6 異色のパートナー その1
「服を着たら私のところに来い。事件当事者のお前でしか分からなかった事があるだろう? それを確認したい」
シルベットはそう言い、では後でな、と部屋から出ていった。
ポツンと、リチアだけが一人部屋に取り残される羽目になったのだ。
この先どうしたらいいのか分からず、ベッドに腰を掛けた彼女は途方に暮れてしまった。
(早く元に戻りたい‥‥‥!)
そういくら祈っても念じてもリチアの身体に変化など無くて。このまま一生元に戻れなかったら‥‥‥不意に頭の中を過った最悪の末路に涙が込み上げた。
誰かに助けを求めたい、打ち明けたい。しかし、無暗に打ち明けるなと言われたばかりで、それもなかなかできそうにない。
「‥‥‥とりあえず、シルベットのところに行かなきゃ」
リチアは涙を拭った。
「それからもう一度あのスノウって人とも会わないと」
結局のところ、ただクヨクヨしていたって現状は何も変わらないのだ。リチアは己を鼓舞するように「よし!」と意気込むと、早速シルベットに会うための準備に取り掛かることにした。しかしそう思った矢先、スノウの部屋を漁っていたリチアはいきなり難題に直面することになった。
難題とはつまり、着るものについて。
「服を着ろって言われても‥‥‥何を着ればいいの?」
リチアは服の入った棚を悩まし気に眺めた。
お嬢様だから一人で着られない、という訳ではない。シンプルなドレス程度の身支度なら一人でもできる。
では何が問題なのかと言えば‥‥‥
(制服の下って何を着ればいいのかしら‥‥‥直に着ているわけじゃないわよね?)
オーディン騎士団専用の黒い団員服を手に、リチアは考え込んだ。
そしてもっと分からないのが、革製のベルトや胸当て、ユサールやグローブ。必ずしも必要なのかどうなのか、よく分からない。
騎士は役職によって身に付けるものが異なる。その上祭事のときだけしか着ないものもあったりする。
「彼の役職なんて知らないわ‥‥‥」
門兵? 近衛兵? それとも城下の巡回兵?
(今日まで見ず知らずの人だったのよ? そんなの分かる訳ないわよ)
リチアは困り果てた。
(‥‥‥‥‥‥とにかく何か着なきゃ)
迷った末、半袖のシャツを一枚手に取った。それから制服に袖を通し、壁際に揃えて置いてあった革靴を履く。
(それにしても、男物って見た目には分からないけど案外細かいところで違いがあるのね)
やや苦戦しつつも、どうにかそれらしく身なりを整えることができた。かなりの時間を弄してしまったが。
(いやいや、なんでこんなことを真面目に悩んでいるのよ‥‥‥私)
リチアは意気消沈と部屋を出た。
右も左も分からない寄宿舎の中を、どこでシルベットが待っているのか見当もつかないままさ迷い歩く。やがて、
(‥‥‥あれ? 外?)
一回り大きな扉を開けたところ、まったくの見当外れだった。
迷子さながらのリチアがきょろきょろと辺りを見回した、その時、
「こらスノウ! どこへ行くつもりだ!?」
真上からシルベットの怒り声がした。
びっくりしつつ振り仰げば、なかなか来ないリチアを呼びに来てくれようとしていたのか、シルベットが二階の窓から不機嫌そうな顔を覗かせていて‥‥‥リチアはいたたまれない気分で肩を竦めた。
「――なるほど、お前も犯人の顔を見たわけではないのだな」
部屋に入るなり、シルベットは早速事件当時のことを切り出した。
書斎机に頬杖を突いたシルベットから鋭い視線をあてられ、リチアはそわそわとどこか落ち着かない挙動でもごもごと応じる。
「えぇ、まぁその、無我夢中だった‥‥‥ので」
本当に何も覚えていない。ものすごく解答に困る。さきほどスノウが言った言葉を再三繰り返しながら、リチアは悩んでいた。
“この事実をどこまで公表するか”‥‥‥つまり、入れ替わった事実を打ち明ける人は選んだ方がいい、というスノウの意見が頭の片隅で引っかかる。
冷静になってみれば、その通りで、リチアとて同感だ。けれど、身内(オーディン家の家臣)くらいには伝えてみてもいいんじゃないかと思うのだ。
特に、シルベットはリチアが生まれる以前からオーディン家に随従する家臣の一人で、ハインツが最も頼りにしている人でもある。リチアの中でも彼女への評価は高く、しょっちゅう顔を合わせている訳ではなかったが、側使えの侍従と同じくらい信用していたりする。
シルベットなら何か力になってくれるのではないか。そう思えるし、何より――
(‥‥‥‥‥‥心細いし)
この不安と焦燥を誰かと共有したい。そうしなければ、やっていけそうな気がしなかった。
(あと、できれば今すぐ私の部屋に行きたいのよね)
私の部屋――城の中にあるリチアの私室のことだった。きっとそこにスノウがいるはずだ。‥‥‥なんとかして会わなければならない。
今やリチアは身分も分からないただの騎士。この身体でご令嬢の私室を訪問するには、いつでも城に出入りできるシルベットにお願いするのが一番手っ取り早い。
リチアがそんなことを悶々と考えていると「分かった。もう行っていいぞ」シルベットから退出を促す声がかかった。
驚いたのも束の間、腰を上げたシルベットが壁際に立てかけられていた大剣を片手に、騎馬用の鞍をもう一方の脇に抱えた。
「私はこれからまた王都へ発たなければならない。スノウ、お前はとりあえず今日一日休んでおけ」
「え‥‥‥!?」
リチアは思わず狼狽えてしまった。
頼みの綱だと思っていたシルベットがいなくなるなんて。
「い、いつ戻ってくるの?」
慌てて訊ねると、シルベットは小さく嘆息をもらしながら「さあ」などと言った。
「それはむしろ私が聞きたいね。――それより、明日からはお前もブレア地区に行ってもらう予定だ。仕事は壊れた橋の修繕と塀の強化‥‥‥かなりの重労働だ。念のため備えておくに越したことはない。寝ている間に鈍った感覚を明日の朝までに取り戻しておくように」
「そんな、貴女がいなくなっちゃったら私は」
「おいおい、急にどうした? 昔みたいに慕ってくれるのは嬉しいが‥‥‥今日はちょっと変だぞ? 私も今は手一杯なんだ、しっかりしてくれ」
「待って! どうしてもス――お嬢様に会わなきゃいけないの! シルベットから何とかお父――じゃなくて旦那様に言ってもらいたかったのに」
「何故会う必要がある?」
「そ、それは‥‥‥」
リチアは口ごもった。上手い言い訳が咄嗟に思い浮かばず、視線を彷徨わせる。
シルベットは深く溜息を吐いた。
「さっきのような事があったのに勘弁してくれ。お嬢様との間に妙な噂が立ちかねんだろう? どこで足元を掬われるか分からん、滅多なことはやめておけ」
「でも」
「ダメだ、諦めろ。身内の中に間諜がいる可能性もあるんだ、今は大人しくしていなさい」
するとシルベットはしばし間を開け、声を潜めながらこう言った。
「スノウ、お前が焦るのも分かるが、今は自重しろ。平民出身の私達のことを旦那様が目を掛けている‥‥‥それは城の中の連中にとっては不本意なことだ。とくに下民のお前は差別の対象‥‥‥滅多なことは起こすな、いいな?」