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ストリングス  作者: 不覚たん


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5/23

ウソつき

 彼女は顔をあげ、涙をこぼしたまま、こちらへ近づいてきた。

 一歩、二歩。

 どこまで近づいてくる気なのか分からなかった俺は、素直に言えば「恐怖した」。接近スピードから推測すると、こちらへ身をあずけてくる可能性があった。

 俺は生身の女には触れたくなかった。それがこの模倣子ミームの世界であっても、だ。頭がどうにかなるくらい好きだった女を、崖から突き飛ばしたときの記憶がフラッシュバックする。世界のすべてを拒絶して、殻に閉じこもりたくなる。たとえば雨に閉ざされた子供部屋のように。


 だが、避けることもできなかった。

 もし俺が受け止めなかったら?

 彼女は行き場を失ってしまう。


 予想通り、彼女は身をあずけてきた。

 まったく攻撃性のない、柔らかい、体温のある肉体。

 それでも鳥肌が立った。


 ところが彼女は、俺の予想した理由で抱き着いてきたのではなかった。すぐにすっと距離を取り、こう言ったのだ。


「誰ですか?」


 質問の意図は分かった。

 俺の体内には、俺じゃない誰かがいる。そいつは人間の体をしていない。必要な部分だけ摘出されて、パッケージングされている。


「俺も知らない」

「なら、そこに姉妹を入れたのは、他人の意思ってことですね」

「姉妹?」

 いちおう聞き返したものの、答えはもう分かっていた。

 十二番の姉妹。つまりは木下沙織の娘だ。父親は不明。例によってどこかの誰かだろう。

 十二番も答えなかった。

「またあの女の計画ですか?」

「まあ、そうなるな……」


 すると彼女は、今度は力強くこちらを突き飛ばしてきた。

「なんで!? なんでいっつもそうなんですか!? どうせここへ来たのもあの女に言われたからなんでしょう!?」

「そうだ」

「なんで!? 答えてください! なんでそうまであの女の命令に従うんです!? もう償いはしましたよね? みんな自由になったんですよね?」

 余計に泣かせてしまった。


 俺はすっと空気を吸い込んだ。

 ああ。

 ここは……当時の空気のままだ。模倣子の世界だから、現実の世界とは違う。なのに……いや、だからこそ、すべてが当時のまま保存されている。不快になるほど完璧に。

 湿った雑木林のにおいだ。樹木のにおいなのか、雑草のにおいなのか、腐葉土のにおいなのかは分からないが……。大自然の空気は、必ずしも爽快ではない。場所によっては、こういう雑多なにおいがする。


「彼女は自由だ。けど、俺は違う」

「なんで……ですか……?」

 もう声を張り上げる力すら失った様子だった。

 こちらが亡霊みたいな返事ばかりしているせいだろう。

「俺がそう望んだからだ」

「くだらないですよ、そんなの……」

「誰かにとってはそうなのかもな。俺にとってはそうじゃないが。ま、執着ってのはそういうもんだ」

 すると彼女は、前髪の隙間から、血走った眼をこちらへ向けてきた。

「おかしいですよ。ここを出たら、私、あの女を殺すかも」

「やめてくれ」

「あなたを自由にするには、それしかない」

 おそらく本気ではないだろう。

 それはなんとなく分かる。


 分からないのは、別の問題だ。

 彼女は、俺を恨んではいないのだろうか?

 父親を殺したのに?


「俺は自分の意思でこれをやってるんだ」

「ウソつき」

「ウソじゃない。昨日か今日出した結論でもない。人生の大半をかけて出した結論だ」

「そうやって操り人形みたいに生きていくつもりですか?」

「そうだな。けど、反論する前に聞いてくれ。俺は、彼女の件で、あまり自我を出したくないんだ。自我を出すと……また彼女に致命傷を与えることになるからな。あの女はアバズレだ。誰とでもヤる。俺以外の誰とでも。頭がおかしくなるよ。本当に。ぶっ殺したくなる。全然直ってないんだ。けど、それがなんだっていうんだ? そんなの、もともと彼女の自由だろ? おかしいのは俺のほうなんだ。俺は許されないことをした。俺の命は、あの女のものだ」

「バカですよ……そんなの……」


 おそらく彼女が正しい。

 バカなのだ。

 はじめに極端なことをして、その結果をカバーするため、また極端なことをしている。


 この世には、キャバクラに財産を継ぎ込む男がいる。

 ホストに金をみつぐ女もいる。

 俺はそいつらをバカだと思って眺めていた。

 だが、同じだ。

 俺はずっと同じ女に執着し続け、人生のあらゆる時間を捧げてきた。見返りも求めた。最初は身体を欲した。いまは……きっと許しを欲している。言葉だけでなく、本当の許しを。それがなんなのか自分でも分かっていないのに。


 俺は朽ち錆びたロッカーに腰をおろした。

「ま、座って話そうぜ」

「はい……」

 彼女も隣に来た。


 急に思い出した。

 この横倒しになったロッカーは、俺と木下さんの特等席だった。

 ここに座り、日が落ちるまでずっと話をした。クラスメイトの誰がどうしたとか、テレビの話とか、漫画の話とか。

 彼女の話はつまらなかった。きっと彼女も、俺の話をつまらないと思っていたはず。

 それでも、一緒にいたかったから、いた。


「例の秘書が、あんたらをここに送ったって話は聞いた。もう部下でもないのに、なぜ命令に従ったのかは分からないが」

「命令ではなく、業務として来ました」

「オルガンの修理?」

「そうです。でも、修理を望んでいるのは間宮そーらーだけ。もっと悪い大人たちは、オルガンの破壊を望んでいます。証拠を隠滅したいんです。手に負えなくなってしまったから……」


 ワームホールが開いたままだと、いずれ遺伝子ジーン模倣子ミームの世界がゴチャゴチャに混ざり合ってしまう。

 既存の法則が通じなくなる。

 世界秩序が一変する。

 それは大災害とイコールだ。

 事の重大さに気づいていないのは、間宮そーらーと無邪気な信者フォロワーだけ。

 その背後にいる連中、つまり秘書やその上司、新たな出資者たちは、一線を超えてからヤバさに気づいたのだ。オルガンは邪魔になった。


「俺も同じ依頼を受けた。協力できると思う」

「もちろんそのつもりです」

 言葉は強い。

 だが、彼女の態度はそうではなかった。有機周波数にも乱れがある。

「なにか懸念が?」

「懸念だらけです……。きっと逃げ出したくなりますよ。ここは耐えがたいことの連続です」

「具体的には?」

「死んだはずの人間が現れます……」


 死んだはずの人間が、現れる。


 記憶の中にある顔が、次々と思い浮かんだ。

 最初は天使ちゃん、そして業務で命を奪った名も知らぬ人々、課長、データ観測室の室長、オニゲシ、オルガンに消された警察官、カナリア、五代大。

 そいつらが、ここにいる……。


 十二番は指で涙をぬぐった。

「基本的には偽物です。この世界には、現実界の模倣子が蓄積していますから。それがひとつにまとまって、生きているように見えているだけ。実際は、ほとんど残像のようなものなのに。でも、この模倣子の世界では、私たちもまた模倣子ですから……互いに触れ合うことができてしまう」

「えっ? あんたはホンモノだよな? 俺も本物だけど……どう説明すれば?」

「大丈夫です。存在がしっかりしてますから」

「残像は違うのか?」

「相手によります。見ず知らずの人なら、ぼんやりした霧みたいなものとして認識されます。でも知っている人なら……こちらの認知に反応して、しっかりした存在に見えてしまいます。有機周波数に敏感な存在なら、特にその傾向は強くなって……」


 きっと彼女は誰かに会ったのだ。

 だから泣いていた。


「望まぬ相手と再会する可能性があるってわけか」

「その逆も……」

「逆?」

 望んだ相手にも会えるのか?

 だとしたら、天使ちゃんと再会することも可能ということなのか?


 彼女はかぶりを振った。

「とにかく、ここはなにもかもが異常です。死んでも生き返りますし」

「えっ?」

「じつは私、いま死んで生き返ったばかりなんです」

「誰に……殺されたのかを聞いても?」

「オニゲシです……」


 オニゲシは十二番の姉妹だ。

 それも父母が同一の。

 つまりどちらも、木下沙織と五代大の遺伝子を受け継いでいる。特に説明の要らない姉妹。

 そして一方は生き延び、一方は死亡した。殺したのは俺だ。オニゲシは、自分を茨城の研究所に送った十二番を恨んでいた。


 俺はつい溜め息をついた。

「悪かったな」

「もう謝らないでください。私の望んだことです。本来なら私が自分でやるべきだったのに、あなたにやらせてしまった」

 そうかもしれない。

 それでも事実として、俺は、彼女の家族を二人も射殺してしまった。あのときは必死だった。いま思い返すと……。いや、他に選択肢はなかった。それでも、もっとうまくやれたのではないかと自問自答してしまう。


 空気が悪くなったと思ったのか、彼女は話題を変えてくれた。

「もう一点。ここで遭遇するのは、死んだ人間だけではありません。私たちみたいに、生きたまま模倣子になった人間とも遭遇すると思います」

「えっ? あ、そうか。そうだな。じゃあ、カナリアは……」

「います。ただ、喉を失ったまま転送されたので……」


 想像したくもない。

 たしかに、彼女がオルガンに消されたとき、喉の機械だけが現場に残された。つまり彼女は、喉のパーツを欠いた状態でここへ送られたのだ。組織が開発したオルガンは、まだ無機物に対応していなかった。

 いや、それだけじゃない。

 俺たちに情報をくれた元警察官は、四肢を置き去りにしたまま消された。


 オルガンは人を幸せにしない。

 少なくとも未調整のまま使っていい機械ではなかった。


「ま、ともかく、だ。俺たちはオルガンを壊せばいい。修理する必要もない。そう考えれば、少しは楽になる。問題は、もとのハードルが限りなく高いってことだが」

「はい。きっと不可能だと思います」

「はい?」

 いま、さらっとおかしなことを言ったな。

 不可能?

 なぜ断言できる?


 十二番はもう泣いてはいなかった。その代わり、達観したような、諦めきったような表情で、はるか遠くを見つめていた。

「彼女は、もう神のような存在になってしまいました」

「彼女って? いったい誰のことを言ってるんだ?」

「教えません。でも、お手伝いしますよ。あなたにはそれをする理由がありますから」

「隠し事はナシにしようぜ」

「時期が来たらお話しします。そのほうが作戦の成功率があがるので」

 彼女はクレバーだ。少なくとも俺より情報を持っている。その人間が「成功率があがる」と言っているのだから、おそらく事実なんだろう。

 事実でなければ、ただのウソつきということになる。


「分かった。信じよう」

 信じていないのにこんな言葉が出た。

 俺もウソつきだ。

 もちろん互いにウソだと分かっているのに、それでよしとしている。これはある種のゲームだ。違反が発覚するまでは知らないフリをする。しかし発覚した時点で、互いに罰し合う。

 法律の問題じゃない。気分の問題だ。

 俺たちは気分で生きている。


(続く)

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