二度目
荒野に出た。
待ち受けていたのは、地べたをはいつくばる人々。
「助けて……助けてくれ……」
彼らは五体満足ではなかった。体の一部が白いもやになっている。故人ではない。まだ不完全な状態だったころのオルガンで飛ばされた人間たち。
敵ではない。
無視して素通りしてもいい。
仮に立ち止まったところで、俺たちには救うすべもない。
「待てよ……」
聞き覚えのある声がした。
元警察の男。
腕も足もない。
苦しそうに顔をしかめ、血走った目でこちらを見ている。
「お久しぶりです」
「いまさら、なにしに来た……」
「個人的な用で」
あのとき彼は、オルガンを警戒し、俺たちに撃ってくれと懇願した。だが、出遅れてしまった。その結果がこれだ。
「あいつ、お前の娘なんだってな……」
「知ったのはつい最近ですよ」
「どうするつもりだ?」
「さあ」
ごまかしたつもりはない。
本当に分からないのだ。
もしマキナを放っておけば、ワームホールは閉じない。
現実世界の秩序は遠からず破壊される。
だがマキナを殺せば、ワームホールは閉じる。たぶん。
被害は拡大しない。
男は顔をしかめた。
「殺せよ……必ず……」
「約束はできません」
「それと、あのときお前と一緒にいたガキ……。あいつも共犯だ……。あいつが俺を茨城に誘導したんだ……。あいつも殺せ……」
なんとなくそうだろうと思っていた。
当時、男はなにかに気づいて俺たちのほうを凝視していた。そのときは、いったいなにを見たのか分からなかったが。彼は十二番――ヒナゲシを見ていた。
「彼女はなぜあんたを?」
「知るかよ……」
オルガンには洗脳機能もある。遠隔で有機周波数を浴びせて、精神に侵食することができるのだ。他者を、思うまま誘導することができる。
当時、俺はこう仮説を立てた。
データ観測室の室長がオニゲシを使い、彼を茨城へ誘導したのだと。だからこの男は、きっとヒナゲシとオニゲシを見間違えたんだろうと思った。思いたかった。
だが、この仮説にはムリがある。
室長にしても、オニゲシにしても、それをする動機がない。
一方、ヒナゲシには動機がある。
彼女は都合よく使えそうな手駒を見つけ、有機周波数で操り、茨城の研究所へ送り込んだ。内部を調査させるために。彼女自身は一度もそこへ行ったことがないのに、やけに内部事情に詳しかった。
ほかにも被害者がいるのかもしれない。
「必ず殺せ……殺してくれ……」
「情報提供には感謝します。ただ、なにも約束することは……」
「殺せ! 絶対に殺せ!」
「……」
そう言いたくなる気持ちは分かる。
彼は被害者だ。
正義のために警察をやめてまで活動していたのに、手駒にされた挙句、オルガンでこんな状態にされてしまった。
あまりにも理不尽だ。
人を助けようとしなければ、不幸になることもなかった。
*
壁を超えると、また見慣れた景色に出くわした。
もう何度目だろう。
俺が木下さんを突き飛ばした雑木林だ。
当の木下さんもいた。
本人ではない。
まだ小学生のころの彼女。
「こんにちは」
彼女は完璧なスマイルを浮かべた。
人を騙すときにやる顔だ。
当時はずいぶん大人びて見えたものだが、いま見るとかなり幼い。
間宮氏が溜め息をついた。
「危険だと判断したら、私の判断で攻撃を開始します」
「オーケー」
わざわざそう言ってくれるということは、危険になるまで静観してくれるつもりなんだろう。彼女は意外と親切なところがある。
だが俺は、内ポケットから銃を抜き、彼女へ向けて発砲した。
雑木林にパーンと音が反響し、驚いた鳥たちが飛び去った。鳥というか、白いもやだが。
「えっ? 会話しないんですか?」
「おそらくマキナの策だろう。まともに取り合っても、時間を奪われるだけだ」
「意外ですね。絶対にヤれないと思ってました」
「じつは俺も……」
心臓がドキドキしている。
高揚ではない。脳がキュッとなってしまったので、酸欠にならないよう心臓が余計な仕事をしているのだ。気分はよくない。もしこれが夢なら飛び起きているところだ。
崩れ落ちた木下さんは、うつ伏せになって痙攣を始めた。
小さな体で震えている。
即死できるよう、俺は後頭部を撃ち抜いた。
間宮氏は周囲を見回した。
「マキナさんの気配が濃くなってますね」
「だいぶ近づけたってことなのか?」
「まあ、そうとも言えるかも」
「えっ? それはどういう……」
「来ますよ」
木下さんの死体が、むくりと起き上がった。
かと思うと、ほとんど姿が失われ、ただの白いもやになった。人の形をした霧。ただし、奥にうっすらと背骨や臓器が見える。
マキナ……。
「もー、お父さん、ひどいよ。急に撃つなんて」
体内の小型オルガンが、俺の意思とは無関係に起動しようとしている。いや、起動しそうでしない。アルミホイルのおかげか? それともマキナがなにかしているのか?
「来るな! 俺の体内のオルガンが、あんたの周波数に反応して起動する!」
「大丈夫だよ。私、ここにいないから」
「いない?」
「ホログラムみたいなもの。凄いでしょ? 壁を越えて力を使えるんだ」
ということは、この階層にはいないということか。
「そういえば、まだちゃんと挨拶してなかったな。俺は……」
「知ってる。私のお父さん。そっちのお姉さんもよく知ってるよ。顔を見るのは初めてだけど」
有機周波数のあるもの同士、互いの存在を認知していたようだ。
明治時代にも、ある権力者の娘と、ある祈祷師が、互いに交信していたという記録がある。
「なにしに来たんだ?」
俺がそう尋ねると、彼女はなんとも言えないリアクションをした。
「それはこっちの質問だよ。どうするつもりなの? あのアメリカ人の言う通りにするの?」
「あいつは好きじゃない。だが、そうしないと俺たちの世界が壊れる。なんか魚も変な感じになってるらしいしな」
ただでさえ収穫量の減っている魚もいるのに。既存の魚をモンスターにされるのはごめんだ。寿司が高くなる。
「ワームホール、閉じてあげてもいいよ」
「えっ?」
「でも開こうとする人たちがいるんだ。その人たちを全員消さない限り、何度でも同じことが起きるよ」
「誰なんだ?」
「お金を持ってる人たち。なにか目新しいことが発表されると、みんな興奮してお金を使うようになるから。それをビジネスにしたがってるんだ。あと、先に新技術に手を出しておけば、占有できるかもしれないし」
また金の話だ。
それがいいが、あまりに普通に会話に入ってしまったな。
俺はひとつ咳払いをし、こう切り出した。
「概要は分かった。だが、その前に……。ちょっと個人的な話をしないか? 俺は、あんたと木下さんにひどいことをしたから……」
「えっ? その話? ぜんぜん気にしてないよ」
軽い!
あまりに軽すぎる。
「いや、でも……」
「もー! お父さん、気にし過ぎ! そんなこと、誰も気にしてないよ。お母さんもそうだよ? だからお父さんも忘れなよ」
「俺は本当にお父さんなのか?」
「そうだけど? なに? 疑ってるの? そこはさすがに受け入れてよ。怒るよ?」
「すまん」
本当に気にしていないのか?
しかも俺を受け入れている?
演技かもしれない。だが、それでも、俺はマキナをこの世界から消したいとは思えなくなっていた。
間宮氏は「ご勝手にどうぞ」とばかりに遠くを見ている。
「私、お父さんと戦いたくないの。来て欲しくなかった。アルミホイルは笑うけど……」
「周波数を遮断できると思ったんだ」
「できてるよ。いいアイデアだったね。私を傷つけないように、いろいろ考えてくれたんだって、ちょっと嬉しくなっちゃった」
「うん……」
不思議なものだが、こうして会話をしていると、だんだん本当の娘のように思えてくる。
これも洗脳か?
いや。
俺が気を失っていた間、彼女はずっと元気づけてくれた。この声には本当に励まされた。だから素直に受け入れることができた。
マキナは、しかし声のトーンを抑え、こう告げた。
「でも天使ちゃんのことは……。けっこう引いた。いくら血がつながってないからって」
「いや、あれは……」
「私にとっては妹なんだよ? 二度としないで」
「はい」
「お母さんも哀しむから」
お前の母親は、こんなの比較にならないほどのビ○チだぞ……と、言い返してやりたかったが、さすがにやめた。
娘相手に本気で皮肉を飛ばしても仕方がない。
「反省するよ」
だが木下さんは気にしないだろう。俺にとって彼女は人生のすべてだが、彼女にとっての俺は人生の一部でしかない。ムカつくことに、日本とアメリカの関係みたいだ。
俺は可及的速やかに話題を変えることにした。
「これから俺はどうしたらいい? ワームホールを開こうとしてる金持ちを全員消せばいいのか?」
「できないでしょ、そんなこと」
「できない」
「知ってる? 私、この世界で神さまになったんだよ? こっちに来てみたら、私が一番強かったの。もともと素質があったし、機械と薬で強化されてたから、意外と簡単だった」
自力で模倣子の世界へ到達した自称ヒミコ――トヨでさえ、かなわないレベルの強さだ。それは事前に分かっていた。
きっと俺の予想などはるかに超えた能力なんだろう。
「神なら、ワームホールを閉じられるだろ」
「ちゃんと聞いて。ワームホールを閉じることはできるよ? でも、閉じるつもりはない。そっちの世界に影響は出ると思うけど……。でもそのほうがいいの。そしたら、私が支配できるから。支配って言っても、悪いことをするつもりはないよ? 平和のために、できることをする。私、みんなを救いたいの」
本当に、素晴らしい願いだ。
だが、木下さんも指摘した通り、この世界は、誰か一人が支配するのではダメなのだ。
完璧な人間などいない。みんなが意見を出し合って、互いの間違ったところを直し合い、それで少しずつ進んでいくべきなのだ。
「あんたの考えは立派だとは思うが……」
「ねー! その『あんた』って呼び方やめてよ。名前で呼んで。それも、保育課でつけられた名前じゃなくて、お父さんが新しくつけた名前。なにか考えて。かわいいやつ」
「名前……」
「天使ちゃんだけはやめてね。吐くから」
「しないよ」
自分の好きな女の名前を娘につけるなんて、異常者のすることだ。
それは虐待と言っていい。
マキナは言った。
「でもすぐ思いつかないだろうから、あとでいいよ。雑につけられるのもイヤだし。だから、いまからお父さんがするべきことだけ教えておくね」
「ああ」
初対面のとき、脳と背骨と内臓だけだったから、まともにモノを考えられる状態なのかも不明だったが……。普通に先手を打って話を進めてくる。
俺より賢いかもしれない。
「まず、そこの崖から飛び降りて死ぬこと」
「は?」
「聞いて。もとの世界に戻るには、一回死ぬしかないの。私の力でも殺せるけど、そんなことしたくないし。で、戻ったら、お母さんと一緒におとなしくしてること」
「するとどうなる?」
「あとは私が世界を平和にする。模倣子と遺伝子が十分に混ざり合ったら、私もそっちに行けるようになるから」
前提として、凄まじい混乱が起こる。
生態系も破壊される。
それらの上に成立する平和とは……。
だが、確かに、善人が、神のごとき力を持っていたとしたら?
それは歓迎すべきことではなかろうか。
いや、本当に?
「平和って、具体的にどうするんだ?」
「悪い人間を消すの」
「消す……」
「でもそうでしょ? 人間社会だって、法律にのっとって悪い人間を逮捕して、社会から弾くよね? 残念だけど、そうするしかないの。私、独裁者になるつもりはないよ? ホントにいい世界にしたいだけ」
「それは疑ってない。だが、善悪の判断はどうする?」
「お父さん、私のこと信じてくれないの?」
ダメだ。
零点だ。
信じるとか信じないとか、そういう感情の話にしてはいけない。
確かに、歴史上、善政を敷いた独裁者はいた。いたが、国が豊かになると、彼らの大半は堕落した。
あるいは、若いころは名君でも、老いてから暗愚に変わる例もある。
なにかの拍子に「ゆるむ」のだ。「うまく行ってんだからいいだろ少しくらい」となる。そいつ以外の誰かがブレーキにならないといけない。
「価値を決定するのは、簡単なことじゃない」
「なるほど。お父さんは苦労したことがないから、分からないんだね。ちょっとガッカリしちゃった。つまんない大人と同じこと言うんだもん」
「……」
「でも安心して。お父さんのことは嫌いにならないよ。私が勝手に期待し過ぎてただけ。私と同じ水準で思考しろなんて、どう考えてもムリだもんね。もう話すことはないから、あっちに帰っていいよ。あとは私が自分でなんとかするから」
「……そうか」
娘に言い立てられて、俺は反論さえできず、このあと崖から身を投じることになるのか……。
だが、もしそうしない場合、俺は彼女を殺すしかなくなる。
娘を殺して日常を取り戻すか、娘に任せて世界を変えるか。
正直、べつにどちらでもいい。
俺はこの世界をそこまで愛していない。少なくとも無条件で愛すつもりはない。娘をこんなふうにしたのは、まさしくこの世界なのだ。世界は、自分のしでかした因果を受け入れねばならない。日常を続けたいなら、彼女を怒らせるべきではなかった。
「分かったよ。いったん帰る。ただ、崖から落ちるのは勇気が……」
すると間宮氏が弓に矢をつがえながら、飄々とした様子で言った。
「お手伝いしますよ」
「えっ?」
いや、きっと善意なのだろう。
礼の言葉を述べる余裕もなかった。
理解が早すぎるというのも、時には困りものだ。
(続く)




