推しが何やら隠し事をしているようなので、持ち前のポーカーフェイスで気付かぬふりをしています
「マスター、どちらへ?」
エミリアが住み込みで働いている喫茶店。
開店前にいそいそと出掛けようとしている店主に声をかけた。
初めて見る。
ネクタイを締めている。
マスターは童顔で、ネクタイを締めるとまるで学生のようだ。
かっっっわ!!!
思わず声が出そうになった。
よく似合っている。
マスター=推しが可愛すぎる。
見ているだけで幸せな気持ちになる。
「えっと……買い忘れがありました。すぐに戻ります」
笑顔が尊い。
この店で働いてもうすぐ一年。
少しずつわかってきた。
これは嘘だ。
マスターは何か隠し事をしている。確かめる術はないが。
「行ってらっしゃいませ」
前職のメイドで培ったスキル、無表情で見送る。
言葉の通り、彼は開店の準備が間に合うように帰ってきた。
翌日も、その翌日も、マスターはネクタイを締めて出掛けて行った。
定休日の今日は、朝から出掛けたきりだ。
大切な人でも、出来たのだろうか。
毎日朝から会いに行っているとか。
妙に納得している自分がいた。
推しの幸せは、自分の幸せ。
とはいえ。
なぜだろう。モヤモヤする。
後を付けてみようか。
いや、マスターにもプライベートがある。
推しは推し。恋愛対象ではない。
……はずなのだが。
エミリアは、モヤモヤを晴らすべく一日かけて店内を隅々まで磨き上げた。
「ただいま」
マスターの声に気付くと、すっかり夜も更けていた。
「おかえりなさい!」
自分が思っている以上に大きな声が出た。
マスターが驚いた顔で固まっている。
自分の頬を伝っている涙にようやく気付いた。
「すみません。お帰りが遅いので、心配で」
さらっと出てきた言葉に自分で吐き気がする。
嘘だ。半分は。
マスターは「心配かけてすみません」と申し訳無さそうに眉根を寄せた。
「ずっとエミリアさんのことを考えていました」
何かが心臓に突き刺さる音がした。
きっと彼は殺し文句を言っていることに自分で気付いていない。
推しに名前を呼ばれることすら致命傷なのに。
「エミリアさんが店に来てもうすぐ一年になるので、何かお礼をしたくて探していたのですが……。僕、エミリアさんの好みを何も知らなくて」
嬉しい。ただ、嬉しかった。
「エミリアさんのこと、僕に教えてくれませんか」
「……はい」
「ありがとうございます!」
マスターがとても嬉しそうに笑うので、エミリアもつられて笑った。
なぜか安堵している自分がいた。
ああ。
推しの、いや、好きな人の前でポーカーフェイスを保つのは、無理かもしれない。