孤独の夜を超えて
翌日、天気は雨。
重ったるい鈍色の雲が荒れ狂う強風に見る間に流され、建屋の外壁に横殴りの雨を叩きつける。
昨日借り受けた民家のくたびれたソファに、ソーマはぐったりと仰向けになり、顔を腕で覆っていた。
たった一晩の間に、彼は仲間とはぐれ、慕っていた人を失った。
自分の不甲斐なさを悔い涙を流し、もう何をする気力も起きない。
そんなソーマを見て、ココは胸がちぎれそうなほどに苦しくなった。
「ソーマ、スープ作ったよ……?」
スープ皿を手に持ち、弱々しい声でそう告げる。
ソーマは聞く耳持たないといった風に寝返りを打つ。
「昨日から何も食べてないでしょ……?」
「…………いらない」
「無理してでも食べないと、体に悪いよ……?」
「いらないって言ってるだろ!」
強い拒絶を込めてソーマが腕を振るう。その腕がココの腕に当たり、スープ皿が落ちてがちゃんと割れてしまった。
「ソーマ……」
悲しげに、瞳を潤ませてソーマを見詰める。だがソーマは目を合わせることもせず、焦点の合わない視線でどこか遠くを見詰めたままだ。
ココは涙をぐっと堪えて、散乱したスープ皿の破片を拾い集め、こぼれたスープを雑巾で拭く。
そんな彼女の頭上から、重たい声が降ってきた。
「……なんでだよ」
「……え……?」
「アストラーデ(あんなちから)があるんなら、なんでもっと早く教えてくれなかったんだ」
怒気をはらみ、いつもの彼とは似ても似つかない攻撃的な言葉。
「もっと早くアストラーデを呼んでくれてたら、アーニャさんは死ななかった……旅団のみんなとも……」
しかしその声は次第に湿り気を帯び、最後には涙と嗚咽が混じり始める。
彼女にはもう、彼を励ます言葉がなかった。むしろ自分が何を言っても、彼の心を抉るだけだろう。
ココは瞳一杯に涙を溜めて、けれどもそれをこぼさないように、精一杯に笑顔を作る。
「そうだね……わたしが悪いね……」
ココはゆっくりとソファから離れ、部屋を出ようとドアノブに手をかける。
「お鍋にスープ、まだあるから。……それじゃあね」
振り向き、彼女は微笑んだ。その瞬間、溜めていた涙が頬を伝った。
――――――――
――――
――
雨風は強まる一方で、夜には台風のような様相を呈した。
建屋の隙間から雨水が漏れ、風が入り、今にも崩れ落ちそうな状態だ。
それでも、ソーマは動かなかった。動けないでいた。
いっそこのまま建物と一緒に朽ちて潰れてしまえばいい。そんな風にさえ思っていた。
家族を失いアーニャと出会ってから五年。数えきれない程の亡骸を弔ってきた。その度に悲しさや悔しさを感じてきた。
しかし。今となっては、それも結局他人事だったのだろう。
こんなにも、圧し潰されそうになるくらい悲しくて、悔しいのだから。
「アーニャさん……」
強くて、厳しくて、優しかった人。
ソーマにとって母親にも等しく、誰よりも慕った人。
そんなかけがえのない人を守れなかった自分が、何よりも歯がゆく、口惜しかった。
旅団のみんなとも離れてしまい、今度こそ彼は独りになってしまった。
「……俺、どうしたらいいんですか……アーニャさん……」
その時、外の騒音に異質な音が混じったのを聞いた。その音はいやに規則正しく響き、明らかに暴風雨の起こす騒音とは性質が違う。
その音は建屋を通り越し、町奥の丘に向かって消えていく。
「…………ココ……?」
彼女の名をつぶやいたと同時、彼はあの人に言われた事を思い出す。
その瞬間、彼の中から鬱憤も迷いも消えた。
小屋には窓がない。だから外の様子は窺えない。けれども扉を叩く雨音は聞こえているので、ある程度の予測はできた。
建物が軋むほどの強い風と激しい雨。だが夜が明けるころには風雨は弱まり、燦々とした太陽が濡れた町を照らすだろう。
そして、その頃にはもう彼はこの町を――
そうしたら、自分は独りきりだ。
けれどそれは、昨日までの環境に戻るだけ。
忌み子の自分にはお似合いの環境だ。
生んだ親も、世話をしてくれた人達も、出会っただけの人ですら、不幸にしてしまったのだ。
もういっそ今ここに、宇宙恐竜が来て自分を殺してくれれば。
思い詰めた挙句のそんな考え。
暴風が不規則に扉を叩く。壁がドンドンと騒ぎだした。
雨粒が乱雑に屋根を叩く。壁が崩れ、赤黒い眼球が覗いた。
宇宙恐竜は鼻の先で煉瓦を崩し穴を広げる。
――これでいいのだ。
――悲しみを生み出す権化は、ここで朽ちればいい。
彼女は立ち上がり、一歩また一歩と、宇宙恐竜に向かって歩き出した。
壁の穴は宇宙恐竜の首が通るくらいの大きさになり、いよいよ宇宙恐竜が一足で侵入できるくらいだ。
宇宙恐竜はゆっくりと頭を穴にくぐらせて、彼女を喰らうべく大口を開ける。
今の彼女にとっては、狂風の騒音も宇宙恐竜の息遣いも、心地好いレクイエムに思えた。
宇宙恐竜が更に顔を近付ける。
痛みなど一瞬だ。
そう思い、彼女は瞼を閉じた。
そして身体が感じたのは、脇腹を掴むような衝撃と、ぐるぐると床を転がるような感覚だった。
思っていた感覚との違いに驚いて目を開けると、そこにはさらに驚くべき人物の顔があった。
「……ソーマ? どうして……?」
驚き目を丸くするココを強く掻き抱き、ソーマは耳元で告げた。
「ひどいこと言ってごめん……。だけどもう、絶対に君を独りにしない」
強く、熱く滾る決意を瞳に浮かべて、ソーマはココを見詰める。ココは困惑に表情を曇らせて、
「だめだよ……わたしはみんなを不幸にする……。だから――っ!!」
ココの言葉を遮るように、ソーマは彼女の唇を奪った。
小屋の天井を突き破ってアストラーデが現れ、跪き胸部装甲を開く。
ソーマはココを抱き上げ、そのままシートに座るとココを膝に乗せる。
まだ困惑しているココにソーマは笑んで、言った。
「しっかり掴まってろよ」
ココは弱々しい表情ながらも、しっかりとソーマの胸板にしがみついてうなずく。
「……うん」
アストラーデの操縦桿を操作して宇宙恐竜と対峙する。
宇宙恐竜が跳びかかり、アストラーデが拳を突き出す。
それだけだ。
――――――――
――――
――
丘に射す朝陽を浴びながら、額に浮いた汗を手拭いで拭う。と、背後から花束を抱えたココがやってきて、
「ソーマ、お花、つんできたよ」
「ありがとう」
スコップを脇に置きココから花束を受け取ると、深く掘り下げた穴の横に跪き、横たわるアーニャの胸元にそっと乗せる。
「アーニャさん……俺、行きます。アーセナルのみんなを探しに。この手拭いは……形見に貰っていきますね」
瞼を閉じ首を垂れて別れを告げて、ソーマは穴を埋め戻す。
アーニャの埋葬を終えたソーマはココに振り返り、
「行こうか、ココ」
笑顔で手を伸ばす。が、ココは困惑顔をして、
「でも……わたしは……」
「アーニャさんの命令だから。この命令に背いたら、またアーニャさんにボウズ呼ばわりされちゃうからさ」
バツが悪そうに苦笑いを浮かべるソーマ。
しばしの逡巡の後、ココは優しく微笑んでソーマの手を握り、
「……そうだね。それじゃあ、連れてって」
歩を進め、ソーマの半歩後ろに並ぶ。
「? 連れてって、って……どこか行きたい場所があるのか?」
訊ねるソーマにココはかぶりを振る。
「ううん。ソーマの行きたい場所が、わたしの行く場所だから」
ココの言葉に頬を赤らめながらもソーマはうなずき、ココの手を強く握って、ゆっくりと丘を下っていった。