出会い
「おい……起きろ、ボウズ」
やや低めの怒ったようなその声に、少年の意識が呼び戻される。
目を覚ました少年は瞼を両手で擦り目ヤニを落としてから、声のした方を見やる。そこには燃えるような赤毛を背中まで伸ばし、細身に露出の高い緋色の甲冑を纏った美女が居た。
「……アーニャさん……おはようございます……」
アーニャと呼ばれた美女は溜め息を一つ吐いてから少年の寝ているハンモックに近寄り、踵を床にコツンと打ち付けた。軽い威嚇のつもりだったのだろうが、少年は気に留めた様子もない。
そんな少年にアーニャは鋭い視線を向けながら、
「もう陽は昇ってとっくに皆持ち場に就いている。貴様も早く甲板に出ろ」
少年はくあぁ……とだらしなくあくびをするとハンモックから降り、両手を腰にやって背筋を伸ばす。
「んんん……っしょ。っていうかいい加減俺の事も名前で呼んでくださいよ。俺にもソーマ・イーゲルニッヒっていう親からもらった立派な名前があるんですから」
少年――ソーマが言うと、アーニャは豊満な胸の下で両腕を組み、顎をしゃくり上げながら目を細め、吐き捨てるように言った。
「私は半人前はボウズとしか呼ばん。名前で呼んでほしければ早く一人前になる事だな」
「はいはい分かりましたよ」
ソーマは口を尖らせながらそう言って、部屋を出ようとアーニャの横をすり抜ける。そんな彼をアーニャが呼び止めた。
「待て」
「……まだ何か……?」
心底から厭そうな表情を浮かべるソーマ。まだ何かお小言を頂戴するのかと訝しんでいるソーマの頭にアーニャが手拭いを被せ、
「寝汗を拭いていけ」
「あ……ありがとうございます……」
受け取った手拭いで額の汗を拭うソーマ。
手拭いを丁寧に畳んでいると、アーニャが心配そうに自分を見つめているのに気付いて小首を傾げる。するとアーニャは重たい口調で、
「またあの夢か?」
「……はい」
視線を逸らすソーマの短い答えに、アーニャは再び両腕を組んで、重ための口調で言う。
「三つ首六羽の巨大な宇宙恐竜、か……。私も旅団を組んで八年になるが、そんな話は聞いた事がないな」
「そんな宇宙恐竜、誰かが見たら絶対噂になりますもんね……」
二人してしばし黙り込む。と、外から男の声が大音声で響いてきた。
「町が見えたぞー! 帆を畳めー!」
その声にアーニャは部屋を出、船の進行方向を見やる。
――この砂上船『ナディア』は、煌々と燃える太陽に照らされた熱砂の大地を航行していた。その行く先は緑の森を冠する赤煉瓦の町並みに向けられている。
「まあ、この話は後にしよう。まずは町に行き、仕事を始めるぞ」
「分かりました」
ソーマは返事して部屋を出、甲板へと駆け上がっていく。
甲板の上では男がニ人がかりで帆を畳み、更に三人の男達が右へ左へと忙しなく動き回っていた。
「アザッフさーん」
ソーマは舵を握っている、頭に赤いバンダナを巻いた小太りの男に声をかけた。
「おうソーマ。やっと起きたか」
アザッフはたばこで黄色っぽく煤けた歯を覗かせてにっ、と笑うと、
「港に接弦するから錨を降ろすのを手伝ってやれ」
「分かりました。ヤズーさん! パズーさん! 俺も行きます!」
船の左舷に固まっている長身の男二人の元へ、ソーマは小走りで駆け寄る。すると二人組の短髪の方の男――ヤズーが、
「ソーマはそっちに。1、2の3で右回りだ」
ソーマに指示を出し、三人は錨の昇降機である大きな水平ハンドルを掴み、腰を入れる。それを見て取った襟足を伸ばした方の男――パズーが、
「1、2の3!」
合図をし、三人で一斉に右へ回す。
船の後尾から人の身の丈ほどの錨がガキガキガキっ! と鎖を鳴らしながら降下して、砂の中へ潜っていく。鎖が張り、ゆっくりと船の速度が遅くなり、やがて町の脇に造られた石造りの船着き場に停まった。
「よーし上々だ! ソーマとトンマでハシゴを下ろせ! 残りの連中で手押し車と荷物を!」
「「おおー!」」
アザッフが声を張り上げると、男達は銘々に荷物を降ろして上陸し、一列に並ぶ。その数ソーマを含め七人。
最後にアーニャも降りてきて、七人の男達の前に立ち、それぞれの顔を順番に見やってから、ソーマに視線を向け口を開く。
「ボウズ、我々がここに来た目的は何だ。言ってみろ」
「……水と食料の調達、です」
その答えにアーニャはこれ見よがしな溜め息を吐いた。
「だから貴様は半人前だと言うのだ……。貴様はこの五年間何を見てきたのだ?」
アーニャは両腕を組んで、ソーマに諭すように言う。
「一番の目的は亡骸の適切な処置と弔い。水と食料は二の次だ。――いいか、ボウズ。我々は略奪者でも火事場泥棒でもない。無下に散った魂を弔い、その代価として少しだけ残っている物を分けてもらう。要は心の在り方の問題だ。その心を忘れてはならない」
「はぁ……」
「その顔は分かっていないな?」
「いえ、言わんとしてる事は分かるんですけど……」
「では何が納得いかない?」
鋭く射貫くような目でソーマを睨むアーニャ。その眼光にソーマはうぐっ、と息を呑み、同時に反論の言葉も吞み込んだ。
「ボウズ、これだけは言っておく。心はいついかなる時も清く持て。その清い心さえあれば、例え身体がどれだけ汚れてしまっても生きていける」
ソーマにはその言葉の意味が分からなかった。
返事をできないでいるソーマに、アーニャは微苦笑をしながら嘆息し、
「まあ、今はそれでもいい」
ソーマの肩をとん、と叩いた。
それから大きく息を吸い込んで、アーニャは大声を張り上げる。
「我々はぁ!」
その一声に、男七人も揃えて声を張った。
「「弔鐘の打ち手! 鎮魂の歌い手!」」
「その名も!」
「「『慰霊旅団、アーセナル』!」」
一糸の乱れなく揃えられた声。
彼女彼らは互いに顔を見合って頷いてから、町に向かって歩を進めた。
町は一言で言えば、酷い有様だった。
煉瓦造りの建物のほとんどが無残に崩されていて、そよ風に運ばれてくるのは血と、爛れたタンパク質の臭い。
所々に住人だった人達の亡骸が無造作に転がっていて、地面の至る所に大きな紅葉の葉のような形の足跡が、烙印のように刻まれていた。
「宇宙恐竜の仕業で間違いねえな」町の惨状を苦い顔で眺めながらアザッフ。
そして傍らに崩落した煉瓦の山に目を留め、しゃがみ込む。その視線の先では、まだ幼い三つ編みの少女が俯せに倒れ伏していた。
衣服の背中がズタズタに裂け、その白い肌は酸化した血でもって真っ黒に染まっている。
アーニャもその脇にしゃがみ込み、少女の亡骸を見詰める。
「惨いものだな……奴らは」
そのつぶやきにアザッフは舌打ちしながら返す。
「奴ら、一体何なんだろうな……。こうして町を襲っても人を食う訳でもなく、ただ破壊して、殺して、蹂躙するだけで」
「さあな……奴らの意図は奴らにしか分からんさ。我々にできるのは、ただただ弔鐘を鳴らし、その魂を鎮める事だけだ」
「……だな」
アザッフは懐のポケットから煙草を取り出すと、火を点けて煙をくゆらせる。
「線香代わりだ、悪く思わねえでくれやな」
そこで二人は口を噤み、少女に短い祈りを捧げる。と、そこに、
「アーニャさーん……もうちょっとゆっくり歩いてくださいよー。この荷車めちゃ重いんですからー」
ソーマが弱音を吐きながら手押し車を引いてやってきた。
「泣き言を言うな。貴様が一番若いのだからきびきび働け」
振り向いてそう言ったアーニャに聞こえないように、ソーマは小さく舌打ちして、
「はいはい分かってますよ……っしょっとお!」
「ソーマ、この子も乗せてやってくれ」
アザッフが少女の亡骸に視線を送りながら言う。ソーマは手押し車を停め、煉瓦の下から少女の亡骸を掘りおこし、荷台にそっと横たえる。それからアーニャに目を遣り、
「それで、どこまで運……乗せてあげればいいんですか?」
問うと、アーニャは掌で額にひさしをつくり、町の奥の丘の上を見遣る。
「あそこなら見晴らしも好いだろう」
「分かりました」
それから男七人がかりで町中の亡骸を手押し車に乗せながら、丘の上を目指して行った。
数時間かけて町と丘の上とを何往復もして、町全体の亡骸を丘の上に移動し終える。最終的に数えた亡骸の数は一一ニに及んだ。
そこで一旦手を止め整列した男達に、アーニャが次の指示を出す。
「トンマ、隣の森で手向けの花を摘んできてくれ。私と残りの者で寝床を掘るぞ」
「「了解」」
襟足を首の後ろで括ったインテリ風メガネイケメン・トンマが森に入り、アーニャ、アザッフ、ヤズー、パズー、トール、ビヤーキーそしてソーマの七人で、一一ニの亡骸の為にスコップで墓穴を掘り始める。
ざくりざくりと地面を掘って、アーニャに借りた手拭いで額に浮いた汗を拭いながら、ソーマは並べられた亡骸に視線をやった。
皆一様に苦悶の表情を浮かべ、呼吸の止まった今でも断末魔が聞こえてきそうだ。中でも印象に残ったのは、三つ編みの少女の表情。
目蓋をぐっと閉じ、奥歯を噛み締めて、引き攣った頬には涙の跡が見える。死への恐怖と不安に苛まれながらも、それらを必死に堪えているような表情だった。
ソーマは手を止めて、少女の傍らにしゃがみ込むと前髪をそっと払い、心の中で短く祈りを捧げた。
――こんな事しかできなくてごめん……。せめて寝床くらいはふかふかにしてあげるからな……――
少女の亡骸にそう告げて、ソーマはスコップを握り直した。
――目的数の三分の二程を掘った頃。森に入っていたトンマが、両腕に色とりどりの花を抱えて戻ってきた。
「戻りましたよっと」
「ご苦労」
アーニャが労いの言葉をかける。摘んできた花を一旦地面に置いて、トンマが、
「ああ、そうだアーニャ。森の奥に小さな建物があったぞ。特に荒らされた形跡はなかったが、もしかしたら人が居るかもしれない。俺一人で中に入るのは心細かったんでアーニャに指示を仰ごうと思って戻ってきた」
「確認しに行った方がいいな……。おい、ボウズ」
アーニャは一思案してから、墓穴を掘り続けるソーマに声をかける。
「念の為、灯りを持って私と来い」
ソーマはスコップをトンマに預け、ランプを持ってアーニャと二人、森の中へと入っていった。
二人して森閑とした緑の中を歩く。背の低い広葉樹と背の高い針葉樹が入り組むように枝を張っていて、陽の光を遮り、奥に歩くほど闇が深まっているような気がする。心なしか空気も冷たくなってきた。
「っくしゅ」
ソーマの前を歩くアーニャがどこか可愛らしいくしゃみをした。それから両手で自分の肩を抱いて、温めようと肌を擦る。
「寒そうですね、その恰好」
アーニャの恰好は素肌に甲冑。首元から両肘、腹部、太ももを大胆に露出したデザインの所謂ビキニアーマーで、ソーマは前々からこの甲冑の色んな意味での防御力に疑問を抱いていた。
ソーマの言葉にアーニャは鼻をすすりながら答える。
「少し……甲冑が冷えてきた」
「そうですか。じゃあさっさと済まして戻りましょう」
淡々と言って先に行こうとするソーマにアーニャはジト目を向けて、
「か弱い女の子が『寒い』と言っているのだぞ? 上着を貸すか優しく肩を抱くくらいするものだろう、普通は」
「アーニャさんの一体どこが『か弱い女の子』なんですかって痛ってぇ!」
ソーマの言葉を遮って、アーニャがソーマの背中に前蹴りをかます。ごろんと回って地べたに仰向けに転がるソーマの鳩尾に踵を押し付けながら、
「すまんな、よく聞こえなかった。もう一度大きな声で言ってみてくれないか?」
底冷えするような声で言い、ぐりぐりと踵をねじ込む。
「痛、ちょ、マジで痛いんですけぐふぅっ……!」
「私は喘げとは言っていない。それとも何か? 貴様は女に見下ろされながら鳩尾を責められるのが好きなのか?」
「そ…そんな訳ないでしょう……ふぐっ!」
「くふふ……口で何と言おうが身体は正直だぞ?」
口元を冷酷に歪ませながら、アーニャは踵に力を入れる。
「ぐぐぅ……」
「どうした? もう口答えする余裕もなくなったか?」
ぐりぐり。ぐりぐり。
「くふふ。いい表情だ。年端も行かない小生意気なボウズの割りには、なかなかそそる表情をするじゃないか。その表情に免じて特別サービスだ。この踵で貴様の好きな場所を気が済むまで責めてやろう。さあ、どこをどうして欲しいのか言ってみろ」
「ど、どこをって俺にそんな被嗜虐的な趣味はぅっ…!」
「そうか、そんな趣味はないか……。だがおかしいな……貴様のココはどんどん硬くなっていくぞ?」
「嘘を言わないでください! 誰かが聞いたら誤解するでしょう!」
「誤解も何も、触れてもないのにこんなにしておいて……。ボウズ、少しは自分に素直になったらどうだ? そうすれば直ぐにイかせてやるぞ?」
アーニャがこれ以上ないくらいにいやらしい笑みを浮かべ、ゆっくりと鳩尾から下腹部へと足を滑らせる。
「くはっ…はぅあっ……!」
思わず嬌声を漏らすソーマ。耳聡くその声を聞いたアーニャは瞳のハイライトをギラつかせ、
「ほう、貴様はここが弱いのか? 半人前のくせになかなかどうして……」
踵を浮かし、今度は爪先で下腹部を撫で回し始める。
「ちょ、ほんとマジでやめてくださいお願いします謝りますから……」
半泣きで懇願するソーマを見下ろし、アーニャは真顔で腕を組んで、
「ふむ……。そこまで言うなら止めてやる。私も人の子、悪鬼羅刹の類ではないからな」
何の未練も執心もなく、すっ、と脚を上げる。
「……ぇっ……?」
その瞬間、ソーマの口から自分でも思いもよらない小さな疑問符が漏れ、一瞬だけ名残惜しそうに眉根を寄せた。その微細な反応をアーニャが見逃すはずもなく、いよいよ下卑た笑みを浮かべ、
「何だその物欲しそうな表情は?」
「そ、そんな顔してませんっ!」
顔を真っ赤にして視線を逸らすソーマ。そんなソーマにアーニャは、
「ああ、成程。貴様はツンデレというやつか。だからつい強がりを言ってしまったのだな。そうかそうか、気付いてやれなくてすまなかったな」
「ツンデレ違うし! 絶対だし!」
「分かった分かった。そうかそうかよーしよし」
再び爪先で下腹部を撫で回すアーニャ。その表情は恍惚に満ち満ちていて、呼吸もどんどん弾んでいく。
「もうマジやめてくださいほんとすみませんでした!」
「分かった分かった。なに、怖がる事はない。直ぐに楽にしてやる」
「あんた何も分かってないですから!」
「くふふ。いいぞ……期待と羞恥が混ざり合い矜持と快楽がせめぎ合っているその表情……堪らなくそそるではないか……。くふ。さあもっと喘げ……もっと悶えて私を愉しませろ……そしてそのまま果てるがいいこの卑しいオス猿がぁっ!」
荒げた語尾と同時、脚に全体重を乗せ、ソーマの下腹部を強く踏み抜く。
「い……………………いやぁ~~~~!」
絶叫と共にソーマは果てた。
しばらく歩くと、森の中にぽつん、と赤煉瓦造りの小屋が見えた。
「あれだな」
小屋に近付いたアーニャは太い木製の閂を引き抜き取っ手に手をかけ、ゆっくりと扉を開ける。
小屋には窓がなく中は真っ暗で、どこに何があるのかも分からなかった。
「ボウズ、灯りを点けろ」
「はい」
内股でモジモジしながらランプの蓋を開け蝋燭を取り出し、マッチで火を点ける。そっと蝋燭をランプに戻すと、円筒のガラスから透過した暖かい灯りが、室内の闇を拭った。
室内には家具や寝具の類は見当たらず、およそ人の気配もない。
「……何もありませんね。人の気配もないですし、それに死臭もしませんし。多分使われなくなって放置されたただの小屋、ですかね」
室内を見回しながらソーマ。しかしアーニャは険しい目付きで四隅を見回して、壁を擦った手を見て言った。
「それにしてはおかしい。床も壁も綺麗に保たれているし、ホコリの匂いすらしない。扉も閉ざされてはいたが、蝶番には油が差してあった。つい最近まで人の手で清潔に保たれていたとしか思えん」
「確かに、言われてみれば……」
ソーマは顎に右手を当て、考える素振りを見せる。
と。
ぐうぅぅぅぅぅぅぅー。
腹の虫が鳴くような音が響いた。
「……ボウズ、こんな時に貴様は……」
アーニャがソーマに振り向いて、ちょっと怒った声を出す。ソーマは慌てて右手を顔の前で振り、
「俺じゃないですよ?」
「じゃあ……」
誰が? とアーニャが言おうとしたところで、再びぐうぅぅぅぅぅぅぅーと音が鳴る。
「誰か、居るんですかね?」
若干の怯えを見せながら、ソーマは小屋の四隅にランプを向ける。だが注意深く見ても誰も居ない。しかし確かに音は鳴っている。
四方を順繰りに見回したソーマは次に天井を見上げる。
そしてうぎゃあ! と叫んだ。
「ど、どうしたボウズ!?」
突然の大声に驚いたアーニャがソーマに振り返る。見るとソーマは顔面を蒼白にして天井を指差していた。
その先にアーニャが視線をやると、
天井の二点から張った白い布の谷間から、黒髪を垂らした人の顔が覗いていた。
「な、生首!?」
「落ち着けボウズ。生首が音を立てる訳がないだろう」
取り乱したソーマの肩を叩いてアーニャは、
「ボウズ、肩を貸せ」
言って床を蹴り、ソーマの肩に飛び乗る。
突然両肩に掛かった重みにたたらを踏むソーマ。しかしアーニャは構わず布に手を伸ばし腕を突き入れて、布の奥から少女を引きずりだした。
途端、ソーマの肩に掛かっていた重みが軽く倍になり、堪らず膝が折れその場に崩れ落ちる。
ドドドっ、とソーマの背中にアーニャともう一人が圧し掛かる。
「……重い…苦しい……」
「ボウズ、その発言はセクハラだぞ」
言いながらアーニャはソーマの背中に踵を打ち付け、床に降り立つ。その腕の中には、一人の小柄な少女が抱かれていた。
腕の中の少女をそっと床に横たえると、ソーマも床に手を突いて起き上がり、少女の顔を覗き込んだ。
烏の濡れ羽色をしたシルクのような長髪。長い睫毛。ふっくらとした桜色の唇。ビスクドールのような白い肌。着衣は何故か白衣に緋袴。年の頃はソーマと同じくらいの少女が、死んだように目を閉じている。
「生きてる、んですか……?」
「さっき触れた時に脈と体温を感じた」
不安げなソーマの問いに、アーニャははっきりとした口調で答えた。
すると、少女の目ががぱちりと開いた。しかし眠たいのか重いのか、その瞼は開ききってはいない。
少女は半目の状態で茶色の瞳を左右に動かし、両隣から覗き込んでいる二人を見付けると、桜色の唇を小さく動かして、こう言った。
「……お腹、空いた……」
それだけ言うと再び瞼を閉じ、事切れたようにかくっ、と首を横に向ける。それっきり、少女はまた眠りに就いた。
「……」
「……」
アーニャとソーマは互いに黙って顔を見合わせる。しばらく二人でそうした後、アーニャが短く溜め息を吐いて、
「まあ、放って戻る訳にもいくまい。この子を負ぶって戻るぞ」
立ち上がり、自分で「負ぶって」と言ったくせにランプを手に取る。その意味するところを悟って、ソーマが訊ねる。
「え? 俺が負ぶってくんですか?」
「当たり前だ。貴様は『か弱い女の子』に人一人背負わせる気か?」
「…………………………………………」
「何だ、そのもの言いたげな顔は?」
キンキンに冷え切ったアーニャの視線に、ソーマは下腹部の痛みを思い出し身を震わせた。
アーニャが「早くしろ」と言い残しすたすたと小屋を出て行ってしまったので、仕方なしにソーマは少女の細腕を引いて上体を起こし――この態勢ではどう考えても背負えない事に気付く。
一旦少女を寝かせてから首の後ろに右手、両膝の裏に左手を添えて、お姫様抱っこで持ち上げ、ソーマも小屋を出た。
二人と少女が丘に戻ると、既に一一ニの墓穴には全て、亡骸が横たえられていた。
「おおアーニャ、戻ったか。――と……ソーマ、その子は?」
二人に気付いたアザッフが、ソーマに抱えられている少女を見て訊ねる。
「小屋の中で見付けてな。放ってくる訳にもいかなかったので連れてきた」
アーニャからの答えにアザッフはボリボリと頭を掻いて、
「そーすっと、もう一個寝床が必要だな」
傍らのスコップに手を伸ばすアザッフ。アーニャは彼を制止して、
「その必要はない。この子は生きている」
「そうか……。それは何よりだ」
アザッフは少女の顔を覗き込み、安堵の笑顔を浮かべた。
ソーマが墓穴から少し離れた草叢に白衣緋袴の少女を横たえると、アーニャは一一ニの墓を見てうなずき、
「皆ご苦労だった。それでは、始めよう」
その言葉に男七人は整列して、首を垂れて目を閉じる。それからゆっくりとアーニャが口を開く。
「名も知らぬ人よ。彷徨える御霊よ。どうかその心を鎮めて、安らかに永久の眠りへ就き給え。汝らの涙は川となり、我らの渇きを潤すだろう。汝らは決して孤独ではない。この星の全ての魂は、皆、汝らの友である」
アーニャが手向けの言葉を言い終え、八人で黙禱を捧げる。
一分程黙禱してから、八人はそれぞれにトンマが摘んできた花を持ち、亡骸の胸元に一輪ずつ供えて回る。ソーマは花輪を作り、それを三つ編みの少女の手に握らせた。
それから墓穴を優しく埋め戻し、最後にもう一度黙祷を捧げる。
――これが、彼女ら慰霊旅団アーセナルの仕事。町々を巡り、無残に打ち捨てられた亡骸を弔い、その代価として少しだけ、残っている物を分けてもらう。
アーニャは故郷を出て八年間、そうやって生きてきた。
所々で仲間を増やしながら、気付いたら総勢八人。移動の足と住居を兼ねて砂上船ナディアも手に入れた。
これからも、彼女彼らはそうやって生きていくのだろう。
自らが弔われるその日まで。
丘を下り町に戻った面々は、水と食料の調達に回る。町民共同の井戸から水を汲み、食料はそこいらの民家や商店跡に残されていた物を失敬してきた。
――つい数日前までは、活気に満ちていたであろう街並み。それが今は宇宙恐竜の襲撃に遭い、息の音ひとつもなく無暗に静まり返っている。
比較的損壊の少ない民家を借り受けて、集めてきたパンや干し肉の置かれた食卓を囲む。
アーニャが七人を見回し、口を開く。
「では――いただこう」
かちゃかちゃと食器を鳴らしながら、それぞれパンやら干し肉やらを口に運ぶ。
その音に、ソファに寝かされていた白衣緋袴の少女が目を覚ました。
「お、目覚めたか」
「……」
少女の視線に気付いたアーニャがグラスに水を注ぎ、少女の寝ているソファに向かう。ゆっくりと少女の腕を引いて上体を起こすと、
「飲めるか?」
少女にグラスを差し出す。グラスを受け取った少女は一息に中身を飲み干した。
「ふはー」
大きく息を吐く少女。それを見てアーニャはふっ、と優しい笑みを浮かべ、
「何か食べるか? 腹が減っているのだろう?」
男七人が群がるテーブルを親指で差す。少女はテーブルの上に目を遣り、皿に乗っている干し肉に釘付けになった。
ソファから下りた少女は両腕を力なく突き出しながら、ふらふらと引き寄せられるようにテーブルに向かう。その様子はまるでキョンシー。
「ボウズ、席を空けてやれ」
「俺もまだ食ってるんですけど……」
「レディファーストだ」
ソーマはふいと嘆息して干し肉をくわえたまま席を立ち、少女に椅子を譲る。
「あ……ありが、とう」
ソーマに礼を言って少女は椅子に座り、皿に盛られた干し肉を頬張る。途端少女の茶色の瞳から涙が滴り落ちた。
少女は涙をこぼしながら一心不乱に干し肉を口に詰め込み、嚥下する。
次々と干し肉を手に取っては口に含み、リスかハムスターのように頬を膨らませる少女。詰め込みすぎて喉に詰まらせ、目を白黒させながらも頑張って飲み込む。
その様子があまりにも必死に見えたので、ソーマは心配そうに少女に声をかけた。
「そんなに焦って食べなくても……」
「……三日ぶり……」
水を飲んで呼吸を整えてから、少女は小さく口を開く。
「ごはん食べるの……三日ぶり、だから……」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、少女はそう言った。
少女はまるで生きている事を確かめるように、干し肉の味を噛み締めている。そんな少女を、アーセナルの面々は神妙な面持ちで見詰めていた。
――やがてお腹が一杯になったのだろう。少女はグラスに注がれた水を一口飲み、ふうと息を吐いた。
「ごちそうさまでした」
顔の前で両手の平を合わせ、軽く頭を下げる少女。それから周りを見回し、半開きの目をきょとんとさせて、
「あなたたち……誰?」
小首を傾げる。ものっそい今更な質問だった。
思わず男どもは苦笑いを浮かべ、一斉にアーニャを見る。その視線につられて、少女もアーニャを見た。
アーニャはこほんと咳払いをしてから、
「我々は慰霊旅団アーセナル。町々を巡り、救われない魂に弔鐘を鳴らしてまわっている」
「いれい、りょだん……」
その言葉を噛み締めるようにつぶやいて、少女は、
「そっか……町のみんな、死んじゃったんだね」
無表情を浮かべた。
「三日も食べ物を持ってきてくれなかったから、おかしいと思ってた」
無表情の奥の瞳には、諦めたような色が浮かんでいた。その色が気になって、ソーマが訊ねる。
「君は……何であんな小屋に一人で?」
「私は……忌み子だから」
「忌み子?」
少女はうんとうなずいて、
「皆既日蝕の日に生まれた子供。この地方では日蝕は魔界の王の瘴気で起こるとされてて、日蝕の日に生まれた子供は魔界の王に魂を食われた状態で生まれてくると信じられてる。だから、わたしはあの小屋に隔離されて育った。さすがに死なれるのは夢見が悪いみたいで、毎日町の人が交代でごはんを持ってきてくれてたんだけど……」
「それで……あの外からの閂か……」眉根を寄せるアーニャ。
「「……」」押し黙る男達。
そんな場の空気を知ってか知らずか少女は、
「ごはん、ごちそうさま。おいしかった」
穏やかな笑みを浮かべて謝辞を告げる。相変わらず半目なのは、これが少女のデフォなのだろう。
少女は椅子から降り、面々に頭を下げて部屋を出て行こうとする。
そんな少女の肩を、ソーマが掴んで振り向かせた。
「どこ行くんだ?」
「小屋に戻る。わたしは忌み子だから、町では暮らせない」
「小屋ったって……食い物とかどうすんだ? もう用意してくれる人も……」
少女はその言葉に薄く笑って、答えた。
「……きっと、それも運命だよ」
自分の生まれも、境遇も、そしてこれからの全てをも受け止め、受け入れようとしているような少女の物言いに、ソーマは黙るしかできなかった。
少女が踵を返してドアノブに手を掛けた時。ソーマは少女に訊ねた。
「君……名前は?」
少女は振り向いてソーマの瞳を見詰め、微笑を浮かべる。
「……ココ。わたしはココ・バレンタイン。――きみは?」
「俺はソーマ。ソーマ・イーゲルニッヒ」
ソーマが名乗ると少女――ココは軽く一度頷き、
「さようなら、ソーマ。元気でね」
笑顔で言って、再び踵を返し部屋を出て行った。