大佐(おおさ)事件よもやま話
はじめに
今(2023年11月19日)よりおよそ5年8ヶ月前から広島市内およびその周辺地域で始まった大佐事件とは、摩訶不思議な出来事である。「〜である」と現在形なのは今もまだ終わることなく継続しているからである。
しかしながら、私はこの事件の詳細を述べることは敢えて避けて、ぼやかしていくことにする。何故なら、私はこの事件を書きたいためにこうして投稿しているわけではない。この事件で拾ったこぼれ話を「よもやま話」として著述していきたい。
第一章
広島の騒がしい日々
それはある日突然始まった。時は平成30年(2018年)2月26日。街中でどこからともなく聞こえてくる声がする。誰が話しているのかは分からない。しかし、確かに聞こえてくるのだ。
ここは、広島のビジネス街、大手町。数多くの会社が鯉城通り沿いに立ち並ぶビルに入っている。
他府県からの来客が皆一様に驚いて、
「これは、何ですか?」と聞いてくる。
「これは、昔、広島じゅうを騒がせた『アクラン騒動』の当事者ですよ」と接客する社員は、事も無げに答える。
「ああ、あの日本中で話題になったアクラノンですか?」
「そうです、そうです。アイツです」
「こんなんじゃあ、仕事にならんでしょう?」
「いや、慣れればどうってことないんですよ」
「そう言うもんですか?」
「ええ、そうです」
来客と社員は、どこの会社でもこんなやり取りをしていた。
広島の人々は「アイツ」と言えば誰のことかピンと来る。それぐらい誰もが知っていることだった。
初めの頃はアイツは皆んなから反感を買っていた。大手町界隈では「風上にも置けないやつ」と叩かれていた。そこでアイツは「皆さんの風下に置いて下さい」と切り返していた。また、ある時は、「隅に置けないやつ」と皆んなから言われたため「それなら真ん中に置いて下さい」と茶化して返答していた。
こんな事ばかりしているので、皆一様に「笑わせたからと言って、許した訳じゃないからな」と誰しも釘を刺すのを忘れなかった。そんなこともあって、アイツは街のヤバい雰囲気を抜け目なく察知して「マジで瞬殺される5秒前」と嘯いていた。これは、ちょっと昔に広末涼子が歌っていた「マジで恋する5秒前」を翻訳したものだった。アイツはいつもこんなことばかりしていた。ズバリ、ウケ狙いなのだ。
アイツは昔言った罵詈雑言を片っ端から良い意味の言葉や面白い言葉に、つまり日本語を別の日本語に翻訳しまくって、一度壊したものを修復して元通りにしようと奮闘していたのだ。
アイツの名前は大佐和之と言う。かつて広島の街を舞台に、アクラン騒動という事件を巻き起こした張本人だ。
アクランとはフィリピンの中部ヴィサヤ地域にある、パナイ島西部のアクラン州の事を指す。この地方の出身者のことをアクラノンと呼ぶ。
彼らアクラノンがよその国のよその地域である広島で、我が物顔に暴れ回ったのだが、これに、大佐和之は対峙し大喧嘩をしたのであった。
結局、この事件は他の地方のフィリピン人がアクラノンになりすまして起こしたものだったのだが、これを偽者と見破ったのが他ならぬ大佐和之だったのだ。これだけならアイツが嫌われる訳もなく、寧ろ賞賛されるべきだっただろう。
しかし、彼には重大な欠点があった。それは、人前で憚られる口に出してはいけない様な言葉を喋ったことだ。しかも、口から声を出して喋らずに心の声で発していた。更に悪いことに、それが周りの人々に丸聞こえだったのだ。
その結果、大佐和之は広島じゅうの人たちから大いに嫌われたのだった。
アイツの発した悪口はとても汚いものばかりだった。女性に向かって「ブス」といったり、髪の薄い男性に向かって「ハゲ」というのはまだまだ軽い方だ。ここは広島なのによりによって「原爆落としてやる」と言って「どかーん」と大声で叫んだりしたのだ。これが広島の人たちから徹底的に嫌われる斬撃となった。「お前も広島の人間ならわかるだろう。今のひと言は聞き捨てならない。許さんからな」と一斉に叩かれたのだ。
ひと言で言うとアイツは「馬鹿」なのだ。広島で生まれ育ったにも関わらず、そんな事を言うなどとは普通の広島の人間なら絶対にあり得ない。アイツは自分でも言ってはいけない禁句を言い放ってしまったと深く後悔したが、もう遅かった。
それ以来アイツは、「広島の役立たず」と言われ続けたのだ。
これが原因で、皆んなから大嫌われして「赦しておけない」存在と成り果ててしまった。まさに自業自得だった。
こうしてアイツは広島の中で孤立無援になり、たった1人で奮闘しなければならなかった。
アイツの重大な欠点はまさにこの悪態の限りを尽くした罵詈雑言にあった。だから、それはもう皆んなから嫌われまくっていた。
アクラン騒動の最中にこんな重大な出来事があったのだが、それでもこの騒動は一旦終結した。これはアイツが終わらせたのだが、広島の人々は全くアイツの事を評価してくれなかった。それから2年後アイツは本当に孤立してしまった。心の声を制御することが出来ず、相変わらず減らず口を叩き、広島の皆んなから心底嫌われたのだ。
だから皆んな「いつアイツが広島から出て行くか」と注目していた。この頃のアイツは精神的にかなり追い詰められて自殺しようとまで考えていたのは、ここだけの秘密なのだ。
しかし、アイツは自殺する勇気もないヘタレだったので、フィリピンへ逃げようと思い立った。広島から福岡まで鈍行列車で行き、途中で野宿をして夜露を凌ぎ、なんとか辿り着こうとした。福岡で航空チケットを買ってマニラまで行こうと思っていた。そのために、わざわざパスポートまで取得していたのだ。しかしそれも失敗に終わった。母親に「フィリピンへ行きます」と言う書き置きが見つかって、うちに帰るように説得されたのだった。
こうして半ば諦めの境地にいた頃のことだ。アイツが突然行方不明になってしまったのだ。街中でアイツの声が聞こえなくなってしまったのだ。広島の人々はアイツに責任を取らせようと躍起になっていた矢先にいなくなったのだ。皆んな必死になってアイツを探した。しかし何処にも居ない。「アイツにまだ責任をとってもらっていない」広島の人々は誰もがそう思っていた。あれだけ広島の街中で他国の人間が騒動を起こした原因がアイツなのだ。だから、何としてでも責任を取らせなければならない。これが皆んなの共通の思いであった。
だが、アイツは再び現れた。けれども今度は以前の大佐和之ではなかった。なんとアイツは最大にして最悪の欠点であった他人を傷つける心の声を発しなくなったのだった。それどころか、かつて自分が言った悪口を駄洒落で他の日本語にすり替えたのだ。それも良い意味の言葉や面白おかしい言葉に翻訳してしまったのだ。
アイツがそんなことをするのには訳があった。自分が言った罵詈雑言の責任逃れのためであった。過去に自分が悪態をついた言葉を他の日本語に翻訳して一度壊したイメージを修復し、元に戻すことを目指していたのだ。
大佐事件はこうして始まった。
アイツの日常はとにかく目まぐるしかった。朝から晩まで広島のどこにいても叩かれまくっていたのだ。要するに広島の鼻つまみ者だったのだ。家にいる時も、会社で仕事をしている時も延べつまもなく叩かれまくっていた。広島の皆んなの共通の口癖は「許しておけねえ」だった。アイツは許されていないのだ。だから皆んなから叩かれる。しかしアイツは、これも仕事のうちと割り切っていた。上手い切り返しをするのもアイツの仕事のうちだったのだ。
大佐和之は考えた。いかにすればこの状況を打開できるかを。そして閃いた。叩きにきた言葉を駄洒落で別の意味の言葉に変えることであった。
それからと言うもの、来る日もくる日も必殺駄洒落返しを繰り出して笑いを取っていた。彼らの口癖はこうだ「笑ったからと言って、許した訳じゃないからな」誰もがこの台詞を口にした。
こうしてどんどんウケ狙いの深みにハマっていったのだった。
そんな訳で広島は毎日がとても騒がしい喧騒に包まれた街となっていった。
広島に旅行に来る県外の旅行者たちもアイツの存在を知っていた。日本人のみならず、外国人までもが知っていたのだ。
第二章
広島から追い出されることが決まっていた男
広島の人々はかつて大佐和之を広島から追い出すために、アイツの知らないところで内密に多数決を取っていた。それはアイツがこのまま広島に住み続けるのを許すか許さないかを決めるものであった。
結論から言うと、多数決は満場一致で「広島から追い出す」となった。ところが本人にとっては全く寝耳に水のことであり、多数決に参加する権利すらなかったのだ。
だから、彼等は事あるごとに「多数決で決まったんだから」と決め台詞を言い放っていた。しかし、アイツにはさっぱり訳が分からなかった。そもそも、多数決で何が決定したのかが分からないのだった。そして、いつ多数決が行われたのかさえも全く知らなかった。
そこで大佐和之は様々なことを憶測しながら探りを入れ続けた。大佐事件が始まってから5年目にしてようやく多数決の内容が判明したのだった。
それまでアイツは、多数決で決まった事は、オーストリアの80歳の大金持ちのお婆さんに自分の下男として引き取ってもらう事だとばかり思っていた。しかもそのお婆さんと結婚という形で身柄を引き取って貰う代わりに8億円を広島の皆んなに支払うという話しになっていた。アイツはそれが多数決の決定事項だと推察していた。
飛んでも八分な話だった。飛んでも八分とは、「歩いて10分、飛んでも8分」という言い回しで、つまりあり得ないことを意味する。
ここで問題が生じるのであるが、大佐和之は既婚者なのである。つまり重婚になる。法律に違反する行為なのだ。だからアイツは自分の身にそんな事が起こる訳がないと安心し切っていた。
それならば、多数決の内容はもっと他の事であろう。アイツには心当たりがあった。それは、アクラノンにフィリピンに連れて帰えされることだった。言わば、程よく広島から追い出されることの他ならない。
しかし、これもまた問題があった。「お前のパスポートはここにあるぞ」と10年前に言われたことを思い出していたが、彼等が用意していたパスポートはフィリピン共和国のものであって日本国のものではなかった。話は簡単なのだ。大佐和之は日本国籍の列記とした日本人だからだ。だから、フィリピンのパスポートを取得出来るはずもないのだ。
アイツは色々と憶測してみて、どれも多数決の決定事項ではない、と確信していた。ならば、一体多数決の内容は何なのであろう?アイツはそれを5年の間考え続けてきた。そして、ようやくその決定事項が「広島から出て行け」であったと判明したのだった。
それが分かれば話は早い。要するに多数決を覆せば良いだけの話だ。
そこで大佐和之は多数決を再度行うように仕向けることにした。この5年間アイツは広島の皆んなのためになることをしてきた。
例えば、またアクラノンに火が付いて騒ぎを起こしそうになった時には、毎回火消しをして騒ぎを防いできていたし、広島の美味しいお店を他県の人たちに教えてあげたりもした。
特に広島の「焼きそば」と「焼きうどん」をアイツは推していた。広島はお好み焼きは勿論美味しいのだが、実は「焼きそば」と「焼きうどん」もお好み焼きに負けず劣らず美味いのだ。よその地方のウスターソースで作る焼きそばとは、全く異なるものなのだ。アイツは広島のお好み焼きを既に食したことがある人にオススメとして「焼きそば」と「焼きうどん」を挙げていた。
更に耳コピーをしてその時の流行りの曲や昭和のヒット曲を大いに宣伝してきた。
耳コピーと言うのは、アイツが昭和の歌謡曲やJ POPの曲を脳内再生して皆んなに聴かせるという特殊な技だ。アイツはこれを毎日のようにし続けていろんな曲を宣伝した。曲だけではない。アニメのキャラクターの声音はそのままで、台詞を弄って改変して広島のアニオタを喜ばせていた。この耳コピーは実に有益な技であり、勝ち名乗りを上げる時の法螺貝の音まで再現することができた。それに留まらず、自分に聞こえてくる声|をそっくりそのまま再現することも出来たのだ。それをやるといつも「俺の真似をするんじゃねえ」と、また叩かれた。
左卜全という芸能人が昔いたのだが、彼のヒット曲だった「老人と子どものポルカ」の歌台詞「ずびずばー」を本物そっくりに耳コピーで再現することが出来た。お陰で左卜全の名が皆に知れ渡ることとなった。
アイツが広島を大々的に宣伝しまくったおかげで、その経済効果は10億円と噂されていたくらいだ。
それと同時にアイツは6年前からまるで生まれ変わったかのように、人の悪口を一切言わなくなったのだ。言い換えれば、良い人、になっていたのだった。これは広島の人たちには思いもよらないことだった。誰しもアイツがいつまた毒を吐くか、と待ち構えていたのだが、全員肩透かしを喰らってしまった。驚くべきことに、毒を一切吐かなくなったのだ。
詰まるところ、アイツは悪い事は何一つせずに役に立つことばかりしてきたのだった。
この行いの積み重ねがあったので、アイツは多数決のやり直しが可能だと判断していた。そしてその読みは、見事に的中していたのだ。
こうして多数決のやり直しは行われた。しかもそれはアイツが一方的に「明日の日曜日の正午に多数決のやり直しをする」と宣言するという、無謀なやり方であった。
その結果は「広島に住み続けても良いが、赦してはやらない」と言うものであった。ところがアイツにとってこれは万々歳なのだ。このまま広島に永住できて、尚且つ余計な付き合いをする必要がなくなったからに他ならない。
第三章
不快な言葉をイメージの良い日本語に翻訳する猛者
大佐和之が翻訳し直した言葉に「宇品で手品」と言うのがある。これの元ネタは「宇品で簀巻き」と言う悍ましいものであった。アイツは自分の身の行く末を案じて、いずれボコボコにされて身ぐるみ剥がされて簀巻きにされて宇品の沖に浮かばされる、と思い込んでいた悪い意味の言葉である。これを聞いた宇品の人たちは宇品のイメージが損なわれた、と皆んな怒っていた。そこでアイツは「宇品で手品」と言う楽しくてハッピーな言葉にすり替えたのだ。
これにはオマケがあって、宇品にある「広島みなと公園」と言うとても広い公園で、「宇品素人マジシャン大会」を開催すると言う企画が出てきた。勿論言い出しっぺはアイツだった。この企画は素人のマジシャンたちにはとても魅力的な大会だ。何しろ優秀者5名には賞金が出るのだ。更に舞台を設置して音響機器を備え客席を用意して出店まで出させると言うものだ。実現するかどうかは分からないが、アイツには実現可能と言う確信があった。
他にもこんなのがある。広島の人々はフィリピン人であるアクラノンに対して非常に悪いイメージを抱いていた。これではいけないと思い、大佐和之は「アクラノン」を「なんですのん?」に翻訳した。これには皆んな思わず笑ってしまった。これには余談があって、これを聞いたアクラノン当人たちが腹を抱えて笑った、と言う噂だった。
まだまだある。「アクラン騒動始末記」と言う書籍が発売されると言う噂が広島の街に流れた。しかもそれは「太田川賞ノミネート作品」と言う触れ込みまでついていた。アイツは「芥川賞」をパロって「太田川賞」という、広島に流れる一級河川の太田川をちゃっかり借用してこんなものを作り上げたのだ。
これだけではない。アイツは自分のことを自ら「鬼」であると称し、何をやらしても鬼がかっている、と嘯いていたのだ。「来年のことを言うと鬼が笑う」と言う日本人なら誰もが知っている諺をこれまた「来年のことを言うと鬼が笑う。再来年のことを言うと鬼が吹き出す」などとヘンテコな諺を作り出したりもしている。
まだあるのだ。日本人にはお馴染みの「取らぬ狸の皮算用」と言う諺があるが、アイツはこれを「取らぬ狸のポンポコリン」と翻訳したのだ。なんとこれが広島の小学生にウケて流行ったと言う噂もある。
更にこんなのもある。広島の皆んなに騒ぎを起こした責任を取れ、と言われてアイツは「よし、分かった。30億払おう、妄想通貨で」と仮想通貨を妄想通貨に翻訳しているのだ。勿論、ウケ狙いだったのだが、のちにこれは現実の事となる。と言うのも、日本全国から大佐和之に広島のために使わせてやってくれ、と莫大な寄付がよせられたからだ。
こんなのもある。毎日のように街の人々から罵倒されて叩かれていたアイツは、「まったく、何やってんだよお」と皆んなから文句を言われると毎回決まって「櫃まぶし」と答えていた。
なぜ「ひつまぶし」なのかと言うと、「暇つぶし」を「櫃まぶし」にすり替えて翻訳していたのだった。当然こんなふざけた返答に皆んな怒らない訳がない。更にまた叩かれるのであった。
広島事変という出来事もあった。これはアニメ「呪術廻戦」の渋谷事変をパクったものだ。
大佐和之を毎日叩きまくっていた日比ハーフ軍団が戦術四面楚歌により、帷が下され八方塞がりの呪いの術式をかけられた為、膠着状態が続いていた。そこへ五条悟先生が現れて、領域展開赤で八方塞がりの呪いを祓い、領域展開青で帷を取り去った。すると、なんとそこへ一筋の逃げ道が用意されていたのだ。
流石は五条先生、ちゃんと逃げ道を用意してくださっていた。その道を真っ直ぐ行くと、元国会議員の柿村先生の家に続いていた。ハーフ軍団は柿村先生に助けを求め、無事に危機から脱出した、と言うのがアイツが捻り出した渋谷事変のパクリの全容だった。
日比ハーフ軍団とは旧称を「チーム縦山」と言う。これはアイツが名付け親だ。何故なら、QQR放送局のアナウンサーの縦山が結成したグループだったからだ。のちに彼らの正体が日本とフィリピンのハーフからなるグループだった事が判明した。それ以降「チーム縦山」のことを「日比ハーフ軍団」とアイツは呼んでいた。
過去5年8ヶ月に渡り大佐和之はハーフ軍団に毎日叩かれまくっていたが、アイツは上手い事を言って切り抜けていた。
この「大佐事件よもやま話」は主に大佐和之とチーム縦山との間で繰り広げられた喧しい攻防戦から出てきた面白いフレーズを拾ってまとめたものだ。
第四章
大佐和之とチーム縦山(ハーフ軍団)の攻防戦
チーム縦山にはリーダーの縦山を始めとする全部で5人のメンバーがいる。40過ぎのデブっと太った団長の大越リンダ、キンキン声の大森祥子、すぐに熱くなるジェイソン・アルバサド、ハイトーンボイスの高橋洋一郎だ。彼らの名前は大佐和之が勝手に名付けたもので、名前が分からないと話しづらいという理由でやったことだ。彼らはとにかくしつこい。朝起きるともう彼らがいるのだ。声が聞こえてくるのだ。夜は夜とて深夜まで「許しておけないよ」と喚いてくるのだ。彼らは一体いつ寝るのだろう?アイツには不思議でしょうがなかった。
ある日チーム縦山が何やら騒いでいた。「黄前久美子、黄前久美子」と騒いでいた。どうやらアイツの惚れた女性の名前らしい。黄前久美子の名を夜空に向かって連呼していた。「黄前久美子って誰だ?」と問いかけてくる。このネタを使ってアイツを叩きにきたのだ。しかしながら、アイツは不覚にも笑ってしまった。何故なら「黄前久美子」はアニメのキャラクターだったからだ。アニメファンならご存じのことと思うが、「響け、ユーフォニアム」というアニメの主人公の名が「黄前久美子」だからだ。つまり、実在しない人物なのだ。チーム縦山には2次元と3次元の区別がついていなかったのだ。
つづく