#3 音
佐倉さんとは年が近く、住んでいる場所も近いからよく会うし、会えば話をすることも多い。
暇な爺さん婆さんは年の近い男女を見ると囃し立てるが、至って健全なご近所付き合いというやつに過ぎない。
今日だってスーパーで会ったのはたまたまだし、醤油やら砂糖やら重めの物を買った佐倉さんの荷物をバイクで来ていた俺がついでに運ぶのもまぁ善意からくる行動に過ぎない。
いや。まぁ、表情がころころ変わるお嬢さんに笑いかけられたい。なんて程度の邪な気持ちはあるかもしれないが。木村の爺さんのこと笑えねぇな。
エンジンを切った原付の横を、歩く佐倉さんは楽しそうだ。最近会ったことを話す彼女を横目に見ながら食品の詰まったビニール袋を乗せたバイクを押す。
程よく善性で愛嬌のある娘さんだ。こういうお嬢さんはよくおモテになるんだろうなぁと、思うわけですよ。
事実仕事場に顔を見に来る棺桶に片足突っ込んだような爺さん婆さんもそれなりにいるみたいだし、今だってそうだ。
不意に足を止めた彼女に倣って原付バイクを押す手をと止める。
「今……なにか変な音しませんでしたか?」
不思議そうに、築何年かは知らないがそれなりに歴史のあるマンションを見た。
以前は何があったか分からない程度には見慣れたその建物は、修復はされているんだろうが、まぁボロいというほどではないがそこそこ風格のある見た目をしている。
建物自身もそうだが、道路を隔てる錆びて色あせた金網がより一層そういう雰囲気を引き立てているようにも思えた。
「してないよ」
佐倉さんを促すように、一歩。足を進める。
「え、でも、大きなものが落ちたみたいな……」
「気のせいじゃない? それより佐倉さん、薬局の割引券貰ったんだけどいる?」
「あ、はい。嬉しいです」
バイクの足元に置いていた自分の買い物袋に手を突っ込んで、レシートと一緒に渡された感熱紙を見せる。期間はあるものの、対象商品の料金が何割か引かれるそれを佐倉さんに押し付ければ困惑したまま彼女は受け取る。
そこで流されるから付け込まれるんだよ。とは言わない。実際俺も丸め込んでいるし。
腑に落ちない顔をしたお嬢さんには聞こえないように溜め息を吐いた。
「ほんと、厄介……」
何もない。
そう、何もないのだ。
あのマンションを覗いたところで何も転がっていないし、このマンションから何か落ちたという話しもない。
向かいから来た車を避けるために彼女を先に行かせ少しだけ歩調を緩める。
すぐ隣をすり抜けていく車のエンジン音に紛れ今度は俺の耳にも届いた。何か大きなものが落ちるドサリという音が。
「八千種さん?」
「なんでもないよ」
振り返った佐倉さんに笑いかけて彼女の隣に並び直す。
振り返ってなんかやらない。
だってそこには何もないんだから。