7 異色のパートナー その2
(まさか下民だったとはね‥‥‥)
租税台帳にも載らないような、庶民より立場の弱い者を下民という。
流星街やスラムに住み着く根無し草で、税を治めずおこぼれに預かろうとすることから、領主や貴族にとっては大変お荷物で卑しい存在――とリチアは教育係から教えられていた。
(碌な服が無いわけだわ)
継ぎ目も多く、足し布をされている服など見たのは初めてのことだった。
また、服以外の所持品でいうと、ランプや本、机に至るまで、だいたいの物は服と似たり寄ったりな状態で、どれもこれも手直しした跡が見受けられた。
彼が直したのだろうか、それは分からない。しかし総じてもう処分しても良いのではないかと思われる、見るからに使い古された代物ばかりだった。
リチアとしてはそれが不安の種だった。
(スノウは騎士団の中でかなり信用されているみたいだけど‥‥‥)
規律にとにかく厳しく、正義感の強いシルベットが第三騎士団に推すくらいの人間だ。能力以外の部分でも評価されるような人柄なのだろう。
けれどもリチアはスノウという人間を知らない。
短慮を起こさない保証なんかどこにもないのだ。
入れ替わったのをきっかけに「今日からこの僕がリチアだ!」なんて言い出さないとも限らないわけで、そんなことになったら私はどうしたらいいの!? 終始そんな不安ばかりが頭の中を巡っていた。
(こんなことなら、一か八かでもシルベットに打ち明けてみればよかった!)
後悔するも、そのシルベットはとっくに王都へ出立した後である。
落ち着いて考えてもみればこの状況、秘密にすればするほど自分が不利になってしまうではないか。リチアはそのことに、やっと気が付いた。
オーディン騎士団の寄宿舎は城のすぐそばにあった。
とりあえず自分の私室が見えるところまで行ってみよう――そう思い立ち、リチアは居心地の悪い寄宿舎から出た。
行ってどうするかは後回しだった。とにかく何とかしてスノウに会わなければ‥‥‥焦る気持ちを押し殺しつつ、リチアは今まで暮らしてきた自分の城をゆっくりと見上げた。
(つい昨日まであそこが自分の居場所だったのに‥‥‥)
正確には三日前だ。けれども、他人の身体になったという自覚が湧くと、急に他人の城を見上げているような感覚になる。
勝手知るはずの居城。それが今やこうもわびしさと疎外感を与えてくるとは。
「あれ‥‥‥スノウ?」
不意に背後から声をかけられた。
リチアが振り向くと、見知らぬ近衛兵と目が合った。
(だれ? スノウの知り合い?)
ちょうど巡回中だったのだろう。近衛兵はやや驚いた顔をしていた。何度か瞬きをすると、今度は感極まったような声で「スノウ!」と、小走りにリチアのそばへとやってきた。
「刺されたって聞いたけど、もう平気なのか!?」
足の先から頭の上まで確認るように見つめられ、リチアは戸惑った。
「復帰はいつだ? いや、まだ少し顔色が悪いな。やっぱまだ本調子ってわけにはいかないよな、そりゃ‥‥‥」
「え‥‥‥いや、別にへいき、だけど‥‥‥」
戸惑いながらもリチアは素直に答えた。
「そうなのか? ‥‥‥本当にそうならいいけど。しかも大事な派遣直前にこんなことになるなんて‥‥‥一人で抱え込んだりするなよ? 話ならいつでも聞いてやるから」
「う、うん」
「あまり気を落とすなよ? きっと団長がまた機会をつくってくれるだろうしさ」
「‥‥‥うん」
リチアが気まずそうに頷く。すると、近衛兵はシュンと肩を落とした。
「なんか‥‥‥ごめんな?」
唐突に謝られる。
「え?」
リチアはさらに戸惑った。
何か謝らせるような部分があっただろうか? 今の会話の中で。
理由が分からず首を傾げたリチアに、近衛兵は俯いたまま言った。
「俺達、なんにも力にもなれてないよな‥‥‥スノウにはいつだって助けられてばかりだったのに」
「あ、いや‥‥‥」
(な‥‥‥なんて返したらいいの!?)
ますます気まずくなり、リチアは内心焦った。
不用意なことは言えない。せっかく心配してくれている彼の気持ちを無下にしてしまうかもしれないからだ。
ごにょごにょと口ごもっていると、彼は落ち込んだ表情のまま視線を上げた。
「とりあえず具合が悪くなったらすぐに言ってくれよ。少しの間なら警備代わってやれると思うから」
「え、ええ‥‥‥分かった、ありがとう」
素直に礼を言うと、近衛兵は表情苦く笑った。
「それじゃあ、またあとで」
近衛兵はそう言い、ゆっくりと踵を返した。
去っていく彼の後ろ姿を見送りつつ、リチアはふぅと吐息を吐く。
(なんとか乗り切った、かな? それにしても--)
ディアムにしても今の近衛兵にしても、どこか気が抜けてしまうほど人が良い。突然思い立って家出を決行したリチアに対する悪口の一つや二つ出るかと思ったのに。‥‥‥他の団員もそうなのだろうか?
見栄っ張りで何かとマウントを取りたがる貴族達とは大違いだ。
(スノウも‥‥‥そうなのかな?)
ふと思う。スノウには、怒り任せに散々なことを言ってしまった。彼は一言だってリチアを責めたりしなかったというのに。
それにスノウは、昇進前の大事な時だったのにも関わらず、身を挺してリチアを守った。
ひょっとしたら‥‥‥あのまま死んでしまう可能性だってあったかもしれないのに、だ。
“きっとスノウが上手くやってくれますよ”
“あいつは、とんでもない陰謀を考える奴じゃない”
(‥‥‥‥‥‥眉唾だと思ってた)
リチアは再び城を見上げた。
(スノウは信用のおける人なのかもしれない)
それはリチアがしばらく忘れていた、あたたかい感情だった。