4 対談 その2
「馬車に乗ったところまではまぁ‥‥‥けれど、その先はほとんど覚えてないわ」
「そうですか‥‥‥じゃあスノウは?」
ディアムが次いでスノウの方に訊ねると、彼は困った顔で肩を竦めた。
「多少覚えてはいるけど」
言いつつ、本来の自分の身体の方をちらりと見た。
「無我夢中だったから、実を言うとあんまり‥‥‥」
「‥‥‥まぁそうだよな」
ディアムはやや暗い表情で頷いた。
「いきなりあんなことになったらな」
「やっぱり‥‥‥首謀者はもう?」
眉根を顰めたスノウに、
「いいや、これが全くだ。騒ぎはとっくに王都まで聞こえてんのに何の手がかりも無いときたもんだから悪くて‥‥‥とりあえずお前が無事で本当に良かったよ。お嬢様も無傷だし。まぁこれじゃあ素直に喜べもしないけどさ」
ディアムが諦めたような顔をする。
「‥‥‥‥‥‥僕の落ち度だ。団長と旦那様に何て申し開きをすればいいのか‥‥‥」
「そういうの本当にやめろよな。護衛は何もお前だけじゃないだろうが。俺達は気付きもしなかったんだぞ? お前がいなかったら今頃どうなっていたか」
「――ちょっと! なに勝手に話を進めているのよ!」
と、そこで両者の会話をリチアが遮った。
物腰柔らかそうな顔がありありと不服を訴え、眉間には皺が寄っている。会話から弾かれたことがよほど嫌だったのか、口をへの字に曲げたリチアは鋭くスノウとディアムを睨み付けた。
「私にも分かるように説明してほしいわ! こうなった原因の話でしょう!? なんでいきなり被害者の私が蚊帳の外なのよ?」
するとディアムとスノウは互いに素早く目線を交わし、なぜか微妙な顔つきでリチアを見つめた。
「‥‥‥そんなつもりはなかったんですけど」
気まずそうにスノウが呟く。釈然としないその様に、リチアはますます苛立った。
「はっきり言ってくれなきゃ困るわ! こんな事になってるのよ? 早く何とかしないといけないのが分からない訳じゃないでしょう!?」
二人の顔を見比べたリチアが声を荒げる。とくに、自分の身体を横取りした方には容赦なく厳しい視線を当てた。
「むしろ私の身体を奪った貴方は絶対に説明するべきだわ! 他でもない私の身体なのよそれはっ! それがどれだけ最悪なことか‥‥‥私は貴方よりも身分も立場もずっと上の――もっと言えばこの国にとって超重要人物なのよ!? そっちの事情より、私の方がよっぽど大問題! 貴方のせいでこのオーディン家が潰れたら一体どうするの!?」
リチアは湧き起った怒りをそのまま言葉に乗せてスノウを捲し立てた。
前触れもなくいきなり直面することになった前代未聞のアクシデント。リチアのキャパなどとっくに超えていた。
そもそもリチア自身あまり気長い方ではなかったし、今に至っては一刻も早くこんな最悪の状況から戻りたいのなんので気ばかりが焦っていた。
けれど余裕がないのはスノウも同じで、
(そんな言い方しなくてもいいだろ!)
スノウとてもう一人の被害者であり、内心穏やかではいられなかった。
思わず立ち上がり口を開きかけた――その直後、横から素早くフォローが入った。
「ストップ! 言いたいことはだいたい分かるけど、さすがに言い争ってる暇は無いだろう? ここは一つ冷静になれ!」
二人の視線を身体で遮るように、ディアムが両者の間に割り込んだ。咄嗟の行動だったのだろう。リチアに対して敬語を忘れてしまっている。
だがその鶴の一声のお陰で、剣呑な空気がいくらか和らいだ。
リチアの肩から力が抜けた。
「‥‥‥なら私にもちゃんと説明して」
不機嫌な顔はそのままにリチアは、はあ、と重い溜息を零した。背後からも同様の溜息が聞こえてきて、ディアムはホッと胸を撫で下ろした。
「まず、何があったのかについてですが‥‥‥」
「ええ」
「単刀直入に申し上げますと‥‥‥お嬢様は襲撃を受けました」
「え‥‥‥?」
リチアが目を丸くする。それは耳を疑う一言だった。
「つまり、テロです。暗殺未遂」
「何ですって!?」
悲鳴を上げ、立ち上がる。
驚愕の表情で固まるリチアに、ディアムは切々と語った。
「凶器は魔力の矢でした。いち早く気付いたスノウがお嬢様を庇おうとして‥‥‥代わりに刺されたんです。矢は刺さった後直ぐに消えてしまい、騎士団総出で調査をしていますが、あまりにも痕跡が少なく――刺客も現在行方が知れません。お嬢様はその時のショックで気を失ってしまい、もちろんスノウは出血多量で意識不明」
「なっ‥‥‥」
「旦那様より手配していただいた聖法医師団のお陰で今は何ともないはずです。でも、あれからお嬢様は丸三日こちらで寝込んでいました。――誰も、スノウがお嬢様だとは思いもしませんでしたから」
「じゃあ私、死にかけていたの!? この身体でっ!?」
なんてことなの‥‥‥! へなへなと座り込み、真っ青な顔で頭を抱え込む。
絶句したリチアに、ディアムはさらに続けた。
「医師団の方から特にこれといった報告は無かったのですが‥‥‥今回このような事態になってしまったのは恐らく、その魔力の矢が原因かと思われます」
――思われます、ですって!?
リチアはすっくと立ち上がり、
「十中八九その矢が原因じゃない!! 確実にっ!」
するどく言い放った。
「どこのヤブ医者よ、それ! 絶対におかしいわ! 人間の魂が入れ替わっちゃってるのよ!? そんなことにも気づけないなんてよっぽどのポンコツを寄こされたようね! それか職務怠慢!? それとも詐欺!?」
「し、しかしお嬢様? あの聖法医師団ですよ? 宮廷医のいる国一番の魔術医療団体ですよ? そのお歴々が問題はないと――」
「問題大ありじゃないの!」
ピシャリと至近距離で怒鳴られてしまい、ディアムはたじたじになった。
「まぁ、そうなんですけどねぇ‥‥‥」
俺に言われても困る、とは言わずに言葉を濁すだけに止める。
ディアムもリチアの怒りは至極もっともだと思えたし、状況を見れば同情せざるを得ない。
だからといって、聖法医師団は医学と魔法のプロフェッショナルが集う行政機関であり、つまりは最高の魔法使い集団が出した診断となるわけで。魔法のまの字も知らない一介の騎士が口を出すことなどできはしない。
「――それより、これからどうするのかを考えませんか?」
と、これを言ったのはスノウだった。肩にかかった長い髪を不器用に後ろに払いつつ、彼はリチアの方に歩み寄った。
「意識不明だったお嬢様がこうして目覚めた‥‥‥それが知られればまた狙われますよ? 今は医者がどうこうより、ご自身の置かれた状況を心配された方が良い」
すると、リチアはあからさまに嫌そうな態度でフンと鼻を鳴らした。
「‥‥‥なによ偉そうに。そんなこと百も承知よ、だからこうして話してるんじゃない。貴方こそ自分の状況を分かって言ってるの? 次にまた狙われるとしたら私じゃなくてあなたなのよ?」
「その通り‥‥‥だからまず考えるべきは、この事実をどこまで公表するかです」
リチアは「は? 何を言っているの?」といわんばかりに眉根を上げた。
「まず考えなきゃいけないのは、どうやって戻るかでしょう?」
「いいえ、違います」
スノウはきっぱりと否定した。
「聖法医師団が問題ないと言ったんです。彼らは嘘偽りのある診断は出さない、いいえ、出せない。ですから、現状僕達が元に戻る手段はないと思った方がいい‥‥‥犯人が捕まるまでの間は、ですが」
「じゃあ大人しくこのまま過ごせって言うの? 冗談じゃないわっ!」
「‥‥‥でも確かに、しばらく戻れないならスノウの意見は最もだ」
憤慨するリチアの横でディアムが渋い顔で頷いた。
「婚約破棄の次は入れ替わり‥‥‥暗殺されなくともその事実だけでオーディン家は潰れてしまうかも。”公爵令嬢と平民の魂が入れ替わった”‥‥‥これが世に出たらもう大騒ぎですよ」
「‥‥‥‥‥‥た、確かに」
リチアは渋々と引き下がった。
「私が私でなくなっちゃったら神聖力だってきっと使えないし、陛下がオーディン家を存続させる意味が無くなっちゃうわ‥‥‥」
「神聖力?」
スノウが訊ねる。
「‥‥‥聖女の血に宿る特別なマナのことよ」
リチアは言いつつ、肩を竦めた。
「聖女の末裔が精神的に成熟すると使えるようになるのよ。お母様が十六歳で覚醒したから私もそろそろだと思ってたの。でもこれじゃあ絶対に無理よ、覚醒なんかできっこないわ」
がっくりと項垂れ、リチアは深く溜息を吐きだした。
「‥‥‥スノウだったわね。貴方の言う通り、この事実をどこまで話すかはかなり重要だわ。本当にどうしよう‥‥‥」
真っ青な顔で座り込んでしまうリチアを、スノウは気の毒な気持ちで眺めた。
「お嬢様。とりあえず旦那様に事情を――」
と、そこでスノウが妙なタイミングで言葉を途切れさせ、リチアは顔を上げた。
どうしたの?と言いかけ、そこで部屋の外がわずかに騒がしいことにやっと気が付いた。
「なに‥‥‥?」
扉の方を見てリチアが呟く。すると頭上でスノウが凝固しているのが目に入った。彼は口元を引きつらせながら一言、
「まずい」
そう零した。
「まずい? なにが?」
訊ねたリチアに、スノウは額に冷汗を滲ませながら言った。
「噂をすれば‥‥‥旦那様です」
その言下であった。
「リチア!!」
扉が勢いよく開かれ、ハインツが従者を連れてなだれ込むように入ってきた。
その瞬間室内にいた三人は文字通りの意味で飛び上がり、娘のもとへ走りこんでいくハインツに目を白黒させた。
当然、娘といってもそれは中身スノウの方で。
「だ、旦那様!? うぐっ!!」
ハインツからきつい抱擁を受けたスノウは苦しげな声を上げた。
「リチア! やっと目が覚めたと思ったら飛び出すなんて、一体何を考えているんだ! 身代わりになった護衛の心配をそこまでしてくれたのは立派だが、今はお前の方も安静にしていなければならないだろう!」
「ちょっ‥‥‥お父様」
ことさら泡を食ったスノウの代わりに、ハインツの背後にいるリチア本人が動揺の声を発した。
(そっちは私じゃ――いや私なんだけど、私じゃなくて‥‥‥というか、)
――今さらだけど、私の恰好って‥‥‥‥!
薄い夜着一枚だけという、これ以上ないくらい恥ずかしい恰好だったことを思い知る。リチアは思わず顔を覆ってしまった。
案の定、連れられてきた従者たちはハインツの奥にいるリチアの姿を見た途端、全員もれなくその場に硬直して言葉を失ってしまった。大半がそれとなく視線を逸らすか、あとの少数は逆に凝視したままポカンと口を開けている。
(消えたい‥‥‥! いろいろな意味で!!)
「だ‥‥‥だんなさっ‥‥‥まっ、ちょっ」
尚も続く抱擁。スノウの苦し紛れの抵抗はまったく意味が無かった。
リチアの身体があまりにも非力だったせいである。
酸欠でみるみる首から上が赤くなっていくスノウに気付きもしないハインツは、娘だと信じた少女の身体をことさら強く抱きしめた。
「私が悪かったんだ――お前だって一族のために色々と考えていたのは分かっていたんだ。本当にすまなかった‥‥‥! その上ミネルヴァ嬢まで引き合いに出して責めるなど私は親として失格だ、どうかこの父を許してはくれないか!」
涙ながらに胸の内を明かすハインツだが、腕の中にいるのは全くの別人格である。
とうとう見かねたディアムが口を開いた。
「旦那様、その辺にしておかないと――」
「あぁ! そうだスノウ!」
と、ここでハッとしたハインツが首だけ回して本物の娘の人格の方に振り返った。
「君も無事に目が覚めて本当に良かった! リチアを助けてくれて感謝の言葉も無いよ‥‥‥本当に、本当に君には――!」
見事にスルーされたディアムはぐにゃっと顔を顰めた。
「いや、ですから旦那様聞いて? ‥‥‥あっ」
その時、カクンとスノウの――リチアの身体から力が抜けた。
どうやら耐えきれず意識を失ってしまったらしい。
これにはさすがのハインツも我に返った。
「リチア!!?」
ハインツの悲鳴が室内に響き渡る。
それからすぐにリチアもといスノウは寄宿舎から担ぎ出されてしまい、リチア本人とディアムは困惑状態のまま取り残される羽目になった。