デート
半年も眠っていたせいで、季節は冬になっていた。
いや、その冬も終わりかけていて、すでに春の兆しを見せていた。
俺は木下さんと電車に乗り込んだ。
昼間の、ほとんど客のいない電車。
四角い箱に、あわい日の光が差し込んでくる。リズムものたのたしているから、眠たくなってくる。俺たちを墓場まで運ぶゆりかごのようだ。
デートということになっている。
事実かどうかは知らない。
ただ、そう言われて俺は拒否権もなく出てきた。
「動物園なら、上野のほうが近かったのに。なぜ埼玉なんだ?」
「いいでしょ、べつに」
彼女はこちらも見ずに言った。
生活に余裕がないせいか、薄手の安いコートを着ている。それでも貧相に見えないのは、やはり顔がいいおかげか。
以前はボブカットだったからマネキンに見えたが……いまは髪が肩まであるマネキンに見える。どうやら伸ばしているようだ。
俺は周囲に人がいないのを確認し、それでも声をおさえてこう尋ねた。
「でも普通、自分のストーカーとデートするかな」
彼女は溜め息だ。
「うんざりするわね。そのストーカーってのもやめなさいよ。あなたは私を救ったの。もうチャラになったの。いつまでもしつこいのよ」
「粘着質なのがストーカーの特徴だろ」
「ウザ過ぎ。パンチしたくなるから、この話はもうやめて」
パンチか。
力があるようには見えないが、いったいどんなパンチを打ってくるつもりなのやら。いっぺん食らってみたくはある。
ともあれ、会話はすぐに途切れた。
俺たちの間に、話題はそう多くない。
あるにはあるが、どれも地雷だ。
幼馴染なのに過去の話はできない。
すると彼女は、壁に後頭部をあずけ、目だけをこちらへ向けてきた。
「あなたが採用試験に参加したって知ったとき、できるだけ苦しんで死ねばいいと思った」
「まあ、そうだろうな……」
採用試験では、ひとつの部屋に、何人もの人間が集められた。
天井や床に穴が開いており、そこから銃弾が飛び出す部屋だ。ランダムではない。参加者は一日に一発だけタイマーをセットすることができる。
戦術や戦略は、あるようで、ない。
いつ誰が死んでもおかしくなかった。
「あなたのことだから、きっとバカみたいにタイマーをセットして、誰彼構わず殺すんだろうと思ってた」
「そんなふうに思われてたのか……」
「でも違ったわね。信じられないほど慎重で……。なのに生き延びようともしていなかった」
「してたよ」
「してない。もし生き延びるつもりなら、最後の弾丸はすぐに発射してたはず。なのに時間ギリギリまで……」
俺だって生き延びたかった。
だが、天使ちゃんにも死んで欲しくなかった。
だから結末を運に委ねたのだ。
それだけだ。
彼女はひとつ呼吸をした。
「それで、思ったの。この人、じつは私が思ってるような人じゃないのかも、って。ううん。私が思ってるような人だったけど、どこかで変わったのかも、って」
「反省はしたよ」
「そうみたいね。だから、生きてもらうことにしたの。生きて私の苦しみの半分を肩代わりしてもらおうと思った。私はあの施設から自由になれないと思っていたから……。でも、あなたは私を自由にしてくれた」
「ラッキーが重なったおかげだ」
謙虚ぶっているわけじゃない。
本当に、運がよかった。
前課長、オフューカス、ヴァーゴ……。みんな組織を潰そうと思っていた。俺はそれに乗っかっただけだ。そしたら仲間が増えていった、なぜかうまくいった。いまだになぜかは分からない。分かってたヤツがいて、そいつがなんでもかんでもお膳立てしてくれたおかげだ。
ふと、不気味な笑い声が響いた。くすくすと――いや、ひきつるような笑い。
「でも、自由になった私は思ったわ。あなたは、きっと自分の罪を清算した気分になって、勝手に満足してるんだろうなって」
「否定はしない」
「でもこのままバイバイしたらつまらないじゃない? あなたって、絶対に私を傷つけない従順なペットなんだもの。手放すと思う?」
「サディストでなければな」
俺が皮肉を飛ばすと、彼女は笑顔のまま肘で小突いてきた。まるで仲のいい友達にでもするみたいに。
「違う。サディストなんかじゃない。これは愛よ。私もあなたのこと愛してるって、あらためて気づいたの」
「おいおい」
愛について語るなら、もっと雰囲気というものがあるだろう。
ペットがどうこう言った上での愛とは……。
子供がお気に入りの玩具に固執するのとなにが違うのか。
「だから莫大な借金をして、あなたの体に機械を埋め込んだ。あなたはきっと、私の命令通りに動いてくれるはずだから」
「ペットならまだしも、ロボットだったとはな」
「そこまでは言ってない。だって自我があるじゃない? それに口答えもしてくるし」
「自我があって口答えをするラジコンってところか。そいつをこのまま埼玉の研究所まで連れて行って、暴れさせるつもりなのか?」
「正解」
デートなんてのはハナからウソだったのだ。
俺を電車に乗せるための口実。
「分かった。観念したよ。俺の命は、もともとあんたのために使う予定だったしな。あんたの満足のために死んでやるよ」
「死んで欲しいなんて言ってないじゃない」
「同じことだろ。だが、動物園には行く。死ぬ前にいい思い出が欲しい」
「……」
黙り込んでしまった。
いや、こちらに身を寄せて、頭をあずけてきた。こうして他人に密着されるのは愉快ではないが……。いまは耐えよう。
彼女はまた笑った。
「本当にダメなのね、人に触れられるの。これじゃいくらサービスしても元気にならないわけだわ」
「むしろ萎える」
「もっと萎えることを教えてあげる。私、あなたの周波数を完全に把握してる」
「それで?」
「あなたの体内に埋め込まれた機械にアクセスして、あなたを消し去ることもできる」
「なるほど」
痛みもなく、好きな女に殺されるなら、むしろ本望かもしれない。
ただ殺されるならともかく、彼女には動機もあるわけだし。
すると彼女は、すっと距離をとった。
「なに喜んでるの? そんなこと、するわけないでしょ」
「でも理由が分かったよ。こんな危険な装備を身に着けた俺が、そこらを自由に歩ける理由が」
「こっちが説明する前に、勝手に答えにたどり着かないで。でも、まあ、そういうことよ。私があなたのブレーキなの。もしあなたが暴走したら、罰を受けるのは私。ペットかロボットみたいでしょ?」
「その通りだな」
他意もなく、完全にその通りだった。
*
動物園についた。
ガラガラで、誰もいない。いるとしても、子供を連れた母親か、老人だけ。道は広い。動物もいる。動物たちは……ぐでぐでしていた。黙っていてもメシが食えるのだから、彼らにとっては動く理由がない。
「ここってパンダいないの?」
「いない」
だから上野にしようって言ったんだ。
軽く見てから、俺たちはすぐに休憩所へ来た。
彼女はソフトクリームを食べた。
風は少し冷たいが、それよりも日差しの温かさが勝った。
こうして歩き回るにはちょうどいい天気だ。
彼女はソフトクリームに集中している。
たまにこちらを見る。
俺はつい目を反らす。
こうしていると、本当に、デートみたいだ。
いや、ウソでもいい。
錯覚していよう。
彼女には、俺を殺す権利がある。その権利を行使する前に、こうして思い出作りに協力してくれているのだ。俺は感謝すべきだろう。
「言いたいことがあるなら言えば?」
彼女は唐突にそんなことを言い出した。
言いたいこと、か……。
いっぱいあった気がする。
だがそれは……。
あのとき、間違いなく、彼女の命は潰えたと思っていた。
その後、俺は、自分勝手な都合を、自分の脳内の彼女に向けて語り続けた。
まず謝罪。そしてなぜ殺すに至ったかの理由。だが本意ではなかったこと。守りたかったこと。なのに彼女が台無しにしてしまったこと。誰も悪くないのに、ボタンの掛け違いから、不幸な結果になってしまったこと。
何度も、何度も繰り返した。
そうしているうちに……もう言うこともループしてきて、お経のようになってきた。しまいには、心境が変わってしまったにも関わらず、ずっと同じ言葉を繰り返す機械になっていた。だから、あるときやめた。一切の釈明をやめて、自分が悪い人間であることを認めることにした。
欲のために殺した。
それが一番しっくりきた。
「本心が知りたい」
俺は皮肉も話術も忘れて、そう尋ねた。
いまから俺は、カルトを潰しに行く。だがそれは俺の望みじゃない。木下さんの望みだ。なぜ彼女が望むのか、知りたかった。俺を殺したいだけなら、ほかにも方法はあるはずだ。
彼女は溜め息をついた。
「本心? なにについて? あなたのこと?」
「いや。なぜ俺をカルトに突っ込ませるのか」
「借金の返済のためって言ったでしょ。データを集めたらチャラになるんだから」
「それは二次的な理由だ。そもそも、あんたが借金をする必然性はなかった。なのに、した。つまり最初から、俺をカルトに突っ込ませるつもりだったんだろう」
俺が追及すると、彼女はうんざりしたようにつぶやいた。
「気に食わなかったからよ」
「なにが?」
「あいつらよ。私の大嫌いなオルガンを使って、お金稼ぎしてる。しかも堂々とやってるから、社会もメチャクチャよ。まあ私もこの世界をメチャクチャにしたい気持ちはあるけど……。あっても普通、やらないでしょ? だから許せなかったの。だけど、私は戦えないし……」
そこで、実戦経験のある俺に代行させようってわけか。
謎の機械を埋め込んでパワーアップさせてまで。
「分かった。それがあんたの望みなら、できる限りのことをする。ただ、あまり期待しないでくれ。残念ながら、俺は特に優秀ってわけじゃない」
「知ってる。でも機械があるじゃない?」
「まあな」
彼女も、俺にではなく、機械に期待しているようだ。
確かに、同じ機械を使っていたカナリアは、ちょっと異常な存在だった。射撃が通じないのだ。無機物に有機周波数があるとは思えないから、機械でなんらかの変換をかけているのだと思うが……。
などとぼんやり思索していると、木下さんはふんと鼻を鳴らした。
「私のプランはお気に召さないみたいね」
「俺には動機がないからな」
「カルトのせいで社会がメチャクチャにされたのに?」
「強制されたわけでもないのに、自分たちで進んでメチャクチャにしてるんだ。救いようがない」
神の存在は証明された。
少なくとも「証明された」かのように、世間には受容された。
そして人々は、自動的に奇跡が起こると思い込んでいる。
自分たちにとって都合のいい奇跡が。
彼女は肩をすくめた。
「べつに救わなくていいわ。鬱陶しいバカ騒ぎをやめて欲しいだけ」
「やるよ。俺はあんたの命令を聞く以外、人生で特にやりたいこともないわけだしな」
「そうよね」
互いに皮肉を飛ばして、愛想笑いのひとつもない。
社会をどうこうする前に、この人間関係をどうにかしたほうがいいような気もする……。
春の陽気は、俺たちの気持ちとは無関係に世界を満たしている。
きっとカルトどもは、例の古巣で俺の登場を待っている。
誰かの命が散る。
彼女がそれを望んでいる。
(続く)