#9 迷子
移動はもっぱらバイクだ。
特にこだわりなんかないが、田舎特有の細かい道を行くのだって小回りが利く方がいい。
それに寺には駐車スペースがないからな。玄関前に置けないくもないが、出入りに何度も切り返しがいるようじゃ使い勝手が悪い。
まぁ、そんな大したことのないよくある理由で免許を取って以来ずっと原付を乗り回しているわけだ。
今日も今日とて細かい道を抜けて檀家の家を回る。
最後の檀家はうちの寺と随分と古い付き合いのある家で、立派な門構えのある日本家屋だ。やっぱ地主って金あるんだなぁ、なんて。坊主である自分のことは棚に上げて考える。
檀家の老婦人といつもしっぽを振ってくれるトイプードルの愛ちゃんに手を振ってから、軒先に置かせてもらっていた原付のエンジンをかけた。
さて、昼飯は何にしようか。
夏特有のもこもこした雲が浮かぶ空は爽やかで見ていて気持ちがいいのに、どうして気温だけがこうも馬鹿みたいに高いのか。
寺よりもさらに山に近い分セミの声が多くなんとなく疲弊する。
何気なく向けた視線の先には、椎の木に覆われた社務所すらない小さな神社があって、さらにその奥に通じる鬱蒼とした小道が広がっていた。
幼い頃は母親に連れられてどんぐりを拾いに来たりもしたが、それもはるか遠い昔。あの頃はどことなく怖い印象のあった小道も、今では数十メートルほど残っているだけで向こう側は住宅地へと切り開かれてしまっている。
ぼんやりと懐かしい気持ちに浸っていると、神社の方で何かが揺れた。
なんだあれはと、好奇心で近寄ってみる。鳥居の脇にバイクを止めてキーを抜く。
石造りの鳥居を潜ればすぐにそれはいた。
「あれ? こんな所でどうしたの?」
狸でもいるのかと思っていたのだが、手水舎の陰に何やらこちらを伺う少女が一人。
年の頃は五つか六つか。見覚えがある気がするのだが、どこかの檀家のお孫さんだろうか。
「お母さんと来たの?」
「……」
「おうちはどの辺り?」
「……」
「困ったな。とりあえず一緒に街まで行こう?」
返事を返してはくれない少女にもう少しだけ近寄れば小さな肩が跳ねた。
「っやだ、恐いのいる!」
「恐いのって……」
「なんで皆見えないの? あんなにいっぱいいるのに! なんで私の事追いかけてくるの!?」
悲鳴のようなそれにはなんとなく覚えがある。
今でこそ適当にやり過ごすことができるようになったが、幼い頃は俺もよくわからないものを見ては騒いで両親を困らせたものだ。
その中でも当時住職であった爺さんだけが俺の話を信じ、どのようにすればいいのかを教えてくれた。意識の逸らし方、身を守る術、それらとの関わり方。そういうものを教わる代わりに、あの爺さんは俺を寺でよくこき使ってくれたものだ。
「……たくさん恐い思いをしてきたんだね。でももう大丈夫、守るよ」
「お兄ちゃんは見えるの?」
困惑する見知った少女に笑いかける。
爺さんに教わったことは確かに俺の中に息づいている。普段は意識して気にしないようにしているから間違えそうにもなるが、こうして正面から向き合えばそれがどんなものかもちゃんとわかる。
だから、もう一歩彼女に歩み寄り視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「さて、君はもう帰らなきゃ。いつかこの街においで」
あまり褒められたやり方ではないかもしれないが、幼い頃の彼女の心がこれで救われるなら少しくらい許されるだろう。
誰にとがめられるのかも、だれに言い訳しているのかもわからないがそんなことを心の中でごちる。
「君が来るまでずっと待っててあげるから」
「……わかった、絶対行く」
表情に明るさが戻ったのを確認して立ち上がれば、彼女も手水舎の陰から姿を出した。
うん。やっぱり彼女は笑っている方がいい。
「うん。またね、迷子のお嬢さん」
「またね。お兄ちゃん」
溶けるように消えていった少女を眺めながら、妙なこともあるもんだとため息を吐く。最近多いのだが何かの前触れか、それともただの偶然か。
とにかくだ。それは置いておいて、幼い頃にした遠い約束を佐倉さんは律儀に守ってくれたんだ。ならば、俺ももう少し意識してあの子を守ってあげなきゃいけない。
ポケットに入れ損ねて握っていたバイクのキーが生ぬるい。
そんな夏の木陰の迷子の話。