言い出した。

「はい?」

「好きな人と、ずっと一緒にいたいって思いますから」

 本当に

 こんな世界に、ずっといたいのか?


 俺は逡巡したものの、しいてこう尋ねてみた。

「父親に会いたいか?」

 十二番はギロリと睨みつけてきた。

「そう聞こえましたか?」

「いや……」

「気づかないフリするの、やめてください。私、あなたと一緒にここにいたいって言ってるんです」

「ムチャ言わないでくれ。俺はここを好きになれない」

「なんですかそれ。好きな場所なんてどこにもないくせに」

「……」


 この女、いきなり急所を刺してきたな。

 相手が一番傷つくであろうことを。

 いや、本気で傷ついたわけじゃない。ただ、それは傷つけたくない相手に使っていい言葉じゃない。傷つけたいときに使う言葉だ。


 彼女は泣きそうな顔でこちらを向いた。

「ごめんなさい。いまのは……」

「いや、いい。誰しもミスをする。よくないのは、ミスをしたのに、ミスを修正しないことだ。特に、見て見ぬフリをするのは最悪だ。けどあんたは、言ってすぐ気づいて、訂正したじゃないか。ま、俺より賢いんだし、それくらいはお手の物か」

「……」

 いきなり理屈を並べ立てたせいか、彼女は黙ってしまった。

 本当は、怒っているかどうかを聞きたかったのだろう。その上で、許したのかどうかを。ところが、俺は理屈で流してしまった。


 正直、怒っても怒らなくてもいい。

 かなり失礼なことを言われた。お前には居場所がない、と。

 もしそこらのバカに言われたのなら、単に動物の「鳴き声」として処理していい。だが、彼女は違う。賢い。判断能力の高い人間の発言だ。余計に酷い。


 だが重要なことに、彼女にそれを言わせたのは俺だ。

 また父親の話を蒸し返してしまった。彼女にも怒る権利がある。


 俺はつい笑った。

「そんな顔しないでくれ。失礼なのはお互い様だ。だから、もうこの話はやめようぜ」

「はい……」

 不服そうだ。

 こうしてすねて不貞腐れているのを見ると、年相応という感じがする。実際、いくつなのかは知らないが。賢いから忘れそうになるが、どう見ても成人していない。


「しかしホントに、死んだ人間に会えるとはな……。なんで二番は、あんなに俺たちを遠ざけたかったんだと思う?」

「否定されるから……」

「なるほど」

 課長は、実在しないはずの人間だ。

 いつまたふっと消えてしまうかも分からない。

 だから、存在を否定されたくなかったのだ。ここでの死者の存在感は、生者の記憶に依存している。否定されたら存在感も揺らぐのかもしれない。


 ふと、十二番は足を止め、こちらへ向き直った。

「質問。三番さん、二番さんのこと、バカにできます?」

「は?」

「自分が同じ立場になっても、冷静でいられると思いますか?」

「さあな」

 べつに平気だ、と、答えたかった。

 だが、未来のことは断言できない。そのときになってみなければ分からないものだ。それに、いまここで正解を出す必要もない。質問の意図も不明。


 彼女は責めるような目になった。

「そのときになったら分かりますよ。自分という人間が、想定よりも弱いってこと」

「ま、参考にさせてもらおう」


 賢人は歴史に学び、愚人は体験に学ぶ。

 だが、現実はそんなにシンプルじゃない。

 他人のマネをしても失敗することはある。彼女の意見は参考にしたいが。いまいちよく分からないまま全肯定するわけにはいかない。


「で、本題なんだが。俺たちはどこへ向かうべきなんだ?」

 俺がそう尋ねると、彼女は力ない笑みを浮かべた。

「どこへでも。もう気づいていると思いますけど、私たちはどこへも行けないんです。この世界を楽しむしかありません」

「その事実には気づきたくなかったな」

 俺も笑った。

 だが、これは敗北感による笑みじゃない。「どこへも行けない」なんていつ確定した? 俺はまだこの世界を知らない。俺自身が認めるまでは、絶望も失望もする必要がない。


(続く)

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