はじめからやり直し
魔法のステッキを使用すると、空間が裂けてワープゾーンが開いた。
次第に有機周波数の濃度が高まっている。
ワープ先も砂漠だったが……。いや、ただの砂漠ではなかった。ビルが建っている。公園がある。スーパーマーケットがある。無秩序に、いろんな世界が切り貼りされたようにつながっている。
この世界に人間は一人だけ。
公園のブランコに小柄な少女がいる。
近づかなくとも分かった。
オニゲシだ。
ヒナゲシの妹。
顔立ちは似ているが、目つきも表情も暗い。
「来て。話そうよ」
オニゲシはそんなことを言った。
遠くでつぶやいただけだったのに、その声はハッキリと聞こえた。
彼女はカナリアとは異なり、直接模倣子に変換されたわけではない。
普通に死亡したのだ。
俺が射殺した。
だから、まるで意思を持った個体のように見えるが、実際はただの残像。生前の行動が、この世界の補助を受けて駆動し続けているに過ぎない。
そのはずだ。
俺は、二人の間にいるよう心掛けた。
オニゲシはおそらくヒナゲシを狙ってくる。
公園に入り、互いの場所まで数メートルというところで、俺は足を止めた。
「なるべく対話で解決したいもんだな」
「ムリだよ」
「えっ?」
えっ?
ザンと空気の裂ける音がした。
容赦のない音だった。
俺は状況も飲み込めないまま、体勢を崩して、地面に落ちた。受け身を取ろうと思ったのに、かなわなかった。
腕と足がバッサリ切断されていたのだ。
信じられないような量の血が流れて、俺はそこから逃げるすべもなくただ転がっていた。
ヒナゲシが悲鳴をあげた。
オニゲシはブランコから立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。
「自分が盾になれば、ヒナゲシを守れると思った? でもダメ。私が殺したいのは、ヒナゲシだけじゃないから」
「なんでッ! この人は関係ないッ!」
ヒナゲシの叫ぶ声すら俺の体力を奪ってゆく。
もう地面も血で赤く染まってしまい、それ以外の景色が見えなくなってしまった。
「関係ない? そいつは先生を殺したの。だから、関係ある」
「復讐するなら私にしてよッ!」
「まあ、そう……するけど」
ふたたび、ザン、と、イヤな音がした。
ヒナゲシも俺と同じように、四肢を失って地面に落ちた。
「オルガンには近づかせない。あの子は神さまになるんだから。完璧な世界を作るって言ってる。平和で、争いのない、完璧な世界……」
オニゲシはそこで力を使い、ヒナゲシを両断した。
気配が消えたから、間違いなく絶命しただろう。
この世界では死んでも生き返る……とはいえ、ちょっと受け入れられない結果だった。
オニゲシはしゃがみ込んできた。
「あなたはたぶん、死んだあと、この世界から放り出されると思う。もう二度と戻ってこないで。誰も得しないから」
「どういう……意味だ……?」
質問をするのさえ苦しい。
全身の力を振り絞らなくては声が出ない。
オニゲシは、なんとも言えないような目でこちらを見ていた。
「あの女に伝えておいて。余計なことはするなって」
「あの女……がッ」
肺から空気が押し出された。
身体が……。
*
まだ心臓がドキドキする。
まだ?
そう。
俺はたぶん殺されて……気を失っていた。それから……どうした?
視界に入ったのは天井だ。どこかの部屋でベッドに寝かされている。周囲には白衣の連中。
「副所長、患者が目を覚ましました」
「そう」
カツカツとヒールの音が近づいてきた。
覗き込んで来たのは組織の秘書。いや、いまは副所長か。
「事情を説明してください」
いつもの冷たい態度でそんなことを言ってくる。
できれば木下さんの顔が見たかった。
「事情? 俺が聞きたいよ」
「言っておきますが、そういうスカした態度、人を不快にさせるだけですから。あなたはいま、私に雇用されているのです。質問されたら、真面目に答えてください」
「いいけど、少し整理する時間をくれ。混乱してるんだ」
「信用できませんね。あなたに時間を与えると、ろくなことがない」
ま、そうだな。
少なくとも前回はそうだった。
身体に負傷はない。
まったくの無傷。
模倣子の世界でいくらダメージを受けても、身体は傷つかないようだ。気分は最悪だが。
俺は身を起こし、ひとつ呼吸をした。
「向こうで戦闘になってね。それで殺されて、気づいたらここにいた」
ここが模倣子の世界じゃないことは、有機周波数でなんとなく分かった。
秘書は端正な眉をひそめた。
「ずいぶん大雑把な情報ですね。それで納得するとでも?」
「まずはアウトラインだけ言ったんだ。質問があればちゃんと答える」
言いたくないことは言わないがな。
「向こうへ行って戻ってきたのはあなたが初めてなんです。しかも排出用のホールから……」
「えっ?」
「ワームホールの出口です。そこはいま政府の管轄になっていて……。あなたをここへ移送するのに、かなりの労力をついやしました。たくさんの書類にサインして……。とにかく、政府に報告する必要があるので、できるだけ詳細にお願いします」
カルトどもが遊びで深海魚を取り出していた穴から、俺は排出されたのか。
学者たちは、未知の生物を期待していただろうに。
「知っての通り、そこは模倣子の世界だった。二番と十二番、ザ・フールとザ・チャリオットに会った」
「会った? 生きていたのですか?」
「まあ、生きていた……と、表現していいと思う」
ほかにもいろいろ会ったが、いまは伏せておこう。
「なぜあなただけ戻ってきたのです?」
「戦闘になって殺害されたんだ。相手はシスターズの誰かだ。名前は知らない」
「なぜ戦闘に?」
「オルガンを守っているようだったな」
「理由は?」
「聞いてる余裕がなかった」
すると彼女は震える手でメガネをかけなおした。
「とんでもない事実ですね。やっぱり天国は世界は実在したんです」
忘れていた。
冷静そうに見えるが、この女もカルトの一員なのだ。
オルガンがただの殺人装置ではなく、本当に『生きたままの人間』を『天国』へ送る装置だと知って興奮しているのだろう。
逆を言えば、いままでその確証がないにも関わらず、人々を装置にかけようとしていたわけだが。
*
すぐさま宝物殿へ連行された。
こちらの意思など関係ない。俺は雇用されているのだ。途中で投げ出せば違約金が発生すると脅された。従うしかない。
宝物殿には、木下さんと、間宮そーらーがいた。二人はテーブルを挟んでソファに腰をおろしている。まるで部屋の主が二人に増えたようだ。和気あいあいといった雰囲気でもないが。
「お帰りなさい、愛しい人」
「チッ」
木下さんのジョークに、俺は余裕ある対応をできなかった。
聞きたいことが山ほどある。
俺は周囲の目も気にせず、木下さんのすぐ隣に腰をおろした。
「マキナについて教えてくれ」
「あなたの娘よ」
「そういうのはいい。あの子は昔……」
「そう。あなたに崖から突き飛ばされたとき、私が身ごもっていた子供ね。でも父親が誰かは分からないし、結局は助からなかった……ということになっていた。でも違ったの。彼女は生きていた。父親はあなた」
「……はい?」
なんだって?
いや、いい。
こういうときでも不謹慎なジョークを言う女なのだ、この女は。
「こっちは真面目に聞いてるんだ。イエスかノーかで答えてくれ。つまり……」
「イエス」
「真面目に答えてくれ」
「真面目に答えてる。ま、怒ってもいいわ。あなたを騙してたんだから。でも信じて? 私にも確証がなかったのよ」
まだウソをついている。
この話には矛盾がある。
「俺はあんたと子供を作ったおぼえはない」
「そうね。おぼえはないみたいね。完全に忘れてるみたいだった」
「どういう……」
「あなたが役立たずになった原因は私よ。でも全然私のこと責めないから……。きっと忘れたんだと思って」
「それは……」
じつは一度、彼女にいじめられたことがあった。
急に押し倒されて、服を脱がされて……。かといって叩かれるわけでもなく、なんだか分からないうちに終わった。とにかく「逃げなくては」とは思ったが……。
その程度の記憶しかない。
彼女はティーカップの紅茶をひとくちやり、かすかに笑った。
「ま、とにかく、私のお腹にいた赤ちゃんは、あなたの子供だったってこと。もちろん当時は分からなかった。私、いろんな男と寝てたから」
「いつ知った?」
「あなたがこの組織に入ってからね。この部屋に来たとき、あなたの遺伝子を採取させてもらったの。それで初めて判明した」
「ウソだ……」
「ウソじゃないわ。科学的に検証した結果よ。でも、よかったじゃない? あなたが私を殺したのには理由があったってこと。もちろん、どんな理由があろうと、人を傷つけるのはダメだけど……。でも少しは罪の意識も薄くなったんじゃない? 私にも非があったんだから」
ならない。
考えは変わらない。
問題が増えただけだ。
俺は呼吸をした。過呼吸にならないよう、慎重に。
「分かった。あんたの情報を正しいと仮定しよう。すると……いくつかの点がつながるな。夢の中に出てきた少女も……」
「あれは夢というより、ほぼ有機周波数ね。私も受信したわ。あまったるくて不快な夢よね」
「つまり彼女は、俺が父親だってことを知ってたんだな?」
「私が知ったときに知ったんでしょうね。AIを使ってシミュレートしてたことも分かってる。あの子、誰にも分からないよう、ひそかに行動してたのね」
「目的は?」
「平和な世界を作ること」
「……」
本当に?
オニゲシも同じことを言っていた。
だがもし事実なら……。それを阻止する理由があるのだろうか?
木下さんはどっとソファに背をあずけ、盛大な溜め息をついた。
「だらしないわね。なにぽかーんとしてるの? 未熟な人間の作る『平和な世界』なんて、不備があるに決まってるじゃない? 理想的なのは結構。けど、どこかにひずみが生じるものよ。自分の正義だけが絶対で、他人の正義なんて理解しようともしないんだから。つまり独裁ね。あなた、この世界を、正義に燃えた赤ちゃんに支配させたいと思う?」
それはダメだ。
きっとおかしなことになる。
間宮そーらーが、おずおずと挙手をした。
「あの……質問よろしいでしょうか……?」
初対面でイキリ散らしていたのがウソのように謙虚になっている。
俺がいない間に、木下さんにヘコまされたか?
木下さんは笑顔で応じた。
「質問を許可するわ」
「はい。あの、つまり……お二人は、オルガンのご両親……ということになるんでしょうか?」
「正確には、オルガンに接続された生体パーツの両親ね」
「つまりこの組織の神さまの……ご両親?」
「そうなるのかしら?」
するとずっと黙って立っていた秘書が「なります」と補足した。彼女は、まだ木下さんを御神体だと思っているのかもしれない。
間宮そーらーは青白くなっていた。
「あ、あの、じつは私、間宮の宗家じゃなくて……」
「知ってる」
「けど、急に、宗家から連絡があって……。一人、専門家をよこすって……。わた、私、殺されるかもしれなくて……。その……」
間宮は古い呪術師の家系だ。
間宮自体もヤバいが、よく分からない支援者がいる。
間宮の看板を使って軽率なことをするべきではなかった。
木下さんは麗しい笑みだ。
「大丈夫よ。あなたに手出しはさせない。だって、あなた、ずいぶん協力的だったじゃない? もう仲間よ」
「ホ、ホントに? し、しし、信じていいですか?」
「もちろん」
「うーっ! うーっ!」
間宮そーらーは泣き出してしまった。
本気で不安だったのだろう。
ともあれ、人の心が掌握される瞬間を目撃してしまった。命を奪おうとするやつも、守ろうとするやつも、どちらも怖い。
俺は立ちあがった。
「どうせまた行ってこいって言うだろうから、もう行くよ。ただ、隠し事はナシだ。どうして欲しいのか率直に言ってくれ」
これでもまだ隠し事をするというのなら、それこそ好きにさせてもらう。
彼女は優雅な手つきでカップを持ち上げた。
「じつはね、ないの」
「は?」
「知ってるでしょ? この世界がどうなろうと私の知ったことじゃない。ただ、あなたはそうじゃないと思って」
選択のチャンスを与えたつもりか?
余計なお世話だな。
「なら、あんたも知ってるだろ? 俺はあんたの人生にしか興味がない。オルガンが障害になるなら排除する」
「それっていつもの? もっとちゃんと考えたほうがいいんじゃない?」
「一理ある。ま、歩きながら考えるよ」
まるで物語の主人公にでもなった気分だ。
ドメスティックな事情が世界の危機に直結している。
世界にとってはいい迷惑だろう。もちろん俺だって困っている。対象が赤の他人ならよかった。
ドアを開くと、ちょうどエレベーターが到着したところだった。現れたのはまっしろな髪の女。
「お約束していた間宮です。そーらーさんにお会いしたいのですが」
巫女装束で弓を担いでいる。
間宮宗家の娘だ。下の名前は知らない。
奥で間宮そーらーが「ひっ」と悲鳴をあげた。
俺は「どうぞ」と道を開け、エレベーターに乗り込んだ。
あとのことは木下さんがうまくやるだろう。
俺はいま忙しい。構っている余裕がない。
(続く)




