都合のいい展開
小さな島にいたと思ったら、いつの間にか見慣れた駅前にいた。
いや、「見慣れた」というよりは「見飽きた」とでもいうべきか。研究所の最寄りの、白いもやのかかった駅だ。
駅を出てすぐ横断歩道があり、行く手をふさぐように飲食店が並び、そこに狭い歩道がくっついている。裏手にはパチンコ屋。どこにでもある日本の景色。
雑踏や喧騒は、あるようでない。
ないようである。
ヒナゲシが溜め息混じりにつぶやいた。
「じつはあなたが留守の間に、ヒミコさんの秘密を探っていました」
「実際はヒミコじゃなくて、その娘らしいぞ」
「それは知ってます。もっと別の、重大な秘密です」
「聞かせてくれ」
トヨには不審な動きがある。
マキナに対処するだけでも手一杯なのに、その上、フーバーとかいうアメリカ人の相手もしなくちゃならない。ここでトヨになにか仕掛けられたら、即座にキャパシティをオーバーする。
ヒナゲシの言葉はこうだ。
「彼女、この世界の悪意を集めて、怪物を作ってました」
「怪物?」
「結果論ですけどね。本当は、模倣子の世界を住みやすくしようとして始めた清掃活動だったようです。ところが、集まった悪意は、さらなる悪意を引き寄せて、勝手に肥大化を始めてしまった」
坂道で雪だるまを作った経験を思い出す。
はじめは手におさまるほどの小さな雪の塊。転がしていくと膝ほどの高さになる。それを坂道から転がした途端、急速に体積を増し、いつしか手に負えないレベルの暴力に変わり果てる。人に直撃したら、命を奪うレベルのエネルギーだ。
だから俺は、雪だるまを見ると恐怖をおぼえる。あんなものは作るべきではない。
「どういう性質の怪物なんだ?」
「自己の最大化を目的としているようです。つまり、悪意を取り込んで、とにかく大きくなろうとしている」
「それだけ?」
「それだけです」
いや、いい。
それがすべてだ。
俺や、俺以外、のみならず全生命が、自己の最大化を目的としている。それ以外のことはしていない。
「その怪物はどこに?」
「この世界の最深部に」
「つまりマキナのすぐそばにいる、というわけか」
マキナがその存在に気づいていないわけがない。
つまりすでに接触している。
前回そのことを言わなかったのは……俺たちに隠しておきたいことがあったからだろう。
俺は足を止め、ヒナゲシに向き直った。
「提案があれば聞かせて欲しい」
「怪物の力は、わずかにマキナを上回っています。もし両者が衝突すれば、怪物が勝利することになるでしょう」
「わずかに? なら、姉妹が手を貸せばひっくり返せるのかな?」
そう尋ねると、彼女はどこか空虚な表情でうなずいた。
「理論上はイエスです。姉妹がみんな仲良し、という前提が成立すれば、ですが」
「問題をクリアするのは難しいか?」
「考えたくもありません。それに、もっと根本的な問題があります。ここは模倣子の世界です。なにをもって勝利とするのか、まずはそこを定義する必要があります」
そう。
ただ殺すだけではダメだ。
いくらでも生き返る。
だからオニゲシも苦しみ続けている。
「あんたの出した結論が聞きたいな。できるだけシンプルに頼む」
「では結論というか、予想をお話しします。両者のエネルギーが衝突した場合、現状のままなら怪物が勝利するでしょう。すると怪物はマキナとオルガンを取り込んで、かつてないほど巨大化します。その結果、悪意は世界の壁を超えて、遺伝子の世界へも影響を及ぼし始めると思います。せめてワームホールが閉じていれば、被害を最小限に抑えられると思いますが」
怪物を勝たせるべきではなさそうだ。
世界がどうなろうと知ったことではないが、自分の居場所まで破壊されるのはさすがに困る。
「マキナが勝利した場合はどうなる?」
「あくまで私の勝手な予想ですから、怒らないで聞いてくださいね。マキナは、怪物をこの世界から追放し、遺伝子の世界へ送り込むと思います」
「はい?」
怪物を現実世界に?
なぜそんなことを?
ヒナゲシはまっすぐにこちらを見た。
「復讐のためじゃありませんよ。それが彼女の考える秩序なんです」
「理解できない」
「巨大な悪が登場すれば、人はそれと戦うためにまとまります。まるで巣を守るハチのように。すべての動物がそうです」
「彼女はそれを救済のつもりでやるのか?」
「はい。人間たちは、その想像力をコントロールできず、幻想と戦い過ぎて壊れています。だから怪物を具現化して、分かりやすい形で提示するのです」
「論外だな。確かに人間は完璧じゃない。哀れに見えるかもしれない。それでも、怪物なんて用意すべきじゃない。自力で解決させるんだ」
それは救済どころか後退だ。
怪物をあてがって統制するなんて。
哀しいことに、それは必ずしもガキ向けとは言えない。実際に世界がそれをやっている。わざとどこかに対立軸を作り、緊張状態を演出し、民意をコントロールするのだ。気づいてるヤツも、気づいていないヤツも、たいていなにも言わない。騒ぎ立てるのは自分が損害をこうむってからだ。
ヒナゲシは肩をすくめた。
「私に怒らないでください。あくまで最悪のケースを想定しただけですから」
「そうだな。悪かった。ごめん。謝るよ。せっかく教えてくれたのに」
「いいですよ」
にこりと笑みを浮かべてくれる。
こうして素直にしていると、とてもかわいいのだが……。
俺は天を仰いだ。
誰が望んでそうなったのかは知らないが、まばゆいばかりの青空が広がっていた。まるで平和な日曜日の空みたいだ。
「どっちにしろ被害は甚大ってことか。どうしたらいい?」
俺がそう尋ねると、ヒナゲシは笑みを消し、能面のような顔になった。
「さっきから私に聞いてばかりですね。あなたはどうしたいんですか?」
「いや、俺は……」
「私、気づいてますよ。あなた、逃げてますよね? 母と同じです」
「えっ?」
同じ?
木下さんと?
「あの人、すべてから逃げたんです」
ヒナゲシはあきれた様子で言った。
怒ってはいない。
というより、怒りを通り越しているといった状態か。
「逃げた?」
「けど、気持ちは分かりますよ。本人の意思とは無関係に、培養ポッドで次々と娘たちが量産されて。その子供たちは、有機周波数を使い、本能的に母の存在を求め続ける。無数の声が一点に集中したんです。あの人がまだ正気を保っていられるのは、奇跡に近いと思います。奇跡というか、ちゃんと逃げたおかげですね。状況を考えれば、あまり責める気になれません」
無数の声にさらされる毎日――。
想像したこともなかった。
その状況に追い込んだのは俺だ。
なのに、彼女はそのことを責めもしなかった。
ヒナゲシは表情もなくこちらを見た。
「マキナについても補足しておきます。彼女は、母が自分のお腹で生んだ唯一の子供です。ですが当初、組織は死亡したと報告しました」
「なぜ?」
「生きているとは言えない姿で延命することになったからです」
マキナは水槽に浮いていた。
脳と背骨と内臓が、それぞれ神経でつながっているだけの姿で。
間違いなく生きている。
なのに……
「ですが、母も薄々気づいていました。だからあなたのDNAを採取して鑑定にかけた。あなたと母の子は、相性がよかったんです。そして、なぜかその話を知っていたチャールズ・フーバーというアメリカ人が、小型オルガンに新たな命を吹き込むことを提案してきました。あなたが気絶している間にね。その結果がいまです」
「あの野郎か……」
余計なことを。
あの男とも話をつける必要がありそうだ。
「母は、マキナをどうしたいか決められないでいます。だから、責任をあなたに押し付けた。そしてあなたも、いま、どうしていいか分からなくなっている……」
ヒナゲシの言葉には容赦がなかった。
事実だ。
できれば気づきたくなかった。
「だから、会って話をするんだ」
俺が精一杯の反論をすると、彼女はかすかに溜め息をついた。
「すでに一度、会って話をしたはずですよね?」
「あのときとは状況が……」
「同じですよ。いくつかの情報を手に入れたかもしれませんが、意思決定に影響を及ぼすようなものはひとつもなかったはず。もしまた会っても、きっとあなたはもとの世界に帰るハメになると思います」
「もう少し手加減してくれ。泣くぞ」
なにも言い返せなくなった。
つらい。
ヒナゲシはぐっと距離をつめてきた。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったんです。ただ、あなたが苦しむ姿を見るのは、私もつらかったから……」
根はいい子なのだ。
これで天使ちゃんを殺す癖さえなければ完璧なのだが。
「俺も悪かったよ。きっとなにか、前向きな提案をしてくれるつもりだったんだよな?」
「えっ?」
急に引いてしまった。
なにか言葉選びを間違えただろうか。
「違うのか?」
「前向きな提案ですよね? あると思います? 私の提案は、きっとあなたの合意を得られないと思いますが」
「それでも教えてくれ」
「なら言います。あなたは仕事を放棄して、私と一緒にここに住むんです。現実世界は破壊されるかもしれませんが、ここなら平和が続きますから。マキナが怪物に勝てればの話ですが」
じつに徹底している。
清々しいほどに。
「それはムリだ」
「はい。言うだけムダだと思ってました。けど、だったら答えを出す必要がありますよ。マキナを消去するのか、それとも別の……すべてを解決するような都合のいい展開でも見つけるか……」
「都合のいい展開、か……」
そんなものはない。
説得はすでに失敗した。
かといって力づくで止めることもできない。俺とマキナでは、扱えるエネルギーの総量が違う。こっちはただの人間なのに、向こうは模倣子を使いこなしている。
小型オルガンを使って、問答無用で消し去るしかない。
いや、結論を出すのはまだ早い。
いまある状況を絶対だと思い込むから、それを前提にした展開から脱却できないのだ。展開を変えたいなら、まずは前提をくつがえせばいい。
前提となる命題はこうだ。
命題1:マキナも怪物も説得できない
この状況に変化を与える。
たとえば、あえて怪物とマキナを争わせるのだ。
そのままならマキナは敗北するだろう。しかしマキナがピンチに追い込まれたところで、俺がシスターズを引き連れて参戦する。怪物は死ぬ。あとはとにかくマキナに恩を着せて、こちらに有利な条件を飲ませる。
絶対ではないが、可能性はゼロではない。
ある致命的な一点にさえ目をつむれば。
残念な事実がある。
命題2:姉妹は互いに協力しない
さすがにこれはひっくり返せない。
いや、いい。
姉妹だけでやろうとするから解決しないのだ。たとえばここには間宮氏がいる。そしてトヨも。両者の協力を得られれば、戦力差をひっくり返せるだろう。
「なあ、トヨに協力してもらうのはどうだ? もとはと言えば、彼女にも責任の一端はあるだろう」
「それなんですが、あの子、身体の大半が模倣子に支配されていて、他の階層へ移動できないようなのです」
「模倣子を削れば移動可能になるのか?」
「はい。オルガンさえあれば」
なるほど。
小型でよければちょうど持ってる。
*
「いやじゃ!」
ヒナゲシの力で保育課に乗り込んだ俺たちは、事情を説明する前にノーを突き付けられた。
ここの結界を破るのに苦労したのだが。おもにヒナゲシが。
「まずは事情を説明させてくださいよ……」
ヒナゲシは力を使い果たしたせいか、息切れし、冷静さを失っていた。
交渉の窓口は俺に代わったほうがいい。
「もとはと言えば、あんたが生み出した怪物だろう。自分の手で始末したくはないのか?」
「したくないのじゃ!」
ソフトクリームのような髪を揺らしながら、トヨは地団駄を踏んだ。
相変わらずのクソガキぶりだ。
「理由を聞かせて欲しい」
俺はできるだけ冷静に提案した。
いたずらに刺激するのは得策ではない。
トヨは消沈したような表情だ。
「アレは……気の毒な子なのじゃ。もともとは、誰もが抱いている小さな負の感情でのぅ。それが集まって肥大化したものなのじゃ。つまりわしの子でもあり、おぬしらの子でもある。人間だけじゃない。生きとし生けるもの、すべての子なのじゃ。にもかかわらず、誰からも愛されぬ忌み子でのぅ」
「まるで勝手に誕生したかのような口ぶりだが、実際はそうじゃないだろう?」
俺はつい鼻で笑った。
トヨは半目だ。
「そうじゃが? それがなんなのじゃ? わしがこっちの世界で勝手にやったことじゃ。おぬしらの世界に迷惑をかけたのか? ん? わし、なにか間違ったこと言っとるか? わしに言わせれば、悪いのはおぬしらのほうじゃ。勝手に乗り込んできて、勝手に問題を起こして、勝手にわしを責め立てて……」
「分かった分かった。仰る通りだ。悪かったよ。全部こっちの都合で喋ってた。謝る。ごめんなさい」
今日は謝ってばかりだ。
まあミスしたのだから仕方がない。
「ふん! とにかくわしはやらんからの! あんなのでもわしの子なのじゃ。この孤独な世界に千年もおれば、おぬしらにも分かるじゃろ」
これはお手上げかもしれない。
あきらめてヒナゲシを見ると、なぜか笑みを浮かべていた。
「彼女の周波数をほぼ把握できました。いつでもバラせます」
えっ?
バラす?
ヒナゲシは満足そうに息を吐いた。
「余計な模倣子を切除するんですよね? 大丈夫です。調整は私のほうで完璧にやりますから」
怖い女だ。
見た目が幼いから、いつもそのことを忘れそうになる。
トヨも本能的に察したのか、半泣きになっている。
「な、なにをする気じゃ? まさかとは思うが……」
トヨはもともとこんな姿ではなかったはずだ。
いや、姿だけではない。性格も違ったはず。
千年もこの世界にいたおかげで、彼女は余計な模倣子にまみれてしまった。苔むした岩のように。いや、苔なんてかわいいものじゃない。深く根を張った樹齢千年の大樹だ。おかげで他の階層に移動できなくなった。それをオルガンでバラすというわけだ。
俺はつい笑った。
「やらないよ。本人が望んでもいないのに、そんなことはできない」
「えっ?」
驚いたようにこちらを見たのはヒナゲシだ。
「俺たちは強要しに来たわけじゃない。お願いに来たんだ。断られた以上、素直に引き上げるしかない」
「その判断は賞賛したいところですが……。いまは非常事態ですよ? 本当に後悔しませんか?」
「後悔? さあな。そのときになってみないと分からない。ただ、確実に言えるのは、もし彼女にそれを強要すれば、いますぐ後悔するってことだ。余計な火種にもなる」
「そういうセリフは、覚悟の決まった人間が言うものです」
覚悟、か。
確かにまだ決まっていない。
俺はなにも決断できていないのに、善良ぶって策を捨てている。
ただ、思うのだ。
自分が本当に守りたいものはなんだったのか。
それを忘れていいのか、と。
(続く)




