そいつはもう死んでいる
一人で地下へ行き、フィールドに入った。
もちろん入ってすぐドアを閉めた。
もう二度目だ。すべきことは分かっている。
飛ばされた場所はオフィス。
デスクが三つあり、課長がいて、二番がいて、俺がいた。
気づいた二番は、うんざりとした顔でこちらを見た。
「なんで来たの?」
「俺の意思じゃない」
どうやらこの世界では、関係者に引き寄せられる傾向があるようだ。
まあ俺たちの活動でできた世界だから、個人の経験が影響してしまうのだろう。
課長は「ほら、ケンカしないの」と注意してくる。
青白い顔。
くたびれたスーツ。
本当に生きていてくれたなら……。
二番は席を立った。
「三番くん、ちょっと外で話そ」
「いいけど」
課長は「仲良くね?」と念を押してくる。
二番は泣きそうな顔だ。
「すぐ戻ってくるので、そこにいてくださいね」
「えっ? いるよ。今日は予定もないしね」
「絶対ですよ?」
「うん……」
*
居室を出て休憩所に来た。
まっしろで飾り気のない廊下だ。自販機だけがピカピカ光っている。しかも商品が……精度の低いAIが出力したような、商品の特定もできないようなデザイン。いったいどんな味がすることやら。
二番は、顔に似合わず、くたびれたサラリーマンのように壁によりかかった。
「ハッキリ言って邪魔なの。もう来ないで」
「言ったはずだ。俺の意思じゃない」
「じゃあ帰って」
「なんでだよ? 俺も課長と話をさせてくれよ。課長に死なれて哀しんでるのは、あんただけじゃないんだぜ」
すると彼女は、いきなりバンとテーブルを叩いた。しかも強く叩きすぎたせいか、痛みにもだえてしゃがみ込んでいる。
「いった……」
「なんだ急に」
「死なれたとか言わないでッ! 課長に聞かれたらどーすんのッ!」
「聞かれたくないなら、もっと声をひそめるべきだな」
「あんたね……」
もう少し冷静になるべきだな。
「悪かった。慎重に言葉を選ぶ。俺はあんたの生活を妨害をするつもりもない」
「課長の存在は不安定なの。たまにふっと消えるときがあって……。少しでも存在に疑いを持つと、ホントに消えちゃうの」
父親と離れたくない子供みたいな顔をしている。
これなら実際の娘さんのほうが立派だった。
「けど、どうするんだ? ずっとここにいるつもりなのか?」
「そう」
「いや……」
「なに? なんか文句あんの?」
するとどこかから「ある」と声があがった。
もちろん俺じゃない。
キレのあるショートヘアと、鋭い目つきの女。
ヴァーゴだ。
間違いなく本人。
彼女も来てたのか。
「あおちゃん、なんで……」
二番は目を丸くしている。
俺には上から言ってくるくせに、ヴァーゴが現れた途端コレだ。
まあ話が早くなって助かる。
ヴァーゴはずんずん近づいてきたかと思うと、いきなりパーンと二番の頬を平手打ちした。驚いている二番に、さらに平手打ち。三発目をカマそうとしていたので、俺はさすがに止めた。
「待て待て。やり過ぎだろ」
「全然足りない」
バッと手を振り払われてしまった。
二番はへたりこんでいる。
「な、なんで……。そんなに叩かないでよぅ……」
もともとの顔立ちが幼いから、泣き出しそうな子供にしか見えない。
ヴァーゴは仁王立ちだ。
「あんたを助けに来た」
「でも……」
「課長のことは、二人で話し合ったよね? 忘れろなんて言わない。私だって忘れられないよ。けど、いつまでも過去にこだわってたら、あんたの人生が壊れちゃう」
「でも……でも……」
ぽろぽろと涙をこぼしている。
俺は席を外したほうがいいだろうか。
どう考えても二人の会話についていけていないし、温度差もあって、浮いているのだが。
いや、急にいなくなるのも変だし、いちおういるか。
二番はしゃくりあげている。
「私、最初の試験で……守ってくれたおじさんも探したの……。でもね、ちっとも見つけられなくて……。顔も思い出せないんだ……。助けてくれたのに……」
「つかさ、ずっと気にしてたんだね」
「気にするよ……。私、忘れたくない……」
ヴァーゴはぽりぽりと頭をかきつつ、こちらを見た。気の利いたセリフのひとつでも投げて欲しかったのかもしれない。だが、俺は肝心なところで口を滑らせる。喋らないほうがいい。
ヴァーゴはひとつ溜め息をつき、こう応じた。
「もう自分を責めるのはよしな。死んでいったおじさんたち、みんな大人なんだよ? 自分で判断して、自分で行動したんだ。あんたに生きて欲しかったから。そのあんたが、いつまでも過去にしがみついてたら、あの人たちだって報われないよ」
「でも……」
「でもじゃない。とはいっても、急にどうこうしろなんて言わない。ここに残って、しばらくあんたと課長とお仕事ごっこしてあげる。だけど、心の準備はしておいて。お別れのための準備だよ」
二番の体がふるっと震えた。
「お別れ……?」
「するの」
「でも……」
「でもじゃない! ゆっくりでいいから。ちゃんと自分の足で歩くことが恩返しなんだよ。いつまでも自分の記憶に課長を縛り付けてちゃダメ」
「うん……」
同感だ、という顔で俺もうなずいた。
個人的には、幸せならいまのままでいいとも思う。なにもかも忘れて、一生夢を見ながら暮らすのだ。最高じゃないか。ここではそれでも生活が成り立つ。
そう考えると、俺もカルト側の発想なのかもしれない。
みんな生きたまま天国へ行こうぜ、という考えなのだから。
ヴァーゴはこちらへ向き直った。
「あんたはもう行っていいよ。なにかやってる途中なんでしょ? ここは私に任せて」
「そうかい? じゃ、遠慮なくお任せしようかな」
俺はハナからいなくてよかったようだな。
いや、悔しくて言ってるわけじゃない。本当に。ただ、もう少し参加する余地があってもよかった気はする……。
まあ問題は解決したのだ。ここはヴァーゴに感謝するとしよう。
*
さて、一人になった。
仲間はいないし、自称ヒミコにもらったステッキも紛失している。俺は自力で壁を突破できないから、ステッキが必要だ。ヒミコに会う必要がある。
とはいえ、ぼうっと駅前を歩いてみても、特に誰かが手を貸してくれる気配もない。
あるのは輪郭のぼやけた白いもやだけ。
そうそう都合よく誰かが助けてくれるわけではないらしい。
ひとまず神社へ向かおう。
十二番と合流できるかもしれない。
それにしても……。
気になるのは二番のことだ。
えらく課長に執着していた。
死んでしまった人間に、あんなにこだわって。
気持ちは分からなくもないが……。本物ではないのだ。生きていたときの言動を、模倣子の力でトレースしているに過ぎない。それでも生きているかのように錯覚できるのかもしれないが……。
どこかで限界が来ないのだろうか?
なんというか、存在そのものに対して。
偽物なのだから、どこかで破綻するだろう。思っていたのと違う反応をするだろう。そのときにさめたりしないのだろうか?
あるいは、こちらの都合のいいように振る舞ってくれるのか?
「あっ」
俺は思わず、間の抜けた声を発してしまった。
うかつだった。
もっとちゃんと考えながら歩くんだった。
気がついたときには、俺は見慣れたリビングにいた。
「ぴーっ、ぴーっ、こちら天使ちゃん。聞こえますか? 聞こえたらお返事ください。ぴーっ、ぴーっ」
こちらに背を向けた患者衣の女が、床に座り込み、道具も使わず謎の存在と通信していた。
絶対に会いたくない人間が出てきてしまった。
声の素養があったからか、彼女は故人にも関わらず、しっかりした存在感を有していた。
「天使ちゃん……か?」
俺がそう声をかけると、彼女はゆっくりと振り向いた。
暗い顔の女。
目の下にクマがある。
彼女は俺を見てから、まずは驚いたように目を見開いて、それから嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。
「こんにちは……」
そう告げた彼女の表情は、信じられないくらい愛しかった。
敵としてではなく、自由な個人として会えた。
俺は……本当に、なんとも言えない気持ちになって、ひとまず深く息を吐いた。
「こんにちは」
「うん……」
ダメだ。
すべての価値観が崩壊する。
俺は内心、二番を責めていた。
自分がそれでいいならいいが、しかし課長は死んだのだ。執着しても虚しいだけだろう、と。
だが、すべて撤回させてもらう!
いい。
目の前に、ただいるだけで、いい。
それで十分なんだ……。
俺は膝から崩れ落ちた。
全身の力が抜けてしまった。
「よかった……。ここで自由に生きてたんだな……」
「ん? ううん。生きてないよ。でも、お話しはできるよ」
「そうだな」
俺は少し笑った。彼女はジョークを言ったつもりはなかったかもしれないが、こんなことでさえ嬉しかった。会話をできるだけで満足だった。
彼女は座ったまま、すっと距離をつめてきた。
「泣いてるの?」
「いや、泣いてない。たぶん」
「泣いてないの? でも哀しいよね?」
「そうかな?」
「私を撃ったこと、まだ後悔してる……」
「してるよ、それは」
すると彼女は、ほっそりした腕を伸ばし、俺の頬に触れてきた。
本来なら、他人に触れられると拒絶感が出る。
いまも例外ではない。
なのだが、天使ちゃんの手を振り払うことはできなかった。いま振り払ったら後悔する。俺はもう彼女を傷つけたくなかった。
「怖い?」
「いや……」
「大丈夫。傷つけないよ」
「ああ……」
寄せてきた体を受け止めた。
心臓がキュッとする。興奮ではない。逆だ。呼吸がうまくできなくなって、体が萎えてしまう。なのだが彼女は、構わず体重を浴びせてきた。
「大丈夫。大丈夫だから」
声が心地よい。
のみならず、彼女の有機周波数が、俺の緊張を上書きして打ち消してくれる。安心感が、強制的に精神に侵食してくる。
大丈夫だろうか?
彼女が俺を殺す気なら、いつでも実行できる。
なのに、警戒感がまったく働かない。
糸の切れた人形のように、ぐったりしたまま動けない。
古い記憶がフラッシュバックする。
フラッシュバックするたび消える。
「大丈夫だよ」
天使ちゃんのささやく声が、耳のすぐそばで聞こえた。
俺はもう、すべてを彼女に委ねる気持ちになっていた。
(続く)




