故人
俺は十二番とともに歩き始めた。
鬱蒼とした雑木林を抜けて、見知った住宅街へ。住宅街といっても大部分は家さえなく、正方形の空き地が広がっているだけだ。おそらくそこには家が建つはずだったのだろう。だが、人が来なかった。
俺は溜め息をついた。
「この世界は……俺たちの世界を完全にトレースしてるのかな?」
このなつかしい道を歩くのはつらい。
悪いことばかり思い出す。
彼女はかぶりを振った。
「いいえ。再現されているのは、誰かの記憶にある印象的なシーンだけです。印象の薄いエリアに入っていくと、景色も次第に曖昧になってきて、そのうち別の誰かのエリアに入っていきます」
「別の誰かって?」
「それは分かりません。知っている相手の場合もあれば、そうでない場合もあります」
いわば思念の世界だ。
夢の中の景色に近いのかもしれない。
だとすれば、物理的な位置は、あまり意味をなさないのかもしれない。
どこへ向かえばいい?
「なにもかもが、誰かの模倣子で構築されてるってわけだ。なら、俺が強く念じれば、奇跡が起きたりするのかな?」
「難しいと思います。この世界を構成しているのは、あらゆる生命の体験の記録です。人間は空を飛べませんし、水に入れば窒息します。そういう、誰もが味わった現実の厳しさが、リアルな情報として蓄積しています。だから、物理法則は現実世界と同じだと思ったほうがいいです」
世知辛いな。
魔法でも使えればいいのだが……。
道を歩いていると、そこらに謎のもやがかかっていた。
いや、かかっているというより、かたまってもぞもぞ蠢いている。まるでなにか生き物みたいに。
「あれは?」
「見えませんか? イヌですよ」
「イヌ? 白いもやもやにしか見えない」
「もっと積極的に有機周波数を受け止めるようにしてみてください。きっと形がハッキリしてきますよ」
「そう?」
まあ有機周波数とか言われても、俺にはほとんど分からないのだが。
目をこらしても分からない。
「目ではなく、心を使ってください」
「簡単に言わないでくれ。どうすればいいのか分からない」
イヌには見えない。
ただ、ひとつ理解した。
ここは人間だけの世界ではない。
あらゆる生命の活動が、有機周波数として蓄積している。
俺は思わず笑った。
「ダメだな。どう頑張ってもイヌには見えない」
「ポテンシャルはあると思うのですが……」
「俺の? それとも彼女の?」
俺は指先で自分の胸を叩いた。
いや胸ではなく、もっと腹に近い位置か。自分では正確な位置が分からないが。
十二番はすました顔でうなずいた。
「その子です」
まあそうだ。俺には素養などない。だからこそ、外部から移植されたのだ。
「この子が誰か分かるか?」
「個体の識別はできません。ただ、拒絶反応が出ていないところを見ると、母とあなたの子供なのかも」
「そうか……」
聞かないほうがよかったかもしれない。
俺が気絶している間に遺伝子をとられて、機械と薬で培養されたんだろう。夢に出てきた娘も、きっと彼女なんだろう。
十二番は、しかし力なく溜め息をついた。
「でも、ごめんなさい。その子、もう亡くなってます……」
「えっ?」
「最低限の生命活動はありますが、あくまで内臓が機能してるだけ。脳は機能していないと思います」
「じゃあ、俺の娘は……」
「……」
十二番は、その話はしたくないとばかりに、さっと目を反らしてしまった。
なにかに気づいたのか?
そもそも、俺はまだ夢の話を教えていない。ただ俺の体内に娘がいるという事実が判明しただけ。なのに、十二番は回答を拒否するかのように話題を打ち切ってしまった。
じつは深刻な話なのか?
俺は話題を変えた。
「けど、そうか。イヌもいるんだな。じゃあ、恐竜なんかもいたりしてな」
「昔はいたと思います。ただ、古い記録は、ほとんど成立しなくなってくるので……」
そうだった。
古い情報は、新しい情報に押しつぶされて劣化していくとかいう話だった。
「じゃあ、歴史上の人物なんかも、もう会えないわけか」
「はい。一部の例外を除いて」
「えっ?」
一部はいるのか?
彼女はまっすぐ前を向いている。冗談を言っているようには見えない。
「いちおう、いることはいるんです。たとえば、死を迎える前に、自力でここへ到達した人物。もちろんオルガンなんてありませんから、本当に自分の力だけで……」
「可能なのか?」
「声の素養が高ければ」
おそらく女なのだろう。
いまのところ、この能力を備えた男を見ていない。
「ちなみに、誰なんだ?」
「彼女は、自分をヒミコだと言っていました。本物という証拠はありませんが。素養があるのは間違いありません。長く生きていることも」
「……」
まあ、ありえるのかもしれない。
しかしヒミコとは……。
急にそんなのに出てこられても、困る。
「会ったのか?」
「はい。彼女も、オルガンをどうにかしたいと考えているようでした。オルガンは、既存の秩序なんてお構いなしに機能しますから」
そうか。
遺伝子と模倣子を自在に変換するオルガンにとって、両者の壁は障害にもならない。俺たちの世界だけでなく、模倣子の世界にとっても有害だ。
二つの世界は混ざり合うべきじゃない。
どちらにとっても望ましくない結果をもたらす。
少なくとも既存の権力基盤はゆらぐことになるから、権力者たちはその未来を歓迎しないだろう。
俺は権力者の敵でも味方でもないが、ある日いきなりすべての枠組みがなくなるのは困る。変えたいと思ったら選挙に行く。オルガンは必要ない。
*
本当に、まったく気づかないうちに、いつの間にか景色が変わっている。
見慣れた景色だ。
俺たちは、埼玉有機周波数研究所のビルの前にいた。
周囲には、白いもやがばーっと広がっていた。これは現実世界における信者たちの活動の余波なんだろう。
それはいいが、もやじゃない人影まで現れた。
えーと。
俺は……これをどう受け止めればいい……の、だろうか……。
「おや、奇遇だね。こんなところで会うなんて。元気だったかな?」
「ええ」
青白い顔の男に声をかけられて、俺は警戒しつつも返事をした。
隣にいる小柄な女は、殺意にも似た感情を隠そうともしない。
課長と、二番だ。
課長が偽物なのは、理屈で分かる。だが、二番は? 秘書の話では、俺より先にここへ乗り込んだはず。そしてこの世界では死んでも生き返るそうだから、まあ、本物の二番なのだろう。
二番がこちらへ銃口を向けてきたが、俺たちはそうしなかった。
もし発砲してきたら銃弾を消す。
それで済む。
課長が顔をしかめた。
「二番ちゃん、なにやってんの?」
「課長、こいつら敵ですよ」
「敵じゃないよ。三番くんと、ヒナゲシちゃんでしょ?」
ヒナゲシ?
それが十二番の名前か?
そういえば課長は、フィールドからエアダクトを使って、保育課とコンタクトをとっていたんだったか。
二番は言った。
「課長、こいつら偽物ですよ」
「ダメだよ」
「近づいたら撃ちます」
「だから、ダメだよ。仲良くしなきゃ」
ああ、課長だ。
声も、雰囲気も、俺の記憶の中のそのまんま……。
もやになっていて欲しかったのに。きっと二番の記憶と、俺の記憶が、課長の存在を確固たるものにしてしまっているのだろう。いますぐ記憶を失いたい。
二番の呼吸は震えていた。
「三番くん、なにしに来たの?」
「オルガンの修理だよ」
「なにそれ? 1ミリもあたしに関係ないじゃん」
「ないのか?」
「どうでもいい」
「……」
なぜこんなに攻撃的な態度なんだ?
課長の死体を連れ歩ていることに後ろめたさでもあるのか?
「ほら、二番ちゃん。銃をおろして」
「はい……」
課長に言われて、二番は渋々といった様子で銃をおろした。
どこからどう見ても課長だ。
ただ、やはり、どこかぼんやりとしている。有機周波数にも希薄さを感じる。
二番はこちらへ背を向けた。
「ほら、もう行ってよ。二度と私たちの前に出てこないで」
「知るかよ」
「課長、行きましょう。あいつら、偽物ですから」
だが課長は「そうなの?」となんとも言えない顔。
俺は課長に頭を下げて、向きを変えた。
きっと会わないほうがよかったんだろう。
そもそも会うつもりもなかった。ただ、偶然会ってしまったのだ。いや、偶然ではなく、誰かの意図かもしれないが。
この世界は、分からないことが多すぎる。
*
駅へ向かって歩き出した。
通行人の姿はない。
いや、あるのかもしれない。もやもやしている。人の姿はないのに、電車の走る音がする。店の前を通ると、いろんな曲がグチャグチャに混ざったような音がする。なにもかもが気持ち悪い。
「私、分かりますよ、二番さんの気持ち」
十二番が、急にそんなことを言い出した。
「はい?」
「好きな人と、ずっと一緒にいたいって思いますから」
本当に
こんな世界に、ずっといたいのか?
俺は逡巡したものの、しいてこう尋ねてみた。
「父親に会いたいか?」
十二番はギロリと睨みつけてきた。
「そう聞こえましたか?」
「いや……」
「気づかないフリするの、やめてください。私、あなたと一緒にここにいたいって言ってるんです」
「ムチャ言わないでくれ。俺はここを好きになれない」
「なんですかそれ。好きな場所なんてどこにもないくせに」
「……」
この女、いきなり急所を刺してきたな。
相手が一番傷つくであろうことを。
いや、本気で傷ついたわけじゃない。ただ、それは傷つけたくない相手に使っていい言葉じゃない。傷つけたいときに使う言葉だ。
彼女は泣きそうな顔でこちらを向いた。
「ごめんなさい。いまのは……」
「いや、いい。誰しもミスをする。よくないのは、ミスをしたのに、ミスを修正しないことだ。特に、見て見ぬフリをするのは最悪だ。けどあんたは、言ってすぐ気づいて、訂正したじゃないか。ま、俺より賢いんだし、それくらいはお手の物か」
「……」
いきなり理屈を並べ立てたせいか、彼女は黙ってしまった。
本当は、怒っているかどうかを聞きたかったのだろう。その上で、許したのかどうかを。ところが、俺は理屈で流してしまった。
正直、怒っても怒らなくてもいい。
かなり失礼なことを言われた。お前には居場所がない、と。
もしそこらのバカに言われたのなら、単に動物の「鳴き声」として処理していい。だが、彼女は違う。賢い。判断能力の高い人間の発言だ。余計に酷い。
だが重要なことに、彼女にそれを言わせたのは俺だ。
また父親の話を蒸し返してしまった。彼女にも怒る権利がある。
俺はつい笑った。
「そんな顔しないでくれ。失礼なのはお互い様だ。だから、もうこの話はやめようぜ」
「はい……」
不服そうだ。
こうしてすねて不貞腐れているのを見ると、年相応という感じがする。実際、いくつなのかは知らないが。賢いから忘れそうになるが、どう見ても成人していない。
「しかしホントに、死んだ人間に会えるとはな……。なんで二番は、あんなに俺たちを遠ざけたかったんだと思う?」
「否定されるから……」
「なるほど」
課長は、実在しないはずの人間だ。
いつまたふっと消えてしまうかも分からない。
だから、存在を否定されたくなかったのだ。ここでの死者の存在感は、生者の記憶に依存している。否定されたら存在感も揺らぐのかもしれない。
ふと、十二番は足を止め、こちらへ向き直った。
「質問。三番さん、二番さんのこと、バカにできます?」
「は?」
「自分が同じ立場になっても、冷静でいられると思いますか?」
「さあな」
べつに平気だ、と、答えたかった。
だが、未来のことは断言できない。そのときになってみなければ分からないものだ。それに、いまここで正解を出す必要もない。質問の意図も不明。
彼女は責めるような目になった。
「そのときになったら分かりますよ。自分という人間が、想定よりも弱いってこと」
「ま、参考にさせてもらおう」
賢人は歴史に学び、愚人は体験に学ぶ。
だが、現実はそんなにシンプルじゃない。
他人のマネをしても失敗することはある。彼女の意見は参考にしたいが。いまいちよく分からないまま全肯定するわけにはいかない。
「で、本題なんだが。俺たちはどこへ向かうべきなんだ?」
俺がそう尋ねると、彼女は力ない笑みを浮かべた。
「どこへでも。もう気づいていると思いますけど、私たちはどこへも行けないんです。この世界を楽しむしかありません」
「その事実には気づきたくなかったな」
俺も笑った。
だが、これは敗北感による笑みじゃない。「どこへも行けない」なんていつ確定した? 俺はまだこの世界を知らない。俺自身が認めるまでは、絶望も失望もする必要がない。
(続く)




