アストラーデ
「トール!」
ナディアの甲板から港に駆けてきたトールを見付け、アザッフが縄梯子を投げる。梯子を伝って上がったトールにビヤーキーが、
「アーニャとソーマはどうした?」
「悪い……俺だけ尻尾巻いて逃げてきた」
甲板にうずくまり息を切らすトールの言葉を聞いて、他の面々は一斉に町を見やる。
と、暗闇の中、天から一筋の光線が町の中央に降り、着点から放射状に眩い光が広がる。
眩しさに顔の前に手をかざしながら、アザッフが誰ともなしに訊ねた。
「……な、何が起きたんだ?」
光が収まると、ココの背後に巨大な『何か』が膝立ちしていた。眩しさに閉ざされた瞳が視界を取り戻すと、その『何か』の姿がはっきりと認識できた。
四肢があり、額から二本の角を生やした、立ち上がれば天井を突き抜ける程の巨大な人型が、片膝を突いて跪いている。
だが人に似ているのは姿かたちだけで、身体の表面は乳白色で、鉱物のようにざらざらした質感をしていた。
言うなれば、どこかの神話に出てくるゴーレムのような、人を模した人ではない者。そんな感じだ。
「ココ……何だ、それ……?」
驚愕と困惑に顔を歪めながらソーマが訊ねると、人型の顔にココが手を触れ、
「この子はアストラーデ。わたしの……なんだろ? 友達?」
言いながら小首を傾げる。しばらく半眼で首を傾げていたココだが、姿勢を直すと、
「ま、いいや。アストラーデ、この人はソーマ。仲良くしてね」
ソーマを指差して言う。
「仲良くって……だから何なんだよその化け物染みた無機質な人形は……」
一歩後ずさって警戒心も露わに人型を見やると、人型の眼の部分が赤く光り、モザイク状に白い筋が走る。
「ばけものじゃないよ、アストラーデだよ。ほら、アストラーデも怒っちゃったじゃない」
むーっ、と頬を膨らませるココ。ソーマは視線をココに戻し、
「怒ってるって……」
「初対面の人にばけものなんて言われたら誰だって怒るよ。アストラーデはね、ソーマ。……えーっと……」
頬に人差し指を当て考え込むココ。すると人型の眼にまた筋が走り、それを見たココはうなずいて、
「そうだね、挨拶はあとにしようか。じゃあアストラーデ、お願い」
言うと人型の胸板が上下に開き、ぷしゅぅと白い蒸気を吐き出す。蒸気が霧散した奥には空間があり、シートとそれを囲んで点滅する数色の灯りが見えた。
「乗って、ソーマ」
ソーマに向き直り中へと勧めるココ。
「乗れって……だから何なんだってば……」
尻込みするソーマにココはまた頬を膨らませて、
「もう……言ったでしょ? 『ソーマの剣になる』って。アストラーデはソーマの願いを叶える剣。ソーマの願いは――なに?」
「俺の……願い……?」
反芻するソーマに真剣な眼差しでうなずくココ。
ソーマはうつむいて数舜黙った後、顔を上げ、
「俺の願いは――アーニャさんの仇を取る!」
強い声で言い、人型の胸部空間へ乗り込む。
シートに腰を埋めると何故かココも乗ってきて、ソーマの膝に横乗りで腰を下ろした。
「……何してんの?」
「いちおうね。わたしがいないと、アストラーデがなんて言ってるのかわからないでしょ? いいよ、アストラーデ。ハッチを閉じて」
ココが言うと人型の胸板が閉じ、空間は暗闇に包まれる。
「ちょっと、何も見えないんだけど……」
闇の中で視線を彷徨わせるソーマ。するとココが窘めるような声音で、
「いじわるしないで、アストラーデ。……? そっか。わかった」
「……何て言ってんの?」
薄々ココと人型の関係を理解してきたソーマが訊ねると、
「アストラーデ、拗ねちゃった。ソーマがばけものなんて言うから」
ココははふぅ、と溜め息を吐きながら言う。
「ソーマ、謝ってあげて?」
ココに窘められるようにそう言われ、ソーマはバツが悪そうな表情をしつつも首を垂れ、
「……ごめん。化け物なんて言って悪かった……」
するとシートの周りに光の筋が走り、やがて全面に廃屋の中の光景が映る。首を捻りながら見回すと、背後から火だるまの宇宙恐竜が迫ってくるのが見えた。
ピピピピピッ、と甲高い音が鳴ると宇宙恐竜に赤いマルが重なり、その下に『What do you want?』と赤字で表示される。
「ココ、何て言ってんだ?」
「『どうしたい?』って訊いてるよ」
「……こいつを倒す! 倒したい! 倒してアーニャさんの仇を取りたい! 頼む! 力を貸してくれ!」
ソーマが叫ぶと、目の前に『Ok! Ready to rock! Let's turn up!!』と浮かぶ。
「今度は何だって?」
「『任せとけ!』だって。機嫌なおしてくれたみたい」
ココは微笑みながら言ってソーマの手を取り、シートの両脇に設えられたT字のレバーに乗せる。
「これが操縦桿。足元にペダルがあるでしょ? それでアストラーデを動かして」
「動かせって……こうか?」
ソーマがおずおずと両手のレバーを前に倒すと、人型がゆっくりと立ち上がった。
「……立った……」
「感動してないで。うしろから来てる」
「え? ――うわっ!」
振り向いたソーマの眼前に迫る、炎を纏った宇宙恐竜。思わずペダルを踏み込むと人型の脹脛から光が噴き出して急加速し、強烈な加速Gがソーマとココを襲う。
「ひぁうっ!」
「痛った!」
膝の上のココの上半身がソーマの顔に覆い被さるように雪崩れ込んできて、鼻っ柱を圧し潰し一筋の赫が垂れる。それを見たココは、
「……ソーマのエッチ」
ハイライトが完全に消え去った冷めた瞳でソーマを見下ろす。
「違っ! これは胸骨が当たった衝撃で……!」
「……あのね、ソーマ? 『蛇足』って言葉しってる?」
「そりゃ知ってるけど……?」
「むかしむかし、不格好な形の機体を見て小言を漏らした操縦士に、格納庫の兵士はこう言いました。『胸なんて飾りです。エロい人にはそれが分からんのです』って」
「そんな赤い人の挿話なんて知らないしそれ胸じゃなくて足ですからってうわぁ!」
「しってるじゃないひゃあっ!」
加速を続けた人型が廃屋の壁に激突し、崩れた瓦礫に埋もれる。二人はシート前方に転げ落ち、空間が再び暗転した。
「いたい……。二人乗りようの慣性制御わすれてた」
「慣性制御?」
鼻っ柱を擦りながら起き上がるソーマ。ココも後頭部を押さえながら姿勢を直すと、ソーマにシートに戻るように言い、自身はソーマに背を向け両太腿にお尻を乗せる。
顎辺りにあるココの黒髪から立ち昇るほのかないい香りが、否応なしにソーマの鼻をくすぐった。
「……ソーマ? お尻に当たってるかたいのはなにかな?」
「…………腰に差したナイフの柄です……」
目を泳がせながら消え入りそうな声で答えるソーマに振り返る事もせず、ココは、
「あとでおせっきょうだからね」
言ってサイドボードからキーボードを引き出し、目にも留まらぬ速さで打鍵しだすと、目の前に緑色の文字でよく分からない文字列が次々と浮かび上がる。
「……あの、ココさん? 何をなさっておられますの?」
「慣性制御スクリプトの修正。――これでどうかな?」
ぽんっ、とココが鍵括弧のような形をしたキーを押して、作業を終える。
「? 何か変わった?」
視線を左右に振りながら訊ねるソーマ。ココはキーボードをサイドボードの中に戻すと、
「ソーマ、もういっかい、いっぱいにペダルを踏んでみて。こんどは左のやつ」
「大丈夫……? 知らないぞ……?」
訝りながらペダルを踏み込む。バンっ! と音を立てて瓦礫の中から人型が飛び出し、そのまま屋根も突き抜けて夜天高く舞い上がる。上昇する間に身体がシートに抑えつけられる事もなく、レバーを倒して急停止しても、シートから腰が浮く事はなかった。
「すご……さっきと全然違う」
「これで戦いやすくなったでしょ?」
振り向き微笑むココにソーマはうなずく。
すると警告音が鳴り、足元に赤マルと『Hey, look. We've got company.』の文字が浮かぶ。
ソーマが赤マルの先に目をやると、最早火球と化した宇宙恐竜が跳躍して迫ってきた。
大顎で咬み付かんと牙を剥く宇宙恐竜。
「アストラーデ!」
ココの叫びに応じて人型が両腕を振り冠り、両手を結んで宇宙恐竜の鼻先に振り降ろす。ゴっ! と鈍い音が響き、宇宙恐竜は奇声を発しながら墜ちていった。
ドゴォっ!
遠巻きに見ていたアザッフ達の耳にもその衝撃音は届いた。
「みんな、伏せろ!」
アザッフが叫ぶと、少し遅れて衝撃波が瓦礫を巻き上げながらこっちへと向かってきた。男達六人は甲板に伏せる。
ドカンドカン! と瓦礫がナディアにぶつかり、激しい衝撃波が轟音を上げながら船体を揺らす。
「……おい、あれ……」
やがて衝撃波をやり過ごしたビヤーキーが顔を上げると、町の上空に『何か』を見付けて指差す。周りの男達も指差す先を見詰め、思わず息を呑んだ。
「……何だ、あれ……?」
漆黒の夜空を背景に、うすぼんやりと光を発する巨大な人型が浮かんでいた。
人型は背面のスラスターからプラズマ状の光を噴きながら、地上に墜ちた宇宙恐竜目掛け滑空する。
「あれってもしかして……宇宙恐竜と戦ってるのか?」
トンマがメガネの位置をしきりに気にしながら、誰ともなしに訊ねる。その問いに答えられる者は居なかったが、誰もが心の中ではそうなのだと、そうに違いないと信じて――いや、『そうであってくれ』と切望していた。
「! アザッフ! 後ろ!」
突然ヤズーが叫んだので男達が振り返ると、ナディアの後方から十幾つもの影が地を鳴らしながら迫ってくるのが見えた。
「宇宙恐竜の群れ!?」
「あの数はマズいぞ……」
男達は恐怖に顔を歪め、一斉にアザッフを見やる。アザッフも渋い顔をしながら腕を組み考え、やがて、
「帆を開いてオールを持て! 絶対に逃げ切るんだ!」
声を張り、全員に指示を出す。しかしトンマがそれに異を唱えた。
「待てアザッフ! アーニャとソーマを見捨てるのか!?」
「…………。ナディアが……俺達がここでやられたら、あいつらが帰ってくる場所も無くなるんだぞ?」
「しかし……っ!」
食い下がるトンマの胸倉を掴み上げ、アザッフは、
「お前はアーニャやソーマに自分を弔って欲しいのか!? あいつらに身内を弔う悲しみを味わわせたいのか!?」
「っ…………悪かったよ……」
苦い表情で顔を伏せるトンマ。手を離したアザッフは振り返り様にトンマに向けて、
「トンマ、黄色の信号弾を撃て。あいつらならきっと気付いてくれるはずだ」
「ああ……分かった……」
『Yeahhhhhhhhoooooo!』と画面一杯に歓声とも奇声ともつかない文字が流れる。滑空からの足蹴が宇宙恐竜の頭蓋を砕き、一面にどす黒い赫が飛び散った。
『Hey boy, are you happy now?』
一仕事終えた人型がソーマに訊ねる。ソーマがココに視線で意味を訊ねると、
「『これで気が済んだか?』って」
ソーマはうつむき、悔しそうに歯噛みしながら、
「気が済んだかって……? そんなわけないだろ……」
「……ソーマ……?」
心配そうに見詰めるココ。ソーマは俯いたっきりで、嗚咽を漏らしながら「アーニャさん……」と繰り返した。
すると突然頭上に花火のような黄色い光が弾ける。
「? ソーマ、あれなに?」
見上げ訊ねるココの指差す先に目をやる。光を視認したソーマの表情が一気に険しくなった。
「あれは信号弾……」
「しんごうだん?」
訊き返すココにソーマは頷き、
「アーセナルの団員同士で使う、狼煙みたいなもんだよ」
「それで? なんて?」
「あの色は『先に行く、後で合流しろ』って意味だから……まさか!? 港にも宇宙恐竜が!?」
「アストラーデ!」
血の気の引いたソーマに代わりココが叫ぶ。人型はプラズマを超噴射して急上昇し、一目散に港へ向かった。