なりたい自分
俺たちは歩を進めた。
壁の薄い場所を見つけては突破し、次のエリアへ。
途中、模倣子まみれの白いもやが襲ってきたりしたが、それは間宮氏が印で瞬殺した。こうして見ていると負ける気がしないのに。
例の「悪意」と戦うには、これでは不十分なのだという。
いったいどれほどの怪物なのだか。
策もないまま、俺たちはどんどんと奥へ入った。
このままでは、前回と同じ結果を迎える。俺はマキナを説得できず、さりとて強行突破もできず、またすごすご遺伝子の世界に戻り、木下さんに説教されてリスタートというわけだ。
*
不思議なエリアに出た。
地面も空もまっしろ。なにもかもが新品の蛍光灯のようにまばゆい。広大なクリーンルームのようだ。
俺たちの正面には、巨大な立方体が斜めになって浮いている。それも白い。
「お父さん、なんで戻ってきたの?」
出迎えたのはマキナだ。
人の形をした白いもやの中に、うっすらと脳や背骨が浮いている。
戦力が足りないまま、ラスボスに到達してしまった。
「悪いな。あんたを止めないといけない」
「また『あんた』って言った。名前つけてって言ったのに」
「理解してくれ。話はもう、そんな個人的なレベルじゃなくなってる。交渉をするつもりはない。選択肢を与えるから選んでくれ。一、俺たちに協力する。二、俺たちと戦う。どっちだ?」
一を選んで欲しい。
だが、それ以外のナンバーが選択されることを、俺は覚悟しておかなくてはならない。
マキナは肩をすくめた。
「どっちか選んでもいいけど……。でもお父さん、よく分からないままそれ言ってるでしょ? いいよ。可哀相だから、もう一回だけ質問するチャンスをあげる。でも、その前にこれを見てね」
「えっ?」
見る?
なにを?
白いもやがふっと消えた。
かと思うと、キィーンと甲高い音が響いて、白い箱が展開し始めた。展開というか、内側と外側がひっくり返って、中のものに吸い込まれたというか……。
巨体をゆすりながらずんと地面に落ちたそれは、一瞬、泥団子のように見えた。
だが、ギロリと目を開いた。中央から横に切れ目が入って、がばりと開いて口になった。それから短い四肢を伸ばして、ほんの少しだけ浮き上がった。
人の顔だ。
男か女かも分からない。年齢も分からない。しわくちゃのサルみたいな顔。
そいつは言った。
「お前、哀れだな……。お前の娘はもう、とっくに私の胃の中だよ……」
これが悪意。
だが俺は……。白状と思われてもいい。哀しみより先に、安堵をおぼえてしまった。
自分の手で、自分の娘を傷つけずに済んだのだ。それどころか、娘を傷つけた怪物に復讐するという大義名分まで得てしまった。
「なにがおかしい?」
怪物に言われて、自分が笑っていることに気づいた。
「いや、気にしないでくれ。俺自身の醜さに気づいてしまっただけだ」
「醜い……?」
「俺はもう、じゅうぶん自分を嫌いになってたと思ったんだ。だけどまだまだ足りなかったみたいだな」
すると怪物は、巨大な顔面をゆすって笑った。
「ひっ、ひっ、ひっ……。お前、私の仲間か?」
「そうかもしれない」
「だったらひとつになるか?」
「いや、それも結構。同類だからって、全部が同じってわけじゃない。仮に同じだったとして、いちいちまとまる必要はない。俺は俺、あんたはあんただ」
俺はきっと、マキナに特別な感情を抱いてはいなかった。
心配してもいなかった。
ただ、自分の娘だという事実を突きつけられて、頑張って悩んでいるフリをしていただけなのだ。俺にはきっと人間を愛する資格がない。
ただ、俺が生死の境をさまよっていたとき、元気づけてくれたことには感謝している。あたたかかった。三人で家族になれたら、などとも思った。だが、本気にはなれなかった。俺はクズだ。
しかし参った。
悪意がマキナを取り込んだということは、もはや誰にも止められないということだ。
怪物はにぃと笑った。
「それで、どうする? この私と戦うつもりか? 言っておくが、私はお前たちをただ殺したりしない。魂をむさぼって、この体に取り込むことにする」
おぞましい話だ。
模倣子が一体化してしまえば、俺たちは自我を保てなくなる。こいつのエネルギーの一部になるのだ。
俺も笑った。
「待ってくれ。先に質問したのはこっちのほうだぜ。選んでくれ。一、俺たちに協力する。二、俺たちと戦う。さ、どっちだ?」
悪意は目を丸くした。
「お前……頭大丈夫か? 協力? 私が? お前たちと? そんなことをすると思うのか?」
「さあな。どちらを選択するのかは、あんたの自由意思だからな。俺が決めることじゃない」
これにはヒナゲシと間宮氏も眉をひそめていた。
まともじゃないと思われたかもしれない。
なんでもいい。
俺は自分の「娘」にさえ向き合えなかった人間だ。自分でもまともだとは思っていない。
怪物は恨めしそうに表情をゆがめた。
「人間たちが私を憎んでいる。人間は醜い。醜いものは嫌い。私は私が嫌い……」
支離滅裂だな。
いや、互いに互いを嫌いあっているということか。
意外と真理かもしれないが。しかし証明のしようがないことだ。
弓を構えた間宮氏を、俺は手で制した。
「待ってくれ。まだ会話の途中だ」
「手遅れになりますよ?」
「もうなってる」
たいていの戦いは、開戦する前に結果が決まっている。
大量の戦力を用意できたほうの勝ちだ。
俺たちは用意できなかった。
それが答えだ。
俺は怪物に言った。
「だが、その姿はよろしくないな」
「よろしくない? 当然だ。みんな私を嫌う。私は醜い……」
「ダメだな。零点だ。ここは模倣子の世界なんだぜ。なりたい自分になれるはずだろう。特にあんたは模倣子の集まった存在なんだ。わざわざ自分の嫌いな姿でいることはない」
「時間稼ぎのつもりか? お前たちに勝ち目はないというのに」
俺はつい鼻で笑ってしまった。
ミスリードもいいところだ。
「冗談はよしてくれ。俺たちが時間を稼いだところで、勝機なんかないんだ。だからこれは、死ぬ前に、少しでも悔いを残さないでおきたいという個人的な嗜好の話だ。どうせ殺されるなら、万全な状態でやって欲しいってだけだ。なりたい自分を想像してみろよ」
じつは恐怖で、生存に関係のある情報以外、すべてが遮断されている。
だから自分でもハッキリとは断言できないが、いま俺の口をついて出ているこの言葉も、生存に必要なことなのかもしれない。
「なりたい自分……?」
怪物は困惑している。
別に俺は言葉で追い詰めているつもりはない。
そもそも、こいつは昨日か今日に生まれた存在ではない。長い歴史にさらされてきた悪意だ。言葉でどうにかできる存在なら、とっくに古人がどうにかしている。
ただ、その線で考えると、またひとつ疑問がわいてくる。
昨日か今日に生まれた存在ではないのに、しかも集合知で動いているはずなのに、ずっと原始的な状態でいるものだろうか。いつまでも醜い存在であり続ける理由は?
こいつの姿は、偽装かもしれない。
愚かなのも偽装。
じつはすべて分かった上で、醜い魔物を演じている可能性がある。
怪物の姿が、ぐにゃりと変形した。
かと思うと、顔面が収縮し、二本足で立ち上がった。俺たち人間と同じサイズ。整った顔立ちに長い黒髪。男か女かは分からない。白装束を身にまとっている。
そいつは言った。
「なるほど。では茶番はよそう。バレているのに怪物を演じるのは滑稽だからな」
よく通る声だ。
「まさかとは思ったが」
「いつ気づいたのだ?」
「気づいたわけじゃない。ただ、自分にとって都合のいい思い込みをやめただけだ」
そいつは肩をすくめた。
「それでも立派だよ。そこらのサルとは違う。きっと人間にしては賢いほうなんだろう。ただ、賢いなら、もうひとつ理解したよな? お前に選択肢はない、と」 「まともに考えればそうだが。いざというとき、俺はまともに考えないことにしている」
正しさの問題じゃない。
ポリシーの問題だ。
たいてい悪い結果になるが。
怪物は無防備にも両手を広げ、こう提案してきた。
「今度は私が選択肢を与えよう。私の手駒になれ。さもなくば食う。いかがする?」
さっきの顔面から手足が生えただけの姿よりはマシだが、それでも食われるのはゴメンだ。
「手駒に? 完全週休二日で、キッチリ残業代も支払ってくれるってんなら考えるぜ」
「それ以上のものを与える」
「具体的には?」
「遺伝子と模倣子が完全に混ざり合ったあかつきには、お前にいくらかの土地を与える。好きにしていい。その土地の人間どもは、すべてお前の所有物となる」
いかにも悪人らしい提案だ。
フラグというものだな。
典型的な物語なら、この提案に乗ると破滅が待っている。だが現実世界では、悪いヤツほど得をする。そんな状況をさんざん見てきた。
俺は溜め息をついた。
「素晴らしい提案だな。だがその程度は、あんたを殺したあとでもできるんだ。このままほっとけば、どうせ遺伝子も模倣子も混ざり合うんだからな」
怪物はかくりと首をかしげた。
「はて? 殺すと言ったのか? この私を?」
「ま、ムリかもな」
全部はムリかもしれない。
だが、部分的には可能だろう。
俺の体内には小型のオルガンがある。
そしてマキナのコードも仕込まれている。
もしこいつがマキナを取り込んだなら、その部分だけ消去できるかもしれない。
俺は体内のオルガンを起動させた。
心臓が焦げるような熱を感じる。
(続く)




