嵐のなかで輝いて
絶える事なく核融合を続ける灼熱の恒星に照らされた熱砂の上、変温性の爬虫類ですら熱中症になりそうな炎天下を、命知らずだとしか言いようのない装備で歩く二つの人影があった。
ソーマとココである。
「ソーマぁ……あついよぉ……」
半眼の瞳の奥に螺旋を描きながら、今にも倒れそうな表情でココがこぼすと、
「そうは言っても……水場どころか日陰すら見当たらないからな……」
倒れそうを完全に通り越した死にそうな顔でソーマが応える。
ココの故郷であった町を出てもう三日目。町で拝借してきた水もとうに底を突き、現状は干し肉の塩分でどうにか歩く気力だけ振り絞っているという具合であった。
そんな二人の目の前を、イルカの群れが優雅に跳ねながら泳いでいく。
「のど乾いたね、ソーマ……イルカの生き血って飲めるのかな……」
「捕まえられるもんなら捕まえてみろよ……」
「じゃあ行く……。――あっ」
雪駄の爪先が緋袴の裾に引っかかり、小さな悲鳴をこぼしてココが砂地に倒れる。
「だ、大丈夫か……?」
「しぬ…………すながあつい……………………」
声をかけながら手を差し出すソーマに、俯せのままココ。
「死ぬな……もうちょっと頑張れ」
「……もうむりぽ……」
「ぽって何だよどこの方言だよ……とりあえず起きろ。火傷するぞ」
自分の首にココの細腕を絡め担ぎ上げる。だが今のソーマには細身の少女を支える体力すら残っておらず、
「うぶっ」
揃って仲良く砂地に沈む。
「……あー……これ、死んだな…………」
チンチンに熱せられた砂に顔を埋めてソーマ。生きたまま油鍋に放り込まれるワカサギの気持ちが、今ならよく分かる気がした。
いよいよ死を覚悟しかけたところに、隣から弱々しくもどこか艶っぽい声がかけられる。
「……ソーマ…………おしり……なでて…………」
「…………………………………………はい?」
突然の謎発言に頓狂な声を漏らすソーマ。するとココは哀願するような声音で続けた。
「はやく……わたしのおしりをなでて…………じゃないとほんとうにしぬ…………」
「お医者さーん! 連れが暑さにやられましたー!」
「やられてないよ……むしろヤれるならヤって……」
「ほんとに何言ってんの!?」
「おねがいソーマ……ひとおもいに……」
ココの声が次第に真剣味を帯びてくる。
ソーマは逡巡した後、(暑さに頭がやられているのもあり)ゆっくりと右手を伸ばし、
「……後で訴えられたりとかしない……?」
「しない……」
万一に備え言質を取り、意を決して、緩やかに弧を描く桃尻に手を添える。
「んっ…」
乾いた大地に湿った吐息がこぼれた、次の瞬間。
二人の枕元に何かが降り立ち、灼熱の陽射しを遮った。
顎を突き出し視線を上げたソーマの目に、武骨な人型が映る。
「……あ……アストラーデ…………?」
その言葉に応えるようにアストラーデの眼が光り、ゆっくりと片膝を突くと、両腕に死にかけの二人を抱え込んで、プラズマを放出しながら大空へと飛び立っていった。
「きもちいー!」
アストラーデの掌の上で黒髪をなびかせながら叫ぶココ。アストラーデが自身の巨躯で日光を遮るように二人を抱えているので、なかなかに涼しい。
眼下ではイルカやクジラが賑々しく跳ねたり、潮を吹いていた。
「ソーマ! このまま次の町までひとっとびしようか!」
普段よりはるかに高いテンションでココが言う。だがソーマは難しい顔をして何やら考え込んでいる。
「? どうしたの、ソーマ?」
「いや……。……なあ、ココ?」
「なに?」
小首を傾げるココにソーマは真顔で、
「……最初からアストラーデに乗せてもらえば、死にかける事もなかったんじゃないか……?」
ソーマがそう訊ねると、ココは頬を赤く染めながら視線を伏せて、
「…………ソーマのエッチ……」
「何で!?」
蚊の鳴くような小さな声で言うココに全力でツッコむソーマ。
するとココは顔を上げて、遠くの景色を指差した。
「あ、ソーマ、あれ」
「あからさまに話を逸らしたな……。あ」
再びツッコみつつココの指差した方角に目をやると、砂地の真ん中に緑と青の楽園――オアシスが見えた。
「オアシスだよソーマ! アストラーデ! 10時の方向に転進して!」
『OK! Here we go!!』の文字と共にアストラーデがスラスターを吹かし急加速する。
「水だよソーマ! ふつかぶりだね!」
「……あんまりはしゃぐなよ。干からびるぞ……」
「へいきだよ! すぐそこに水場があるんだから!」
明らかにテンションの高いココとは対照的に、あからさまにテンションの低いソーマ。
ソーマは渋い顔で進行方向を見詰めながら、ココに訊ねる。
「……なあ、ココ?」
「なあに?」
「気付いてるか? そのオアシス……さっきからちっとも近付いてないぞ?」
「ふぇ?」
ソーマの言葉に改めて進行方向を見やる。そこにはさっき見たオアシスが、さっき見たままの様子で揺蕩っている。
「…………。アストラーデ、ハッチ開けて」
言ってアストラーデの胸部に入り込み、キーボードを叩くココ。するとモニターの隅に周辺の地図が表示される。それを見たココは半眼に半べそを浮かべ、
「…………詰んだ」
ボソっ、とこぼした。
ココが開いた地図には周辺にオアシスらしきものはなかった。二人が見たのは蜃気楼だったのだ。
ソーマは溜め息を一つ吐いてから辺りを見回し、
「しょうがないな……。アストラーデに進路を戻してもらおう。そうすれば夜には町に――」そこで言葉を区切り険しい表情を浮かべ、「アストラーデ! すぐに反転してくれ!」
「どっ、どうしたの、ソーマ? ひぃやっ!」
アストラーデが逆噴射で急制動をかけ反転すると、反動でココの身体がシートから転げ落ちる。どうやらハッチが開いていると慣性制御は働かないようだ。
「ココは中に入れ! アストラーデ、できるだけ低く飛んでくれ!」
「ふぃえ? なにがあったの?」
涙目で額を押さえるココ。ソーマは振り向いて後ろを見詰めながら、
「……嵐が来る……!」
ソーマの見やる先では、強烈な旋風が大量の砂を巻き上げて、巨大な渦を形成していた。
「かなり足が速い……! どこかに降りた方がいいか……?」
アストラーデの掌から地上を見回すも、あの強大な砂嵐から身を隠せそうな場所など見付からない。
「……? アストラーデ、速度が落ちてないか?」
全身で感じる風圧が弱まったのを不思議に思ったソーマが訊ねると、ココがシート横の小さな小窓のようなものを指差した。
「……ソーマ……これ……」
言われるままに小窓を覗き込むソーマ。小窓にはアストラーデの三面図が写されていて、その両脚部がなにやら赤く点滅している。
「……もしかして……何か不具合が……?」
その危機感を煽る赤色に不安を覚えたソーマが訊ねると、ココは静かにうなずいて、
「両脚のスラスターが機能してない……。異物が詰まったか、気圧の変化で整流効果計算が狂ったかのどっちかだと思う……」
「…………つまり?」
冷や汗を浮かべながら要点を訊ねる。既に二人のすぐ後ろまで砂嵐は迫ってきていた。
「……詰んだ」
ココが短く答えた瞬間――アストラーデは砂嵐に飲み込まれ、荒れ狂う旋風がソーマとココを襲う。
「ぅわあああああああああああああああああぁあああああぁぁぁぁぁぁ!?」
「ソーマ!」
風に煽られ、アストラーデの掌からソーマの身体が浮かぶ。
咄嗟に手を伸ばすココ。しかし嵐は凄まじく、ひ弱なココも飲み込んで二人の身体を巻き上げる。
「「E=MC^2くぁwせdrftgyふじこlpπ=およそ3――――……!」」
声にならない二人の悲鳴は、渦巻く狂風と立ち上る砂柱にかき消された。
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――――
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「おい……起きろ、ボウズ」
やや低めの怒ったようなその声に、少年の意識が呼び戻される。
少年は瞼を両手で擦り目ヤニを落としてから、声のした方を見やる。そこには燃えるような赤毛を背中まで伸ばし、細身に露出の高い緋色の甲冑を纏った美女が居た。
「……アーニャさん……おはようございます……」
アーニャと呼ばれた美女は溜め息を一つ吐いてから少年の傍に寄り、踵を地面に軽く打ち付けた。軽い威嚇のつもりだったのだろうが、少年は気に留めた様子もない。そんな少年にアーニャは鋭い視線を向けながら、
「呑気に挨拶などしている場合か莫迦者……。貴様、こんなところで何をしているのだ?」
「こんなところ……?」
アーニャの言葉に引っかかるものを感じた少年は、上体を起こし周りを見回す。そこには色とりどりの花が咲き乱れ、色艶やかな蝶が舞い踊る、見るも美しい光景が広がっていた。
まるでどこかの神話の舞台のような、この世のものとは思えない程の景色は神々しささえ帯びていて、思わず少年は、目の前で腕を組み鋭い表情を浮かべるアーニャの姿も霞んで見えるような錯覚に囚われた。
「何をジロジロ見ているのだこの助平が。また鳩尾を踏んでほしいのか?」
「いえ……何だか眩しくて……心なしかアーニャさんの身体が透けて見えてる気がして」
微苦笑を浮かべる少年に、アーニャは、
「うむ。既に死んだ身だからな。多少は向こうの景色も透けて見えるだろう」
腰に手を当てて、真顔でそんな事を宣う。
「……何言ってんですかアーニャさん……。死んだ人とどうやって会話できるって言うんですか……」
「だから私も驚いているのだ。今し方訊いただろう? 『こんなところで何をしているのだ』と」
「…………は?」
両目を点にして頓狂な声を漏らす少年。そんな少年にアーニャは溜め息を二つ、
「何だその間の抜けた顔は……」
可哀想な人を見るような憐みの表情を浮かべた。
それから右手で少年の腰元を指差し、
「貴様、その手拭いはどうしたのだ?」
「これ? これはだから、形見に貰っていくってアーニャさんの墓前で――…………」
手拭いを手に持ちそう言ってから、少年はようやく、今のこの状況が如何に異常であり得ない事かに気付く。
「え? は? え? あ……アーニャさん……?」
目を見開き震える手でアーニャを指差す少年。アーニャは三つ目の溜め息を吐き、
「だから……私の命令も守らんとこんなところで何をしているのだこの莫迦者が……」
少年は驚きに目を見開いて、叫んだ。
「ぎゃー! 幽霊!」
驚愕の表情でアーニャを指差す少年の頭を、彼女はグーで小突いた。
「莫迦者が。失礼なことを言うな」
叩かれた頭を右手で押さえながら、
「すみません……。俺……死んじゃったんですね……砂嵐に巻き込まれて」
項垂れ苦い顔をする少年。
しばらくそのまま動けずに居た少年だったが、
「……おい、ボウズ」
アーニャに呼ばれ顔を上げると、アーニャが拳を振り被っているのが見えた。
「ちょ! またですか! 暴力反対!」
叫び目を瞑る少年の頭に振り降ろされる拳。だが鈍い音も痛みもなく、柔らかい陽光のような優しい感触が、少年の頬を撫でた。
薄目を開けた少年の瞳に映ったのは、女神のような微笑を浮かべたアーニャの顔。
アーニャはその表情に違わぬ優しい声音で、
「聞こえるだろう? 貴様の名を呼ぶあの娘の声が。貴様が助け、繋いだ生命の声が」
少年が耳に意識を集中すると、どこからか少年の名を呼ぶ声が聞こえた。
アーニャは少年の前で膝を突くとその頭を胸に抱き、穏やかな笑みをたたえる。
「私はこれでよかったと思っている。あの日私が繋いだ生命が育ち、やがて別の人間の生命を繋いだのだからな。――ボウズ。あの娘は、まだ貴様を必要としている。……いや、これからもっと貴様を頼るだろう。そして時には貴様を支え、励ましてくれる、互いにかけがえのない存在になっていくだろう。だからな、ソーマ……貴様はまだこちらに来てはならん」
言ってソーマの背中を軽く叩くと、立ち上がり身を翻してソーマに背を向ける。そのシルエットの細い背中に、ソーマは震える声で訊ねる。
「これでよかった、って……アーニャさん……」
するとアーニャは振り返らずに答えた。
「あんな仕事を生業にしているとな……生命というものが、人生というものが分からなくなってくるんだ」
「……? 何を言って……」
「形有るものはいつか壊れる。命有るものはいづれ死ぬ。そう頭で理解は出来ていても、あの苦悶に満ちた死に顔を見続ければ心に歪みが生じてくる。ソーマ……貴様は、何故死体を土に埋めるのか、知っているか?」
「それは……腐敗と伝染病を避けるため……」
即答したソーマにアーニャはかぶりを振って、
「人はな――『死』を意識したくないのだ。目の前の死体を認識すれば、それが老いであれ事故であれ殺しであれ、己もいづれ死ぬという当たり前の事実を再認識してしまう。古から人は死を恐れ、隠匿し、常に意識の外に追いやり――或いは神格化し崇める事で、死への恐怖を意図的に忘れてきたのだ」
「…………」
言葉を返せないソーマに、アーニャは続ける。
「私はな、ソーマ……。ここだけの話、彼らを弔う事で自分の心に生じた歪みを忘れようとしていたのだ。『死への恐怖』という歪みをな。『生きていく義務』だなんだと耳に心地の好い方便で自分を欺き、自分の生に理由をつけて正当化していたんだよ」
「でも! アーニャさんは俺を助けてくれたじゃないですか! 俺だけじゃない! アザッフさんやトンマさんも! あの船の――アーセナルのみんなを!」
「だからさ。これでよかったと言ったのは」
「…………?」
アーニャは振り向き、あらゆる苦痛や苦悩から解放されたような優しい表情で、言った。
「私は果てて、貴様達の糧となれたのだ。これでもう貴様や他の者に、墓掘りなどという他人から忌み嫌われる仕事も、火事場泥棒の真似などもさせなくて済むしな。私が生きていたなら、貴様もあいつらも……きっと変わらず私に着いてきただろう? 薄汚れた生業だと気付きながらもな……」
ソーマの耳に聞こえた声が、だんだんと小さくなってくる。アーニャもそれに気付き、もう一度ソーマに背を向けると、
「行ってくれ、ソーマ。そして旅団の事は一切忘れて、あの娘と幸せに生きてくれ。どこかで再会できたなら、他の者にも、それぞれ別の生きる道を探すように伝えてくれ。慰霊旅団アーセナルは――解散だ」
そう言って歩を進め、ソーマと離れていく。ソーマは拳を握り、奥歯を噛み締め、目蓋を固く閉じ――
「……それでも……それでも俺は! 俺達は! アーニャさんに感謝してます!」
――小さくなっていく背中に叫ぶ。
「だから辞めません! 蔑まれても! 嫌われても!」
ただただ叫ぶ。己が内の想いを。
「俺達はずっと! 慰霊旅団アーセナルの団員です!」
信じた人に、慕った人に、自分自身を否定させないように。彼女の『生きてきた証』を否定させないように。
身体がどれだけ穢れていようが――彼女を慕ったこの想いは清らかで……本物だから。
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――――
――
目蓋を開くとすぐそこに、涙で顔をくしゃくしゃにした半眼の美少女の顔があった。
「ソーマ……気が付いたんだね……」
ソーマの視線に気付いたココの顔が、安堵で一層くしゃくしゃになる。そんなココに腕を伸ばしたソーマは、彼女を引き寄せ掻き抱くように強く抱き締める。
「ちょ!? ソーマ!? おきぬけで元気だからってそんな急に!? まだこころのじゅんびが……!」
「何を言うとるんですか君は……」
テンパって取り乱すココにツッコみながらも、華奢な身体を抱き締める腕は解かない。
腕に伝わる温もりを。胸板で感じる鼓動を。葬り弔うしかできなかった自分が繋いだ生命を確かめるように、強く強く抱き続ける。
やがてココもなんとか落ち着きを取り戻し、ソーマの想いが伝わったのかは定かではないが、ゆっくりとソーマの胸に体重を預けた。
すると、部屋の扉から声が聞こえた。
「……あー、コホン」
突然のわざとらしすぎる咳払いに二人の身体がビクン! と跳ねる。慌てて身を離して声のした方を見やると、
「盛り上がっているところを申し訳ないが、ここは診療所であってモーテルではないのでな。少し弁えてはもらえないだろうか」
緋い甲冑の腰に大振りの曲刀を佩いて、燃えるような赤毛を背中まで伸ばした細身の美女が、肘にバスケットを提げて立っていた。