ワームホール
俺と秘書だけでエレベーターに乗った。
押されたボタンは「F」。
地下の「フィールド」だ。
ゆっくりと下降を始めた箱の内で、秘書はこちらも見ずにつぶやいた。
「よくここに顔を出せましたね。あなたのせいで、ひどい目に遭いました」
まあそうだ。
悪の組織が終焉を迎えたあの日、現場へ出動した部長に代わり、彼女はオペレーションの統括をやらされていた。そして俺は、彼女をあざむきながら行動した。
「俺の意思じゃない」
様々な感想を飲み込んで、俺は事実だけを伝えた。
秘書は遠慮もなく盛大な溜め息だ。
「御神体の言いなりですか?」
「ほとんど飼い犬に近いな。いや、ペットなら飼い主も一緒に来るから、それ以下かもしれない。つまりは、あれだ、ロボット掃除機だ」
「それが贖罪のつもりだと?」
「おそらくね」
だが俺自身、彼女の件については考えすぎておかしくなっているから、それがもともとなんだったのか規定できない状態になっている。よくよく考えた上で行動しているとは言えない。スイッチを入れられたらその通りに動くだけの機械だ。
秘書は、するとようやくこちらを向いた。眉をひそめてはいるが、睨んでいるというよりは、なんらかの不快感に耐えている様子だ。
「私は、あなたを許そうとは思えません。ですが、それでもあなたに頼らざるをえないという事実を否定するつもりはありません」
「許さなくていい。そもそも『許す』なんて概念は、本当は存在しないんだ。大抵の場合は都合よく忘れてるか、あるいは善意で蒸し返さないだけだからな」
「なにを偉そうに……」
「できれば俺以外のヤツに依頼したかったんだろう? 俺なんかより頼れるヤツはいっぱいいるわけだしな」
専門性の高い仕事は、専門業者にやらせるべきだ。俺は見よう見まねで何回か銃を撃ったことがあるだけの一般人だ。金を払って雇うほどの経験者じゃない。
彼女はすっとメガネを押しあげた。
「頼れる人間は、全員失敗しました」
「はい?」
「本当はこんなこと教えるべきではないのですが。すでに何名か派遣して、そのまま……」
「帰ってこない、と?」
俺の問いに、彼女は力なくうなずいた。
道理で弱気なわけだ。
俺はつい笑ってしまった。
「居心地がよすぎて定住したのかも」
「一人か二人ならともかく、全員が帰還しないなんてことがあると思います?」
「さあね……」
反応が辛辣すぎる。
俺の予想が外れているのだとしたら、みんな死んだということになる。それも一人や二人ではなく。
俺は壁に寄りかかり、こう尋ねた。
「それで、誰が行ったんだ?」
「元一課のザ・チャリオット、同じくザ・フール、そして元三課の二番と十二番、ほかにもいろいろ」
「全員俺より優秀なはずだが?」
「ナチュラルではそうかもしれません。しかしあなたには小型のオルガンが移植されてますよね?」
「知ってたのか……」
「そうでなければ依頼しません」
情報を持っていないのは俺だけだ。
あまりにも不公平だし、なにより気の毒じゃないか?
「で、先発隊の皆さんは、仲良く一緒に出発したのかな? それとも一人ずつ?」
「彼らが誰かと協力できるタイプだと思います? 当然、一人ずつです」
戦力を逐次投入したわけだ。
あきらかな愚策。
誰かと協力できるタイプじゃないのは分かる。だが、それなら調整役を用意すればいい。そいつはリーダーである必要さえない。とにかく全員の機嫌をとっていればいい。
「俺のオルガンでワームホールを消せないのか?」
「そんな小型のオルガンで? それに、ワームホールは周波数が複雑で……現在の技術では特定できません」
「特定できないのにコールできたのか?」
「ふざけて風船に針を指したら、中から理解不能なものが飛び出してきたようなものです。よくあることでしょう」
そうだ。
きっかけがシンプルでも、その後の状況が混沌を極めることは、まれにある。
化学薬品工場や、弾薬庫では、タバコの不始末で大爆発が起こることもある。
今回の一件も、本来ならそれくらい派手な事故なのだ。
*
エレベーターが停止し、フィールドに出た。
だが、俺の記憶にある景色とはだいぶ異なっていた。
かつて、そこにはミニチュアの自然環境があった。
人工の太陽が昼と夜を演出し、小川の流れる草原があり、鳥や獣も放たれていた。ついでに人間も放り込まれた。
周囲は透明な強化ガラスで覆われており、外部から観測できるようになっていた。
人間を意図的に殺害すると、天からエコーがある。だが自然死の場合はどうなる? そういったもろもろを観測するための設備だった。偶発的に自然死に立ち会うのは難しいが、このエリアの中でシミュレートすれば観測しやすくなるというわけだ。
だがいまは……。
透明だったガラスには、薄いピンク色の粘膜がびっちりと張り付いており、内部を見通せなくなっていた。しかもそいつは生きているらしく、常に脈動している。
「このグロテスクな……膜はなんなんだ?」
「ワームです」
まあそうなのだろう。
他のなにかだったら逆に怖い。状況がややこしくなるし、俺の仕事も増える。
そいつはフィールドの内側にくまなく張り付いていた。かすかにうっすら透けて見えるから、だいぶ薄いのだろう。まるで風船だ。
「無害そうに見えるが?」
「これ自体はそうです。ただし、密閉していないと際限なく膨張します。強化ガラスなのでなんとかもっていますが……いつまで無事でいられるかは……」
「殺せないのか?」
「火炎放射器や毒などを試しましたが、どれも効果はありませんでした。いえ、効果はあったのですが、信じられない回復力でもとに戻ってしまうので」
「だから中に入ってオルガンでなんとかするしかない、ってわけか……」
出現したのがフィールド内でよかった。
だが、フィールド内部でそれが起きたということは……。ここのカルトどもは、フィールドで野性のヒトを玩具にして遊んでいたことだ。そんなクソ野郎どもの尻拭いをするハメになるとは。
「じつは無償労働なんだが……」
俺がそう告げると、彼女は面倒そうに眉をひそめた。
「それはこちらの知ったことではありません。成功報酬は指定の口座に振り込まれることになっていますし、もし死亡した場合でも、弔慰金を支払うことになっています」
「その金は、誰が受け取るんだ?」
「御神体でしょうね」
成功しても失敗しても、金は木下さんに行くというわけだ。
彼女にはそれをする権利がある。
俺は話題を変えることにした。
「ところで、外にいた観光客たち……。あれはどうするつもりなんだ?」
「なにがです?」
彼女は不快そうにメガネを押しあげた。
なにを言われるのか理解したから、俺を黙らせようとしたのかもしれない。それでも俺は、親切にもすべてを説明してやることにした。
「あいつら、事実を誤認したままあそこに集まってるぜ。来もしない奇跡を待ってる」
「それが?」
「ここにいるのは神でもないし、奇跡も起きない。それを公式に発表してやったらどうだ? 敷地に入られて迷惑だろ? それとも、誤解を誤解のままにしておきたい理由でもあるのかな?」
「言いがかりですね」
「よくある構図だ。公式がなにも言っていないのに、ある日突然インフルエンサーがデマを吹かすんだ。するとそのデマは、さも公式情報かのように伝播してしまう。ここには神も奇跡もあるというウソの情報が流布されるわけだ。人々は組織に心酔するだろう。そうして信者が増えると、さらに信者が増える。ロクに中身も検証されないまま、なんだかよさそうなものとして広まるんだ。かくしてカルトはデカいツラをして、堂々と活動するようになる」
返事は盛大な溜め息だった。
「依頼と無関係なお喋りはご遠慮願います」
「俺はこう見えて善人じゃない。気乗りしない仕事をさせれば、あんたらの望まない結果になるぞ」
「望まない結果?」
「いや……。なんでもない」
強気に聞き返されて、おじけづいたわけではない。
彼女は腐ったような笑みを浮かべていた。
おそらく、オルガンが破壊されても構わないと考えている。すでに手に負えなくなっているから、破壊してでも止めて欲しいというわけだ。直して欲しいと思っているのは、上でギャーギャー喚いていた間宮そーらーだけ。
「中に入ったら、なるべく急いで中央へ進んでください。すぐにドアを閉めます」
「了解した」
細胞膜ごしにも、うっすら地面は見える。
だが上部は……なにやら蜃気楼のように揺らめいて見えた。
あそこから吸い込まれてどこかへ行くのか。
恐怖はある。
その一方で、死なないという確信もあった。
有機周波数を受信できるようになったおかげか、見なくてもいろいろ理解できるようになっていた。いや、俺が理解しているというよりは、ワームホール自体が情報を伝えてくれているのだ。あちら側にも世界はある。先発隊も死んではいない。たぶん。
ドアにも膜がはられていたが、特に力も使わず押し開けることができた。薄いだけあって破れやすい。そしてすぐ再生する。
俺がフィールドに足を踏み入れると、秘書はムキになってドアを閉めた。もう二度と帰ってくるなという顔をしていた。
さて、フィールドだ。
外から見たことはあるが、入ったのはこれが初めて。
周囲はピンク色の……。
いや。
針葉樹がまばらに生えている。
草むらには、不法投棄されたとしか思えないデスクや、乗り捨てられてボロボロになった車。
こんなもの、フィールドにあっただろうか?
違う。
ここは俺が小学生のころ、木下さんと会っていた場所だ。
もう、転移が完了したのか?
あっち側に?
振り返ってもドアはない。雑木林が続いているだけ。
転移するときになにか衝撃や予兆があると思っていたのに、まったく違和感もなく完了してしまった。オルガンで消された人間たちも、こんな感覚だったのだろうか。
それにしても、なぜ俺の地元に?
心象風景が再現されたのか?
だとすれば、この先に崖があるはず。
かつて木下さんを突き飛ばした崖が。
はるか下方には、冷たい水が、ゴボゴボと音を立てて流れている。
だが、俺が出くわしたのは予想外のものだった。
少女がうずくまって泣いていた。こちらに背を向けているから、顔は見えない。それでも、彼女が何者なのかはすぐに分かった。
彼女も俺の気配に気づいたのだろう。
涙で目を赤くして、憔悴しきった顔でこちらを見た。信じられないような顔をしていた。
「久しぶりだな。なにかお困りかな?」
「なんで……」
「仕事だよ。なにせ俺には選択肢がないからな。命令されたら、従うしかない」
すると彼女はふらつきながらも立ち上がり、こちらへ近づいてきた。
「もう会えないと思ってました……」
「まあ、俺も……。合わせる顔がないとは思ってた」
「なんで?」
「あんたの父親を殺したからな」
彼女は五代大の娘だ。
以前は、十二番と呼ばれていた。
(続く)




