風が吹いている
大使館を出ると、俺たちは空を見上げた。
乾いた青空に太陽が高くあがっている。
「それで? このあとどうするんだ?」
「ワームホールを閉じるわ」
「できるのか?」
「最深部にオルガンがあるの。それを使うわ」
そういえば、どんな形状をしているのだろう。
それらしきものは見かけなかった。
オルガンというからには、いかにもオルガンという形状なんだとは思うが。
「どんな手順なんだ? あんただけこの世界に取り残されるってことはないよな?」
「ないわ。あったら引き受けてない。だいたい、そんなことしたらあなたと一緒にいられなくなるでしょ?」
「それは……。俺は困るが、あんたは困らないだろ」
「困るのよ。どれだけ説明させるつもりなの? 何回好きって言ったら信じるの? 救いようのないバカね」
「そう。救いようのないバカなんだ」
本当に?
事実なら俺は嬉しいが……。
*
白のエリアへ戻ってきた。
そこにはヒナゲシや間宮氏の姿もあった。
トヨもいた。たぶんトヨだと思う。大人の体になったにも関わらず、子供のように間宮氏になついていた。
「さっきから角が当たって痛いんですけど。たぶんこれ肋骨折れてますよ」
「大丈夫じゃ。折れとらん。それより、死んでおった男が戻ってきたぞい」
きたぞい、ではない。
こっちはこっちで大変だったってのに。
ヒナゲシが駆け寄ってきた。
「よかった! 無事だったんですね!」
しかも抱き着いてきた。
木下さんが舌打ちしたような気がするが、気づかなかったことにしておこう。
「プランを聞かせてくれ」
俺がそう尋ねると……誰からも返事がなかった。
せめて誰かなにか言って欲しいのだが。
木下さんはこちらを睨んでいるだけ。おかげでヒナゲシがそっと離れた。
「で、えー、プランは?」
ふたたびそう尋ねると、木下さんは溜め息をついた。
「どうやらオルガンは消去されたみたいね」
「はい?」
「ごちゃごちゃに混ざったときに、怪物の一部になったんでしょうね。そしてみんなでそれを消去してしまった」
「じゃあ……」
もうオルガンはこの世には存在しない、ということか。
遺伝子の世界にも、模倣子の世界にも。
いや、遺伝子の世界にはいくつか予備があったはずだが……。ただしワームホールの操作に耐えられるかどうかは知らない。
するとトヨが、ふところからキラキラした石を取り出した。
「ほれ、これを持ってゆくがよい。『声』の結晶じゃ。これがあれば、またオルガンとやらを作れるのじゃろ?」
木下さんは遠慮がちに受け取った。
「いいの?」
「わしには用のないものじゃからの。それを使って、向こうからワームホールを閉じるがよい」
「ここに残るのね」
「いまとなってはここが故郷じゃ。それに、向こうにわしの居場所なぞなかろうしな」
戻ったらとんでもないニュースになるとは思うが。
本人が望まない以上、強制はできない。
俺は頭をさげた。
「原因はともかく、手を貸してくれたことには感謝してますよ。ありがとう」
「一言余計じゃ。それに、礼を言うのはわしのほうじゃ。なすべきことを思い出させてくれた」
間宮氏もうなずいた。
「この子、自分の意思で古い模倣子を切除して、この姿になったんです。そうでなければ召喚できませんでした」
「見ての通り、わしには角があるからのぅ。誰にも見られたくなかったのじゃ。さりとて、そんな理由でみんなを見捨てるのもつらくての。おぬしの言う通り、あの怪物が生まれたのも、もとはと言えばわしのせいじゃし」
意図的ではないにせよ、彼女の行動がきっかけとなって強大な悪意が誕生してしまった。
しかしそれは、直接的には、俺たちの世界に悪影響を及ぼす存在ではなかったはずだ。ただ人の死を喜ぶだけの怪物。しかも人間が有機周波数を計測しなければ、存在を知られることさえなかった。
今回の事件は、すべて人間が起こしたものだ。
悪意に反応して、人が人の命を奪い続けた。ワームホールを開いてしまった。将来へ与えるダメージを考慮せず、目先の新しさに飛びついてしまった。
典型的な愚挙だった。
*
トヨが魔法のステッキでワームホールを開いてくれた。
「ここから帰れるぞい」
死ななくても戻れるのかよ……。
トヨは残るんだろう。
だが――。
ヒナゲシが、哀しそうな表情を浮かべた。
「カナリア?」
「……」
彼女には喉がない。
このまま帰還したら間違いなく死亡する。
白い床が削り出されて、文字が浮かび上がった。
「私は残るわ」
「本当に? 私も残ろうか?」
「うざい。余計なお世話。とっとと帰りなさい」
「うん……」
どこかにカナリアの首の装置が保管されているはずだ。
それさえ見つかれば、いつか彼女を遺伝子の世界に戻れるかもしれない。本人が望めばだが。
俺もうなずいた。
「手を貸してくれてありがとう。本当に助かった」
「カン違いしないで。たまたま利害が一致しただけ」
手で追い払うようなジェスチャーまでしてきた。
カナリアらしい。
トヨはうなずいた。
「残りの連中も、わしがこのステッキで送り返すから安心するがよい。あっちの世界でも仲良くするんじゃぞ」
*
ワームホールを抜けると、俺たちはフィールドに出た。
相変わらずピンク色の粘膜が四方のアクリル板を覆っている。これがドラゴンの正体というのだから、あまりにグロテスクだ。
「はぁ、疲れた。一杯やりたい気分だよ」
「は? いっぱいヤりたい?」
俺のコメントに、木下さんが下ネタを飛ばしてきた。
疲労に疲労が重なる。
「ああ、そうだよ。いっぱいヤりたいんだよ」
「品性を疑うわね」
アクリル板から出ると、秘書が近づいてきた。
「御神体! ご無事でしたか!」
「ありがとう。なんともないわ。ただ、オルガンの回収はムリだったわね。代わりにこれ。『声』の結晶よ」
「ああ、ありがとうございます! これで新しいオルガンを作成できます!」
このカルトは、いまだに木下さんを御神体扱いしている。
かと思うと、秘書はぎょっとしたような顔でこちらを見た。
「え、なぜあなたまで」
「は?」
生きて戻ってきたら迷惑か?
こいつもチャールズ・フーバーのご同類というわけか。俺を消して終わらせようとしていたらしい。
木下さんが笑顔のまま補足した。
「いいのよ」
「は……はい! 分かりました!」
権威に弱い。
これだからカルトは嫌いだ。
俺の命を、いいとか悪いとか勝手に決めやがって。
「あの、御神体。簡単ではありますが、上で祝賀会をご用意しております。お疲れでなければぜひ」
「ええ。参加するわ」
*
祝賀会は盛り上がった。
少なくとも、ごく一部を除いては。
「あ、あの! 違うんです! 私もスポンサーにそそのかされて!」
間宮そーらーは土下座していた。
本家の間宮朔に殺される危険があったからだ。
「もう謝らないでください。あなたの首を持ち帰るのはあきらめましたから」
「く、首……」
白目をむいてしまった。
まあこの場で惨劇が繰り広げられないならなんでもいい。
秘書は木下さんにべったりくっついていた。
「御神体、いつ見てもおキレイですよね。お会いするたびにドキッとしてしまいます。お化粧はどうされてます? ブルベですか? イエベですか?」
「べ? なに? 私は……おしゃまんべよ……」
「おしゃ……」
「おしゃまんべよ」
シャンパン片手にクソみたいな会話をしている。
「俺はベルタルベかな」
間に入ると、木下さんは渋い表情を浮かべた。
「分かってないのに入ってこないで」
「つめたいな」
たぶん自分だって分かってないくせに。
秘書はなんとも言えない様子で、顔の筋力だけでスマイルをキープしていた。
*
それから数か月が経過した。
「えっ? ずいぶん微妙なところに住んでるわね。そんなに生活苦しいの? 働いたら?」
「つかさ、失礼だよ」
俺と木下さんは、相変わらず古いアパートで暮らしていた。
そこへ二番とヴァーゴ、ひかりさんが遊びに来た。
「え、でも世界救ったんでしょ? なんでこんな質素な暮らしなの? お金もらってないの?」
「もらったけど、借金の返済で消えたんだよ」
俺はテレビを見たまま応じた。
ニュース番組は誰に忖度しているのか、クソみたいな内容を、ムリヤリ明るい話題かのように伝えていた。
まだ新しいオルガンは完成していない。つまりワームホールは開いたまま。
おかげで手足の生えた魚だけでなく、頭に角のある赤ん坊まで生まれてくる始末。まるで神話の時代の再来だ。
これが差別につながらなければいいのだが。
二番はキョロキョロと部屋を見回した。
「それで? 肝心の御神体はどこよ?」
「なんか用事あるって」
「え、あとなんでカップ焼きそば食べてんの? 今日あたしたち来るって知ってたよね? 鍋パするんだよね?」
「いや、おやつみたいなもんだから」
「かーっ、これよ。これでよく彼女に愛想つかれないもんね」
「彼女じゃない」
べつに付き合ってない。
いわばルームシェアをしているだけの関係に過ぎない。
ひかりさんが二番の袖をひっぱった。
「つかさちゃん、あんまり言ったら可哀相だよ」
「でもさー」
みんなで集まって鍋パしようなどと言い出したのは、二番だった。
おそらく鍋パは口実で、面白半分に俺たちの家を見たかっただけだと思うが。
ドアが開いて木下さんが戻ってきた。
「ただいま。あら、みんな集まってたのね」
「お邪魔してます」
木下さんは紙袋を持っていた。スーパーやコンビニの袋ではない。マイバッグでもない。いったいどこで買い物をしてきたのやら。
「御神体、どこ行ってたんですか?」
二番が遠慮もなく尋ねると、木下さんはにこりと柔和な笑みを浮かべた。
「娘と会ってたの」
娘、か。
ヒナゲシのことをそう呼べるようになったんだな。
木下さんはこちらへ来て、紙袋を差し出した。
「これ、あなたに」
「ヒナゲシから?」
「お茶碗だって。あの子、陶芸家になるって頑張ってて」
「なんで陶芸家なんだよ……」
「土をこねて形にしたいんだって」
カナリアのことでも想っているのか?
今後は、姉妹のことを偲びながら生きるつもりなのかもしれない。ぜんぶ一人で背負うこともなかろうに。
ヴァーゴが笑った。
「スコーピオからの報告もありますよ。アメリカの件は、なんとかまとまりそうだって」
「ありがとう。悪いわね、任せちゃって」
「いえ、やってるのはあいつだけですから」
「いつでも消せるって言ったら、すぐ素直になったわね」
誰でもそうなる。
同情しないこともないが、しかしスコーピオの野郎はそれに値するくらいこちらに迷惑をかけた。本人も、きっと罪滅ぼしの機会を欲していたはずだ。仮に欲していなくても結果は同じだが。
俺は腰をあげた。
「で、なにをすればいいんだ?」
「あなたは座ってて」
木下さんが眉をひそめた。
「なんで?」
「切るのヘタクソなんだから。あなたの出番は、最後の洗い物よ」
「分かったよ」
そう邪険にされては座っているほかない。
ひかりさんはくすくすと笑った。
「そんなに落ち込まないでください。おいしいお鍋を作りますから」
「ありがとう」
心の優しい子だ。
課長の娘――。しかし俺たちが選択をミスしていたら、彼女はこの世にいなかったかもしれない。あのとき必死に抵抗してよかった。
俺はまたテレビを見ながら尋ねた。
「組織の連中、ちゃんとワームホールを閉じる気でいるのかな。見てくれよ。いまだに信者たちが研究所に集まってるぜ。なにか起きると思い込んでる」
「もし彼女たちが約束を守らなかったら、また問題を起こしに行くだけよ」
「一円にもならない仕事をさせる気か?」
「なに? 私の所有物に発言権があると思ってるの?」
「ないです……」
*
鍋パが終わって解散となり、片付けも済むと、急に静かになった。
遠くで秋の虫が鳴いている。
俺と木下さんはコーヒーを飲みながらテレビを見ていた。
特に面白いわけでもないのに、惰性で画面の光を見つめている。でも、それでいいのかもしれない。これこそが平和な時間というものなのだ。
「ねえ、ホントのこと言っていい?」
木下さんが、不意にそんなことを切り出した。
「ホントのこと? 俺が傷つかない内容なら」
「じゃあ言わない」
「いや言ってくれ」
卑怯な。
気になるに決まっているのに。
彼女はカップに口をつけ、コーヒーをひとくちすすった。
「マキナのこと。謝ろうと思って。私、怖くて逃げたの。それで、ぜんぶあなたに押し付けちゃった」
「分かってるよ」
「怒らないの?」
「怒らないよ。怒る資格もないんだ。俺は結局、人間として最低限の良識さえ持ち合わせていないことに気づかされた」
マキナを娘とも思えなかった。
自分の気持ちにウソをつくことさえ、演技をすることさえできなかった。
どうしていいか分からなかった。
本当に、自分の都合しか考えられなかった。
「死なないでね」
「えっ?」
「私も死なない。だから一緒に、ちゃんとした人間になりましょうね」
「ああ……。そう……だな」
生きて、ちゃんとした人間になる。
その言葉は、深く心に突き刺さった。
俺は彼女の未来を奪った。
それと同時に、俺は自分の未来をも投げ捨てていたのだ。
成長しないまま時間だけが過ぎてしまった。
いまのいままで、そのことに気づけずにいた。
いま未熟なのは、事実として受け入れるしかないのだろう。
だが、もしいずれ人間として成長できたら、きっとマキナのことも本気で向き合えると思う。痛みを感じられると思う。そうなれように成長したい。
恥ずかしくてもバカみたいでも、そうしたい。
いままではそう思えなかった。
見ず知らずの人間が苦しもうが死のうがどうでもよかった。
もしかすると俺は、ようやくこの世界を好きになるきっかけを得たのかもしれない。
まっとうに生きるに値する世界なのだと思えたのかもしれない。
理由は分からない。
なにかを本気でやり遂げたからかもしれない。それが一時的な興奮だとしても。
人は逃げてもいい。
それは生きるために必要なことだ。
だけど逃げなくていいときは、足を止めて、問題と向き合ってみてもいいんだろう。いつもと違う景色が見えるかもしれない。
未来が明るいかどうかは知らない。
ただ、できるだけ明るくしたいと思えるようになった。
風は、あらゆる方向へ吹いている。
(おわり)




