異教徒
かつて勤務していた建物は、カルトの聖地と化していた。
凸型の建造物だ。中央だけ高い塔のようになっており、他は左右に広がっている。地下にも広大な設備があるが、それは外からは見えない。
見えない、といえば、なにか内部で巨大なものが蠢いている気配がある。
なにか――。
そうはぐらかすのも白々しいか。おそらくオルガン関連のものだろう。
俺の機械は、有機周波数の受信に特化されているわけではないが、どうしても嫌な気配を受信してしまう。
まあいい。
問題は、観光客の多さだ。動物園より、よほど混雑している。
いや、観光客というより、信者なんだろう。間宮を名乗るインフルエンサーがこの建物を占拠しており、中でオルガンを使って好き放題に遊んでいる。
ここに神が現れる――。
なにか奇跡が起こる――。
特にそんなことは約束されていないのに、どこかの誰かが言い始めたのを真に受けて、愚民どもが集まってきてしまった。いちおうの根拠がないわけではない。無に見える空間から生命が誕生したのは事実だし、それは過去に例のないことだった。なにかが起こる前兆と考えても不思議ではない。
「ねえ、そのカッコやめたら? かなり恥ずかしいんだけど」
「気にすることはない。俺たちは異教徒なんだ。異教徒らしいカッコをするのに、人の目を気にする必要はない」
とはいえ、木下さんが苦情を言ってくるのもムリのない話だった。
俺はいま、頭にアルミホイルを巻いている。
べつに本気で電磁波を避けたいわけじゃない。そもそも、ここでの問題が電磁波じゃないくらい分かっている。ただ、ここにいるカルト支持者にユーモアを与えたかっただけだ。
周囲の連中も「なんだあいつ」とか「ダサ」「マジか」などと言っている。
他人のおかしさには気づけるのに、自分のおかしさには気づけないのだ。こんなところに神などいないし、奇跡に救われることもないというのに。
裸の王さまが、裸の王さまを見て笑っているのだ。
「てっきり解体されたと思ってたんだけどな」
「解体されたのは組織だけ。そんなすぐ建物まで解体されるわけないでしょ」
「確かに」
解体されたという言葉を信じていた自分がバカだった。
それだけじゃない。建物だけでなく、カルトの精神まで温存されていた。やはりオルガン本体を破壊しなければならなかった。
いや、当時の計画では、オルガン本体も消滅するはずだったのだが……。
*
センターの入口に近づくと、警備員に止められた。
黒の制服などを着て、さも自分は関係者ですみたいなツラをしているが……。こいつがたいした経験もないトーシロだということは知っている。
「はは、ホントに来たわ。死んだかと思ったのに」
むかし新人として三課に入ってきたキノコ頭だ。
番号は十番。
俺に足を撃たれ、そのあと五代の別荘で二番にも撃たれた。てっきり死んだものだと思っていたが。
「中に用があるんだけど、通してもらっても?」
俺がそう告げると、彼は返事もせずにスマホで誰かに連絡をとり始めた。
木下さんは肩をすくめた。
「完全にナメられてるわね」
「俺もあんたも、もうここの人間じゃないんだ。丁重な対応は期待しないほうがいい」
古巣に上司ヅラで入っていくつもりはない。
関係はフラットでいい。
エントランスから男が出てきた。
やはり見知った顔だ。
「兄貴、お待ちしてました」
金髪にサングラスの若者だ。
番号は六番。
「兄貴じゃないよ」
「兄貴ですよ、自分にとっては」
彼は木下さんにも頭をさげた。
こちらはたいした世話もしていないのに、勝手に恩を感じてくれている。悪い気はしないが……。
「どうぞ、こちらです」
意外と丁重な扱い。
こちらを敵だと認識していないのか?
やはり、どこかで話がついている……?
エントランスのそこかしこには、黒い制服の警備員が立っていた。拳銃を所持している。あきらかに銃刀法違反だが……。
まあ、いまさらかもしれない。
ここはいまだに法の及ばぬエリアなのだろう。きっと政治家が絡んでいる。資産家も金を供出している。俺たちが半年前に命がけで破壊したものは、もうすっかりもとの姿に戻っているようだ。
巨大エレベーターに乗り込むと、六番は最上階のボタンを押した。
かつて「宝物殿」と呼ばれていた場所。
「久しぶりだね。元気だった?」
俺がそう尋ねると、彼は「っす」と苦い笑みを浮かべた。
「まあ、いろいろあって」
「転職しなかったの?」
「自分、ここが性に合ってるんで」
そういう人間もいるだろう。
スコーピオもそうだった。もとは警察のスパイだったのに、ここでの生活を気に入ってしまい、もはやスパイ活動を放棄していた。
「ところで兄貴、頭のやつ……。それなんですか?」
「ファッションだよ」
「さすがにダサくないすか?」
「いいんだよ」
いいんだ。
分かってやってるんだ。
*
エレベーターが停止し、ドアが開くと、またしても見知った顔に出くわした。
例の秘書だ。
メガネをかけて、髪をひっつめにした厳しい表情の女。いや表情が厳しいのは俺がいるせいか。細身のスーツをひとつも崩さず着こなしている。
「どうぞお進みください」
彼女はそれだけ告げた。
言葉にうんざりした溜め息が混じっていたような気もするが、気づかなかったことにしよう。
赤い絨毯。
重厚な木製のドア。
見た目は当時のままだ。
俺は三度ノックし、「失礼します」とドアを開けた。
中にいたのは、一人の少女。
いや、少女ではなく、大人なのかもしれない。分からない。AIで生成された絵みたいな、やたらパキッとした顔立ち。アイドルのテンプレ顔とでも言おうか……。
「あ、入って」
鼻にかかったような声で、そいつは言った。
木下さんは遠慮もなくソファに腰をおろした。
「この子が間宮そーらー。あなたも知ってる間宮の分家の娘。『声』が聞こえるのをいいことに、教祖じみた活動で信者を増やしてるカルトよ」
「は? オバさん、なんか態度デカくない? そーらーさん、な?」
そーらーさんは仏頂面で反論してきた。
正直、関わり合いたくないタイプだ……。
俺はソファに腰をおろさず、歩を進めた。
「敵ではない、という認識でいいのかな?」
「先に自己紹介しろよ」
「……」
若くして「成功」すると、こういう万能感に支配された人格になるのかもしれない。
「おっと失礼。まあ、そうだな。三番とでも呼んでくれ。それで、話の続きなんだが。あんたは敵なのかな? 味方なのかな?」
「え、待って! 話が違うっしょ!」
こちらが頭に銃口を向けると、さすがに敬意を払う気になってくれたようだ。
「話が違う? どんな話だったんだ?」
「オルガン直してくれるおじさんがいるっていうから中に入れたんじゃん! おじさん、業者の人でしょ? 雇ってんのこっちなの!」
「直す?」
嫌な予感がするな。
直す必要があるということは、壊れた、ということだ。
俺が銃をおろすと、間宮そーらーは発作のようにしゃくりあげながら、呼吸を整えた。
「だ、だから壊れたから直して欲しいって言ってんの! え? 話聞いてないの?」
「残念ながら、誰も俺に真実を話してくれなくてな。まあいい。それで、問題のオルガンはどこにあるんだ?」
「いや、だから……」
この俺がオルガンの修理業者に見えるのか?
仮に見えたとして……だったらなにをどう直して欲しいのかハッキリ言って欲しいもんだな。
木下さんが「座って」と勧めてきたので、俺は素直にソファへ腰をおろした。
「あんたが説明してくれるのか?」
「そうよ。嬉しいでしょ?」
「できればここに来る前に説明して欲しかったな」
「オルガンはね、あっちの世界に行ってるの。ここにはないわ」
「はい?」
*
要約するとこうだ。
間宮そーらー率いるカルトは、とある筋からオルガンを入手し、生命を誕生させるなどして遊び倒していた。そのうちに、どうやらよろしくないチャンネルを開いてしまった。
それが通称「ワームホール」。
俺たちの肉体が生きる世界と、有機周波数によって構成された世界が、ひとつの穴でつながってしまったのだという。
しかもそこから、よく分からない生き物が、こちら側へ流れ出てきているのだという。ニュースになっていた深海魚みたいなドラゴンも、そのうちの一匹。
いまは穴が小さいからいい。
しかし穴が大きくなれば、なにがこちらへ出て来るか分からない。
だからオルガンを調整したいらしいのだが……。
ワームホールが開いたとき、オルガン本体が「あっち側」へ行ってしまったのだという。
それで手に負えなくなった。
*
俺は頭のアルミホイルを丸めて潰し、床へ投げ捨てた。捨てるタイミングをずっとうかがっていたら今になってしまった。
「えーと、じゃあつまり……俺はそのワームホールとやらで『あっち側』へ行き、オルガンを『修理』すればいいわけか。けど、それがドラゴンを殺すのとなんの関係があるんだ?」
木下さんは溜め息だ。
「ドラゴンっていうのは、まさにそのワームのことよ。あなた、殺すのだけは得意でしょ?」
「べつに得意じゃない」
銃さえあれば人は撃てるし、崖から突き落とすだけなら道具もいらない。どれも簡単に誰にでもできる。年齢も性別も関係ない。
すると間宮そーらーが立ち上がった。
「え、殺すってなに? こっちは修理してって言ってんの! なんで壊す方向で話が進んでんの?」
俺の知ったことじゃない。
俺は木下さんの命令でしか動かない。
こちらが黙っていると、木下さんが微笑で応じた。
「死にたくなかったら黙ってなさい」
「……」
本当に黙った。
教祖サマがピンチだってのに、外から警備員が駆け付けてこないところを見ると……たいした人望もないのかもしれないな。あるいは神輿としては優秀だったが、さすがにオルガン遊びの度が過ぎて支援者たちからも見放されたか。
いや、どちらでもいい。
俺に選択肢はないのだ。
「分かった。じゃあそのワームホールとやらに案内してくれ。あー、でも、本当にただ壊せばいいのか? そりゃ直すよりは楽だが……」
俺がそう尋ねると、木下さんはフッと余裕の笑みを浮かべた。
「本当はね、どちらでもいいのよ。あなたの好きにしてくれれば。でも殺せって命令されたほうが楽でしょ? あなた、ワンちゃん並みの知能しかないんだから」
「ワンワン」
「いい子ね。帰ってきたらたっぷりご褒美をあげる」
こいつは顔がいいだけでなく、調教師のセンスもあるな。間違いない。
ただ、ちょっと気になることがある。
俺の質問は「壊せばいいのか」だった。なのに回答が「殺せ」とは。
今回もまた嫌な仕事になりそうだ。
(続く)