バカンス
翌日、俺はさっさと保育課を出て、地下へ向かった。
木下さんとはろくに話を進めていない。してもこじれるだけだろう。
問題はマキナだ。
俺がワームホールに足を踏み入れれば、その瞬間、彼女も気づく。
約束を破ったことも、好意的な目的でないこともバレる。
ただ、こちらにも作戦はある。
一晩考えた、とっておきの作戦が。
それは、あらゆる任務を放棄した上で、模倣子の世界に「住む」ことだ。あそこではメシを食わなくても死なない。つまり天使ちゃんと仲良くしながら、永遠を生きることができる。
完璧なプランと言わざるをえない。
というか、これこそが本来のオルガンの目的だったはず。
いや、実際どうするかはともかく、逃げ道を用意しておくのは悪くない。
少なくとも精神衛生にいい。
*
さて、三度目の天国だ。
いや地獄だったか。
いきなり保育課に出た。
シスターズが思い思いの場所に腰をおろす中、しれっとトヨも混ざっている。あいかわらず白装束でソフトクリームみたいな頭だ。
「嘆かわしいのぅ……」
彼女の第一声はそれだった。
「いったいなんの話です?」
「いまのおぬしからは、まったく意欲というものを感じぬわい」
「意欲ってなんです? 自分の娘をぶっ殺す意欲なんて、湧かないほうがマシでしょう?」
そんなのが湧くのはサイコパスだけだ。
俺は空いているソファに腰をおろした。
「で、ご用は?」
「なにを偉そうに。無防備にのうのうと乗り込んできおって。マキナは罠をはっておったのじゃぞ? わしが救ってやったからよかったようなものの」
「どういう……」
「マキナはワームホールの出口をコントロールできるのじゃ。つまりおぬしがこっちの世界へ来た瞬間にじゃな……」
「えっ?」
なんだ?
ワームホールの出口をコントロールできる?
つまり彼女は、好きな場所に俺を配置することができるということだ。もしかすると、出口のない部屋に閉じ込められたかもしれない。想像するだけでぞっとする。
トヨは神妙にうなずいた。
「天使ちゃんのいる小さな島にとらわれるところじゃった」
「はい?」
「色欲の罠じゃな。二人きりの島に閉じ込められたおぬしは、きっと本来の使命を忘れ、堕落した生活を送ることになったろうのぅ。救ってやったわしに感謝するのじゃ」
「な、なんだって? 余計なことしやがって……」
おっと、つい本音がもれてしまった。
トヨも目を丸くしている。
「い、いまなんと?」
「いえ、お助けいただきありがとうございます」
深々と頭をさげた。
口は禍いの元だ。
こればかりは何度やらかしても直らない。
トヨは不服そうではあったが、話を進めてくれた。
「わしはおぬしらよりだいぶお姉さんなのじゃぞ? きちんと敬うのじゃ」
「はい」
お姉さんというよりは……。
「ところで、もうひとつ問題があってのぅ。じつはヒナゲシが、おぬしを殺そうと徘徊しておるのじゃ」
「はい?」
「あのわっぱ、どうも以前からマキナと通じておったらしいの」
「なんとなくそんな予想はしてましたよ。けど、じゃあ俺に協力してくれたのはいったい……」
「優しさにほだされたんじゃろ。おぬしのことを好いておったようじゃから。じゃが……天使ちゃんに手を出したのはマズかったのぅ。完全に敵に回ってしもうた」
まるで彼女たちが俺を巡って争っているかのようだ。
しかし木下さんや天使ちゃんは誰とでも寝る女だし、ヒナゲシは狭い世界で男と接する機会がなかっただけだ。それが必要以上にこじれてしまった。
「情報ありがとう。ま、ヒナゲシの件は俺のほうでカタをつけるよ」
「簡単に言うのぅ」
トヨはあきれた様子だ。
まるで傍観者。
俺はひとつ呼吸をし、できるだけ淡々と切り出した。
「さて、そろそろあんたの話もしないか?」
「わしの?」
「あんたは、以前からここに住んでいた人間として、突然現れたマキナに手を焼いているといった感じだった。まあ分かるよ。あの子はこの世界を支配しようとしているわけだしな」
「なにが言いたいのじゃ?」
しらばっくれている。
「だが、本当にそれだけなのか? あんたは具体的になにに困っていて、どんな対処をし、最終的にどうしたいと考えているんだ?」
「それは……じゃから、あやつの支配に困っておるのじゃ」
「話によると、あんたはもう模倣子まみれで、ほとんど動けないらしいな。だからこの浅い階層にいる。じゃあマキナは? おそらくもっとも深い階層にいる。なにか対立するようなことでもあるのか?」
「わしを疑っておるのか?」
「詳しい状況を知りたいだけだよ。異常な事態だってのに、あんたはほとんど情報をくれないからな。なにかを隠してると考えても不思議じゃない」
「考えすぎじゃ」
「それを証明するためにも、さっきの質問に答えて欲しい。最初になにが起きて、あんたはどうしたんだ?」
*
ふっと景色が変わった。
眼前の景色は、まばゆいばかりの砂浜。
あの女、逃げやがったな。
あきらかになにかを隠している。
マキナの世話だけでも大変だというのに、トヨまでなにか企んでいる。頭がどうにかなりそうだ。誰か事情を説明して欲しい。
「ぴーっ、ぴーっ、こちら天使ちゃん。聞こえますか? 聞こえたらお返事ください。ぴーっ、ぴーっ」
声がした。
いちばん聞きたかった女の声だ。
俺はジャケットの内ポケットから銃を抜き、声のほうへ向けた。
「ヒナゲシ、くだらない演技はやめてくれ」
「似てませんでしたか?」
小さな洞窟から出てきたのはヒナゲシだった。鋭いナイフを手にしている。最初に持ち込んだ銃は、さすがに弾を撃ち尽くしたか。
「会いたかったよ。話しをしないか」
「私、言いましたよね。私のこと、敵に回すような選択をしないでください、って」
「おぼえてるよ。それより、まずはその物騒なモノを置いてくれ。話をしよう」
俺は銃を砂浜へ放り、腰をおろした。
おそらく刺されないだろうという楽観もあるにはあったが、あるいは刺されても仕方がないという気持ちもあった。あとは彼女の判断にゆだねる。
彼女はナイフを捨てはしなかったが、おずおずと距離を詰めてきた。
「なにも話すことはありません……」
「マキナと組んでたんだな。仲間だと思ってたのに」
「私だって思ってました! だから、マキナのことは裏切ろうと思ってたんです! なのに、あなたが私を裏切るから……」
砂を踏みつけて興奮している。
「教えてくれてありがとう」
「撃たないんですか? 撃てばあなたの勝ちなのに?」
「それを勝ちとは呼びたくない」
「私のこと、子供だと思ってる」
「思ってるよ。頭はいいのに、情緒が安定していない。ま、そこらの大人よりは、よほどしっかりしてるけどな」
ちょっとなにかあるとすぐ怒る大人ばっかりだ。
みんな余裕を失っている。
奪わなければ奪われると思っている。
ま、別に間違ってないんだろう。いつの間にか、そういう社会になってしまった。だから、彼らは適応しただけだ。まだ適応していないのは、俺みたいな頑固な人間だけ。
彼女は隣に腰をおろした。
「私、早く大人になりたいんです……」
「大人、か。もうそんなのはなんの規範にもならなくなった。少なくともこの社会ではな。大事なのは、価値を他人にあずけるか、そうでないか、だけだ。あんたはどっちなんだ?」
「分かりません」
そうなんだろう。
だからこっちについたり、マキナについたりする。だが、ここで分からないと即答できるのは見込みがある。自分が分かっていないことを自覚している。
「問題ない。どれだけ頭がよくても、すべてに答えを出せるわけじゃない。これは別に、俺が勝手に結論してるわけじゃない。過去のどんな頭のいい連中も、特にこれといった答えを出せなかった。出せているなら、みんなそれをやっているはずだ」
「でもそうなると、誰もなにも言えなくなってしまいますよね?」
「言うのはいい。俺たち人間の脳は完璧じゃない。言ってることもやってることも曖昧だ。べつに誰も正しくない。そして正解を探し始めると、永遠に答えを出せなくなってしまう。つまり? そう、俺たちは、気分で行動していい。それが気分だって自覚した上でな。それで、あんたの気分はどうなんだ?」
彼女は言った。
「あなたを殺したほうがいいと……」
「ま、まあ……。それもひとつの答えだな……うん……」
力説しておいて、誘導に失敗してしまった。
クソダサい。
彼女は溜め息をついた。
「でも、ズルいですね。こうして話してると、あなたのこと殺したくないって思っちゃう……」
泣きそうな顔をしている。
泣かせたくて言ったわけじゃないのに。
きっと彼女は寂しかったのだ。
誰かと話をしたかったのだ。
誰かの役に立ちたかったのだ。
俺のことを好きになったのも錯覚だ。きっと家族が欲しかったのだ。友達が欲しかったのだ。理解者が欲しかったのだ。そのすべてが欠けていたから、一度にすべてを求めてしまった。
彼女に必要なのは、説得でも誘導でもない。孤独じゃないと伝えることだ。
「いっぺん思い出してみてくれ。あんた、いったいどんな動機でこの戦いに参加した? いちばん最初の動機はなんだ? 姉妹を救いたいと思った? 組織を倒したいと思った? なんでもいい。原点に立ち戻ってみてくれ」
彼女はハナから俺を殺すために行動していたわけじゃない。
なにか成し遂げたいことがあったのに、それが別の条件を引き寄せて、しまいにこんがらがって俺の命を奪うという話になってしまった。
こういうのは、本当によくこじれる。
当初の目的を見失う、というヤツだ。目先の出来事に躍起になるあまり、傷つける必要のない人を傷つけてしまい、結果、当初の目標を果たせなくなってしまう。
彼女はいじけたようにナイフの先端で砂を掘り始めた。
「地獄から、抜け出したかったんです……」
ズシンと来た。
俺が先に提示した「姉妹を助けたい」か「組織を倒したい」か、あるいはそれに毛の生えたような回答が来ると予想していた。だが、彼女の動機は、もっと根源的なものだった。
保育課での生活は、彼女にとっては地獄だったのだ。
「俺も昨日、初めて保育課に入った。もう、なにもなくなっていたが……」
「職員さんたちは、優しかったんです。私たちのこと、大事に扱ってくれて。でも、ある日、姉妹が急にいなくなるんです。声の素質のない姉妹が。不安になりました。私も素質のないほうでしたから……。どこに行くのか聞いても教えてくれないし。それで、自分で調べ始めて……」
「茨城の研究所のことを知った?」
「はい。そこで、おぞましい実験が行われていることも……。だから私は、自分がそこへ送られないよう、あらゆる手を尽くしました。ときには別の姉妹を誘導しました。その結果、私は姉妹全員から嫌われてしまいました。本当に卑怯な人間だったから」
姉妹からも嫌われていたのか。
いまのところ、理解者はカナリアだけかもしれない。
「悪いのは、あんたをそんな状況に追い込んだ組織だ」
「でも、姉妹を身代わりにしたのは私だけです」
「そこはズルいかもな。だが、そのぶん、姉妹を救おうともした。少なくとも、あんたがいなかったら組織を倒すことはできなかった」
これは事実だ。
彼女の持ってくる情報がなければ、俺はなにも判断できなかった。自力では運び屋とも接触できないから、木下さんも救えなかっただろう。
「でも、私のやったことを、誰も喜んでくれなかったんです。いまでも会えば殺そうとしてきます。私、空回りしてばっかりなんです。なにもしないで、あのまま死んでいればよかった」
「そんなふうに考えないで欲しい」
「でも……」
「俺は安易な慰めをしたいわけじゃない。そんなのは、あんたにとっても不快だろうしな。ただ、さっきも言った通り、正解なんてないんだ。自分を責めることだけを一番に考えないで欲しい。いろんな考え方がある。いろんな視点がある。一度、考えうるすべてのパターンを並べて、比較してみてくれ。相対化するんだ。それもしないで、ハナから答えを決めつけるのはよくない。俺ならそんなことはしない」
いや、する。
わりとする。
だからこれは、自戒も込めて言っている。
とはいえ、この「相対化」をやり過ぎると、なにもかもがどうでもよくなってきて、価値そのものが消滅しかねないのだが……。たとえば、世界を救えと言われても、ちっとも気乗りしなくなる。
それでも、自分で自分を殺すよりはマシだ。
彼女からの答えがなかったので、俺はこう続けた。
「じつは俺、この仕事おりようと思ってたんだ。だって、殺意もない相手を殺せってんだぜ? 人の命が金にしか見えなくなったらシマイだろ。なのに、四方からせっつかれてね。言われた仕事をしろってさ。それで戻ってきた。けど、まっぴらごめんだね。だから俺は、ここへは天使ちゃんとのバカンスを楽しみに来た。問題は、その天使ちゃんの姿が見えないことだが」
するとヒナゲシは、ナイフの柄を握りしめてこちらを見た。
「いままでの話はなんだったんですか!?」
「つまり、本人がどうしたいのかが一番大事ってことだ。いや、思ったことをそのままやれってんじゃないぜ。価値を大事にした上で、周りの環境と照らし合わせて、まあまあ可能なところを選ぶんだ」
「またあなたを殺したくなったとしたら?」
「それが本当にあんたの目的になったのか? もし違うってんなら、少し考えてみてくれ。俺に提案したいことはないのか? 俺が応じないとは限らない。なにをして欲しいのか教えてくれ。わざわざ殺さずとも、目的を達成できるかもしれない」
おそらく彼女はマキナよりまともな良識を備えている。
はじめは自分が助かることしか考えていなかったかもしれない。だが、その後にとった行動は評価に値する。
組織を倒す。姉妹を救う。
ちょっとできることじゃない。普通、自分が助かったらあとはどうでもよくなるものだ。
「マキナを消去すべき……でしょうか?」
ちゃんと考えた上で答えを出してくれた。
「消去するかどうかは、まだ決めなくていい。だが、会いに行くのは賛成だ。いま行ったら殺されるのは俺のほうかもしれないが」
「マキナは、姉妹を救うって約束してくれたんです。でも、そのせいで現実の世界が壊れるのは……問題があると思ってました」
「なら行こう。彼女と話し合うんだ。詰め切れていないプランを詰めるぞ。結果が変わらなくても構わない。少なくとも、気持ちはスッキリする」
「はい」
話がまとまってなによりだ。
彼女が賢い子で助かった。こちらが提案を出せば、刺す前に頭を使ってくれる。
俺は立ち上がり、青空の下で深呼吸をして、ぐるりと周囲を見回した。
「ところで、この島には天使ちゃんがいるはずなんだが……」
「とっくに殺しましたけど」
「そうか」
ならもう用はない。
新たな旅の始まりだ。
(続く)




